第7話 青木屋



 馬車を降り、澪は昴を促して、青木屋の前に立った。

 青木屋は江戸時代から続く由緒ある呉服商が、和服以外にも最近、洋服も扱うようになった衣類専門の店だ。青木屋の中には、吸血鬼を知る華族専門の担当店と、今訪れたように主に人間の上流階級が買う一般向けの店がある。いつもであれば、吸血鬼専門の者を邸宅に呼び、そこで品を選んだり仕立ててもらうのだが、今回そのようにして昴という人間が西園寺の邸宅にいる事が露見するのを回避するべく、澪はわざわざ一般向けの店舗へと足を運んだ。そこで選ぶ分には、別段人間を伴っていても、華族が気まぐれに贈り物をするような体裁を保てるという判断だ。なお、招かれなくても〝店〟という形態の施設などには、吸血鬼も入ることが出来る。公共の場は別らしい。門戸が開かれている扱いのようだ。


「いらっしゃいませ、私はこの店を取り仕切っている青木宗之助あおきそうのすけと申します。ようこそお越し下さいました」


 澪達が店内に入ると、すぐにこの店舗の主人らしき人間が出てきた。初めて顔を合わせるが、澪の出で立ちから華族だと判断したのだろう。いかにも若旦那という風情で、黄緑色の紋付き羽織を纏っている。その後ろには、控えめな白髪の、初老で小柄な番頭がいた。


「和服と洋服を仕立ててほしいんだ。数着見繕ってほしい。既製の品で構わない。こちらの牧師様に」


 祭服姿の昴に向かい、澪が振り返る。昴の顔は、完全に引きつっている。


「承知しました。ではこちらへ」

「は、はい……」


 宗之助に促された昴が、ビクビクした様子で、何度も澪を振り返りながら奥へと進んでいく。澪は微笑を浮かべて安心させながら、ゆっくりとその後ろをついていった。店内には流行の品から、古くから人気の品まで、多数の着物と、近年入ってくるようになったシャツやジャケットがある。澪は現在洋服姿だが、それよりは少し品質が落ち、質素に見える品が多い。そこは華族と、一般民衆たる人間の違いだ。あくまでもここは、人間向けとしては上流という店に過ぎない。


 こうして試着が始まった。


「こちらなどいかがですか?」

「兄上にはもう少し明るい青がいい」

「ならばこちらなども人気です。粋だと評判でございますよ」

「ああ、悪くないな」


 昴が何も言わないので、宗之助と澪で話を進めていく。絵山と久水も無言だ。

 着せ替え人形のようになっている昴は、着用することだけで精一杯の様子だ。ただ祭服が洋装なので、一般の民よりは洋服の着脱に長けている様子である。


 その後、着物を十着と、シャツを三十着、ベストやジャケットなどの洋服を五つほどを選んだ。


「これで頼む」

「畏まりました」


 澪の声に、宗之助がとても明るい表情に変わる。そして品を箱に入れさせ、会計を別の者に任せた。そちらの受け取りと支払いには、絵山と久水がそれぞれ向かう。一着をそのまま着て帰る事になった昴は、青い無地の着物姿で、澪の腕に触れた。


「あ、あの」

「ん? なんだ、兄上」

「こ、こんなに……それにどれも値が張りそうだし……」

「大した額じゃない。それに今後、何度も買い物に足を運ぶわけではないしな」


 実際に澪にとっては、月の私費の百分の一にも満たない額だ。ただ昴にとっては、合計額は聞こえてこなかったが、恐らくシャツ一枚の金額でも、貧民街では二年は暮らせるだろうと、正確に判断でき、震え上がっていた。澪はその気持ちを知らない。生活水準の格差は、下層の者は実感できても、上流の者は中々理解できないものなのかもしれない。


 他にもネクタイや靴、鞄、扇子なども物色し、澪はそれも追加で購入させた。


 こうして店の外へと出て、馬車が少し離れた駐車場にあるの一瞥してから、澪は腕を組む。


「次は時計を購入するか。このまま少し歩こう」

「も、もう十分だ!」


 慌てた様子の昴に対し、澪が喉で笑う。まるで生まれたての子鹿のようだなと、漠然と昴に対して考えていた。久水が品を馬車に置きにいったので、絵山を供に昴を連れて、人間には評判だと聞いた事がある時計店へと、構わず澪は歩きはじめる。


 時計店は路地を挟んで、二つ先の道にあったのだが、ふと澪は路地裏を見た。

 ここを通れば近道だなと考える。


「こちらから行こう」


 ひと気は全くないが、地理を脳裏で浮かべるに、それは間違いがなかった。迷いなく澪が進み始める。絵山も無言で従う。昴だけが困ったような顔で、慌てて着いてくる。そもそも貧民街からほとんど出た事がない昴は、人間の街とはいえ、こうした中流階級以上の者が闊歩するような場所には馴染みがない様子だ。


 そうして暫しの間歩き、角を曲がった時だった。


「!」


 澪は最初に、嫌な臭いを感じた。それが、血の臭いだとすぐに気がつかなかったのは、よい匂いではなかったからだ。吸血鬼にとって血は芳醇な甘い匂いを感じさせるのに、そこには生臭い異様な臭いが漂っていた。


 目を見開き視線を向けると、正面の道には、大腸と小腸が引き摺り出されている、開腹された人間の遺体が横たわっていた。すぐそばには、桃色に光り血がタラタラと垂れる臓物を、片手で持ち上げている黒づくめの人間が立っていた。もう一方の手には、刀身が鋭い剣を持っている。洋風の剣で、刀身は日の光を受けて輝いており、そこからも血が垂れている。


「っ」


 澪達を目視した様子で、目深にローブのフードを被っているせいで顔が見えない男が、途端に踵を返して走り始めた。体格から性別が分かった。その逃亡者からも甘い匂いはしない。嫌な臭いがする。だが、吸血鬼ではあり得ない、人間らしい血の臭気を放っているのは間違いなかった。


「ひっ」


 事態に気づいた昴が、怯えたように、声交じりに息を呑む。澪はそちらを見ながら言う。


「絵山」

「追いますか?」

「――いいや、兄上を保護して、連れて馬車まで戻ってくれ」


 人間同士の殺人事件など、吸血鬼には関係ない。人間から見れば、華族ではない人間同士の事件に、華族が関わる必要はないという認識になるだろう。そのため名を呼ばれた意図がくみ取れず、絵山も尋ねたのである。


「それからすぐに、警察に連絡してくれ」


 そう告げた澪は、迷わず遺体の方へと歩みよる。


「澪、澪も一緒に――」

「兄上、俺は大丈夫だ」

「昴様、参りましょう」


 絵山が無理矢理昴の腕を取り、踵を返した。それを確認しつつ、澪は遺体の横にしゃがみこむ。開腹されている遺体の状態を確認し、朝読んだ新聞の事を思い出す。


 ――吸血鬼の犯行と目される、ジャックによる猟奇殺人事件。


 確かにここには、惨殺された遺体がある。

 しかし気になったのは、そちらではなかった。


「なんだこの臭いは。このような血の臭いは、獣からしか感じたことはない。それに獣とは異なり、これは最早悪臭だ」


 惨殺体についても視覚的に決して快くはなかったし、この惨状を見たら、あるいは怯える吸血鬼もいるだろう。第一吸血鬼の中には、時々血を直視するのが怖いという者までいる。そういった者は、噛みつくような吸血手法は決して使わない。


 遺体は痩せ細っている青年だった。澪と同年代に見える。まき散らされている臓器は大小の腸だが、見れば心臓や腎臓、肝臓もあるべきはずの場所にはない。恐らく、生きている内に抜きとられている。また、周囲に流れている血の量も、本来の人間の血液量から考えると少量に見えた。


「臓器を抜かれて殺害されてから、ここに捨てられたようだな」


 怖気というよりは嫌悪感を抱きながら、澪は遺体を観察する。


 絵山が呼んだ警察が到着したのは、それから三十分ほどしての事だった。人間の警察官である。




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