2024/04/01(月)_入社式

 今日は入社式。朝ごはんはライ麦のパン。まだイントに来て一週間も経ってない。取り敢えずパンだけは沢山買ってある。パンは正義なのだ。

 ドアを開けると、柔らかな光が差し込んできた。私は今日から通勤するのだ。私と同期の女の子、アセロラはすでに寮の下で待ってくれていた。まだ土地勘がゼロなのでありがたい。彼女は私を見つけると、数メートルなのに駆け寄ってきた。

「おはよっ」

 昨日はショートパンツだったが、今日はフレアスカート。露出が減った事に謎の安心感を覚える。彼女のフワフワの髪が朝の風になびいた。

 モテるんだろうなあ。

 会社は寮から一キロ程度の距離だったはず。

「どうしても一人暮らししたくて、寮で生活することにしたの!」

 アセロラはイントが地元らしい。彼女はイキイキとしてる。私は出来れば実家から離れたくなかった。だからあまり共感し難い…。第一印象の通り、彼女は明るく活発な女の子だった。入社式の緊張とかないのだろうか。

「そういえばリンの属性は?」

「私は土属性…アセロラは?」

「私は火属性の魔法使い、だから人生でほぼ風邪ひいた事ないの」

「それは、いいなあ…」

 火属性か、何となく解釈一致だった。火属性の魔法使いは比較的希少な上、都会生まれが多い。私の土属性は全く珍しくない。人口の四割は土属性なのだ。

「この髪も熱魔法でセットしてるんだよ、やったげよっか?」

 突然後ろに回り込まれた。驚いて肩が跳ねる!

 これが陽の者の動き…まずフットワークが違う。彼女は自身の魔導書から【髪をセットする魔法】の魔法陣を取り出していた。そんなの持ち歩いているのか。

 やはりお洒落な女の子…。

 彼女は会社でも知り合いを沢山作るだろう。そしたら私の事なんて忘れてしまうかもしれない。せめてそれまでは、仲良くしてくれると嬉しいなあ…そんな風に思っている。

 会社に着いた。レンガ造り、三階建ての建物。ここが私達の会社らしい。少し外れた通りにあるのは個人的に好き。入り口のところに男性が立っていた。三十代くらいだろうか。

「あ、君たちが新人さん?」

「はい」

「ようこそワークツリーへ。俺はアキニレ、君らの教育係だよ」

 彼はそれだけ言うと、入り口の装置に自分の魔導書をかざした。入り口を塞いでいた結界がスーと消えていく。私は目を丸くした。田舎じゃこんなのまず見ない。

「まだ君達は社用の魔導書が配られてないからね、暫くは俺と一緒に出入りして貰うよ」

「あ、はい」

「君らのはまだ申請中なんだってさー」

 垂れ目のアキニレは何だか眠そうだった。緩いパーマがのんびりとした雰囲気をさらに加速させている。あまり怖い人じゃなさそう。(ここ大事!)一階は打合せ用の部屋が幾つかあるようで、その内の一つに通された。

 何が何だか分からないので、とにかくアヒルの子のようにアキニレについていく。

 四人掛けの長机が六台。〝コ〟の字型に並べてあった。花瓶には綺麗な花が活けてある。薄い桃色の花、見た事ない種類だ。

「今日は同期と教育係で自己紹介して、社長が軽ーく喋るだけだから」とアキニレ。

「はい」


 やはりあるのか、自己紹介…。


 時計の針が九時半を指した。

 いよいよ入社式が始まる。といっても参加者は新入社員五名と先輩社員二名(教育係?)、幹部っぽい方三人、あと社長だけだった。新入社員は全部で五人。男が三人、女が二人。ただ、この日記を書くにあたり男子三人衆の名前を忘れてしまった…

 やっちまったぜ。

 入社式の途中までは覚えていたのに…明日しれっと確認しよう。

 男子三人衆の事も社長の有難いお話もほぼ記憶に残っていない。私は自己紹介の事で頭がいっぱいだった。


 自己紹介が好きな人っているのだろうか。


 沢山の人間の前で、一方的に自己開示をする事がどうしても好きになれていない。だが、だからこそ多少の準備は行っていた。要するに相手(会社の人間)が何を聞きたいのかを推測し、それを喋ればいいのだ。それならば自己開示の内容であれこれ悩む必要はない。会社側が聞きたい事といえば、〝私の経験や個性がどのように会社に活かせるか〟で間違えないはずだ。だって働くのだもの!

 私は大学での研究を話題にすると決めていた。簡単なメモも準備済みだった。

 私は大学で工業デザインを専攻していた。ただカッコよくするだけじゃない。ユーザにとって使いやすいか否かに重きおいていた。そこで培われたユーザ視点のモノづくり、それを押し出すのだ。

入社式が始まってからも私の脳内シミュレーションは続く…。

 男子三人衆から自己紹介が進んでいく。本来はもっとちゃんと聞くべきなのだろう。だがちょっとその余裕がなかった。途切れ途切れにで彼らの自己紹介が聞こえてくる。

「趣味は読書で、最近読んだ~が…」

「好きなスポーツチームは○○で、だからこそイントに貢献したいと考えていて…」

「学生時代は○○に打ち込んでいて~」

「好きな食べ物は○○で、この近くに美味しいお店があると聞いていて~」

 

 三人とも随分楽し気な話題ばかりだ。趣味とかスポーツチームとか、好きな食べ物とか…私が思っていたのと温度感が違う。私は脳内に暗雲が立ち込めるのを感じていた。

 そして自分のメモに視線を戻した時、気が付いてしまった。


 私だけが就活生の面接ムーブなのだ!


 勿論ここは就活の場ではない。既に採用は決まっている。新人と上司が仲良くなろう!というフェーズに移行しているのだ。

「じゃあ、次はリンに自己紹介をお願いしようかな」

 マジか!

 私は勢いよく椅子から立ち上がった。

「は、初めまして。リンと申します。出身はフローという田舎町です。大学では工業デザインを学んでおり、あ、学んでいました。えっと、魔法陣や魔導書のデザインを研究していました。ただカッコいいだけでなく、ユーザにとって使いやすいデザインを研究していました。

 例えば、皆さんはコップの〝取っ手〟ってあると思うんですけど。取っ手はコップを知らない人が見ても「手で持つ部分だ」って分かるデザインになっています。そういった視点が魔法陣や魔導書にも活かせないか研究しておりました。

ユーザ視点で物事を見る力はこの会社でも活かしていければと考えております。よろしく、お願い、いたしますっ!

あと、グラタンと柑橘類が好きです!」

 何とか言い切った。

 そして土壇場で「グラタンと柑橘類が好きです」をねじ込む事に成功した。最後に不意打ちのようにグラタンと柑橘類をぶち込んでしまったが、これで良かったのだろうか?

 

 まあ、よかったと思おう。

 

 グラタンと柑橘類ゲリラによって私と皆の距離は縮まったはずである。後はひたすら薄ら笑いを浮かべる事で、何となくフレンドリーなムードを作る様努力した。

 一方アセロラは上手く立ち回っていた。ていうか弾ける笑顔がいいよね。もうあれだけで満点。仮に彼女があの場でウンコの話を始めても、誰も彼女を嫌いにならないだろう。

 最後に教育係の紹介と、教育係による〝社内規則や今後のスケジュール〟についてのお話が合った。 なお私たちの教育係は(先ほど出迎えてくれた)アキニレのようだ。

 アキニレが立ち上がり、私達の方へ体の向きを変えた。

「皆さん、入社おめでとーございます。教育係を任されましたアキニレと申します。これからよろしくお願いしますー。まあ新生活ってやつは不安がつきものだと思います。大変な事もあるかもしれません。そんな時、アナタたちを助けてくれるものは何だと思いますか?」

 アキニレは私たち五人に視線を向けた。男子の一人が「友人や…同期とかでしょうか」と答えた。

「あー、それもいいですね~。でも残念、答えは〝美味しいごはん〟なんですねー」

 アセロラが小さく吹いた。

「このイントには美味しい定食屋やレストランが沢山あります。是非そういった情報も同期や僕ら先輩と共有していきましょう。ちなみに俺は菓子パンが好物です。美味しいパンが食べたいときは相談してくださいねー。あ、最後に僕は風属性の魔法使いでーす」

 スラスラと喋る先輩はやっぱ凄いと感じた。フレンドリーな振る舞いも有難い。少しだけ、社会人へのプレッシャーが軽くなったかも。そうだよな、自己紹介って本来こういうことだよなあ。

 もう一人の教育係は女性だった。鋭いつり目が実に印象的だ。アキニレとは異なり、明らかに厳しそうである。彼女はカツカツと私達の前に出ると短く自己紹介した。

「入社おめでとう。教育係のミラーです。属性は水、よろしく」

 まず歩くスピードが速い、この人が歩く時だけ、地面がカツカツと音を立てる。この人は怒らせないようにしよう。そう誓う。

 社内規則等はまあ一般的な内容だったと思う。労働時間は八時間(九時から十八時)とか、服装は自由だけど、闇の魔法使いを象徴するようなモチーフの衣装はNGとか。ここに来て実はブラック企業である事が明らかに!みたいな事がなくてよかった。


 解散したのは十七時過ぎだ。男子寮、女子寮は離れている。男子三人とは会社の前で解散。男子三人衆はいつの間にか好きなスポーツ選手の話で盛り上がっていた。アセロラと帰路に着く。大した事はしてない。けど、ちょっと疲れた。新しい人に沢山会ったからだろうか。これが都会というものか。アセロラも歩きながら大きく伸びをした。

「疲れちゃった」とアセロラ。

「緊張したから当たり前だよ」と私。

 アセロラもくたびれた様子で少し安心した。

「もう明日から呪文とか使って、魔法陣作るのかな」

「え、いやあ…さすがにそれは、ないんじゃない?」

 そう思いたい。

 でないと私が積む。

 私たちの主な業務は魔法陣を製造する事だ。

 そういえばアセロラはどれくらい魔法に詳しいのだろう。ぶっちゃけ、私の実力は実務レベルには届いていない…はず。学校で学んだ内容と自分の使う呪文以外の知識はない。(よく内定が出たものだ。これが人手不足というものか…)私だけが落ちこぼれになる可能性も大いにある。そう考えるとまた怖くなってきた。私は彼女にその話題を振る事が出来なかった。彼女が服屋を見たいと言うから、帰り道はウィンドショッピングに付き合った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る