喫茶去 テンプレやベタをキチンと書けて一人前

 いわゆる「テンプレ」「ベタ」「既視感がある」「ありふれた」作品を、馬鹿している傾向がある。読者にはどこか飽き飽きしている気持ちもあるのだろう。しかしながら、作家がそれを言うのは、わたしに言わせれば「当たり前のことを当たり前に出来ません」と言っているようなものである。上手というのは基本をちゃん書けるということであり、突飛な発想をすることではないからだ。


 あまりこういう我田引水をしたくはないのだけれど、拙著「根性論みたいな創作論」の中で「『話を作る力』と『文章を書く力』」は別物とは書いたが、「上手な作家」になるには後者も必要なのである。それはどんなジャンルであっても、一定以上の文章を書く力を有していなければならない、ということを意味している。

 先程の書では「話を作る力」があればいいんですよと書いたが、それは上手になる必要のない、創作を楽しみたいアマチュアへの励ましであり、少なくとも本賞の参加者においては当てはまらない。まずは一定以上の「文章を書く力」がなければ、シビアな話として、誰にも読んですらもらえないからだ。


 話を作る力(創作力)と文章を書く力(文章力)のどちらを鍛えるのが難しいかというと、わたしは後者だと思っている。まったく逆に聞こえるかもしれないが、文章力は勉強や人生経験だけなかなか上達しないのだ。センスみたいなものが要求されるのである。「、」ひとつとっても、文章ルールを越えたところにあるセンスが最終的に他の作家との差をつける。文系でのたとえを引いてみると、「法律」をどれだけ知っているかが創作力であり、「法律」をどう解釈して運用するのかが文章力なのである。正反対に聞こえるだろうが、創作力は読書や人生経験で積み重ねられるのだが、文章力というものは、読書や人生経験はおろか、勉強をしても、なかなか自分のものにはできないのだ。


 むしろ、わたしの言っていることが理解できて苦労している人がいれば、その時点で一人前なのかもしれない。この話の本旨は、「テンプレをキチンと書けてナンボ」なのであるが、その根底は、文章力を向上させるのはとても大変だということが身に染みているかどうかだからだ。そもそも、これらに苦しんでいれば、テンプレを馬鹿にする気持ちなど皆無であろうから、わたしがいちいち穿り返すまでもないのかもしれない。


 堂々巡りになるので話を戻すと、上手な作家というのは、「当たり前のことを当たり前に書ける人」である。本賞におけるわたしの価値観として、奇抜な発想でのらりくらり書いたものよりも、真っ向勝負で平凡な話題を書ききった方が評価が高いのは理解して貰えると思う。もちろん、奇抜な発想(創作力)を着実に書き上げた作品(文章力)が更に大賞に近い位置に来ることは、疑うところではないだろう。


 本賞の結果発表を前に、「そもそも、どういう作品が上位に来るの?」という疑問に対して、回答のひとつになれば幸いである。


※最後の喫茶去です。ありがとうございました。

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