16 銀の枝、羽のヴェール

 教会の薬草畑に屈みこんでいたロレッツァは、うーんと腰を伸ばして汗を拭った。

 エボルブルス国の北限となった湖畔に大規模な聖堂を建立したのは、この地がエボルブルスに譲渡されたと公言するのが目的で、見映えのする建物ではあるが教会より合同庁舎の役割が大きい。

 観光収入だけで財政が賄えるため薬草栽培は二の次だが、再び北のノルムと交戦になれば、街は封鎖され外部からの物資供給は望めない。


「薬と食料があれば救援を待つことができる。あの時は本当に何もなかった」

 思い出すのは先の戦争で、先発部隊長のロレッツァは、大樹の根元に潜伏して幾日を過ごした。岩の窪みで寒風を凌ぎ、小隊員と身を寄せて暖を取り、たまには冗談も言い合って・・。

「ああだめ、思い出すと泣きそう」

 顔をあげ長く長く息を吐く。土に触れていれば気持ちが安らぐから、若い神官に祝福のコツを丁寧に説明して気を紛らわせた。


「薬草は色と形を具体的にイメージする。ニンジンと同じ要領だな」

 そろそろニンジンを植える頃だが、湖畔の気候は二カ月ほど早いから、日照不足でも育つサトイモがいいなと薬草指導は農業指導に変わり、昼を報せる鐘で作業を切り上げる。


「イリュージャに弁当を届ける時間だ」

 住み込みはロレッツァの大反対で通勤になり、昼になると弁当をもって湖畔に向かう。よいしょと立ち上がれば体がぐらついて、もう一度長く息を吐いた。

「気温が上昇していると聞いてはいたが、太陽が真っ白じゃないか・・」

 目をゴシゴシと擦れば余計に視界は歪み、まるで枷でもあるように体が重い。弁当が入った袋を手に取って、何やら白っぽい輝きのほうに向かって歩いていけばそこが湖畔のほとりで、先に来ていたイリュージャの隣で仰向けになる。


「食いしんぼうなっちゃんがいないな」

「ノルムの本と引き換えた」

 イリュージャが開いている本のタイトルは、『静かな湖畔の森の陰』だ。

「本が正しいとは限らない」

「正しいを知る当事者が、何も教えてくれないのだもの」

「当事者さんはバカンス中だもん」

 どこがバカンスだ。農業指導の他にも水汲みや大工仕事を請け負って、観光案内所の受付と警備員まで、いいように使われている。


「その本をよこせ、読んでやるよ」

「肝心なとこを飛ばすからいい」

 その手に乗るかと本を鞄に入れたらムッとする。

「野菜のサンドイッチはある?」

「卵を食べろ」

「卵は喉に詰まるんだよ」

「じゃあササミ」

「ササミは歯に詰まるんだよ」

「水も歯ブラシもあるから安心だな」

「ちっ」


 実のところ、期待した情報は何もない本だが、これはもはや意地であり、ロレッツァはとうとう降参した。

「わかったよ。だが機密に関わることは話せんぞ」

「いいわ。私のお母さんは、魔女の秘術で命を宿らせたの?」

 機密だとロレッツァは口を閉じたが、王家の秘密を暴くつもりなどなく、無知ではないと知ってもらいたいだけだ。


「湖畔が譲渡されたというのは真実?」

「ああ。戦時中にノルムで革命が勃発し、終戦と同時に譲渡されたんだ」

「それじゃどうして大樹に宿る精霊は、エボルブルスを憎んでいるの?」

 湖から立ちあがる呪詛を、イリュージャは可視化して指差した。

「断じて略奪ではないぞ。戦で穢れた地だと、ノルムはこの地を見限った」


『太陽が満ちる』

『月が満ちる』


 湖畔の殺気にロレッツァは凍り付き、体を何度も擦って正気を保とうとしている。

「私もひとつだけ答えてあげるよ」

「それじゃ、一人でどうにかするつもりじゃないだろうな」

「とんでもない。半径100キロを灰燼に帰してでも生きるつもりよ」

「・・あはは。なあ、あいつらを助けてくれないか。あそこにいる逝った友を」

 指差す大樹では逝った友が喚んでいて、戦火で地を穢した大気の怒りに思考はこんがらがり、銀色の髪と瞳のあの人を思い浮かべて意識を手放した。


  ▽

  ▽


 二週間後、刺繍を刺したウエディングドレスで結婚式が行われる。

 ロレッツァが眠り続けているおかげで作業速度は三倍に跳ね上がり、残りの時間で新婦が好きなチューリップ柄の刺繍を裏地に刺して、お礼にレースのヴェールをプレゼントされた。


「全部終わりか?」

 木にもたれたロレッツァの目がぼんやり開く。

「終わった。羽の刺繍は小物にいいけど、枚数を重ねるほど太った鳥みたいになって、本物の羽を捩じったり吊るしたりずいぶん勉強したわ」

 本物の羽とは、遠路はるばる手紙を運んできたポッポだ。


「幸せになりますように・・」

 そこで途切れて眠りに落ちる。終戦の地がロレッツァの過去と今を撹乱させて、逝くなと幾人もの名を叫んで、身を捩って慟哭し、また眠りに堕ちるのだ。

「安息が解決するだろう」

 命を奪うものでないと黄色が言い、宿題をしたりお礼のヴェールに刺繍を入れたりして三日を過ごす。


 運動神経に優れたナクラは、人形バージョンでもスイミングスタイルを確立し、『火精霊のもどき人形VS混じり過ぎ妖魔対決』は100ラウンドに突入だ。

「なっちゃん、力を残しておいてよ」

「任せとけ、気力、体力、絶好調だぞ」

 肝心なのは魔力なんだがと一抹の不安を感じつつ刺繍道具を片付け、陽が翳るほどに輝く月を見上げる。


 満月はナクラの筆頭使役魔マーナガルムを召喚するのに最適で、この時に合わせてロレッツァには大量の回復薬を飲ませた。

 頂点の月に鱗を立てた黄色が、今だとイリュージャの影を踏んだ。

「わかった。『白雪姫と七精霊の小人戦隊!』、ロレッツァ、起きて」

 眠り姫にキスした王子様は、七人の小人精霊に地の果てまで追撃された教訓から、『白雪姫と七精霊の小人戦隊』と叫んで、それでも起きなければ起こして良いことになっている。


 月を映した湖が表面張力ギリギリまで盛り上がり、予測したよりずっと早く変化が始まった。

「なっちゃん、マーナガルムを見つけた!」

「チョーキンチョースルヨ!」

 緊張度合いをカタコト表現したなっちゃんは、一回きりのチャンスに大きく息を吸い、湖面に映したマーナガルムの幻に契約の鎖を掛ける。


「ここからは私の出番よ!『さて月の妖魔に契約者在り よって完全たるカタチ也 さて契約は摂理の下に在り よって完全たるカタチ也』」

 かいつまめば摂理が契約を認めたのに、マーナガルムが摂理のうちにありながらも契約を履行できていないことを、摂理は見て見ぬふりしているのかと疑問を呈したわけで、看過できぬ摂理は不整合を整えようと、地鳴りを響かせあちらとこちらを繋いだ。


 摂理が開く奇跡に銀の爪を立てこじ開けば、歯向かう大樹は土中から根を噴き上げると槍のように四方に放たれて、うち一本はロレッツァを貫く勢いであったが、間一髪で目を覚まして地剣が真っ二つにする。


「おはよう、ロレッツァ。刺さった?」

「刺さってたまるか!小人戦隊も驚く目覚めの悪さだ!」

 三日も寝ていたのにキレッキレの動きで、目が覚めるとまず畑に出ていくだけあると感心する。

「今日の隊長はなっちゃんで、ロレッツァは木こりさんだからね」

 それは夢うつつに聞こえてきた『マーナガルム奪回大作戦』の役どころで、ロレッツァは唾を飲んだ。


 上司になったなっちゃんは炎、いや、炎ではなく赤い氷の礫を纏って目を凝らしているが、湖水の泡立ちに視界が遮られているようだ。

「イリュージャ、湖水の幻覚は大樹の仕業だ。水と隔絶できるか?」

 やってみるとイリュージャは銀の魔力を捩ると水に結び、三又の鉾でぐーるぐーると巻き取った。湖水は瞬く間に干上がって、大樹の葉は萎びて幻が解ける。


「マーナガルムだ!」

 水底に隠されたマーナガルムは身を捩りナクラに応えたが、まるで足枷でもあるように再び水底に沈んでいった。

「契約にない鎖に縛られているっ」

 赤い氷の礫が怒気で孕んで、ナクラのもつ銀の力が炎のように揺らぐ。


「イリュージャ、こちらは生育過多だ!」

 大樹の根っこと格闘するロレッツァだが、さすがに三日も飲まず食わずでは、体力も底を尽いたようである。

「こりゃまずい。黄色、理を黙らる。契約があるべきカタチを教えて」

 黄色は『契約』をイメージで伝えたが、それは春の陽のように暖かで、秋の紅葉のように美しく、黄色の契約が幸せであったことを嬉しく思う。


「よし言い負かそう。『契約の理 尊厳は大いなる安寧とは摂理の定めるところ』」

 ほら、幸せって前例にあるじゃないのとケチをつければ理は沈黙し、もしも人ならウンウン唸っているところだ。

 その隙に正しき形に還れと言霊をほとぎ、文字として可視化させた言霊は、マーナガルムに絡まって契約者以外が施した鎖を無かったことにした。

 自由になったマーナガルムは、歓びの咆哮でなっちゃんに跳躍し、

「あ、マズイ」

 時すでに遅し、安全基準に満たない不出来なもどき人形は、マーナガルムの突進でひゅるると吹っ飛んでいき、アララと彼方を見つめるイリュージャの袖を、黄色がグイッと引っぱり警告を促す。


 なあにと訊ねるより先に大樹とは違う銀の枝がキラリと輝いて、ナクラから光を奪った銀の少年の姿がそこにあった。

「マーナガルムは銀の眷属、ガシャルに還るもの」

 銀の少年が座る枝は魔力に満ち、黄色は鱗を逆立てると珊瑚の角を絞って、ロレッツァは大剣に地の力を沿わせて構え直す。


「平気よ、私たちはここでは争わないもの」

「うん。ガシャルの下で銀の身内は争わない」

 それでも大気は緊張し、時間が止まったように世界から音が消えた。

 イリュージャがシルクのヴェールを広げれば、刺繍の羽が本物の羽になって舞い上がり、銀の少年は両手を開いて羽を一枚残らず呼び寄せる。

「きれい」

 それからうっとりと頬を寄せ、霞になって消えていったのだ。


  ▽


 宿に戻ったら説教だとロレッツァはカンカンだったが、たどり着くより先にまたもや眠り、黄色に担がれて寝台に運ぶ。

『地の愛し仔、キケン』

 右往左往の地精霊が代わる代わる魔力を供給する傍ら、イリュージャは奇妙さを拭えないままに薬を創る。


「回復薬が効かない」

 薬に問題があるのではない。 試しにマーナガルムに捕獲されたなっちゃんに飲ませてみたら、珍可愛さに拍車がかかり精霊にひっぱりだこになっている。

「薬の種類を変えちゃどうだ?」

「魔女の秘薬って何で創るかではなく、何を創るかなのよ。回復薬と同じ材料を使っても、緩和を指定すれば緩和薬、栄養補給を指定すれば栄養薬になる」


「ふーん。再生とか復活で指定してはどうだ?」

「病を治癒し元通りに回復するのは回復薬でしょう?再生は新しく作ることだし、復活は、」

 それに精霊は反応をみせた。しかし復活とは壊れたものをそれらしく象ることで、ロレッツァは人だから・・いや、

「人ならば、」

 ふさわしくないわと、眠る顔を見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る