18 人のような魔物のような

 宰相サラは薔薇の花びらを浮かべた湯舟で、怒涛の一日半を振り返ってハァァと息をついた。

 余談だがこの薔薇の色と香りの浴槽は優雅なうえに、腰痛と肩凝りによく効くサラご愛用の非売品である。


 異変は前触れもなく始まった。胸を掴んで苦しむユージーンが事なきを得たのは、運よく不可解を『視る』サラが側にいたおかげで、盟約反故の代償だと知るや否や調停に入り、大事に至らなかったものの間一髪だったといってよい。


 サラの固有能力で『視る』のは不可解と嘘と寿命で、血縁者でさえ気味が悪いと彼を拒絶したが、世界が一変したのは魔法学校での出会いだ。

「不可解ばかりで目玉が痛い」

 眼痛疲労の薬湯にすればよかったよと湯に沈みこみ、緊張が弛みだした途端に、控えめな声でユージーンの来訪が告げられる。


「ゆっくりする間もない」

 呼び出したのはサラなのだが、来るのが早いとブツブツ言って、白い夜着にラベンダー色のガウンを羽織ると、意気消沈するユージーンを『視る』。

「報復の残滓はないようだ。その場しのぎに盟約など結ぶからだよ」

「反省してます、ごめんなさい」

 すでにこってりと搾られた後で、二ラウンド目への突入を回避しようと即座に謝った。


「問題は山積みなのにガラルーダを失うとは痛手だ。ファーム襲撃で敗走した騎馬民族が、保護を求めてきたと聞いているね?」

「不作続きで暴挙に出たのだろう?」

「遊牧の民に小麦はいらない。あれは捨て駒で誰かの儲け、そんな情勢だと頭に刻みなさい」

 敗戦を覚悟したからこそ残りの民を国境際に待機させ、追っ手がかかる前に亡命したのだ。


 ファームの収穫はノルムの民と備蓄が優先で、その余りが自治区との取引分だ。

 備蓄どころではない自治区の食糧事情は死活問題で、かねてよりイザコザが絶えない連合の関与が疑われるが証拠はない。。

「エボルブルスも他人事ではない。食糧供給源の北部を叩かれたら終いだ」

「農地の確保は急務か。ロレッツァを見習わなくては」

「あいつは旬の野菜にこだわって、備蓄になりゃしないよ」


 難民になった騎馬民族は今や老人と女子供の数十人で、馬の扱いに慣れた14歳の首領ゲドは、学校に入学することになっている。

「ノルムの玉座は簒奪だ。和平は一代限りで、北の気候を知る騎馬民族の利用価値は高い」

 過去の戦争では、鍛えられた騎士ですら凍死を覚悟したという。


「サラはノルム王と面識があるのか?」

「図太い、不躾、無神経だが、鼻と勘はよく利く男だよ」

 図太いサラが図太いというノルム王に会いたいのは好奇心で、そんな機会はないだろうと思っていた。


  ▽


 養育義務があるのは16歳で、それまでひっそり暮らすつもりのイリュージャにとって、この状況は不満でしかない。

「何でキラキラ王子と一緒にショッピングっ!?」

「うるさい!僕とお前は仲良しなんだよっ」

 法的に不問のディファストロだが、宰相サラは罰として『みんな仲良く』の課題を出して、反省したディファストロはこめかみに青筋を立てながらも、『仲良く』を広い定義で履行中だ。

「そうそう、解任おめでとう、ガラルーダさん」

 お祝い申し上げたイリュージャに、ガラルーダは返す言葉が見つからない。


「ねえ弟のほう。ガラルーダさんはここに残るのでしょう」

「北の災厄の監視役にせよと父王の命令だ」

 それは暗に戻ってくるなということだろう。

「ロレッツァが王都に戻れば、ここに残る必要はないのよね」

 余生は南の島一択だが、北で氷(商品)の魔力を高めるのも悪くないわねと、北の大国ノルムに想いを馳せた。


  ▽

  ▽


 イリュージャは窓を全開にして眠るロレッツァにおはようと声をかけ、いつものように清拭を始めればガラルーダは慌ててタオルを取り上げる。

「ロレッツァには深い傷があり、令嬢が見るものではない」

 そして埋もれた石像をピカピカにでもするように擦りまくって、真っ赤になったお肌の保湿剤を創る二度手間だ。


「一緒にお風呂に入ってたから知ってるよ。肩まで浸かって100数えろってうるさくて、魔法で湯をたぎらせたら風呂釜が爆発したの」

 地を這うゆでダコみたいだったと笑う。

「目醒めない理由はこの傷。死んだ組織を治癒しようとする強い意志」

 その理由が治癒になるならばと、ガラルーダは口を開いた。


「癒えぬのは心だろう。ここは交戦の前線地だ・・」

 窓辺に立てば、湖畔が朝陽に煌めいて目を細める。

「私が率いる本隊はこの辺りで陣を構え、ロレッツァの隊はまだノルムの領土であった湖畔に潜伏し命令を待っていた」

 精霊の地である湖畔は禁忌の地で、覚悟のうえでの総力戦だったと話す。


「しかし宰相のカタリ鳥が報せたのは開戦ではなく、ノルムの革命成功と和平締結。すぐにロレッツァに撤退を指示したが、小隊が戻ることはなかったのです」

 前線指揮をガラルーダとロレッツァに託したのは王都を護るサラで、その判断を責めるものでないが、湖畔の潜伏を知って激怒したという。

「命懸けのロレッツァ小隊を湖畔に残して、王都に戻った私が勲章を授かった」

 ぎりっと歯ぎしりが聞こえた。


 サラは和平の証に湖畔の譲渡をノルムの新帝王に迫り、精霊とノルムの盟約は消失、禁忌が解除されると直ちに捜索が行われたが、魔物が跋扈して大樹の影すら見えなかったという。


「ではなぜロレッツァは生きているの?」

 耳を塞ぐかと思えば、道理を歪ませた理由は何だと訊ねてくる。

「銀の魔女が路を開いたのです」

 開いた路は大樹の根元で、そこにロレッツァの小隊が蹲っていた。小隊員はすでに絶命し、ただ一人生き残ったロレッツァは、隊員の骸を魔物の糧にするものかと、瀕死で地の覇気を奮い続けていたのだ。


「遺体は家族に戻り、ロレッツァも魔女の秘薬で命を繋ぎとめました」

 魔女の秘薬ねとイリュージャは冷笑を浮かべる。

「私のお母さんは、終わる命を捩じったのね」

 まるでロレッツァは死ぬべきだったと言わんばかりで、ガラルーダは不愉快な表情を浮かべたが、魔力暴走を抑え込もうとするイリュージャはそれどころでない。


「ねえ黄色、ガシャルに還ろう。銀と人は共存できない」

「イリュージャ、息を吸うのだ!器が壊れるぞ」

 黄色はイリュージャを正気に戻そうと擦り寄り、途端に電気が全身に走って、背で寝ていたなっちゃんを振り落とす。

「うひょ、ビリビリ!正義の味方なっちゃん参上」

 無意味なポーズを決めパタパタ飛んできて、おでこにチュッ、ほっぺにチュッ。

「住めば都、どこでだって生きていけるんだぞ。なっちゃんは妖魔も人も大好きだもん」

 最後の仕上げは唇にブッ~チュゥ。


「ほにゃにゃ~魂が抜けるぅ」

「銀洩れ吸い出し完了、余分はペッ」

 なっちゃんの活躍に黄色はハグハグと甘噛で絶賛し、おかげでボロ人形の綿が偏ってイビツになる。

「なっちゃんは藁人形ではないのだな」

「カカシじゃねぇぞ!」

 喰ってかかったなっちゃんを退かしたイリュージャが、ガラルーダにびっくりさせてごめんなさいと謝った。


「ディファさまで慣れています」

 見慣れたガラルーダを遠く感じるのは、『よっつ』である人だから。

 黄色は銀の眷属である妖魔の『ふたつ』だから心地よい。

 なっちゃんは銀の欠片を持つ同族『ひとつ』の相棒だ。

「それじゃこれは何だろう」

 魔物『みっつ』のようだとロレッツァを見つめた。


  ▽


 ロレッツァおはよう大作戦は、私、黄色、なっちゃん、マーナガルム、ガラルーダ、ディファストロの6人結成で、

「七人の小人戦隊には一人足りない」

 締まらないと唇を尖らせれば、

「我は四肢だから二人分と数えて良い」

 黄色はトンチを利かせて二人分になり、しかしその理屈だとマーナガルムも二人分で、合計八人の小人戦隊でやっぱり締まらない。


「ロレッツァの魔力貯水池は自己修復不可で、外部発注必須よ」

 ヒビ割れたカメ壺に水を溜めてる状況とイリュージャは判断したのだ。

「秋の収穫を逃したと知ればそのまま寝込むから、さっさと起こそう」

 母親の関与を秘めたのは、それがロレッツァの源に係ることだからだ。


「実はね、濡れ手に粟のすごい方法があるの」

 にやりと笑ってディファストロに囁く。

「コップ(地精霊)で水を注ぐより、すでに溜めた甕壺(ディファストロ)から甕壺(ロレッツァ)に注いだほうが効率的で、それで体調を崩せば王都に送還よね?」

「よし、その手でいこう」

 まんまと策略に嵌まったディファストロのために、過分に魔力を吸引したら本当に体調を崩してガラルーダに叱られた。

 迷惑王子が迷惑かけないと調子が狂うとは苦労人だ。


 夜が更けて、ガラルーダはロレッツァの枕元の灯を消す。

「私はロレッツァのこれまでを知らないの」

「訊ねたことはないのですか?」

「背中の傷はどうしたのって聞いたら嘘をついて、ロレッツァは人なんだなって思っただけ」

 私とは違うと線を引き、それ以上訊ねることはしなかった。


「銀の少年は大樹の記憶を見せたよ。深緑の紋章を纏う七人の鎧の騎士が身を寄せている。痛くも寒くも、恐怖も孤独も無く、鼓動が消えていった」

 ロレッツァが湖畔で叫んだ名を伝えれば、それは全滅した隊員だとガラルーダは唇を引き結ぶ。

「銀を身に持つ者は嘘を嫌う。その人たちの最期は穏やかだったのでしょう」

 それはガラルーダを揺さぶるのに十分で、天を仰いで嗚咽を漏らした。


  ▽


「ポッポー」

 ポッポがイリュージャに手紙を運んできたのは真夜中で、ハタメイワクでしかないディファストロの良いところを書き連ねてはあるが、言い方を変えただけの繰り返しで、空白をどうにか埋めた苦労が窺える。

 それというのも教育係の宰相サラから『仲良しカード』なる魔力ダダ洩れの呪い道具が届き、包みを開けた途端にイリュージャとディファストロの首を拘束したのだ。


『ふたりが仲良く出来たらスタンプ1個、20個たまれば人参三本贈呈、争ったら一発で服の柄がニンジンになる魔法カード』

 ニンジン柄は可愛いし人参が三本手に入るとはお得だが、人参嫌いのディファストロには嫌味でしかなく、ここ連日はニンジン柄のペアルックだ。


 手紙は苦手だけどポッポに急かされて、うーんうーんと書き上げロレッツァに添削をお願いする。

「どれ、『ロレッツァ起きるけど私寝るよ。弟いらないけど捨てないよ』うん満点、勢いは大事だ」

 ようやく起き上がったロレッツァは、そのままたイリュージャを抱きしめる。


「おはよう、銀の子供」

「おはよう、身の内に銀を宿す誰かさん。すでにいろいろバレバレよ」

 キッと睨みつけても、緑の瞳を細めて得体が知れない。

「怒ってるなあ、キックでもパンチでもドンとこい」

「ドンと離婚だよ」

「うわ、いろんな過程がブッ飛んでるぞ」

 それは嵐の前の静けさで、問うことも答えることもなく月を眺めていた。


  ▽


 ロレッツァのお布団で眠っていたらガラルーダに叱られたが、これは慎みの問題で、歯ぎしりと寝相を指摘されたのでは断じてない。

 ディファストロは目が覚めたロレッツァに抱きつき泣いており、よく見えないと首を伸ばせば、ガラルーダに担がれ部屋から出される。


「王都に報せを送ったから、すぐに帰還指示があるでしょう」

 任務から外れたガラルーダは鎧を着ておらず、腕の魔法痕が痛々しい。

「素手で止めたの?魔法の傷は執拗よ」

 ディファストロの魔力行使を止めた痕は肩まで広がってしまった。

「校内の出来事でしたからね」

 首を傾ければ纏めた髪の生え際に、縫合の痕がみえる。


「治癒しちゃいましょう。他にもある?」

「ありがたい。滝の結界で背の皮がベロベロに破けて、仰向けで寝るように医者に言われたが、洪水の結界で胸のベロベロが完治しておらず安眠には程遠い」

 そこでなぜか微笑む。

「男の子はやんちゃです。ジーンさまも歯が生えた頃は手をガブっと噛んで、ほらここ・・あれ、もう消えたのか」

 惜しい顔をする理由はさっぱりだ。


「成長すればやんちゃは減るが力が強くなる。魔法実験の失敗で骨が抜けたり、呪文の暴発で臍が捻じれたり、生え際の骨が突き出ているのは魔法乱射ですね」

「・・解任おめでとう、ガラルーダさん」

 イリュージャはそっと涙を拭うのだった。

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