銀色の魔女

@kamonoha

1 なんにもナイはおそろしい

「『なんにもナイ』はおそろしい」


 なんにも無いのにどうしておそろしいのと妹はまっとうな質問をして、それはねと、私は闇魔法で部屋を真っ暗にして、風魔法でヒュウと髪をすくいあげると、

「キィヤァァァ・・・!」

 思いっきり息を吸いこみ、静寂を切り裂く金切り声をあげた。

 『なんにもナイ』とはこんなふうにおそろしいものだと知った妹は、顔を覆って泣きじゃくり、

「マトモでナイばかりかロクでもナイ!」

 怒った継母は私を屋敷から追い出したけど、妹に『なんにもナイ』のおそろしさが伝わったのだから、よくやったと満足している。


  ▽


「マトモでナイとロクでもナイは、どっちが上でどっちが下か」

 どっちもどっちと歌いながら夜の森を歩いていけば、獲物を狙うフクロウの首が左右と後ろにグルンと回転し、目が合った途端に枝をしならせ飛んでいく。

 フクロウの首が私にあれば獲物を見逃すことはないけれど、この首の可動域は60度、そのおかげで真後ろにいる岩婆が、ムカデをムシャムシャむさぼる姿を見ずに済んだ。


 これは岩そっくりの岩婆で、カエルのような口で子供を一飲みにする魔物だが、

「痩せっぽっちのおまえはマズそうだ」

 そんな理由で私を食べようとはせず、マズそうがウマそうに変わる方法があると取引を囁く。

 岩婆は堕落した魔法使いだから人並みの知恵があり、特有の臭気で妖魔を呼び寄せて、そうすれば私は魔石を集めるために夜の森で妖魔をさがす手間が省けるし、岩婆はその対価として好物のムカデを私に獲らせることができる。


 捕えたムカデをポイっと放れば、カエルの口がびろーんと広がって丸呑みにした。

「ああうまい。酒や博打よりずっといいものさ」


 『タカが外れた魔法使いは魔物に堕ちる』

 これは魔法使いが最初に習う戒めだけど、当事者にとって悲観する要素はまるで無い。


  ▽


 朝陽が木々の間に差せば岩婆は消えて黄色い花弁がいっせいに開いた。やってきたのは黄色の体毛に暗褐色の鱗が輝く四肢の生き物で、爪先、耳、尾の先端は鮮やかな朱色。眼球の無い目は白一色で、漆黒の牙は上下の顎に二本ずつ、四肢の鍵爪も同じく漆黒の妖魔である。


「おはよう、黄色」

 だいたい黄色いこの妖魔を『黄色』と名付けたのは、名と体が紐づけば忘れようがないからで、私だってイデア・イリュージャ・ファゲルより、この銀の髪と瞳に紐付く『銀ちゃん』のほうがいいのにと常々思うからだ。


 ちょっと前まで黄色い妖魔の『黄色』は崖の横穴に繋がれていて、その鎖にはややこしい呪が施されていた。まっとうに解除するなら縺れた糸を緩めて広げ、右へ左へ糸端をくぐらせる根気が必要で、音を上げた私は魔力任せに引きちぎり、魔法の因果は黄色をぐんと小さくした。

「朝食は疲労回復成分たっぷりの、クルミとレーズンビスケットよ」

 ビスケットを風魔法でクルクル乾かしながら火魔法でチリチリと炙れば、黄色は地を蹴ってパクリと咥え、それからじっくりと咀嚼した。


  ▽

  ▽


 エボルブルス国の王城は緩やかな丘にあり、貴族街は運河の上流区域、下流には王国随一の大都市が広がっている。


 イリュージャの生家は貴族街でも特に豪奢なファゲル侯爵邸で、この家の子供である私は、正門から玄関を通って階段を上り、二階の渡り廊下から離れの私室に行くのが決まり。

 東西南北にある使用人の勝手口も、私室へ最短距離の外階段も禁止なのは、亡き母親が北の大国ノルムより和平の使者として嫁いだ銀の魔女で、一応これでも侯爵家の跡取りであるためだ。


 玄関を入れば、上階の踊り場から継母が私を見下ろしていて、

「マトモでナイ。北の野蛮が母親だもの」

 そう言うと銀の髪から目を逸らした。この銀髪はエボルブルス国にはない色で、継母が野蛮と呼ぶ北の大国ノルムだけの色らしい。


『おかえり、お手紙がきたよ』

『魔法使いの学校から、イリュージャにお手紙がきたよ』

 集まる祝福の精霊が、背を押し手を引くことに継母は腹を立て、扇を手すりに叩きつけると踵を返した。

 春を報せる手紙が来るぞとロレッツァに聞いてはいたけれど、

「春もイロイロ、やって来たのは春の嵐だ」

 我ながらうまいとニンマリすれば、風精霊もイリュージャを真似てニンマリするのだった。


  ▽


 父親のファゲル侯爵は継母以上に不機嫌で、妹のアリシャだけが手紙を胸に抱いて頬を紅潮させている。

「お姉さまと私に、王立魔法学校から入学許可証が届いたの」

 封の宛名はイデア・イリュージャ・ファゲル殿で、送り主は王立魔法学校長とある。ファゲル侯爵は穴があくほど手紙を睨みつけてはいるが、この蝋印は本人以外が開封すると獣の牙で手がズタズタになる呪が施されており、苛立たせるならこれ以上はないが、何も私が仕組んだことではないし迷惑でしかない。


 蝋印に指を置き封を解く。一枚目の羊皮紙は金で縁取られた『入学許可証』で、二枚目は春寒のみぎりと時候の挨拶から始まり、貴殿のご活躍をお祈りしますで括られた入学案内だといえば、所属する寮塔はどこだと父親は聞いた。

 寮塔は『礎』『四大』『応』のいずれかで、寮の名称は魔力の識別だ。


 礎とは生命を司る、光、闇魔法。

 四大とは豊穣を司る、火、水、風、地魔法。

 応とは豊かさをもたらす、技、豊、美魔法。


 王族と神官が所属する礎寮塔は別格で、他寮生徒との接点は共通教育以外にない。王族との繋がりが欲しい貴族は、合同授業の単位数が多い四大寮塔への所属を切望するが、父親のファゲル侯爵が私と王族の接点を望むはずはなく、四大寮塔になろうものなら一波乱あるだろう。


 印章はここにあるわとアリシャが自分の入学許可証を指し、そこには七色に輝く四大寮塔の印があった。

 しかし私の許可証には印章が無く、百聞は一見に如かずと広げて見せれば、継母は扇を閉じてクスクスと笑う。

「北の血だもの。半獣用の檻でも用意したのでしょう」

 吸血鬼や人狼にガブリとやられると、半分獣の半獣になるというのは物語の中だけで、しかも被害に遭うのは美女と相場が決まっているのだ。上機嫌の継母にはすまないが、岩婆すら歯牙にかけない私では到底役不足である。


  ▽


 貴族街を隔てる運河沿いには、ホテル、レストラン、ブティックと高級店が建ち並び、横断する線路の架道橋を超えれば、エボルブルス最大の商業地帯が広がっている。

 大通りの東は役所、図書館、教会などの公共施設、西にはデパート、商会、流行りのカフェがあって、人の往来が途切れることはない。

 買い物が目当てなら路地の通りが便利で、食糧から日用品、外国の珍しい品物や物騒な武器まで売られている。路地は奥に行くほど見応えがあるけれど、身ぐるみ剥がされる危険があるから覚悟してのぞむことだ。


 イリュージャの目的は商会の魔石査定と換金で、番号を呼ばれてカウンターに行けば、もうすっかり顔なじみの受付さんがニコっと笑顔で迎えてくれた。

「パパさんのお使いだね」

「これを買い取ってほしいの」

 渡した魔石は眼鏡型ルーペを嵌めた鑑定士がグレードごとに選別し、清算部門で換金される仕組みだ。


 妖魔を狩って魔石を換金する生業を狩人というが、固有魔力のある妖魔に立ち向かうのだから大抵荒くれ者で、狩人の娘ということにしておけば、ちょっかいを出されなくって都合が良い。


「冬は品薄だから買取りに色がついたとパパさんに伝えてね。イリュージャも学校に行く歳でしょう、まともな服をおねだりしなさいよ」

 着古したマントは擦り切れて、ボロといえばその通りだが、

 -何を着たってマトモでナイ-

 窓ガラスに映る私を、『なんにもナイ』は笑うのだった。


  ▽


 正午過ぎの厨房は戦場さながらで、炎の鉄鍋を振る強面のコックは三階で金貸し業を営むリゼの用心棒だ。

 彼が作る料理は絶品だけど、本業は傭兵で料理は趣味だと儲けに頓着せず、そこで彼の妻は必殺料理人とおだてて精進させ、まんまと収入アップに成功した賢妻である。


「リゼ、私だよ」

 三階の扉を開けば、金勘定中のリゼが眼鏡をずらして顔を上げた。

「来るなり服を捲るんじゃない。品のないお貴族だね」

「規格外の魔石を裏地に隠してるんだもん」

 商会で取引するのは一般的な魔石で、規格外の魔石の売買には仲介者が必要だ。

 リゼの商売は金貸しで、預けた客の収支管理を引き受けて、それを元手に客に金を貸す。取り分はその利息まるっとで、合法ギリギリちょい違法、法の抜け道を突いた魔石の仲介業だってお手の物である。


 まずは商会で換金した金の枚数を揃えて天秤で量り、偽物がないかを確認した。

「一割多い。目立つことはしてないだろうね」

「魔石の数も種類も変えてない。冬は品薄だから色を付けたって」

「量を減らすんだね。狩りの穴場を探ろうとする輩と関わりたくはないだろう」

 リゼはイリュージャの預金帳に、今日の入金とこれまでの合計を書きこんだ。


「家出の支度金にはもう充分だよ。女の子がいつまでも狩人なんてするもんじゃない」

 これは心にもない言葉で、規格外の魔石を持ち込むイリュージャは金の成る木、手数料は売値の半分と暴利でも、リゼほど口の堅い仲買人は他にいない。

「魔石のほうだがね、この大きさなら大型船の動力にぴったりだ。こっちのは欠けがあるけれど溶炉で10年は使える。赤いのは流行りの色だし、加工してから交渉するのがいいだろう」

 小粒でも品質が良ければ装飾品としての需要があって、しかも魔石は魔法を付与できるから護身用として人気が高い。


 残るふたつをリゼは指で弾いた。

「これは教会に寄付するしかないね」

 黒曜石のような魔石は強度が高くて手に負えず、こういうのは教会に寄付された後に、国の研究機関で抗魔法の器になるのだ。


「あーあ、タダ働きかあ」

「口の悪いお貴族さまだね。お前の首の魔石だって誰かのタダ働きだよ」

 指差す首のチョーカーには魔力抑制が付与された魔石があって、教会寄付の誰かのタダ働きによる逸品だ。

「魔法学校に入る前にがっぽり稼いでおきたいんだよ」

「へえ!いよいよ入学かい。そりゃ領主さまのお髭が痙攣しっぱなしだろうね」

 ファゲルはこの街の領主でも国の財務役人でもあり、ぎりぎり合法ちょい違法商売のリゼにとって、タンコブみたいなものらしい。


「引き取った赤子を放置して、清廉潔白な領主さまとは呆れたものだ」 

 その赤子が私で、しかしあちらにだってのっぴきならない事情がある。

「アリシャの誕生で幸せいっぱいのご家庭に、相続権をかっさらう長女が出戻っちゃそりゃねえ」

 引き取りが教会命令だったから生きているようなもので、墓に入っていたっておかしくないだろう。


「私が領主になったらアリシャ親衛隊のみなさんが暴動を起こすよね。こんな風に」

 推しのうちわを両手に持って突撃する親衛隊を演じれば、リゼはヤレヤレと頭を振った。

「街の至るところにアリシャ姫の名を冠するのは、頻繁に名を目にすることで領民に愛着を刷り込むためだよ」

「ふーん、オトーサマったら策士ね」

 まるで他人事のイリュージャに、リゼは呆れかえって話は終いになる。


「イカレ牧師の教会に行くなら、注文書を届けておくれ」

「リゼも少しは動かないと老けるよ」

「おだまり、金勘定のおかげで若さは保っている」

「若くは見えないけどな」

 正直な私は、駄賃と一緒にゲンコツを喰らった。

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