第43話 白兎からの最後の手紙

 ――白兎から手紙が届いたのは、翌日の昼下がりのことだった。書斎にいた澪は、絵山が携えてきた封筒を受け取り、差出人の名前を確認して左右非対称の顔をしてから、ペーパーナイフで開封した。



 西園寺 澪


 ごきげんよう、澪伯爵。

 これが最後の手紙となることを祈るよ。


 まずはお礼から。

 アリスの目を無事に覚ましてくれてありがとう。さすがはチェシャ猫だね!

 いいや、もう君は童話の夢の中のチェシャ猫ではなく、現実の導き手であり、見守る存在だね。誇らしく思うよ、何にって? アリスが幸せになるように手紙を書いた僕自身のことをね!


 僕はね、吸血鬼と人間が友好的な関係を結べるという、そのただ一点において、聖フルール教にまつわる秘密結社、ギルド・エトワールに理解を示していたけれど、親友の昴に魔の手が迫る事だけは見過ごせなかったんだ。


 どうして自分の手で助けなかったのか?

 それはね、僕が穴の中に落ちたままだからだよ。きっとこのカルマからは、生涯抜け出す事は出来ないよ。僕は手を汚したのだから。


 だけどね、目を覚まし、吸血鬼の存在を正しく知った親友の幸せと平穏を、ずっと願い続けるよ。


 僕の名前は――×××

 兎のデザインが入った懐中時計を見るのに、今日もまた忙しい。僕に平和はほど遠い。幸せを追いかけるのはやめて久しいからね。


 それじゃあ、またいつか。

 機会が無い事を祈るけれどね!



 白兎 より




 残念な事に、名前の部分は文字が掠れていて、読み取る事が出来なかった。けれど『親友』という言葉に、ある者の顔を思い浮かべて、そういえば逮捕者の中にその名は無かったなと澪は考える。いつか時計店で会った、自分達に薬について教授してくれた伊織は、果たして元気なのだろうか。


「しかし兄上は、この西園寺家に来る前も、決して誰にも想われていなかったわけではないんだな」


 ぽつりと澪が呟くと、絵山が首を傾げた。


「なんて書いてあったの?」

「見ていい」


 澪が手紙を差し出すと、絵山が受け取り、隣から久水が覗きこむ。


「ただ俺の方が、兄上を想っている自信がある。なにせ、自分の手で、この手で守ると決めているのだからな」


 それを聞くと、手紙から顔を上げた絵山が口を開く。


「お手伝いしますよ」

「仕方が無いから俺も手伝ってやる」


 隣で久水もまたそう述べた。

 そんな二人に、澪は笑顔を返す。


 よく晴れていたその日は、その後三人で庭へと出た。昴と瑛が話をしているのが、庭からだと窓越しによく見える。居室の正面の庭で、薔薇に囲まれながら、澪はゆっくりとお茶を楽しむ事にした。


 座っている澪へと、久水が紅茶を出す。絵山はティースタンドを置いた。


「お前達も座るといい」


 澪の声に、頷いて二人は席につく。

 三人で白いクロスを掛けたテーブルを囲み、何気なく空を見上げる。白い雲が緩慢に流れていく。


「平和ですね」

「ああ、絵山。一気に平和になったなぁ。昴様も思ったより落ち着いておられるしな」


 絵山と久水の声に頷きながら、澪はカップを傾ける。

 それからスコーンを皿に一つ取り、血の入ったイチゴジャムをつけて一口囓った。

 甘い匂いが口の中に広がる。


「そうだな」


 頷いた澪は、この平穏な幸せが、いつか兄の幸せを願ってくれた白兎にも訪れるとよいなと考える。幸せになる権利がない者など、この世界には一人もいないのだから。




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