短編

nocochi

あの、しし座流星群の夜から

私は一体どこに来てしまったのだろう。

中学生だった私は、あの夜、寒さに耐えながら家のベランダで空を見つめていた。




その日の午後の理科の授業で、先生が言った。

「今日はしし座流星群が見られますね」

流星群、つまり流れ星がたくさん見られるということだ。


私の住んでいた地域は、ぽつぽつと街灯のある住宅街で夜もそこまで暗くない。冬になればオリオン座くらいはパッと見てわかるくらいには暗かったが、流れ星なんてそうそう見られるものではなかった。


私はこのしし座流星群を絶対に見たかった。

なぜならその前年の月食を見逃してしまったから。




あれはちょうど夏祭りの夜だった。


地元では有名な祭りで、といっても夕方くらいから屋台が出て神輿が担がれるという何の特徴もない祭りだが、小さい頃はよく家族や友達と出かけたものだ。

小学校六年生のとき、クラスの女友達数人と浴衣を着て繰り出したのが良い思い出である。履き慣れない下駄に靴擦れしながら、友達の一人が「これが女の使命」と歌舞伎のような口調で大袈裟に言ったのが面白くて、皆で笑った。


中学生なると途端に友達付き合いが変わり、かつて笑い合った友達もそれぞれ仲の良い別の友達ができて、私はどことなく孤立していた。

クラスでいじめられていたというわけでもなく、部活動の友達とは毎日一緒に帰ったりもしていたが、休日やイベントで互いに声をかけ合うような友達がいなかった。


その日の夜も、私は家で過ごしていた。学校の宿題や次の日の授業の予習など、とりとめのないことをしていたと思う。

しかし、その日こそが月食の日であった。後から知ったが、何でも二十世紀最大の皆既月食で、メディアでも取り沙汰されていたらしい。

そんなに話題になっていたにも関わらず事前に知らなかったということは、私の天体への興味はきっとその程度のものなのだ。しかし問題はそこではない。


祭りに出かけたクラスメイトたちは、皆、帰り道で月食を見かけたという。

友達と祭りを楽しんだ帰りに思いがけず月食を見かけるなど、最高ではないか。青春そのものである。


一方私はというと、特にそのときにやらなければならないわけでもない学校の課題をこなすという、つまらない夜を過ごした。


夜遊びをしていた人が思いがけず珍しい現象に鉢合わせ、真面目に勉強をしていた自分がそれを見逃すなんて、なんとも不公平だと思ったものである。


しかし考えてみれば、犬も歩けば棒に当たるということわざもある。何事も動かなければ、鉢合わせることも、巡り合うこともないのだ。


とにかくそのような悔しい思いをしたので、私はこれ以上、宇宙が稀に見せてくれる天体ショーを見逃したくなかったのだ。




しし座流星群が見られるのはすごく遅い時間だった。夜中の一時か二時か三時か。正確な時間は忘れてしまった。


一緒に暮らしている家族は天体ショーに興味がないようで、皆早々に寝てしまった。


私は一人、毛布にくるまってベランダに出た。

まだ十一月だというのに、私の住む地域は底冷えが厳しい。


寒さに耐えながら、東の空を見つめた。


ここはやや密集した住宅地のため、向かいの家の屋根が邪魔である。

屋根と屋根の隙間の狭い空をじっと見つめる。


私の他には誰も起きていないのだろうか。

そう思えるほど辺りはしんと静まり返っていた。


じっと空を見つめていると、だんだんと感覚が研ぎ澄まされて、上空を流れる大気の音が聞こえるようになる。


なんだか宇宙や地球や、壮大な存在と近くなった気がする。


そう思った矢先、じっと見つめていた空の端で星が少し動いた。

たぶん流星群ではない。

目の錯覚か、もしくは目が慣れてきて、日常的に発生している流れ星のうちの一つに気づくことができたのかもしれない。


そしてまた空を見つめた。

時計を持ってくるのを忘れたため、今が一体何時なのかわからない。

毛布にくるまっているとはいえ、じっとしていると体が冷えてくる。


流れ星が流れたら何を祈ろう。

家族みんなが健康で平和に暮らせますように。

そして、高校受験がうまくいきますように。


きっと一瞬のことだから言葉で伝えては間に合わないだろう。

強くイメージして、星に念じるのが良い。


私は自分の家族が明るいリビングでご飯を食べながら笑っている姿を想像した。

同時に、掲示板に自分の受験番号を見つけて喜んでいる姿を想像した。


イメージを保ちながら空を見つめていると、見つめていた視界の中で、星が流れた。

今度はいかにも流れ星らしい流れ星だ。

見上げていた空の一点から、向かいの家の屋根に消えるまで、「シューーーーッ」と流れていった。


あの星は、私のイメージを持っていってくれただろうか。

次はいつどこで星が流れても良いように、空に向かってもっと強く念じておこう。




そうして寒さに震えながら星を見つめていたのに、私はいつの間にかここにいる。


私は今、世間的にはもう立派な大人である。

ベランダのある実家を離れ、都内の小さなワンルームに夫と二人で慎ましく暮らしている。


もちろんこれまでの歳月を過ごしてきた記憶はある。

あのしし座流星群の夜から二十二年と八ヶ月と十日分。ちゃんとある。


しかし私は何も変わっていない。


ここ数年、女友達は毎年のように誰かが子どもを産んでいる。

母になった友達よりその子どもの方が私と精神年齢が近いのではないかとさえ思う。

実際に会うとそんなことはないのだが。


私の人生は高校受験で終わっている。

何かに挑戦したり、強い思いを胸に何かに取り組んだりしたのは、高校受験が最後である。


流れ星へ念じたとおり志望校に合格した私は、人生のゴールを迎えたような心持ちになっていた。高校生からの人生は余生であるような気がした。

それと同時に、女子高生であるということが、あらゆる年代、あらゆる職業や立場の中で最強だとも思っていて、何も知らないのに何もかも悟ったような感覚に陥った。


現実は余生でも最強でも何でもなく、一学生よろしく急に難しくなった高校の授業についていけなくなっていた。一度わからなくなってしまうと投げやりになって、どんどん勉強から遠ざかっていった。


中学生のときは真面目にコツコツと勉強し、テストの度に心地よい緊張感に包まれ、高得点を叩き出す快感と終わった後の開放感を存分に味わっていただけに、勉強面で怠惰であったことは当時の自分のコンプレックスになっていた。

勉強に身が入らない後ろめたさを抱えながら部活動や趣味の世界に居場所を見つけ、自分にはこれがあるから大丈夫だ、と言い聞かせた。


高校を卒業してからも、自分にはこれがあるから大丈夫、という型にはまったアイデンティティによって自分をどんどん窮屈な場所に押し込んで、本当はどうしたいのかも、何が悲しいのかもわからずに、ただ取り繕うばかりであった。


そうやってどこかやり切れない気持ちを抱えながら長い年月を過ごしてきてしまった。

ときどき夜明けとともに目覚めることがあると、まだ薄暗い窓の外から、鳥の鳴き声や人の足音が聞こえてきて、これまでの日々がどうにも耐えられなくなる。


今からどうやってこの長い時間を取り戻すことができるだろうかと、焦る。

しかしそんなことできるわけはなく、再び布団を被って、夢の世界へと逃げ戻る。

もしくは、何も考えず現実をただ受け入れ、坦々と朝の支度に取りかかる。


過去に戻ってやり直したいことを今やり直そうとしても、過去まさにそれをやるべきときにできなかったものが、今、あの頃とかけ離れた現実がある状態で、ふとできるようになるわけもなく。


結局は、これから何をするにも、ただ身の程を知らない恥ずかしい大人になるしかないのだ。そしてそんな恥ずかしい大人のことなどきっと誰も知らないし、誰も気にしていない。

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