第17話

《四章》


 昼休み、いつものように弁当を食べようと図書室に向かおうとした俺は、真帆に呼び止められた。小柄な真帆は、こちらが座っているとちょうど彼女と目線の高さが同じなので、見上げる必要が無くて楽だ。

「志渡くん。ちょっといい?」

「今日は随分控えめだな。どうした?」

 真帆は、身体の前で両手の指先を組んだり解いたりして、なんだか落ち着きがない。

「最近いっつもさ、お昼、深月ちゃんと食べてるでしょ」

 ……どこでバレたんだ。俺と宵町が教室を出るときは、タイミングをずらしてるのに。

「その、お昼に運動場に出たら、二人が三階のベランダでご飯食べてるところ見たの」

 なるほど、バレて当たり前である。

 学校のベランダは、全て運動場に面している。お昼にわざわざ校舎を出て運動場に行くような人間など、余程運動好きな活力有り余る人間しかいないだろうと高をくくり、軽視していたわけだが、こうも身近にそんな人間がいるとは思いもよらなかった。

「あぁ、そうだ。趣味の話で気が合ってな」

 素直に認めてやる。ここで、見間違いじゃないのか、なんて言った日には、嘘つき!と謗りを受けて内臓に深いダメージを追うに違いない。真帆の視力は優に二.〇以上とどこぞの狩猟民族に匹敵するのだ。

「やっぱり」

 真帆は、それだけ言うと、何か言い辛そうにもじもじとしている。

「あのね、その」

「どうした。早く言ってくれ。飯の時間が減る」

「うーん。えい!言っちゃえ‼私も、一緒にご飯食べたい‼」

 意を決したように、真帆は目を瞑って言った。

「……そんなこと、別に俺が許可するもんでもないだろ」

「だよねー、やっぱり二人で……。え、いいの?」

 俺は立ち上がった。困惑したような顔の真帆は、口をあわあわと開いたり閉じたりしている。

「行くぞ。宵待も腹を空かせて待ってるだろうし」

 別に、二人きりである必要など、無いのだ。

 ぱあっと、顔に満面の笑みを浮かべた真帆は、ぴょこぴょこと歩いて離れていったかと思うと、茶髪の女子生徒、向島の席で立ち止まって何やら話していた。向島は頷きながら、ニヤニヤこちらを見ている。

 二人の会談は終わったようで、向島は真帆と一緒に弁当を手に持って、こちらに向かってきた。

「いやぁ、お熱い二人の邪魔しちゃってごめんね~。私も真帆も、なかなか深月っちと話す機会が無いから、話せたらなぁ、って思ってたんだよね」

「別に熱かないが。二月の沖縄の気温ぐらいに丁度いい温度だぞ。確かに、宵待がクラスの女子と話してるところ、見たことないな」

 よく考えれば、朝、昼、放課後と俺と一緒に居れば、当然も当然か。なんだか、俺のために学校生活や友人を犠牲にしてもらっているようで、今更ながら酷く罪悪感に苛まれる。

「だからお昼ぐらい一緒に食べたいなって」

 真帆は嬉しそうに言う。

 俺には、宵待も真帆たちが来るのを望んでる、なんて人の気持ちを知ったようなことは言えない。俺は宵待ではないからな。でも、俺が奪ってしまったものについて、取捨選択の機会を宵待に与える義務が俺にはある気がした。結果として、宵待が他の人間を拒むのか、真帆や向島と友人関係を築くのかは、宵待が判断すべきことだろう。

 図書室のベランダに着くと、ここ最近の通例通り、宵待が弁当を広げて待っていた。

 勝手に人を連れて来ないで、なんて苛立ちの視線を貰うかと思っていたら、俺たち三人が顔を出しても、いらっしゃい、などと平然と迎い入れてくれた。

 ベランダは校舎の長辺方向には教室沿いに長いのだが、四人で向かい合えるほどのスペースは無いので、真帆と向島が宵待を挟み込み、俺は真帆の隣に座って、並んで昼飯を食べ始めた。

「九夜は前世で相当の徳を積んだんだろうね。こんな可愛い女の子たちと一緒にご飯が食べられるなんて」

「たぶん救世主か何かだったんだろうな。奇跡でブドウをワインに変えたり」

「ただのワイン職人じゃん!」

 向島はけらけらと笑った。本当によく喋るし、よく笑う。

「それじゃあ、私たちはブドウ農家の娘たちかしら」

「私はブドウよりマスカットの方が好きかも」

 話題に乗っかる宵待に対し、真帆は自分の世界に入っていく。

「そういえば、昔のワインって素足で踏んでブドウの実を潰してたらしいじゃん?私らでブドウ踏んで売ったら、結構売れるんじゃね?女子高校生の足踏み酒、って名前で」

 その発想は衛生的にも倫理的にもまずいだろ。

 退学になるわ。

「きっと、ブドウも機械で潰されるより、女の子たちに踏まれた方が幸せよ。ね、九夜くん」

「頼むから俺に同意を求めるな」

「ワインもブドウも、フランス語では男性名詞なのだから、男の子同士、通じるものがあるかと思って」

 暴論である。俺にそんな特殊性癖は無い。

 この位置から宵待の顔は見えないが、きっとその顔は嗜虐的な笑みを浮かべているに違いない。ただ俺がブドウなら、強いて言うならプレス機で一瞬でプレスされた方が、痛みが無くていい。

「深月っち、詳しいねえ」

「ただ、ちらっと本で読んだだけよ」

「志渡くんはね、結構踏まれるのには強いんだよ」

 真帆が、何か余計なことを言い始めた。俺はお前と心中する覚悟は無いのだが、それは本当に話して良い内容なのか、一度自分で確かめてみろ。

「へえ。実績があるのかしら。興味があるわ」

 機は熟したと言わんばかりの高速レスポンスを返す宵待。要らんことを言うな。

「それがね、私、子どもの頃、お父さんの背中の上で足踏みマッサージするのが得意だったの。お父さんは、あいたたた!って言うんだけど、志渡くんは背中に乗っても何も言わなかったから、足踏みに強いんだろうなって」

 俺は、忘れたい思い出ランキングの上位に入っているその思い出を、まるで八ミリフィルムが再生される様子を見ているように、ありありと思い出した。

 その話の結末はこうである。

 俺は、真帆に足踏みマッサージをお見舞いされたせいで失神し、泡を吹いて倒れていたところを病院に担ぎ込まれていた。診察の結果、肋骨にひびが入っていたという、非常に残念な結末だった。

「ということで、俺が真帆によって病院送りにされたうちの一回がそれだ」

 と、真帆が話し始めたのだから俺は何も包み隠すことなく事実を宵待と向島に言って聞かせた。

 向島は手を叩いて大笑いし、真帆は顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていて、宵待はどう真帆を励ましたものかとおろおろしていた。

「あはは。いやあ、昔も変わんないねえ。真帆っち」

 向島はまだ笑っている。

「嘘!志渡くん適当なこと言わないで」

「適当なもんか。こういうのはやられた方はよく覚えてるんだよ。都合よく忘れられてたら、被害者団体代表の俺のメンツが無いからな。定期的に思い出させてやる」

「もういいから~」

「あと印象的な伝説で言えば、ラフな格好でグラウンドの草むしりをしていた校長を、不審者だと勘違いした真帆がリコーダー片手に叩きのめしたという話も」

「やめて~‼」

 真帆が俺の口を抑えにかかってきたので、危うく俺は窒息死するところであった。

「古郡さんって、お茶目なのね」

 宵待は精いっぱいのフォローを繰り出す。お茶目で救急車を呼ばれては、救急隊員の方々もたまったものでは無い。

「いやあ、そんなこと……」

「褒めてないぞ」

「あ、私の名前、ふるごおり、じゃ呼びにくいでしょ?真帆でいいよ」

「私も、陽菜で呼んでよ。向島ってなんかゴツいんだよね」

 急に話が変わって、宵待はおろおろしていた。

 宵待は中々、俺の前でつっけんどんは話し方をしたり、軽口を叩いたり、冗談をけし掛けてきたりと、我が物顔で会話を進めていくので、狼狽えている宵待は新鮮であり、いい気味だ。

 宵待は、顔を真っ赤にしながら、目線を落として二人の名前を呼んだ。

「……真帆ちゃん」

「うんうん」

「……陽菜ちゃん」

「はーい!私です‼」

「この人は?」

 真帆は、俺の方を指さしながら、宵待に話しかけた。

「九夜くん」

「名前じゃないんかい‼」

 向島が突っ込みを入れた。俺を勝手に話のオチに使うな。

 三人はそれからも、昼食もそっちのけで、わいわいと騒いでいる。宵待の声は、心なしかいつもより、声のトーンが高く楽しそうに聞こえた。

 俺は、春の昼下がりのそんな和やかな饗宴を横目に、安らかな心地で唐揚げを咀嚼した。

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