28話【プロポーズ/シュレーゼ視点】

【シュレーゼ視点】


「捕まえてごらんなさいませ」


 姫様が軽やかにドレスをはためかせて、ヒールの音を響かせている。

 それを追うのは無論、伴侶の座を射止めた、フェンラルド王だ。


 場所は城内にあるホール。

 夜会などで使われる場所を、フェンラルド王が闘技に使えるように改造した部屋。


 そこで、舞闘に姫様とフェンラルド王がいそしむのを下がって見ている。


 執事の職を辞そうと思っていたのだが、気がついたら馬車に押し込まれてエメルディオへ戻ってきていた。

 私の隣には、フェンラルドの従者であるベルディナッドが寄り添うように立っている。


「私の村では両腕を切り落とされたら、その相手の嫁になれという慣習があります」


 と、あの日に告げられたが、エメルディオにそんな慣習のある村があるとは聞いていない。


 僻地も僻地の村らしく、文献にもない話。

 フェンラルド王はベルディナッドの言葉に頷いていたが、本当かどうかはその村まで行かねばわかるまい。


 ベルディナッドとは毎日のように顔を合わせていたが、女性だとは知らなかった。

 いつも主の後ろに影のように佇み、会話自体殆どしたことがない相手でもあった。


 それがあの日から、やたらと押しが強い。

 その割りに表情が無い。どうしたものか、扱いに困る。


 エメルディオまでの道中、姫様とフェンラルドからは「いなければ困る。執務が滞るどこの騒ぎではない。辞すことは許さない」と揃って言われてしまった。


 確かに、従者が失恋など個人的な理由で職を辞すことはできない。


 主に恋慕を抱いたまま、仕え続けることを、あれほど苛烈に姫様を求めたフェンラルド王が許しはしないと思ったのだが……。

 まさか、フェンラルド王からも引きとめを食らうとは、想像もしていなかった。


 対角線上の壁際にはクレイデュオとティアナが揃って、姫様とフェンラルド王を眺めている。


 クレイデュオの判断はよかった。姫様やその伴侶に危害を加える可能性のある者に首輪をつけたのだ。

 あのまま消えられるよりは手元で飼い殺した方がいい。


 クレイデュオはあまり深く物事を考えるタイプの男ではないが、それゆえにうまくいきそうな気配すらある。


 大型犬と凶暴な猫、という感じのコンビだろうか。

 あれがカップルになる日があるのかどうかはわからない。


「シュレーゼ様、いつになったら杯を頂けるのでしょうか」


 目線はフェンラルドを追うままに、ベルディナッドが言う。

 レストライアの杯は、勝者が敗者に贈るもの。プロポーズの贈り物に近いそれである。


「その予定はありません」

「シュレーゼ様はこのまま独身で過ごされるおつもりなのですか」


 幾度目だろうか、このやりとりは。

 淡々と訊かれ、淡々と答える。


「そのつもりはありませんが」

「では私を是非」


 やはり淡々とした声。本気で言っているのかもわからないほどに表情が動かない女性。

 男装の麗人。ティアナといい、ベルディナッドといい、フェンラルド王はあまり性別に頓着はないらしい。

 その辺りはレストライアもそうであるのだが、エメルディオでは珍しい部類だろう。


「何故ですか」


 いくら伴侶の候補に、婚姻を望むといわれても、突然に心変わりなどできる程器用ではない。

 あまりに幾度も婚姻を求められるので、つい理由を訊いてしまった。


「あなたの涙を受け止めたいから」


 彼女は変わらず淡々とした声で言う。


「初恋の人の妻になりたいから」


 淡々と。


「あなたを愛しているから」


 そんな話は、初めて聞いた。


「あなたの側で年をとりたいから」


 思わず、その顔を見る。


 表情はなにひとつ変わらず。

 けれど、耳まで赤い。


「あなたが私を選ばないのでしたら、私こそ生涯独身でしょう」


 こちらを見る、ベルディナッドの顔が、初めて表情を見せた。


「どちらにしても、主の伴侶の執事であるあなたと、生きてはいけます。それでも、どうか最後は私の手をとってください」


 私が一度、切り落とした手を。

 彼女が伸ばす。


「いつまでも待ちます。待ちますが、口説きます。お覚悟を」


 さらりと頬を撫でて、彼女は崩した表情を戻し、視線も戻す。

 淡々とした声で告げられた言葉は、確かにこの胸を打った。


「泣くときは、どうか私の前で」


 どうやら、私が気付かなかっただけで、一途な者は、多いようだ。

 いつか、諦めがつくだろうか。


 諦めがついていない、わけではないのだ。

 フェンラルド王ほど、私は苛烈になれなかった。側で支えることに徹してしまった。


 ルールすら塗り替えるような、強き者では、私はなかった。


 そこからベルディナッドは何も言わなかった。

 僅かに私より背が低い、女性にしては長身の中性的な、男装の麗人。


 いつまでも待ちます。


 私が、姫様に言った言葉。

 寵愛を乞う言葉。


「それはそれとしまして、また勝負をして頂きたく。私が勝てば、プロポーズが出来ますので」


 はたと思い出したように、ベルディナッドが言う。

 私も一度くらいは、勝負を願い出ればよかった。


 姫様に挑み、……想像して、勝てる気はしない。

 傷つけられない程、尊い人。私にとって、貴女は戦うことすらできないほどに。


 同じように思っていたであろうフェンラルド王は、それでも挑んだのだ。


 そう思いながら、姫様とフェンラルド王の舞闘の行方を見守る。

 隣に寄り添うように立つ、彼女の気配を感じながら。


 姫様が、捕まって笑う。

 幸せそうに。どんな少女よりも幸福そうに。


 あのような笑顔にさせることは、私には叶わなかった。

 最初から勝ち目はなく。それでも私は結局、戦いすら選べなかった。負け犬ですらない。


 だからこそ、


「勝負なら、いつでもお受けします。貴女が勝てたのなら、私は貴女のものになりましょう」


 捨て鉢になったわけではない。


 勝てないかもしれない相手に挑めなかった私は、挑めるものに敬意を払う。

 私は、勝てる勝負しかしてこなかったのだから。


 勝負がついた主の元へと向かうと、ベルディナッドが王へと勝負の話をした。

 その場で勝負をせよとのご命令を頂き、勝ちを獲った。



 心を打たれたとはいえ、勝負は勝負。

 手抜きなどはせず、真剣に打ち負かした。

 いつか負ける日は来るのだろうか。この女性に。



 この日から、王命により、毎日のようにベルディナッドと戦うことになるとは、思いもしなかったが。


 いつか負けるのだろうな、と微かに思う。

 戦う女性は、いつだって美しい。


 彼女にならば、いつか負けてもいいと思い、勝ちを獲る。

 きっと、勝負を受けた時点で負けていた、ときっと振り返れば思うのだろう。


 今日も、ベルディナッドは私の横に寄り添うように立ち、王の用命をきくのだ。

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