第6話 円覚のあの日
次の日の朝、
「円覚、人として美しく生きるには、どうあるべきだと思いますか?」
「どうした、急に?言葉遣いまで変わって」
「人の子らにとっての、人として生きる立派な見本になりたいと思いましてな。だから、言葉遣いも美しくしたいと思いました」
使い慣れていない言葉を使いながら、小夜は満面の笑顔で言った。
「そうだな〜、言葉も大事だが、人には人の法があり、猫には猫、犬には犬の掟あるように、それぞれの倫理や道徳、決まり事を真摯な気持ちで守ることが大事かもしれぬな」
「なるほど。伊達に住職の姿をしておらぬな。では、犬や猫の掟だと、同族殺しはいけませんね。人間だと殺しも盗みもダメですね。では、盗みはやめないといけませんね」
「小夜は、真面目だな・・・」
「あの子らの良い母になりたいと思ってな。円覚はなかなか良い父のようだぞ」
「お、そうか、それは、ありがたい」
この時に、小夜に惚れていることに気が付いた。そして、小夜と子供らを守りたいと思った。
その日の黄昏時、境内で子供らに剣術の稽古をしていた円覚は、嫌な雰囲気を感じた。
「少し早いが、そろそろ皆、本堂に戻れ」
そう言うと同時に、山門の方に走り出した。
五人の男が寺に火を放ちながら、近付いてくる。近隣の者達だろうか、かなり、大きな体をしている六尺以上はありそうだ。
「貴様ら何をしている!」
神仏分離令が出されてから、得体の知れないよそから来た者達や戦争で怪我を負った者などが身を寄せているこの荒れ寺は、近隣の者達から非難の的となっていた。しかし、火を放つなどの暴力的な行為は初めてのことだ。
「やめろ!そこまですることはないだろう。我らは何も悪いことはしておらぬぞ!」
叫びながら、駆け寄ると、近隣の者達ではなかった。人の姿をした猿の化物だった。
「見つけた」
男の一人が、そう言うと同時に、円覚の顔面に拳を叩きつけた。引き摺り上げられ、何度も殴られ、地面に叩き付けられた。
「やはり、来たか・・・俺を殺したら、帰れ・・・この寺の奴らはお前達の村とは関係な・・」
言い終わらない内に、腹を踏み潰され、血を吐いた。死ぬなと思い、境内の方に目を向けると、子供らが走って来るのが見えた。山門の炎を見て来てしまったのだろう。
「頼む。あの子らは関係ないんだ。俺とは血の繋がりもない。猿の子でもない」振り絞るように声を出した。
「随分、探したぞ。仲間も人も殺したお前が、坊主とはなあ。なかなか見つからない訳だ。お前は禁忌を犯した。我らは非道を行っても、仲間は殺さない。お前は仲間を殺した。だから、お前の仲間は皆殺す。それが掟だ」
化物の頭目が冷たく言い放った。
「やめて〜、やめて〜」
子供らの叫び声が聞こえる。
円覚は猿の化物の足に縋り付き許しを乞うた。
「頼む。頼む・・・」
その願いも虚しく、さらに、一撃を喰らわされ、子供らの前に転がされた。
一陣の風が吹き抜けた。頬を切るような激しい風だった。
「そこまですることはなかろう!お前達の法が寺を許さぬなら、像を壊せば良い。寺も焼きたければ焼け!しかし、人をそこまで傷付ける道理はなかろうが!」
いつの前にか、小夜が化物の前に立ち、叫んでいた。
「小夜・・そいつらは、廃仏で来てるのではない・・・逃げろ・・」声を出そうとするが、声にならない。
「失せろ!」
小夜がもう一度叫ぶと、化物の拳が小夜の左肩を打った。肩が砕かれ、吹っ飛ばされた。子供らが駆け寄った。
化物の頭目が叫んだ。
「この猿を殺せ!女もガキも皆殺しにしろ!」
その号令に化物が奇声を上げた刹那、小夜の姿が化猫に変わり、跳躍した。七尺近くある化物の前に飛び、足下に伏した瞬間、大量の血飛沫が上がり、化け物たちは倒れた。血を浴びた子供たちは悲鳴を上げて散り散りに逃げた。
血飛沫を上げて倒れた化物たちの前に、人の姿をした小夜が返り血にまみれて立っていた。そして、地面に仰向けに倒れている円覚を睨みつけて言った。
「お前、自分の命を捨てたら、子供らを守れると思ったのか?とんだ勘違いだ。捨てて守れるものなど無い。私は禁忌を犯した。人の法も猫の掟も破ってしまった。あとは、お前が守れ」小夜は、血塗れの頬に涙を流していた。
「頼みましたよ・・・」
最後にその言葉を残し、再び化猫の姿になり、風が舞うように走り去った。
小夜の姿を遠くに見て、目を閉じた。もう全てを終わりにしたい・・・。
気を失いそうになる中、誰かに担ぎ上げられ、走っているのが分かった。後ろの方から、近隣の者と役人たちの声がする。
「あいつら、遂にやったな。物騒な奴らじゃったからな。このまま寺も全部焼いちまえ!」
円覚は完全に気を失った。
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