15 北の湖畔へじゃんけん大会
農業が閑散期の真夏になると、近隣の町からは短期アルバイトの女性たちが王都にやってくる。特に需要が高いのは貴族の衣装を扱う洋裁店で、手の込んだオーダーメイドの衣装を仕立てるため、宿舎を用意して針子を雇い入れるそうだ。
「イリュージャ、またポッポが来たぞ」
黄色が嫌そうにするのは珊瑚の角を止まり木にするせいで、首を振って抵抗しようと一向に気にしない。
イリュージャは通勤時間を作業時間にあてようと宿舎に住んでいるのだが、心配したユージーンから毎日のように手紙が届く。
最初の手紙は女の子の一人暮らしは危険だから戻れで、私以上の危険人物はなかなかいないと返事した。その翌日にはおいしいお菓子がたくさんあるから戻れと手を変えて、しかし街のアイドルなっちゃんが、あっちこっちでお菓子を貰って戸棚はとうにパンパンだ。
一緒に宿題しようというお誘いもあったが、学習レベルが天地ほどに違うのにどうやってと疑問を呈し、心労のガラルーダが軍を動かしそうだと力技で来たので、それくらい銀の力を以て止めてあげると黙らせる。
「今日は家庭菜園の野菜が枯れそうだって。ありえないわ、ロレッツァがいるからね」
農夫ロレッツァは牧師のフリを辞して騎士に復職したが、農業の禁断症状で、人ンちの畑に手を入れ作付面積を広げている。
「学校を卒業するころには、かなりの出荷が見込めるぞ」
労働の汗を煌めかせ自慢するが、一人暮らしの家庭菜園であることを忘れないで欲しい。
洋裁店の世話役がノックをして、ポッポは飛び立ち黄色は姿を隠した。
「イリュージャ、出張を頼まれてくれないかい?」
二週間後に結婚式を控えた注文で、式場がある北の湖畔への出張依頼があるという。
「北の湖畔は涼しいだろうけど、家に戻れって黄色がいうし」
「いや、行くべきだ」
影にいるのに尾を振る黄色は、湖、水、涼しいと大賛成である。
出張先は北の大国ノルムとの国境に近い湖畔の街で、到着に二日かかるから夜明け前の出発だ。旅行を喜んだなっちゃんは早起きを宣言したが、興奮で寝付けずに爆睡のまま出発した。
見送りの世話役は刺繍道具一式を馬車に積み、牧師様が一緒だから失礼がないようにねと耳打ちする。
「牧師・・それはマッチョなあの人では?」
こういう予感は当たるもので、
「グッモーニーン、仔羊」
やっぱりエセ牧師のロレッツァである。
「神様が北の湖畔でバカンスしてこいって。宿題も持って来てやったぞ」
「ガラルーダさんに変わって」
宿題なら最終日に、ガラルーダに泣きつく予定だ。
「湖畔の教会に、黄金の髪と白金の鎧のガラルーダがあらわれたらと想像してみぃ?」
「うーん、大天使の降臨と騒ぎになる」
「だろう。さっと帰るならまだいいが、ああいうのは居座るほどに迷惑だ」
元といえ、神仕えとは思えぬ不遜さだ。
「そこで平凡な俺が任命されたってわけ」
オナモミのようなくっつき虫から逃れるのは諦めて、刺繍に専念するとイリュージャは腹を括るのだった。
▽
▽
ガラルーダは鏡に己を映すと、金貨のごとき輝きを放つ巻き毛をひとつに束ね、これならマシかと人に訊ねたが、金塊のようで素敵ですと意図せぬ答えに項垂れた。
イリュージャの護衛ジャンケンが10回勝負になったのは、ロレッツァが負けるたびに回数を増やすからで、ズルだと指摘しようとサラがそれでいいと許す。
「後だしジャンケン権をあげても負けるのだもの」
たまの休みの早朝だというのに、サラの装いは今朝も完璧だ。
「地精霊と結託してもあれだよ」
『パーだよ、ロレッツァはパーを出すよ』
結託した地精霊がガラルーダに耳打ちし、一度くらいは負けてやろうとチョキを出せば、本当にパーを出すものだから精霊に叱られている。
勝負は10対0のガラルーダ完勝であったが、ロレッツァが調子っぱずれの歌声で、
『♪静かな湖畔の空の上から 金ピカガラルーダが下りてくる。 大、天使が降臨だぞ~♪』
実にマヌケな替え歌を熱唱して、ツボに入ったサラが座布団10枚進呈し、勝負あったとは納得がいかない。
「サラの機嫌が世界の平和」
ユージーンとディファストロが口を揃えてロレッツァを護衛に推したのは、夏休み中、公務を共にするサラのご機嫌を損ねないためだ。
「派手なおまえの隣にいては、ロレッツァはいつだって潜伏、隠密と不憫なことだよ」
薄紫の髪をかきあげるサラに、ガラルーダはふんと鼻を鳴らした。
「宰相殿の意図はそれだけではないだろう。あいつは城でコキ使うほうが問題を起こさない」
沈黙の海と讃えられる苛烈なガラルーダの瞳にも、サラは表情を変えない。
「埒が明かない、二人が企んでくれれば事は簡単だがね。なんて顔をする、すでに逝った友は数知れず、もう一人くらい構わないよ」
絵画のように完璧な微笑を浮かべたサラに、ガラルーダは首を振った。
「引導を渡すのは私の役目だ。どうせこの身は喪い続ける呪いの中だからな」
10年の夢が終わる時だと北の空に頭を垂れたのだった。
▽
▽
北へ向かう馬車は、海と草原を越え景色は豊かな森に切り替わる。
イリュージャは出張とは別の内職で忙しく手を動かし、風景を見ろよと邪魔をするロレッツァの膝に、
「おっと、手が滑った」
揺れと同時に針を刺して黙らせた。
「おまえ、だんだんリゼに似てきたぞ」
「実の娘じゃないかとよく聞かれたものよ」
「プッ、ファゲル侯爵とリゼ・・プププっ・・・」
大いに笑うがよろしい。
「刺繍の手袋が貴族のトレンドだって。ロレッツァの注文も承るよ」
「それじゃ、赤薬草7の柄で頼む」
「・・やっぱりやめた」
カモるつもりでいたのに、その柄は私の評判を落とすリスク付きだ。
「ふわあ、よく寝たあ」
なっちゃんが目を覚ましてゴハンをおねだりし、イリュージャは人形の茶器を袋から出して首にスタイを結ぶ。
「なっちゃん、ここはどこでしょう?」
寝ぼけまなこをこじ開けて窓から見える風景に、うわっと歓喜をあげたのも束の間、ロレッツァに気付いて固まる。
「ロレッツァ、この子は火精霊なっちゃんで、」
タマシイはナクラ先生よと言うより早く、黄色が遮る。
「ナクラだとバレるとマズいようだ」
いつの間に二人はツーカーになったのと、思わずヤキモチを妬く。
「火精霊だと?ずいぶん不細工だし、なんだか既視感が」
ロレッツァはなっちゃん人形を摘まみ上げた。
「これでも一番マシな出来よ」
「ふうん。赤い髪と瞳ねえ」
なっちゃんが震えているのは、イリュージャにマーナガルムを召喚した罪を懺悔したばっかりに、牧師のフリした地剣の覇者ロレッツァに、執拗に命を狙われた後遺症だ。
「こんなのが神仕えとかダメでしょ、エボルブルスの王さま」
三度の食事にお風呂までイリュージャに頼ってるとバレたら、今度こそ冥土に送られる。
「本当のことは教えない。ロレッツァだって本当は教えないでしょう」
ロレッツァはをがヘの字に曲げて葛藤し、
「ただの人形だな」
と結論付けた。
「お互い、後しばらく信じるとしよう」
それは事務的で、わかったとイリュージャは頷く。
『精霊は嘘を嫌い、妖精は嘘を好む』
摂理のざわつけば、もうしばらくと言霊を被せた。
▽
さらに一日が過ぎると、北部ならではのひんやりとした風が吹いてきた。
北の湖畔は和平の証にノルムから譲渡された土地で、避暑地として発展した観光地だが、刺繍の仕事は二週間の期限付きだから一刻も早く到着したい。
「そう急ぐな。これは湖畔の銘菓『宝石』だぞ」
「へえ。見た目はちっとも宝石じゃないね」
ゼリーのようなキラキラも、こんぺいとうのような彩もないクッキーだが、齧ればわかると言うので期待を込めて齧りついた。
「うっ、こりゃとんでもなく固い!」
「だろ?宝石並みに硬いんだ、これが」
「フガフガ!(そっちかよっ!)」
食い意地の張ったなっちゃんは、犬歯が刺さって抜けなくなっている。
「ちなみに硬度は10まで選べるが、曲がるばかりで噛み切れない8が最も手強い。最高値10ともなると衝撃力が分散されずバラバラになるからな」
-『銘菓宝石』世界が認めた職人のこだわり-
「どちらの世界よ?」
「これぞ観光地アルアルだな」
そんなふうで楽しくはあるが、心配は納期だ。
「さあ、銘菓も食べたし湖畔に出発しよう」
「うーんうーん」
ロレッツァはこれ以上引き留める方法が浮かばずに考え込んでいる。
「刺繍なら湖畔の別荘に寝泊まりする必要はないだろう。銀の力は北の影響を受けるから、そのせいで焦っている気がする」
ロレッツァが護衛という名目で、監視する理由がそれである。
「焦っているのは納期が短いからよ」
「しかしだなあ、ほら、鮭は生まれた川に戻ると産卵するだろう」
鮭で説明されてもさっぱりだが、その理屈でいけば銀の欠片を持つなっちゃんだって影響があるはずだ。
「工房に帰ってお菓子が食べたい」
銘菓宝石に歯が立たず、むしろ王都に戻りたがっている。
ユージーンが精霊と盟約を結んだため、イリュージャを制限できず、どうにかして自主的に思いとどまらせようとしているのだ。
「だけどウエディングドレスは特別だもんな。娘を手離すためのドレスだって泣く親御さんからもらい泣きしてな、嫁が欲しくて泣いてるって勘違いされた」
何だ、違ったのか。
「イリュージャのウエディングドレスは俺が支度する。うぅ泣きそう」
「ドレス代なら祝儀に上乗せしてちょうだい。ガラルーダさんが身一つでお嫁にするって」
「だめっ!いっそ俺の嫁・・」
そのセリフは古今東西、津々浦々、思春期を迎えた娘への禁句で、ご多分に漏れず脛を蹴り上げられた。
▽
イリュージャが刺繍するのは湖畔に建つ貴族の別荘で、湖の中心には低く枝を広げる大樹が神秘的な佇まいをみせている。
今では観光名所になった北の湖畔は、10年前までノルムの神域で戦争終結の地でもある。鉱石が豊富な北の一部を手中に収めたのは宰相サラだが、彼の目的は別にあり、それは一部の者しか知らないことだ。
ウエディングドレスに刺繍を刺す大広間では、式のために滞在中の貴族が、嘘か誠かの噂話に興じ、ここにガラルーダがいたら結婚式どころではないだろう。
「ファームを狙った東自治区の騎馬民族が全滅したそうですぞ」
「たかだか小規模民族がノルムに楯突こうとは愚かなことだ」
ノルムは国土の殆どを雪と氷で覆われており、エボルブルスとの国境に近いファームが全域の食糧を賄っている。それほどの収穫量があるのは、地に常識を逸する祝福がある証で、しかしそれ以外の地域は数年来の凶作で小競り合いが絶えないという。
「我が国とて他人事ではない。果たして王子は御代を継げるのか」
「懐妊を呪い師に頼ったというのは本当かしら」
貴婦人が嬉々と目を輝かせ、紳士は物知り顔で咳ばらいをした。
「呪い師どころではありません、なんと魔女ですぞ」
イリュージャの手が止まる。魔女と呼ぶのは北の人だけで、ならば王子の懐妊に母親の関与があったということだ。
「ジーンは人と妖魔が融合している。常識を覆せるのが魔女だけど」
同じことをしろと言われても、私はきっと首を振るだろう。
「第一王子が虚弱であるのはそのためです」
「次代は第二王子が継承なさるのかしら」
カタスミ違いの王子さまディファストロが王さまになったら、南の島への移住を急ごうと、頭の中で貯蓄そろばんをはじいた。
「騒がしくってごめんね」
手を止めたイリュージャを気にした新婦が、休憩しましょうとクッキーがあるテーブルを指差し、なっちゃんはクッキキィと歌いながら飛んでいった。
新婦が魔法学校を卒業した孤児だと知ったロレッツァは、いつもの加護の大盤振る舞いで祝福を贈り、感無量と鼻をすすって泣き出す始末で、まあそのおかげで仕事に取り掛かることができたのだ。
「なっちゃんをお茶会に招待してもいい?お礼はするわ」
お茶会で食費が浮くならむしろ有難いことだが、くれるというなら貰っておくのが主義である。
「この地がノルムだった頃の本はありませんか?」
「それなら観光案内所ね。紹介状を書いてあげる」
グルゥと喉を鳴らす黄色に、ロレッツァには内緒よと人差し指を立てた。
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