第122話【八尾明人の鬱屈/八尾明人視点】

 俺は両親が嫌いだ。


 何でも自分の思い通りにならないとキレる親父は外面だけはいい。周りを騙して生きているのも嫌いだ。

 思い通りにならないことがあると、泣いて嘆いて被害者ポジションから動かないようにしている母親も嫌いだ。


 世の中もクソだ。ちょっと目を向ければ他人を平気で搾取して生きてる奴ばっかり。


 だけど根岸怜治だけは違った。俺の鬱憤も、怜治といるときだけは収まった。

 小学校で出会って、ゲームをして遊ぶようになった。あいつの家は小奇麗で広いのに、いつも誰もいなかった。親への不満を言い合って、ゲームをして。独りじゃないとようやく思えた。


 小学4年の頃、クラスでイジメが始まった。俺たちがやってたわけでも、被害者でもなかった。

 きっかけが何だったのかは、知らない。それでもそれは明確にイジメで、見ていて腹が立った。


 だから主犯格のクラスメイトを殴って、取り巻きを殴って、乱闘になった。怜治は止めなかった。傍観者にもならなかった。反撃されて殴られた俺を見て、キレた。

 騒ぎになって、親が呼び出されたり、学級会が開かれたりした。しばらく回りがうるさかったけれど、主犯格はしばらく不登校になった後、転校していった。


 イジメはなくなった。イジメられっこは俺たちに懐いた。


 中学に上がって、またイジメ。俺たちは同じように、主犯格と取り巻き、上級生も殴った。

 小学校でのこともあって、結局俺たちの学年にはその後イジメは起きなかった。


 イジメはおきなかったが、恨みは買ったようで、喧嘩をふっかけられることが増えた。

 怜治はあちこち怪我をする俺を手当てするのが、上手くなっていった。


 近場の盛り場に行くと絡まれるので、俺たちは別の場所を探した。

 新宿をうろついて、家庭環境が最悪すぎて家出をしてうろつく同年代の集まりと出会った。


 その頃には親父は浮気を隠さなくなり、離婚をちらつかせた。加害者がえらそうに母親にのたまう言葉は醜悪すぎて、耳が腐り落ちそうだった。

 母親も泣いてばかりいて、誰の言葉も届かない。俺が暴力で物事を解決することが気に食わない親父にはよく殴られた。


 俺は家に帰ることが減った。


 結局俺は、売春をして生き残ろうとする少女たちの用心棒みたいなポジションにいつの間にかいた。

 彼女たちに手は出さなかった。彼女もつくらなかった。別に潔癖なわけじゃない。同性愛者なわけでもない。


 親父の母親への暴力は、何も言葉や経済にまつわることばかりじゃなかった。

 性暴力もあった。

 性的な話題が学習が、そういった話を知るにつれて、俺の両親への嫌悪は強くなった。


 それでも俺は、売春で日銭を稼ぐ少女たちを嫌悪はしなかった。

 彼女たちは戦っていたからだと思う。母親のように泣いて縋る惨めな顔をしていなかった。


 警察官も嫌いだ。

 俺たちを補導して取り締まるくせに、大人の犯罪は家庭のことだとかなんとか言って、決してクソ親をどうにかしようなんてしなかった。


 俺は体を鍛えて、それでも勝てないこともあった。

 半グレやヤクザ、善人の皮を被った悪人。

 世界はクソだ。別に死んでもいいと思っていた。


 誰かを守って死ぬならちょっとはマシだと思えた。


 あのクソみたいな親から生まれて、育って、そんな死に方ができるなら上出来な気がしていた。


 その話をすると怜治は「そうだな」と言いながら、寂しげに笑った。


 高校は別になった。それでも怜治との付き合いは続いた。

 言い寄ってくる女は多かったけれど、それでも俺は誰とも何もしなかった。


 自分の遺伝子を残したくない。


 俺は結局のところ、何も出来ない自分が、何も解決出来ない自分が、一時しのぎの自分が。

 あの親から生まれて、今でもそれを理解しながら生きている自分が、何より嫌いだった。


 信頼できたのは、あとにも先にも、怜治だけだった。


 学校も盛り場も、どこにいても、独りだった。周りに人はいるけれど、それでもどこかに穴があいたような感覚だった。


 だけど怜治といるときだけは、そうじゃなかった。

 こいつにだけは、幸せになって欲しい。頭もいい。俺なんかとつるんでいても、怜治はまともな高校に入れた。


 きっと高校を卒業したら、怜治は俺から離れて、まともな道をいくんだろうと、そんなことを考えていた。

 

 底辺高校に入って、荒れた日々を送って、それから、久しぶりに親父に会った。

 家で鉢合わせた親父は、俺の記憶の中の親父より、小さくて細くて弱そうだった。


 絶対強者だと振舞っていた親父が、一瞬俺を見てたじろいだ。

 身長も伸び、喧嘩に明け暮れて体もでかくなっていた俺を見て、一瞬。たじろぎ、怯えた。


 そして媚びた。こずかいだと言って財布から金を出した。


 無性に腹が立って、殴りつけて、家から追い出した。二度と顔を見せるな、と言ったら、次に帰宅した時には、本当に離婚して出て行っていた。逃げたのだ。俺から。


 たった100万ぽっちを慰謝料代わりに置いて。逃げた。


 家族って、一体何なんだ。

 いままでのことは、なんだったんだ。


 母親からは責められた。泣きながら、俺を責める母親の顔は、醜悪だった。

 あんなクソ親父にすがりついて生きてきた女から生まれたのかと思うとゾッとした。


 早いうちにどっかで死ねたらいい。


 その願望は日増しに大きくなっていった。


 中学をすぎた頃から、俺と怜治は親の話をしなくなった。

 その日の話、護衛する少女の話、話題はたくさんあった。誰も彼も自分の話をしたがった。だから俺たちは聞いた。聞いて、聞いて、あとはこともなしだった。


 そんな頃だった。夢現ダンジョンで怜治とクソみたいな害悪親父を殴り殺した。


 初めて人の命を奪った。けれど夢だと思ったから平気だった。

 それからゲーム感覚でPKを繰り返して、チート級に強くなった俺たちは地下5階で、真実を知った。


 俺たちは、ただの殺人者だった。

 ゲームでも夢でもなく、ただの人殺し。


 俺はいい、クズとクソから生まれた暴力でその場しのぎしかできない最低な人間だから。

 だけど怜治は。怜治の初期技能は、回復魔術だった。

 怜治は俺が喧嘩で傷つくと、俺よりつらそうな顔をする、いい奴だ。


 俺と出会わなければ、怜治は、こんなことになってなかったんじゃないか。


 ずっと考えないようにしてきたそれが、背筋を凍らせた。

 俺の所為で、怜治まで、こんなことになったんじゃないか。


 怜治の高校のクラスメイト。小奇麗な顔をしたそいつは、怜治と俺を守ると言った。みんなを助けると、言った。

 そいつの話を、怜治から聞いた。


 その時に俺の中に生まれた感情は、どう表現していいか、わからない。

 羞恥のようでありながら、きっと一言で言うのなら、嫉妬だったんじゃないかと思う。


 俺のなれなかった者。

 俺の選べなかったもの。


 俺は、怜治をあんなふうに、安心させることはできなかった。

 長いこと側にいて、兄弟のように生きてきた中で、一度も。


 結局俺たちは守りきられ、彼らは約束を果たした。

 目覚めたら、夢の続きだった。早朝に警察が来て、連行された。


 裁かれて死ぬのかと思ったけれど、されたのは保護。軟禁状態で、怜治の家族と同じ部屋に入れられた。


 怜治の親は俺の親よりはまともだった。それを心底思い知った。


 俺がこいつの人生を壊していたんじゃないか。

 俺が、怜治を悪い道に連れ込んで、人殺しにしてしまった。


 クズとクソのハイブリット。俺は、お前を不幸にしかしないのか。


 血の紋が刻まれ、怜治が呼び出され戻ってきた。

 俺は後悔し通しだった。誰の声も耳に入らない。


 もうひとり女が部屋に入れられたのも、あとで気付いた。


 告解について、聞いた。

 ああようやく、消えられる。俺みたいなのは、いない方がいい。


 ようやく終われる。


 テレビカメラ、ネット中継カメラ。そこで紹介された俺の経歴はやたら同情的で、笑ってしまった。

 告解スキルが使用されて、俺は、後悔と共に、願った。

 俺の全てを捧げる。だから、もう終わりにしてくれ。


 俺は死んでもいい、消えてもいいから、全部やるから、怜治だけは五体満足でまともに生きさせてやってくれ。


 走馬灯だと思った。脳裏に俺のこれまでの暴力行為が、流れ去る。

 苦痛もあった。だけど、それで終わりだった。


 妙に憑き物が落ちたような感覚と共に、俺に残ったのは。


 失望。この人生が終われなかったことへの失望だ。


 きっと蘇生がされていなければ、俺は終われてた。

 だけどそうだとしたら、怜治も道連れだった。


 どうすればいいのか、どう生きればいいのかわからないまま、愕然とする俺に、新たなスキルが生えた。


『神の鉄槌』


 本当に鉄槌を下したいのは、俺自身にだ。

 世の中もクソだが、俺はもっとクソだ。何もできない。ただ人を殴るだけ。嘆くだけの。


 俺は両親そっくりじゃないか。


 気に入らないものを殴りつけ、解決なんてできないくせに正義の味方気取りで、この世を嘆き、うわべだけは頼もしい、マトモなやつのふりをする。

 俺はなりたくないものになって、また力で、暴力で、その場しのぎを繰り返すのか。


 もう嫌だ。終わらせてくれ。これ以上俺は、俺を嫌いになりたくない。



 執務室に連れて行かれ、しばらくして、電話が鳴った。


 地の底から響くようなコール音。まるでホラー映画のような不吉さで鳴る呼び出し音。

 それがプツリと途切れた途端、それは、姿を現した。


 古ぼけた何重にも重なったレースのベールで顔を隠した、全身真っ黒なドレスを着た、貴婦人の姿をした何か。

 実体が在るのかないのか、わからないそれは、俺たちが囲んでいるテーブルの上に浮き、口の中で何かぶつぶつを呟いていた。


 誰一人、その場から動けなかった。力が、入らない。


 それの、黒手袋をした指先が、紅葉という女と、俺を指差した。


 死ぬんだ、と思った。


 俺は、殺される。

 背筋が凍って、部屋が寒い。鳥肌が立って、喉の奥が渇く。


 誰も、動けない。


 俺は夢現ダンジョンの最初の白い部屋を思い出していた。


「■■■」


 黒い貴婦人が、何かを囁いた。


 俺の腕が、体が、勝手に動く。


 怜治の肩を掴み、そして俺の拳が、怜治の胸を貫いた。


 温度を感じる。凍えるような部屋の中で、怜治の血と肉だけが、俺に温かさを与えた。


 どうして、俺が。なんで。こんなことを。体は思い通りに動かずに、怜治の目が俺を見る。

 たったひとり、こいつだけは。こいつだけは、俺の味方で、友達で。なのに、俺は……俺は。


 怜治の口が、震えて動く。血が溢れる。


 怜治が、死ぬ。俺が、殺す?

 そんなことが、あるわけがない。あるわけがないのに。


 一瞬、この状況に怒りが一気に湧いた。

 俺の何一つ、思い通りにならない世界に。


 こいつすら、俺の手で奪わせるなら。


 全部、ぶっ壊れちまえばいい。


 こんなひどいことばかりが起きる世界なんていらない・・・・・・・・・


 そう願うと、俺の意識は、ブラックアウトした。

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