第40話 夜会の開幕

 こうして瑛の帰還を祝う夜会の当日が訪れた。

 相がつけている香水と同様のものを、本日は昴も身につけているので、極上の甘い匂いではなく、バニラアイスを彷彿とさせる香りを纏っている。瑛が、正式に昴を西園寺家の血族だとして、この機会に紹介すると断言したので、昴も出席することになった。昴は先程からガチガチに緊張した状態で、澪の隣に立っている。


 従僕として相も初めて夜会に臨むので、そちらは津田が面倒を見ている。


「お招き預かり光栄だ」


 そこへ宏人伯爵が歩みよってきて声をかけた。隣には、快癒した沙羅を伴っている。


「ごきげんよう、宏人伯爵。そして沙羅嬢。具合はどうだ?」


 澪が尋ねると、沙羅が両頬を持ち上げた。口元にほくろがある。長い髪を緩く巻いている彼女は、嬉しそうな眼差しで澪を見た。


「もうすっかりよいのですわ。澪様が治して下さったのだとか。兄から聞きました」

「そうか。だが、俺と言うよりは宏人が奔走した結果だ。沙羅嬢の兄上は、各地で薬を探していたようだからな」


 暗に闇オークションの事を告げる。

 宏人は困ったように笑ってから、ふいっと顔を背けた。


「感謝してる」


 いつもの軽口ではなく、ぽつりと述べられた声には、謝意が滲んでいた。


「気にするな。らしくもない」

「うるさいな。人が下でに出れば――」


 言いかけてから、ふと気づいたように宏人が昴を見た。


「そちらは?」

「ああ、俺の兄上だ。兄上、こちらは宏人だ。前に紹介すると話した友人だ」


 それを聞いて、宏人がぎょっとした顔をした。


「俺は今、二つ驚いた。なんだか分かるか?」

「二つ? 俺に兄上がいたことだけじゃなくか?」

「それも無論驚いたが、友達……だと? お前の口から、俺が友達……友達……」

「……言葉のあやだ」

「いや……お、俺もそう思ってやってる、一応。一応だけどな」


 二人がそうやりとりすると、傍らで昴が微笑した。


「親しいんだな」

「……」

「……」


 そろって昴を見た澪と宏人は、無言になった。


「お名前はなんと仰るのですか? 私は高宮沙羅です」

「昴です」


 そこから沙羅と昴が談笑を始めたので、澪はそばのテーブルからシャンパングラスを一つ手に取ると、宏人に渡した。中に入るノンアルコールのシャンパンを口に含んでから、改めて宏人が驚いた顔をした。


「兄って、隠し子か? 爵位はどうなるんだ? 西園寺家の跡取りは? お家騒動か?」

「不思議と爵位について揉めるような話にはならなかったな。いいや、不思議でもないか。俺の兄上は、その方面に欲がないようだ」

「へ、へぇ」

「隠し子というのも正確ではない。父上は、兄上がいる事を知らなかったんだ」

「複雑なんだな。詳しく聞きたいが、俺は瑛侯爵に挨拶に行く。妹を置いていっても構わないか?」

「ああ。責任を持ってお相手しよう」


 こうして宏人が、沙羅に声をかけてから、瑛の方へと歩いて行くのを、澪は見送った。

 それから、綺麗に荊の痕が消えた、彼女の華奢な首筋を見る。本当によかったと、内心で考えながら、先程までの緊張が少し解れたように話している昴と、楽しそうな沙羅を見守る。


「ですけれど、本当に見目麗しいご兄弟で羨ましいですわ。目の保養と申しますか」


 ころころと沙羅が笑う。片手に持つ扇が揺れている。


「格好いい殿方が、もう一人増えるだなんて。西園寺侯爵家は、やっぱり華族女性の憧れの的ですわ」


 きらきらした瞳の沙羅の声に、澪は苦笑しそうになった。


「茶会のネタにはしないでくれ。兄上が見世物になってしまう」

「お約束は出来ませんわ。こんなに素敵なお顔立ちのお兄様のこと、私だけの秘密には出来ませんもの。みんなに怒られてしまうわ」


 くすくすと沙羅が笑うので、澪は結局苦笑した。正直な沙羅は愛らしい。


「澪様。今日はヴァイオリンはお弾きにならないのかしら?」

「ああ、後ほど父上がピアノを弾く時に、横で弾けと言われている」

「まぁ、楽しみ」


 頬に華奢な白い手を添え、沙羅が弾んだ声を出した。


「ヴァイオリンが弾けるのか? 凄いなぁ」


 昴が目を丸くしている。


「ああ。期待していてくれ、二人とも。俺の特技の一つだからな」


 そんなやりとりをしていると、瑛の声が響いてきた。


「お集まりの皆様、ご静粛に。本日は、私の帰国にあわせた夜会に、お越し下さり誠にありがとうございます。そこで私から、嬉しい報告が一つ」


 瑛はそう言うと、真っ直ぐに昴を見た。昴が背筋を正している。


「昴、こちらへ」

「は、はい」


 慌てたようにグラスを置いて、昴が瑛の元へと歩みよる。

 するとその細い腰を抱いて、長身の瑛が会場を見渡した。


「こちらは、昴といい――私の息子です」


 きっぱりと瑛が宣言すると、会場に静寂が訪れた。




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