第123話【魔王を産む者】

 鳴り響いた電話の音。寒気を覚えるようなそれが、唐突に止んだ瞬間に現れたモノ。


 古ぼけた黒い幾重ものレースのベール。西洋貴族の黒いドレス。ソレは女性の形をした、何か。

 部屋の温度が急激に下がった感覚と怖気。指を指された八尾くんの凶行。


 僕らの体は金縛りにあったかのように、動かない。


「ぴわーーーーーーーー!!!」


 僕の膝にいた光るひよこが、大きく鳴いて、強く発光した。まばゆい光が僕らと、ソレに直撃した瞬間、体の自由が戻った。

 全員が、動く。


 楓さんが僕らと八尾くんたちを遮るテーブルを蹴り飛ばし、スペースを作ると、武藤さんがストレージから刀を抜いて正体不明のソレに斬りかかる。

 斬り上げたその切っ先はソレを切り裂いたが、また元の形へと戻り、武藤さんへと体の向きを変えることはない。


 僕と有坂さんは根岸くんと八尾くんへと。八尾くんは意識を失い、根岸くんは虫の息だった。

 原国さんが浄化魔術を放つと、その黒い何者かが、避けた。


「聖属性、呪いに有効とされる攻撃を!」

 原国さんが叫ぶ。


 僕らは根岸くんを貫く、八尾くんの腕を引き剥がす。有坂さんが回復魔術をかけるけれど、傷の回復速度が遅い。

 今まではこんなことはなかった。傷は一瞬で塞がり、回復していた。傷口に何か黒いものが付着している。それが回復を相殺している?


 有坂さんが浄化を使い、それでも黒いそれは、彼を命を侵食しようとするのをやめない。


 命には、命を。


 僕はストレージから、赤銀のコインを取り出し、傷口へと投げた。

 根岸くんを侵食しようとしていた、何かががじゅわりと溶けて消失した。そして再度かけられた回復魔術は、ようやく彼の傷を癒した。


「真瀬くん!」


 八尾くんの体を支える僕に、武藤さんと原国さんふたりがかりで戦っていた、黒い何かが迫る。

 有坂さんに襟首を引っ張られて、僕は床に転がった。


 黒い何者かが、八尾くんを飲み込む。


 その中から八尾くんの悲鳴と、何かが砕ける音がして、それはソファに黒い粘液のようにぴしゃりと落ちると、最初から何もなかったように消え去った。

 アレが、八尾くんごと、飲み込んで、消えてしまった。


 部屋は極寒の地のように寒く、息も凍えるほどの感覚があった。


 助けられなかった。八尾くんを奪われた。


 一体アレは、何なのか。


「わ、私に、スキル封印をかけて下さい」


 震えながら、紅葉さんが言う。腕にしていたスキル封印の腕輪が黒くなって砕けていた。

 彼女のスキルは『質問』キーワードを含めた会話による、嘘と欺瞞の回答者を死に至らしめるスキルだ。


 意図せずとも発動してしまうことがある。それゆえに、スキル封印の腕輪を彼女はずっとつけていた。


 黒い何かは、八尾くんと紅葉さんを指差した。そして八尾くんに体を向けていた。

 そして起きたのは突然の凶行。


 あれは八尾くんの意思による攻撃じゃない。


 あの黒い何かの所為で僕たちは全員身動きができなかった。多分、操られた。何かをされたんだ。

 根岸くんは息をしている。けれど意識は戻らない。心臓を破壊されるほどのダメージを受けた肉体の修復を受ければ、しばらく意識は戻らないだろう。


 僕が紅葉さんにスキル封印をかけ、有坂さんに預けてある『神の手』により彼女の運命固有スキル『神託』を原国さんへと移譲した。


『神託』と『3つの質問』、これを同時併用されていれば彼女は虐殺者となっていた。全世界の全人類に響く声による、3つの質問。

 想像するだけで、ぞわりと背筋が凍る。


 きっと紅葉さんは、もっと恐ろしかっただろう。


「八尾くんは、どうなったんですか。アレは一体!?」


「アレは、呪い、そのものです。オールドヴェールの女。別の周回ではそう呼ばれていたモノ。運命固有スキルを持つ者が夢現ダンジョンで死亡していた場合、もっとひどいことが起こると、私が以前伝えたことを覚えていますね」


 楓さんが蹴り飛ばしたテーブルを抱えて、元の位置へと戻す。


 そういえば、原国さんはモンスターが現れるよりひどいことが起きたと言っていた。

 アレが、その正体。


「魔法も、魔術も、スキルもある世界。当然、呪いも存在します。そしてそれは、夢現ダンジョン内での、運命固有スキルを持つ者の死で、解き放たれた。ですが今回は違う。運命固有スキルを持つ者は誰も死んでなどいないというのに、何故……」


 原国さんが、呟くように言う。

 部屋の温度はようやく元に戻り、テーブルが蹴飛ばされてカップや珈琲が床に落ちたことで、撒き散らされた珈琲の匂い。根岸くんの血の匂い。嗅覚も正常に働くようになった。武藤さんたちが浄化魔術などを使ってそれらを綺麗に片付ける。


「人を絶望させ飲み込み、魔族へと転化させる呪い。人も星も世界のすべてを呪い、等しく絶望を与えるモノ。アレが複数同時に、湧き出して人々を襲いました。それによる潰滅と滅亡。今回は何故か、ピンポイントで我々のところだけに来たようです」


 スマホを確認しながら、原国さんが続けた。


「……原国さんの言う、前周回のソレ、ステータス表記は正常だったか?」

 神眼を持つ武藤さんがぽつりと言い、自分のジャケットを脱いで、いまだ震え続ける紅葉さんへと着せた。


「何か異常が?」


「ステータスがバグってた。名前も、レベルも、全部だ。別の起動条件があったんじゃねえか」


「ぴ。そです。アレは魔王を産む、呪いの女王ですぴ。攫われた八尾くんは呪いの繭の中で、魔王に生まれ変わるですぴ」

 光るひよこがふよふよと浮いて、僕の肩にとまった。


「発動条件は異性の神の憎悪の封印あるいは破壊だったっぽいですぴ。でも、わえはすよすよしてたので、なんとなくしかわからないですぴ」

 ひよこをねぎらい撫でると、ふわふわと喜びの声を上げる。


「主のおににりがなければ危なかったですぴ。あの呪いの女王は魔王をふたり産んで番わせる気だったっぴ」

「おにぎり?」


「そです。主の愛情たっぷりおににりはわえに力を与えました。ぴわーを使っても、消えずに済んだですぴ」

「あの発光、おにぎり食べてなかったら消えちゃってたの?」


「そです。わえの精霊としての力はよわよわふわふわですぴ。主の赤銀コインでいのちにはなれましたぴ。いのちは食べて眠り育つものですぴ。わえはまだ赤ちゃんのようなものですぴ」

「つまり、お前を強化するには食事をさせればいいってことか?」


 怯えの色を持ったままの紅葉さんの背を優しく撫でながら、武藤さんが問う。

 楓さんが温かい白湯をいれなおして、紅葉さんを立ち上がらせて、ソファの場所を移動させた。

 武藤さんと楓さんに挟まれる形で座りなおし、紅葉さんは勧められた白湯を口に含む。


「ですぴ。主のごはんがいちばんですぴ。あとは主の名付けも必要ですぴ」


「それなら、ほら、これを食え」

 武藤さんがストレージから、お昼用のおにぎりを取り出して光るひよこに差し出した。

 メンバー全員が、手持ちのおにぎりを差し出す。


「ありがとですぴ。おににりうまうまですぴ」


 テーブルに置かれたおにぎりをひよこがついばみ食べる。お味噌汁も出したら、飲んだ。

 平時であれば和むひよこ精霊の食事だけど、和んではいられない。


 視線を紅葉さんに移せば、楓さんが紅葉さんに体温をわけるように触れていて、安心したのかようやく紅葉さんの顔色が戻ってきた。

 空いたソファに有坂さんと根岸くんを横たえさせて、ショップで得た毛布をかけた。


「とにかく仕切りなおしだな。情報整理をして対策をする。八尾少年の奪還もせにゃならん、その辺も含めてだが、まずは坊主。いい加減名前つけてやれ」

 武藤さんがばりばりと頭をかきながら、食事にご満悦な光るひよこを指差す。


「難しく考える必要はないですぴ。名前を与えられることそのものが大事ですぴ」


 くちばしに米粒をつけたひよこが言う。


「ええと、僕名付けのセンス、全然ないんだけど……ぴよ吉、でいいかな」


 名前が大事なことはすごくわかるのに、僕には名付けのセンスがない。紅葉さんの時も困ったっけ。


「わえの名はぴよちちですぴ! 主ありがとですぴ!」

 吉、の発音しにくかったようで、ぴよちちになってしまった。


 はしゃぐぴよ吉。本当に名づけかが苦手なんだな、と口には出さないけど顔に出ている武藤さん。紅葉さんの意識をひよこに向けさせる楓さん。困ったように微笑む有坂さん。原国さんだけが、何かを考え込むように真剣な表情をしている。



 僕は、はたと気付いた。誰も、気付いてない、その疑問を、口にした。



「……星格オルビス・テッラエは、どこ?」


 

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