第6話 一夜明けて


 翌朝、澪はいつもの通り自分で起きて、自分の手で着替えた。華族は着替えを手伝わせる者も多いが、澪は自分で着替える方だ。すぐに身支度を整える。


「さて、兄上はどうしただろうな」


 呟いた澪は、扉の外に控えていた久水と絵山には特に声はかけず、客間がある三階へと向かう。二人は澪の後を無言でついてくる。いつもの事だ。特に彼らは朝の挨拶をしなければならないとは考えておらず、気分によってする事もあればしないこともある。


 コンコンとノックをしてから、澪は扉を開けた。

 昴はしっかりと起きていて、昨日押しつけた寝間着の和服からきちんと元々の祭服に着替えており、ビクビクしながらドアへと振り返ったところだった。本当に借りてきた猫のような様子だ。


「おはよう、兄上」


 昴に対しては、優しげな弟の顔で朝の挨拶をするのを忘れない。


「お、おはよう」

「朝食の準備が出来ているはずだ、行こう」

「あ、ああ」


 おろおろしている昴に歩みより、手を取って澪は引いた。そして正面を向き、昴には見えない角度で笑みを消す。まるで子供のような昴に対し、つい、堂々としろと言いたくなってしまう。今のところ感想は、御しやすいが、性格自体は好きになれるかいまいち掴めないという状態である。


 こうして階下に降り、ダイニングへと入った。

 そして着席し、並んでいる和食を見る。風原の厚焼き卵は、中でも絶品だ。血から抽出したエキスが良い具合に風味を感じさせてくれる。


「いただきます。兄上も早く」

「い、いただきます!」


 食事をしながら、澪は膳の横に置かれている本日の帝都新聞を見た。

 そこには――『吸血鬼の仕業か?』『再びジャック現る』という見出しが躍っている。これは、もう三十年間も巷を騒がせている連続殺人事件に関して、必ずつけられる見出しだ。どうやら同一犯の様子なのだが、期間が長い。模倣犯の可能性もあるが、そうなのかは誰にも分からない。いつも被害者は開腹され、血をまき散らして死んでいる。臓器の一部は無くなっているそうだ。


 馬鹿らしいと澪は思う。


 そもそも吸血鬼は人肉を喰べない。それに猟奇殺人鬼でもない。

 確かに人間にとって三十年という期間は長いだろうが、それは吸血鬼にとっても同じ事だ。


 だが人間は、未知の恐怖を、なにかと吸血鬼をはじめとした怪異の仕業にしたがる。そう理屈をつけて納得することで、恐怖を減らす努力をしようとしているのだろう。そのためには、偽りの犯人を想定しても構わないのだろうか。そうなのだとしたら愚か極まりないと、澪は思う。


「兄上、食べ終えたら街へ行こう」


 気を取り直して、澪はそう声をかけた。すると顔を上げた昴が首を傾げる。


「街?」

「ああ。兄上の服を買いに行こう」

「え?」

「暫くは滞在してもらう事になるからな」

「ん? 澪の父上はその、いつ帰ってくるんだ?」

「兄上にとっても父上だと俺は確信している。それは――……言ってなかったか?」

「うん」

「半年後だ」

「へ?」

「半年後」

「なんて? え? 半年? そんなに俺はここにはいられない。そ、そういう事なら、一度帰って、半年後にまた来る」


 昴の焦ったような声に、澪はイラッとして、堂々としろと言いたくなり、腕を組みたくなったが、堪えて、代わりに手を組み上目遣いを心がけた。


「父上も不在で、俺は不安なんだ。兄上に、そばにいて欲しい」

「えっ」


 なんとも頼りがいのない昴にいてもらっても、本当に不安だったらなにも解消されないだろうが、これはあくまでも口実なので構わないと澪は考えている。時には嘘も必要だ。


「お願いだ、兄上……」

「うっ」

「兄上……」

「わ、わかった。わかったけど……でも、服を買ってもらうなんていうのは……」

「俺が買いたいんだ! 買わせてくれ! ずっと兄弟が欲しくて、一緒に買い物をしたかったんだ。俺のものも一緒に買うから、一緒に着よう!」


 今度は純真爛漫な笑顔で澪は述べた。昴は反論しようと試みているようだが、何も言わせない勢いで、澪はどの店のどんな服がいかに昴に似合いそうかを力説する。すると昴は発言するのを諦めたようだった。


 こうして朝食を終えた後、澪は昴を連れ、絵山と久水を伴い、街へと出かける事にした。




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