第8話 還る魂

「あ、円覚さん、ちょっとお待ち下さい」

 ふと、一つの疑問を感じ、清々しく魂を散らしていこうとする円覚を呼び止めた。


「どうしました?」

 安らかな成仏の途中の意外な呼び止めに驚いた様子で聞き返した。


「赤猫は間違いなく小夜さんに引き合わせますが、円覚さんが、小夜さんに、小夜さんが殺したのは人ではなく、猿の化物だと伝えれば、小夜さんは自死を思い止まるのではないですか?」


「え・・・?」円覚の清らかな色をした魂が一瞬濁ったように見えた。


「小夜さんは、同族殺しの掟と人殺しを戒める法を破ったことで自分を責めているのですよね?だから、殺したのが、人間ではないということを教えてあげたら、よいのではないですか?」


「あの・・・すみません。本当にお恥ずかしい事なのですが、それを話すと、俺が同族殺しや人を殺したことが小夜に知られてしまうことに・・・小夜が最も嫌うことなので・・・」


「それは、知られてしまいますけど・・・」


「すみません・・・俺・・・小夜に嫌われたくなくて・・・」


 円覚は、下を向いて泣きそうな顔で言った。先ほどまで、清々しく散っていた魂が散るのを止めた。


「あめのみなかぬし様、私は地獄行きですかね?行くのは地獄でも構わないのですが、俺が小夜を好きだったことは内緒にしておいて下さい。あと、赤猫を会わせることも何卒反故にしないで下さい。もう、私の魂は好きにしていいので、何卒お願いします」


 必死に懇願する姿を見て、不謹慎ながら笑ってしまった。


「ご安心下さい。私は悪魔ではないので、魂をどうにかしようとも思いませんし、赤猫の件も反故にはしませんよ。あと、円覚さんも、誤解しているかもしれないので、もう一度、過去を覗いてみましょうか」


「私が誤解ですか・・・?」


 軽く指先で空を摘んで捻ると、風景が変わった。過去に移動したのだ。目の前には、これから狒々に捧げられようとしていた生贄の女性を棺桶から引っ張り出し、棺桶を運んで来た村人に投げ付ようとする猿の化物の円覚がいた。


「これを見せてどうしようというのです?正直、また見たいとは思いません」現代の円覚は恨めしげな顔を向けている。


「円覚さんは、この時のことを、暴れに暴れて気が付いたら、周りには人と猿の化物の死体が転がっていたと言っていましたよね?あと、先ほど、同族殺しと人殺しをしたと言いましたよね?この日のことですよね?」


 少々、詰問口調で問いかけると、円覚は何を今更と言いたげな表情をしている。


 そして、以前に聞いた話しの通りに、狒々が三匹飛び出して来て、円覚の背中を鋭い爪で引き裂いた。血が飛び散った。その前には、生贄と村人の姿があった。この後に起こる惨状を知っている円覚は目を逸らそうとした。


「円覚さん、見て下さい。あなたは、人を殺してはいませんよ」


 その声に驚き、円覚は前を向いた。


 生贄の四肢を引き千切ろうと手足を掴んだ狒々の横腹を村人の一人が鉈で斬りつけた。狒々は驚いて生贄から手を離した。その隙に、生贄の手を取り、走ろうとするが、三匹の狒々に囲まれてしまい、逃げることは叶わなかった。生贄の女性は、狒々の一撃を背に受け、村人に抱き止められ腕の中で絶命した。その口元は笑っているように見えた。男は絶叫した。


 その声に反応するように、自らの血に塗れた円覚は狒々に襲いかかった。人と化物がもつれ合い混戦状態になった。村人の一人は、狒々の爪に裂かれて絶命した。円覚は三匹の狒々の喉を潰し、頭を砕き絶命に至らしめた。一人、円覚だけが立っていた。その姿を、生贄の女性を抱きながら男は見ていた。そして、懐から短刀を取り出し、自らの喉に突き立てた。円覚を見つめる男の口元が動いた「ありがとう・・・」


「この男性と生贄の女性は恋仲だったようですね。おそらく、生贄を捧げてから、自らも命を断つ事を決めていたのでしょう。円覚さんが、生贄を助けようとした、その思い伝わっていたようですよ」


「俺は、人を殺していないのですね・・・。俺の罪は同族殺しだけですか・・少しだけ、気持ちが軽くなりました」


「それも勘違いです。同族殺しもしていません」


「今、目の前で殺していましたよ」


「円覚さんは、神への供物か神の化身を食べて化物になった猿です。狒々は元々妖怪、つまり、生まれながらにして化物なのです。だから、姿形が似ていても違う種類の化物なんです。だから、同族殺しではありません」


「それじゃあ・・・」

 円覚は驚きで、元々大きな目を溢れそうな程に見開いた。


「そうです。円覚さんと小夜さんは、人殺しも同族も殺していないのです」


「そうですか・・・。それでは、俺は小夜に嫌われずに済みますね!」

 円覚は、声を上げて笑った。


「そうですね。小夜さんに伝えに行きますか?身体はもうありませんが、魂だけなら移動させてあげますよ。特別サービです」


「ありがとうございます・・・」


「では!」

 いつものように、移動のために手を動かそうとすると、円覚が止めた。


「待って下さい!お気持ちだけ有り難くいただきます」


「どうされたのですか?小夜さんのところに行かなくていいのですか?」


「はい、小夜には会いません」

 はっきりと強い意志を感じる声で言った。そして、言葉を繋いだ。

「人を殺していなくて、同族を殺していなくて、心は少し軽くなりました。これで、小夜に嫌われないと嬉しいとも思ってしまいました。しかし、化物であろうと命を奪ったのは変えられない事実です。更には、俺は人を殺しこそしていませんでしたが、暴力を振るい、盗みをしてきたのも間違いありません。相手が何者であろうと殺すなら殺される、悪事を働くならば罰せられる覚悟を持って行う。運良くか悪くか見逃されてしまって償う機会を失ったとしても、自らで自らを裁く必要があると感じます。それが穢れた自らの魂を濯ぐ方法だと思うのです。誰からも何も奪ってはいけなかったのです。小夜に会わぬのは俺の一つの断罪の形です」


「なかなか自分に厳しいですね。お坊さんみたいなことを言う」


「はい。これでも破れ寺の円昌寺の住職ですから」得意げににっこり笑って言った。


 止まっていた円覚の魂の飛散が再び始まった。先ほど以上にキラキラと輝いているように見える。


「では、円覚さん、しばしのお別れですね。小夜さんと赤猫の件は安心して下さいね。」


 円覚は、手を合わせて笑顔で頷き、消えていった。


「少し、寂しい気がしますね・・・人の姿をしていると心も人に近づくのでしょうかね?形とはそういうものなのでしょうね・・・。では、帰って、約束を果たすとしましょう」


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