第42話 笑う三日月


 その後手招きをされたので、澪が歩みよる。すると招待客に向かい、瑛が言った。


「これより澪と私で、夜会を祝して一曲奏でます。それではルクレールの――」


 父の声を聞きながら、澪は火野からヴァイオリンを受け取った。

 こうして演奏が始まる。

 久しぶりに父と曲を奏でながら、幾度か昴のことを見た。昴は不思議そうな顔をしていたが、澪と目が合うと儚い表情で笑う。こういう顔を見る時、澪は兄を守ってあげたくなる。幸い、父の宣言で、皆には釘が刺され、それが叶いそうだと安堵していた。


 こうして重厚でもあり華やかでもある調べが終わった時、澪は演奏後特有の熱気を、大きく息を吐いて逃した。火野にヴァイオリンを返す。その横で立ち上がった瑛が、会場によく通る声で、後は楽しんで欲しいと告げた。


 父はそれから、そばに立っていた昴に歩みよる。澪もそちらへ行き、そばにあった水のグラスを手に取って一気に飲み干した。冷たい檸檬入りの水が、喉と体を癒やしてくれる。


「さて、昴。これでもう、皆が君を、西園寺家の『人間』だと認識した。噂はすぐに社交界にも広がるだろう。少しずつ、嫌でなければ顔を出すといい」


 瑛が『人間』と強調すると、昴が困ったように笑う。


「な、なんだか……父上の話を聞いていると、ここにいる俺以外のみんなが、人間じゃないみたいな口ぶりだったものだから、驚きました」


 澪は、やはり瑛が昴に何も話していないようだと考え、思わず目を据わらせる。


「詳しい話は、私からよりも、澪から聞く方がいいだろう。澪が適任者だと私は考えている。さぁ、澪。君の兄上に、きちんと話してあげるといい。それとも、嫌われたらと、怖いかい?」

「――怖くなどない。兄上は俺を嫌ったりはしないと確信している」


 澪は断言してからグラスを置き、昴の利き手を握る。


「兄上、少し外で話そう」

「う、うん?」


 不思議そうに首を傾げたものの、昴は歩き出した澪についてくる。そのまま二人は、会場のテラスへと出た。五月も半ばとなり、夜風にも暑さが混じっている。三日月が笑っているように見える空を見上げた澪は、それから片手を手すりにのせ、もう一方の手では昴の左手を握り直した。


「兄上、父上の話していた事だが」

「うん」

「――人間ではないんだ」


 言い方を過去にあれやこれやと悩んだこともあったが、澪は率直に切り出すことに決める。


「え?」

「俺も父上も、今日会場に来ている全員が、この邸宅では相と兄上を除いて全員が、人間ではない」


 澪の言葉に、昴が目を瞠り、小さく息を呑んだ。


「嘘……ではないよな。そうは見えない」

「ああ。事実だからな。俺達は、吸血鬼なんだ」

「!」

「人間の血を糧にする生き物だ」

「吸血鬼……それで前に……」

「そうだ。俺が怖いか?」

「まさか! あの時も言ったけど、澪は澪だ。怖くなんてない。俺は澪が好きだ」


 それを耳にすると、予想通りだったとはいえ無性に嬉しくなり、澪は満面の笑みを浮かべた。そして昴に向き直り、手を持ち上げると、もう一方の手をその上にのせる。そして両手で昴の左手を、ギュッと握った。


「俺も兄上が好きだ」

「うん。本当に俺は、澪が弟で嬉しいんだ」

「同じ気持ちだ。ただ兄上……今まで本当に気づいていなかったのか?」

「正直、全く気づいていなかった。確かにたまに、『食材』って言われたり、今までより貧血になる頻度が、前より食べてるのに多かった気はしたけどな」

「なに? 貧血? いつだ?」

「いつという事はないよ。まぁ、風原さんと雑談をしていて貧血を起こして助けられた事は多かったけど。いつも久水さんが、何故なのか風原さんを追い払うと、目眩がすぐに止まったし」

「……あとで風原にはよく言い聞かせておく」


 澪は呆れた顔をした後、気を取り直したように笑った。


「まぁ兄上は、今後は吸血鬼について学んで、もう少し周囲に気を配るようにして欲しい。俺がボランティアを手伝うのと同じくらい、吸血鬼についても教えるとしよう」

「そうか。そうだな、俺はもっと澪や父上、そしてみんなの事を知りたいから嬉しいよ」


 すると昴が、右手を持ち上げて、澪の手の上にさらに重ねた。それを見て澪が破顔する。


 月が見守る中、二人は兄弟の絆を確認し合うように手を取り合っていた。



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