第9話 招待状

 ――数日後。

 本日も、澪は朝食の席で新聞に視線を落としていた。

 正面では昴が、本日も箸で白身魚を口に運んでいる。西京焼きの味を楽しんでいるのは、澪も同じだ。昴に関しては、まずは午前のティータイムにおける食べ方から練習させるようにと、昨夜火野と津田に指示を出した。


『帝都心花美術館にてエノワールの絵画が盗難被害。他に数点、田仲焼きの壺や花瓶』


 そんな見だしが躍っている。

 盗難被害はさほど珍しくはなく、中には予告状を出すような自称怪盗までいる始末だ。あまり興味が無いニュースだったので、澪は新聞から顔を上げる。本日の昴の表情は、これまでよりは落ち着いて穏やかだ。少しずつ、この家にも慣れてきているのだろう。先日の陰惨な事件の記憶も薄れ始めているようで、なによりだと澪は思う。


 朝食後、澪は居室へと向かった。

 一人がけのソファに座り、少し読書でもしようかと考える。控えている久水は窓の外へと顔を向けていた。本日は曇天だ。何気なく澪が久水のことを眺めていると、不意に久水が澪を見た。特に用事があるわけではないが、視線を逸らすような理由も無いので、澪はそのまま久水を見る。すると久水もまた、視線を離さない。じっと澪を見ている。


 こういう事はよくある。久水とは何かと目が合うのである。だがお互い、特に何を言うわけでもない。


 コンコンとノックの音が響いたのはその時で、声をかけると絵山が入ってきた。


「またお手紙です」

「また?」


 手紙は日常的に届くので、澪は不思議に思った。


「――白兎様からですよ」


 すると片目だけを半眼にして、左右非対称の顔で絵山が、銀の盆の上から手紙を持ち上げる。ハッとして澪は、その手紙を受け取った。



 西園寺澪 様


 こんにちは、白兎だよ。

 無事に昴牧師を迎えられて、なにより、なにより!

 これから、君は注意深くならなければならないよ。

 澪伯爵はチェシャ猫となるのかな。

 吸血鬼が猫になるなんて初の事例かもしれないね!

 助言し、正しい方へと導かないと。

 ただし、昴牧師をマッドティーパーティーには行かせないように。

 僕は走っていくけれど。


 白兎 より



 そのように書かれていた文面を視線で追いかけた澪は、怪訝そうな眼差しで首を捻る。


「なんだこれは?」


 抽象的な手紙の意味が掴めない。

 何度か瞬きをしながら読み返したが、何が言いたいのか分からない。


「今回は、なんて?」


 絵山の声に、澪が手紙を差し出す。絵山が読み始めると、歩みよってきた久水が、腕を組みながらそちらを見た。


「アリスになぞらえてるのか?」


 久水の声に、絵山が顔を向ける。


「そうみたいだね。不思議の國の方かな?」

「だけどなんでまた? 用事があるなら直接書けばいいだろうに」

「詩人気取りなんじゃないの?」


 二人のやりとりを、右手で頬杖をついて澪が見守る。すると絵山が思い出したように、盆の上からもう一通の手紙を持ち上げた。


「そうでした、こちらも届いております」

「貸せ」


 頷き手を伸ばした澪は、封筒に書かれている『招待状』という言葉と、裏返して見えた封蝋に刻まれた紋章を見て、はっとして息を呑む。慌ててペーパーナイフで開封すると、予想通りそこには、闇オークションへの招待状と案内が入っていた。



 西園寺 様


 きたる四月の最後の土曜日に日付が変わった夜更け、闇オークションを行います。

 会場はいつも通りです。

 くれぐれも、ご内密に。

 時刻は午前二時開始です。

 今回の目玉商品は、【黒薔薇病】の【治療薬】です。

 三年ぶりの入手となります。

 貴重な商品ですので、落札額は高額だと予想されます。

 用意を万全に整えることをオススメ致します。

 お支払いは現金のみですので、ご注意下さい。



 その文面に、澪は目を見開いた。浮かんできた汗が、こめかみから滴っていく。

 西園寺家のような名家に、闇オークションという後ろめたい催しものの招待状が届く理由は、まさに一つだった。どうしても【黒薔薇病】の【治療薬】を手に入れたいからであるらしい。澪は詳しくは聞いていないが。それを目的に、西園寺家のがわから、闇オークションの開催者に近づいた過去がある。


 【黒薔薇病】というのは、吸血鬼特有の疾患だ。なんらかの病原体に犯された結果、生ずると考えられている。【黒薔薇病】に罹患すると、最初は酷い頭痛に見舞われる。その後、意識を落とし、深い眠りにつく。そして譫言のように『黒い薔薇が見える』と口走るようになり、時に目を覚ませば黒い薔薇を幻視しているように、荊を手で振り払うような仕草を見せ、やがて息を引き取る。解剖をすると、脳に黒い茨城の模様が走っている。そしてこれには、治癒方法がないとされ、一度患えば死を待つだけとなる。そのため、【治療薬】があるというのは、ただの噂に過ぎないとされている。


 だが、過去にも出品例があり、今回も招待状に記載されている。


 澪の母親の真理亜も、この病で亡くなった。

 当初、父の瑛は、真理亜のために、闇オークションに一縷の望みをかけて参加したのだが、亡くなるまでの間に薬が競りにかけられることはなかったそうだ。その後も闇オークションに関わっているのは、現在ではその解毒剤や治療薬を研究したいと瑛が考えているためだ。今回の遊学も、吸血鬼の医学に関する勉学のための渡欧だ。


「どうなさるんですか?」


 絵山の声で、澪は我に返る。


「勿論出席する。父上が不在の今、西園寺家の当主は、代理だがこの俺だ。父上のためにも、亡き母上のためにも、必ず【治療薬】は入手する。絵山、銀行から資金を調達しておいてくれ」

「畏まりました」


 頭を下げて、絵山が部屋を出ていく。

 西園寺家は、いくつかの鉱山を持ち、貿易にも携わっているため、とても裕福だ。実際に動いているのは使用人達で、西園寺家の人間は管理すらせずに過ごしているが、莫大な収入だけはいつでもある。


 澪は、手紙を封筒にしまいながら、視線を感じた。

 顔を上げれば、再び久水が、己をじっと見据えていた。今度は、白兎からの手紙か招待状に関係することかと考え、澪が問いかける。


「なんだ?」

「いや、噛んでみたいと思ってな」


 呆れた澪は、辟易した心地になった。これは久水にたまに言われる冗談だ。


「俺は吸血鬼だぞ?」

「知ってる。血が欲しいわけじゃない」

「は?」


 その時、ノックの音がしたので声をかけると、火野が顔を出した。銀の台車を持っている。


「失礼致します。昴様との午前のお茶の用意を整えに参りました」

「ああ。礼儀作法を身につけさせてやってくれ」

「承知しております」


 火野がそう言うと、久水がそちらに歩み寄り、テーブルにティースタンドを運び始めた。手伝いを始めた久水を見つつ、冗談など言わずに、きちんと自分と二人の時も、真面目に働いて欲しいと、つい考えた澪だった。




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