怪奇!手を振る少年!



 さて、皆さんは、「夏」と言えば、何を思い浮かべるだろうか?


 スイカ、海、夏休み、猛暑、バカンス、帰省、などなど、人によって思い浮かべるイメージは当然異なるだろう。しかし、この質問の場合、回答の傾向はおおかた決まっていると言わざるを得ない。「夏」。この何の修飾も入っていない一文字から連想できるものとなると、やはり大体の人間は似通ったものを想像してしまう。


 そのように理解している上で、ホラー映画や小説などそういう類のものに頭をやられてしまった私なら絶対にこう答える。


 夏と言えば、やはり「怪談」であると。



 ――というわけで、(どういうわけだ)今回は私が昔体験した、マジモンの恐怖体験について書こうと思う。創作ではなくである。私が遭遇したが怪異であったかどうかは未だに判然としないので、敢えて「恐怖体験」と呼ぶことにした。


 今回は、読みやすくなるからといつも当然のように行っている脚色を一切していない。それゆえに、上手いオチがつかず、スッキリとしない結末に着地しまうが、そこはご容赦頂きたい。



 


 ――

 ――

 前回の話と少し違い、今回は私が中学生の頃の話である。


 私の住んでいる所は、小高い丘の上、頂上付近にある。地図によれば標高は80メートルくらいで、そこそこ見晴らしもよく、双眼鏡を覗いてみればかなり遠い場所まで見渡せる。


 とはいえ、「丘の上」という、いかにもな字面の響きほど私の家は周囲から孤立しているわけではない。むしろこの辺りは建物が密集している、いわゆる「住宅地」である。しかしながら、家々が密集しているからといってその土地が必ず平坦であるという道理はない。もし付近の建物を地上から全部取っ払って禿山にしたならば、上へ下へとかなりデコボコした地形を一望できただろう。


 家のニ階、東に面した窓からは、丁度向こう側の丘を仰ぎ見ることができる。それほど遠い場所にあるわけではない。距離自体は徒歩で大体3,4分ほど。その向こう側の丘の上に、所謂「分譲団地」と呼ばれる建物が広がっている。同じ色、同じ高さのマンションが5棟ほど丘の上に突っ立ており、その光景はこれを書いている今も全く変わっていない。


 さて、何かと抜けている所が多い私には、珍しく小学生の頃からずっと続いている「習慣」のようなものがある。


 それは、「勉強後に、件の窓から外を眺める。」ということ。


 元々私はやや斜視気味で、何か集中して物事をこなすと結構な頻度で目が痛くなる(長時間集中すると目が痛くなるのは普通の人もそうだが)。この痛みに対して有効だと親から教わったのが、どこか遠くの緑――具体的には植物などを眺めるという対処法だった。それ以来、長時間勉強するたびに、寝室についている東側の窓から外をひっきりなしに覗いているのである。


 その日、宿題をこなした中学生の頃の私は、いつもと同じようにぼんやり外を眺めていた。はっきりと覚えていないが確か昼前。まだ太陽は高い所に居座り、空もいつになく澄み渡って晴れやかだったことを記憶している。


 森の緑を眺め、ふと、何気なくその左に建っている団地に視線を移した私は、ある奇妙な人影に気づいた。


 団地の一号棟と二号棟(でっかく団地の壁に数字が書いてある)の間、私も何度か駅へのショートカットとして通ったことのあるその道の真ん中に、男の子が一人で立っていることに気づいたのだ。服装に関してはもう思い出せないが、少なくとも年下、それも小学生くらいの出で立ちであった。そんな子供が丁度こちらに背を向けて、大きく両手を開き休む間もなく振り続けているのである。


「へぇ、何やってるんだろう」と野次馬的な好奇心からその男の子を見始めた私は、一分ほど眺め、次第に彼に対して畏敬の念を感じ始めた。


 やってみなくても分かると思うが、両手を大きく開いてそのままずっと振り続けるのはなかなか体力的にキツイ。恐らく今の私でも一分ならまだしも二分間連続して手を振るのはなかなか負荷のかかる行為だろう。その時点では、さぞかし運動のできる子なのだろうなぁ、としか思っていなかった。


 だが、畏敬の念とは即ち恐怖と表裏一体である。(体感だが)二分、三分と経つにつれて、私の心は強烈な違和感に覆われていった。恐怖ではなかった。あくまでも違和感であった。


 何と言うか、異常性が全く感じられなかったのだ。


 ホラー映画などでありがちな演出で、例えば幽霊や悪魔に取り憑かれた人間が、通常人間には出来ない動作などをやってのける事がある。ブリッジしたまま階段を下ったり、逆関節に手足が折れ曲がったり、やけにカクカクとした動きをしたり、常時白目を剥いたり……などなど。


 だが、(フィクションではないので当然というべきか)その男の子は、一目でわかるようなおかしな動作を


 まだ身体の軸が定まらず、全身を目一杯動かして手を振っているのは一目瞭然。子供特有の動きである。数秒とはいえ、時折手を振るのを止めることもあった。他者や不可解な外力の介入など一切感じられない、自然な動き。もしその行為が数秒ほどで終わっていたのなら、私は別段それに違和感を感じず、黙々と森の方を眺め続けていただろう。


 ただ気になるのは、やはりその時間と、その子供の体力について。どう考えても少し長すぎるのだ。上でも書いたが、普通小学校に上がりたてくらいの子供が三分間も連続で手を振り続けていたら、やはり途中で疲れてしまうものではないだろうか?その子がその年にしてレスリングやボルダリングでもやっていたなら別だが、そう偶然は起こらないと思われる。


 また、その『目的』が分からない。この男の子は一体何のために手を振り続けているのであろう?小学校の理科の「影のできかた」の実験でもしているのだろうか?こちらからは見えないが、男の子の視線の先に、合図をしている相手がいるのだろうか?


 とまぁこんな風に、その時は恐怖というよりは違和感と懸念が尽きず、いつまでもいつまでも、最終的に体感で5分くらいじっと男の子を眺めていた。(変人)


 今考えると、この時点で既に異常極まりない事態が発生しているのだが、その事態の主原因が私のいる位置から遠く離れている上に、「男の子がずっと手を振っている」という「日常」と「異常」の境の曖昧な現象であったからこそ、私はそれを呑気に眺めれていたのかもしれない。


 ともかく、私はどこかの時点で眺めるのを止めた。なぜ止めたかは覚えていない。流石に薄気味悪くなって窓から離れたのかもしれないし、親に呼ばれたとか些細な理由で家の奥へ戻ったのかもしれない。ただ、覗いていた時の記憶が鮮明に思い出せるのに、こうも自ら立ち去った理由が思い出せないという事は、少なくとも感情の起伏が発生するような重大な理由では無かったと思われる。




 これが、私が人生で唯一経験した超常現象……らしきものである。残念ながら事実とは基本的に小説より奇ではなく、起承転結の「結」に欠け、大体が味気ないものである。


 それから六年以上経ち、様々な知識を得て、昔と比べ物にならないくらい深い洞察を巡らせ、理性的にものを考えることが出来るようになったが、それでも私は心の何処かで期待しているらしい。また見れないものかと、窓を覗き、日々団地の方を観察しているが、未だに私は彼とは巡り会えていない。


 ……いや、そのように思わせることこそが、実は彼の最大の異常性なのかもしれない。怪異など、遭遇しないに越したことはないのだから。



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9月になっちゃった(死)


書き始めた時はまだ8月中盤だったんだがなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

勉強も忙しくなり、先延ばし先延ばしにしていたら夏を越してしまいました。


この話の通り、僕自身は幽霊もとい超常現象に1回しか遭遇したことがないのですが、親戚に(自称)幽霊が見える人がいます。


どんな風に見えるのか訊いてみたら、「大体は煙状だが稀に人型に近いやつもおる」とのこと。割といろんな所にいるらしいので気にするだけ無駄だそうです()

見える人も見える人で大変だ……。



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