19 銀の魔女が行く夏の自由研究
王都への帰還命令をロレッツァがゴネているのは、私を残していく心配が二割、残りは手ずから指導した教会の薬草畑が気になるからだ。
しかし後進の自主性を疑ってはならないとガラルーダがうまい具合に諭し、さすが長い付き合いだとイリュージャを感心させる。
帰路に着く馬車窓から手を振るロレッツァの視線は大樹にあって、心に深く刻まれた罪悪の念と決別する日は来ないのだろう。
▽
王都に戻ったロレッツァは体力と機敏性を十分に発揮して、不可解を『視る』宰相サラの診察を振り切り、一方ディファストロは『ヤラカシ王子』の札を首にかけ、宰相執務室の一角に隔離されるという恥ずかしい処罰を受けている。
ユージーンの護衛はロレッツァが引き継ぐことになり、官服に着替える間にサラの呼び出しが二回、のらりくらりでやり過ごせば三度目は本人がやって来て、イリュージャが経緯を記した手紙をテーブルに叩きつけた。
「書き直してマシになったんだがなあ」
「まるでなってない!」
図書館のニンフと囁かれるサラには耐え難いようで、爪を噛むのをやめさせる。
「ファゲルはあの子に教育を施さなかった。交流があったのは人ならざるもので、でああいうのは一方通行だから、初めて会った頃は会話もままならなかったんだぞ」
『にし みわたす のびる ひ』
畑で作業をしていたら、幼いイリュージャが家のある方向を指差し慌てている。
戻れば家の西にある竈から火が出て、何があったかと聞いても地団駄を踏むばかりで、落ち着くのにずいぶんかかった。
「理解はできているが伝えられない。精霊との意思疎通は念話でなく、感情を読み取っていたと知り一から言葉を教えたんだ」
「魔力に恵まれた者は嘘をつけないからそれで充分なのだろう。しかしこれをごらん」
サラが渡したのは一学期の通知表で、シャラナの生物学はパーフェクト、薬草学はどうにか及第点、それ以外は散々たるもの。
「うーん、どうしようか」
これは進級も危ぶまれる。
風が捲ったカーテンから光が差し込んで、サラは違和感の正体に気付くと腰を浮かせた。
「ロレッツァ、瞳の色が、」
緑色の革ベルトは全滅した小隊の識別色で、隊長のロレッツァの瞳を模したものだが、こうして見比べれば色褪せた紙のように淡い。
「じいちゃん譲りの緑は魔力の源なんだが、とうとう俺自身が減り始めたようだ」
見えてるから心配するなと笑った。
「俺と同じ轍は踏ませない。そこでだ、サラ。頑張って生きるから仕事減らして」
前屈みのお願いは昔のままだけど、あの日には戻れないのだとサラは奥歯を噛みしめる。
「怨みごとならガラルーダ、いや、発端のディファさまに言うんだね」
「うっ、男の子はやんちゃなだけで悪気はないぞ」
子供好きが災いし、サラの思うツボとは実にチョロい。
▽
▽
ロレッツァとディファストロが王都に到着した報せを聞いたのは、北の大国ノルムの入国審査の最中で、ガラルーダは百回目の溜息をついた。
「ノルムに行くことになったことをどう説明しよう」
「夏の自由研究だってば。『北の魔女が行くノルムの大農場ファーム探検』」
「・・機密文書です」
夏休みの自由研究だというから同行したのに、行先が銀の力をもつ一族の国とは聞いてない。
「あなたの魔力は、」
「銀の魔力は北のもの。ロレッツァ曰く、生まれた川に戻ると鮭は産卵する」
ガラルーダは戦乱の最中を思い出した。
あれは葉が散る秋のこと。遡上する鮭を捕えて数を競いあった。
熊神に改宗したロレッツァの小隊は、熊を手本に次々と鮭を岸に放り上げたが、下流で定置網を仕掛けて置いたガラルーダの隊には惨敗だ。
ズルいのなんのとグダグダ言うも腹いっぱいに鮭を食べ、それから湖畔の前線に向かう背が、永久の別れになったと気が沈む。
「この和平は和解とは違う。無関心、無干渉に成り立つまやかしのようなもの」
「精霊の見解では条約に抵触しないって」
和平条約は契約魔法の下にあって、これを侵せば制裁がある。その監視役は大気で精霊と思念を共有するものだ。
「魔法契約は覆らないものだけど、その解釈は曖昧よ」
ロレッツァの小隊は他国領土の湖畔に潜伏したが、潜伏だけなら侵攻でなく制裁もなかった。しかし戦争終結した報を以て武装解除を行ったことで、武装が戦争の布石であったと監視役は判断して制裁が発動したのだ。
本隊を率いるガラルーダが武装解除していなければ、小隊全滅を避けられたのだと自責の念に苛まされ、しかしサラは結果は同じだと言う。
『ノルムには行けども戻れぬ呪いがある。戻りたければ地図を書き換え、土地と縁を結ぶほかない』
「湖畔はたった三日で譲渡され、住民は着の身着のままファームに追い立てられました。彼らの恨みは深く、剣を以て制圧することになるかもしれない」
ノルムの民を危険に晒すことは武力行使だとガラルーダは言った。
「剣を抜いたからって侵攻にはならないわ」
イリュージャの瞳は空に向けられて、大気の意図を確かめている。
「エボルブルスから出稼ぎにきた食堂のおばさんが、ノルムの民に包丁を突きつけたらしいの。これは侵攻ではないって」
「それはそうだろう」
「どうして?刃物でノルムの民を脅したのよ」
「食堂の店主は武人でないし、そもそも喧嘩の仲裁か無銭飲食でしょう?そのたびに報復されては日常生活が成り立たない」
「その通り」
イリュージャはポンっと手を打つ。
「ルールには目溢しがある。子供だから、病気だから、貧しいから、今回は『仕方ない』って目溢しよ」
さらにブツブツと大気と語って駆け引きする。
「私が火を噴いてノルム城に突進しても侵攻ではない。なぜならノルムは銀の魔女をノルムのものと認識している」
カチリと音がして、ガラルーダは空を見上げた。
「鎧のガラルーダさんが剣を抜くのは侵攻。だけど解任されて騎士でも国の重鎮でもないから侵攻ではない。財産は凍結され一文なし、爵位剥奪は国の庇護を失うことであり、ただの観光旅行者よ」
それは条約の源である摂理との対話だが、正直すぎて胸を抉られる。
「旅行者がノルムの人に剣を向けても侵攻と解釈しない」
また空でカチリと音がした。
「書き込んだ。この条約を結んだ人は、ずいぶん解釈に余裕を持たせているのね」
条約に奔走したのは宰相サラで、ノルムの混乱に乗じて優位な、ノルム王にすれば鬼畜でしかない条件で、これもそのひとつだ。
「だから安心して剣を抜いてね、お兄ちゃん」
「・・お兄ちゃん」
兄妹設定は護衛のうえで便利だし、何よりロレッツァに勝った気になるガラルーダである。
▽
ノルムの食料庫であるファームは見渡す限りの農地で、水路には眼鏡橋が架かり、夜道を照らす水銀灯は、昼間と変わらず明るく都市を輝かせている。
そのせいでイリュージャは銀色の髪を覆った布を取ることが出来ず、馬車の車窓から恨めしそうに灯を睨みつけた。
遠くで聞こえるのは夜鶏の鳴き声で、夜の草地を自由に駆け回って卵をふたつ産み、朝鶏が鳴くと小屋と草地を交代して眠る。
「夜行性は鶏ばかりでなく、紫牛の放牧と乳しぼりも夜に行う」
「ふーん。昼も夜も草を食んで、牧草はツルッパゲにならないの?」
「そうだね。しかしファームの地には教会に匹敵する祝福がある」
車窓に吹き込んだ風が、髪を被う布を捲りあげれば銀がきらりと月を反射した。
「お嬢ちゃんはナターシャの子かい」
乗り合わせた老人が声を潜め、ナターシャはノルムの首都だとガラルーダが耳打ちする。
「お兄さん、銀攫いに気をつけなよ。つい最近も銀の子供が消えた」
なっちゃんはびっくりして頭に飛び乗り、布をぎゅっと押さえる。
「驚いた!火精霊まで拝めるとは」
なっちゃんとイリュージャは老人よりもっと驚いて、
「えっ、俺が火精霊に見える?」
「えっ、これが火精霊に見える?」
そう叫んだイリュージャは、おじいさんのメガネに曇り止めの魔法をかけたのだ。
▽
宿を取ったガラルーダは、茶色い毛糸の帽子と子供用のマント、それと髪染め液を買いに日用品店に入った。銀色の髪染めもあるのかと何気に訊ねれば、あれは禁色だよと店主は首を振る。
「ノルムは銀色の髪が多いと聞いていたのだがな」
そう言ったのはイリュージャの母親である銀の魔女だ。
「銀が一房あっただけでも大事ですよ。ついこの間も銀攫いが・・あ、いや」
言葉を濁す店主に、ガラルーダは釣銭に金を積んで続きを促す。
「銀攫いとは何だ?」
人がいないことを確認した店主は上乗せの情報料を受け取ると声を潜めた。
「神託だ。『銀の統治者は穢れ、災厄、凶事を祓う。しかし寄せて返す波と等しく、禍もまた完全な銀がもたらす』んだとさ」
銀攫いはこの神託に基づいて結成された集団で、彼らには銀の欠片がある。
北は魔物が他国より多く、対抗する銀持ちは国の庇護にあったが神託後は様相が変わった。
「銀持ちはナターシャの学校に招待されるが、今じゃ銀攫いに連れ去られる始末だ。髪と瞳に銀を持つ完全な銀の我が子を心配した親は学校を訪ねたが、そこに子供の姿はなかったという」
「両親は国に調査を依頼し、その直後に物盗りにあって死んだ」
酒場で会った旅人に話していなければ、慣れぬ街でのいたましい事故で済まされたのだろう。
神託が下りたのはイリュージャが誕生した年でも、完全な銀の母親が消えた年でもある。
さらにいえばナクラに致命傷を負わせた銀の少年もそれくらいで、結成された一団は、神託の名の下にありながら銀攫いと揶揄されるほどなりふり構わない。
「神託が近いのか」
だがこの違和感はなんだろう。まるで余計なひとつを加え、こんがらがった知恵の輪のようにムズムズするのだ。
▽
「ウヒィ・・」
真夜中の洗面所で、イリュージャは奇怪な呻きを溢した。
夜更けに戻ったガラルーダは、髪を染めようとイリュージャを起こして、冷たい水に体は震え上がる。
濡れた服をエイっと脱ぎ捨てれば、淑女のタシナミ云々とクドクド説教され、やっぱりお世話係はロレッツァに限ると思いながら寝落ちしたのだ。
翌朝、歯ブラシを手に鏡に映った自分に目が丸くなる。
「ワオ、キンパツになってる」
「お早う。きれいに染まったね」
ガラルーダの金塊の髪に比べれば、いくらか控えめの金ではある。
「銀は白のようなものだから、白髪染めにして正解だったな」
「んまっヒドイっ!聞いておくれよ、なっちゃん。息子があたしを白髪というんだよ」
「アンタ、50は若返ったじゃないか。いい息子さんだ」
「イリュージャはまだ12才だから、50も若返ることは不可・・え、ええ?」
ノリの悪いガラルーダは、私となっちゃんに睨まれた。
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