ぼっちでポンコツなVTuberでもお友だちってできますか?

じゅうぜん

本文‐ぼっちでポンコツなVTuberでもお友だちってできますか?

 第一章



 今日も一日、誰とも喋らずに学校生活を過ごした。

 わあさすが玖守(くもり)ゆいな選手! これで七日連続で誰とも喋っておりません! この記録は校内一ではないでしょうか!

 と自分で自分を讃えてみたけど、胸には激しい虚しさが募るのみ。

「はぁ……」

 わたし、玖守ゆいなには友だちがいない。

 教室ではいつも一人。休み時間は人のいない場所を探すか、机に突っ伏してる。影が薄くて、よく人とぶつかる。一週間のうち三回くらいはプリントが回ってこない。

 ぼっちというやつだ。

 小学校の頃はまだ普通だったけど、中学生になってから周りからぽつんと浮きはじめた。

 ……おかしいぞ? なんだか皆と話が噛み合わない。

 でもその時はまだ「まあ大丈夫でしょ!」くらいの気持ちだったのだ。

 焦りは禁物。だって三年もあるし! それだけあれば絶対に誰か友だちになってくれるって! 平気平気ー!

 そして三年が経った後、わたしは変わらずぼっちだった。

 やばい。

 三年が過ぎるの、早すぎませんか?

 流石に焦ったわたしは、高校デビューをしようと決めた。

 高校デビュー。それはおそらく、自己紹介の時にインパクトを残すことだ。うん、たぶん、絶対そう。

 人は初対面の時に印象が左右されるらしい。

 だからわたしは完璧な自己紹介文を一ヵ月ほどかけてしたため、さらにそれを徹夜して念入りに暗記までした。

 そうして迎えた高校一日目、初めての自己紹介。

 いざ声を出そうとした瞬間、暗記した文が頭から全部吹き飛んだ。

「あっ、あっ、くっ、玖守……ゆいな……でしゅ……しゅみ、げーむ……とか、あっ、あっ……よよよろしくお願――コヒュ」

 なんとか無難に切り抜けたかったのに、コミュ障を発揮して噛み噛み。声量、ほぼゼロ。しかも最後を言い切る前に意識が遠のき、ばたんと気絶。クラスの悲鳴が遠くに聞こえた。

 あ、終わりだ、これ。

 保健室で目が覚めて、即座に悟った。

 人は初対面の時に印象が左右されるらしい。

 その日からわたしは『自己紹介で気絶するやべー奴』として距離を置かれてしまっていた。

「はぁ……」

 ため息も出る。早くも一年が経ってしまった。高校二年生である。青春とは一体なんなのか。

 最近はお母さんが学校の様子を尋ねてくるのがすごい辛い。なんでお母さんって友だちの有無を気にするんだろう。毎回「あはは……と、友だち~? う、うん! すっごい顔の良い子がいてさぁ~……!」と誤魔化し続けるのも限界が来ている。

(でも……いいんだ)

 学校でのわたしは根暗でぼっちだ。友だちもいない。成績も普通。とりえもない。

 でもネットの世界なら、ちょっとだけすごいんだぞ。



 夜になってから、自室で準備を開始した。

 目の前には事務所からもらったマイクと、ハイスペックなデスクトップPCがある。

 わたしはいわゆる『VTuber』だ。VTuberは『Virtual MeTuber』の略で、配信活動をする時、自分の分身であるキャラクターを用いる配信者たちの総称である。画面にキャラクターの2Dイラストや3Dイラストを映し、そのキャラクターとして配信をするのだ。

 そしてモニターに映るなんとも生意気そうな表情の可愛い女の子。

 何を隠そう、この子こそがネットでのわたし、【白宵(しらよい)ミア】なのだ。

 白宵ミアは吸血鬼である。長い銀髪のハーフツイン。笑うと八重歯が覗く挑発的な表情。ツンと尖った耳。公式のページにはイラストと共に、『吸血鬼のお姫様。いずれ人間界を侵略する時のために人間の文化を学んでいたところ、オタク文化に精通してしまった。吸血鬼なのでナマイキなことも言う』と設定が書かれている。

 VTuberになろうと思ったきっかけは、ゲームをしてる時にとあるVTuberと偶然マッチングして声を褒められたからだ。

 ――『すっごいかわいい声じゃん!』『え? 嘘じゃないよ! みんなもそう思うよね?』

 その人のお世辞だと思っていたけど、配信のコメント欄も同じ意見をわたしに向けてくれていた。『カワボ』『めっちゃかわいいね』『ゲームも上手くね?』

 リアルではだめだめなわたしでも、どうやらネットでは褒めてくれる人がいるらしい。

 その時の経験がもとで、VTuberになれたらいいなと思った。

 VTuberになって、こんな暗い自分自身を変えたい。

 そうして応募したところ、オーディションに受かってしまった。

 デビューしたのはだいたい半年前。

 だから今のわたしはぼっちの玖守ゆいなじゃない。

 大手VTuber事務所『ぽらりす』所属のVTuber、二期生の一人、白宵ミア。

 チャンネルの登録者数は順調に伸びて、先日十万人を超えた。

 この順調さを保つため――今日もしっかりとキャラを演じる。

 わたしはカチリと心の中のスイッチを切り替え、配信を開始した。

「みんなぁ~~! こんみあ~~!」

 普段のわたしからは考えられないくらいの甘い声で挨拶をする。するとさっそくコメントが返ってきた。

『こんみあ!』『ミア様こんみあー』『雑談枠楽しみ!』

 それを見てむふふ、とニマニマ笑みが浮かぶ。学校と違って、わたしが何か話したら、ちゃんとみんなコメントを返してくれる。

 様って呼び方はちょっとこそばゆい。けれどみんなの前のわたしは【白宵ミア】だ。ちょっと尊大で、生意気なくらいがちょうどいい。うむ、くるしゅうない。みたいな。ちょっと友だちが作りづらそうなキャラなので、わたし自身も親近感が湧く。

「今日はざつだ〜ん! シモベたちからの質問も溜まってきたから答えていこうかな! さっそく一個目!」

 シモベというのはわたしの配信を見るリスナーの呼び名だ。匿名で質問を投げれるサイトがあって、そこにシモベのみんなからの質問がよく届くので、こうして配信の中で答えている。

『ミア様こんみあです! ミア様みたいにゲームうまくなりたいって思ってます! 普段の練習ってどのくらいしてますか?』

「練習~? してるわけないじゃーん! みんながよわよわなだけだし~!」

 答えながら実は冷や汗を流してる。嘘です。めっちゃしてます。わたしは中学の頃にゲームをやりまくった影響で、だいたいのゲームは得意だ。それに加えて配信映えするように練習もしてる。ここは練習しないとグダっちゃうから少しだけ……とか。

 でもそういうのは白宵ミアとしては変だ。なのでしてないと言い張っている。

『ミア様ゲーム上手いもんなぁ』『ポンもするけどグダらないのがえらい』『実はコソ錬してるとか?』

「し、してないけどぉ~? はいはい次の質問!」

 軽い雰囲気でやり取りしながら質問に答えていく。昔、わたしがリスナー側だった時、配信者とリスナーの距離が近い雰囲気が好きだった。だからわたしもそれを心がけて配信をしている。おかげでけっこう評判もいいらしい。……現実でもこれができたらいいんですけどね。

 しかしそうして配信を続ける中で、どうしても触れないわけにはいかない質問があった。

『ミア様こんみあ。三期生がデビューしましたが、ミア様的にはどの子が気になってますか?』

「さ……三期生ね! もちろん見てるよ!」

 わたしが所属するVTuber事務所『ぽらりす』は最近三期生のデビューを発表した。後輩にあたる子たちだ。

「みんな可愛いよね~! まぁでもわたしには敵わないけど~?」

『草』『この自信よ』『可愛いけどなんか腹立つ』

 調子の良いことを言いながら、内心ではめちゃくちゃ土下座している。

 三期生のみんな、見てたらごめんね! 絡みづらい先輩に見えないかな! みんなわたしより可愛いよ! いい子だし! こんな先輩でごめんねー!

『ミア様の三期生コラボ見たいなぁ』『というかコラボまだですか!』『他メンとの絡みいつでも待ってるよ!』

 ふと、ちらっとそんなコメントが目に入る。

(こ、コラボね~……)

 白宵ミアは同期とも、先輩とも、コラボ配信をすることがない。一時期は不仲なのでは? という説も流れたほどだ。

 もちろんそんなことはない。

 単純に、わたしがコミュ障だから避けているだけだ。

 配信とかでコメントと話すのはまだ良い。文字だけのやり取りだし。

 けれど、コラボともなると当然、みんなとお話をしないといけないわけで。

 それが今のわたしにはひじょーに重たい。

 コラボもしないとな、という気持ちはある。でもやっぱりコミュ障には無理か……となって止める。そんな風にぐるぐる先送りにしていたら、気づいたら半年が経っていた。

(しないといけないのはわかってるけど……)

 そんなことを考えていると、コメントの中に一つ、見覚えのある名前が通り過ぎていった。

「ん? あれ? 今誰かいた?」

『あ』『あ』『リリシアたん』『リリシアたんもよう見とる』

「え!? リリシアちゃん!?」

 リリシアちゃんは、丁度話題に出ていた三期生の一人だ。プラチナ色の髪をした、ふわふわした天使みたいな女の子。まさか見に来てくれるなんて。

 慌ててコメントを遡ってリリシアちゃんのコメントを探す。そこに驚愕の一文が書かれていた。

【リリシア・シャーロット】『でも来週私とコラボですよね? よろしくお願いします!』

 ええええ嘘ぉ!?

『え、コラボ!?』『コラボきたぁぁ!』『ミア様ぼっち脱却!?』『これは熱い』

「ぼ、ぼっちじゃないけど!?」

 盛り上がるコメントに条件反射で叫びつつも、わたしの頭は混乱に陥っていた。

 コラボってどういうこと!?

【リリシア・シャーロット】『マネージャーさんには許可いただいているんですが……』

 き、聞いてない。マネージャーから許可……?

「へぁ、ま、待って、わたし、聞いてないんですけどぉ……?」

『なんだその声ww』『ふにゃってんな』『ボイチェンですか?』『ぼっちの気配がする声』

 コメントで何か言われているがそれどころではない。

 急いで会社至急のスマートフォンから、マネージャーの秋子さんとのチャットを開く。

 そこには三日も前の日付で、絶望の文章が書かれていた。

『リリシアちゃんからコラボの相談来たから受けといた。ちな、オフコラボね』

「オフぅ!?」

『オフだと!?』『初コラボがオフって珍しいね』『ミア様すごい声出てるww』

 オフコラボ。それは魔のコラボ。

 つまり通話とかではなく、実際に会って、一緒に喋りながら配信をするのだ。

 いやそれ無理ゲーじゃん! わたしが一番できないやつ!

「え……ええと、ごめん! 私が見逃してたみたい! こっ、こここっ、コラボがあるからシモベたちも楽しみにしててねぇ~!」

【リリシア・シャーロット】『私も楽しみです!』

『ミア様なんか声変じゃね?』『ニワトリおる?』『リリシアたん、ミア様大好きだし嬉しいだろうな』『コラボ楽しみすぎる』

 画面に映る私のアバターは笑顔だけど、実際の笑顔は引きつっている。

 や、やばい。想像だけで頭が真っ白になりそう。

 でもこうなってはコラボを断るわけにもいかない。

「――それじゃあ今日はここまで! おつみあ~!」

 その後ぎこちなくいくつかの質問に答えてから配信を終わり、急いでマネージャーの秋子さんにチャットした。

『秋子さん! コラボ! 何!』

『何? ネット検索下手くそなタイプ?』

『リリシアちゃんとのコラボ! いつの間に決まってるの!?』

『あれ? 前にリリシアちゃんとならOKって言ってなかったっけ?』

『そそそんなこと言いましたっけ』

『この前喋った時、「まぁリリシアちゃんなら……」みたいな感じだったじゃん』

『それは消去法で! 別にコラボ歓迎とかではなくて!』

『いやーでも流石にミアちゃんだけコラボ回数ゼロはなー』

『うっ』

 それを言われると痛い。秋子さんからも『コラボしなよ』とせっつかれていたけど、ずーっと言い訳しながら避けていた。わたしだけ他のメンバーと比べても群を抜いて低い。というかゼロだ。

『やんないとリスナーも違和感出てくるよ? 杞憂もしちゃうし』

『で、でもわたしにもタイミングというものが』

『コラボの話は前もしたよね?』

『し、しました』

『こっちは半年待ったんよ』

『ううっ』

 反論できない……。

『で、でもなんでオフなんですか!』

『オフの方が面白そうだから』

 なんて雑な!

『というか、素のままでも面白いんだからそのまま行きなよ』

『そんなことできないですよ! 根暗陰キャぼっちコミュ障なんて誰が見たいんですか!』

『くそおもろそうやんw』

「うああぁぁっ!」

 叫び、スマートフォンをベッドに放り投げた。

 なんだこのマネージャー! 人の心が無い!

 しかしそんなことをしたってコラボの話が無くなるわけもなく。

 こうしてわたしは初対面の後輩とコラボをすることになったのだった。

 しかも、オフで。



 ほとんど眠れず夜を明かした。

 コラボの話はまだ先だというのに、緊張しすぎて胃が重たい。

 朝起きて歯を磨こうと洗面台に行ったら、鏡に髪がぼさぼさの幽霊みたいな人が映っていた。

「おねーちゃん、徹夜明けのパパみたいな顔してるね」

 あげく朝食の席で妹にそんなことを言われる始末。

 ちゃんと寝ぐせは直して学校に来たけど、なぜか今日はクラスメイトから普段以上に距離を置かれている気がする。

 こ、こんなのでオフコラボなんてできるのかなぁ。リリシアちゃんに嫌われない?

 心で涙を流しながら、スマホでリリシアちゃんの紹介が載った公式のページを開いた。

『リリシア・シャーロット。シャーロット皇国のお姫様。外の世界を知りたいと配信活動を始めた。上品な言葉遣いで綺麗な声。世間知らずのため、たまに天然な一面を見せることも』

「めためた可愛い……」

 ぼそっと言ったら前の席の子がびくっと肩を跳ねさせた。ごめん。でもそれもこれもリリシアちゃんが可愛いのがいけないのだ。さらりとしたプラチナブロンドの髪。好奇心にきらめくサファイアの瞳。天使のようでお姫様のような、まさに可憐としか形容できない容姿。

 あんな可愛い子とわたしがコラボしてもいいのかな……。うぅ、胃が……。

 リリシアちゃんは配信中もふわふわした雰囲気で、あんまりキャラを演じている感じはしない。中の人、いわゆる魂と呼ばれる人もあんな感じなんだろう。

 そんな子がわたしを見たらどう思うんだろう。

 がっかりされたら配信休止するレベルだな……。

「ハルちゃんおはよー」

「おはよ春花、昨日の宿題やった?」

 そんなことを考えながら胃の辺りを抑えていたら、クラスの端からふと声が届いた。目を向けた先には、クラスでも明るくてキラキラしたグループがいる。顔もかわいくて、お話もうまい。友だちも多い。

「おはようございます。もちろん宿題はやってますが……見せないですよ?」

 そんなグループの中でもひときわ目を惹く女の子が、くすと微笑んでいる。

 柏木春花(かしわぎはるか)さん。

 二人も可愛いけど、柏木さんだけは別格だと思う。まず顔が小さくて綺麗だ。足も細い。というか全体的に細い。わずかにウェーブした明るい髪。透き通るように白い肌。可愛い人形みたいに容姿が整っていて、それでいて小動物的な愛嬌もある。

 勝手に耳に入る噂話を聞く限りでは、勉強も運動もできるようだ。それでいてあの人気。今は席が近いからあのグループにいるけれど、他の子とだって仲が良い。みんな柏木さんと話せると嬉しそうにしている。

 まさに完璧超人。欠点ゼロ。

 わたしなんかとは絶対に相容れない存在である。

 いうならば陰と陽。光と闇。月とすっぽん。もちろんわたしが陰で闇ですっぽんの方だ。

(なんか周りにキラキラした女の子が多いなぁ……)

 柏木さん、そしてスマホの中のリリシアちゃん。

 華やかな二人を見ていると、自分の暗さが際立つ気がして悲しくなる。だめだ。また無駄に暗くなってしまう。リリシアちゃんを眺めて癒されよう。

「――あれ、何これ……りりしあしゃーろっと?」

 そうしてニマニマ口を緩めていたら、急にそんな声が聞こえてきてびくっと肩が跳ねた。

 ななな、なんだ! わたしがリリシアちゃんを見てるのがバレたのか!

「なんか、かわいー絵だね」

「ぶいちゅーばー? ってやつ?」

 いや、違った。リリシアちゃんの名前が出たのは遠くの席。柏木さんたちのグループだ。

「あ、えと……はい。VTuberの子……みたい、ですね」

 それに柏木さんが歯切れの悪い様子で頷いていた。

 柏木さんが落とした物を他の二人が拾っていて、それにリリシアちゃんの何かが描かれているらしい。

「ハルちゃんこーいうの好きなのー?」

「えっと、それは……妹がですね」

「そうなんだ。てかぶい? なんとかって何する人なん?」

 落とした何かが返されないまま、柏木さんを除いた二人が話を進める。

「配信じゃねー? MeTuberみたいなのでゲームとかしてさ」

「じゃあこの絵は?」

「そのイラストの子が配信するんでしょー?」

「ええ?」

 どきりとわたしは胸を抑える。今の「ええ?」は、好意的な意味の声じゃなかった。理解できないものに触れた時の声。

「それってどういうこと? 絵じゃん、これ」

「だからそーいうやつじゃない? キャラがゲームとかお話してるよー、って感じ」

「へぇ……」

 不可思議なものを見るように、手に持ったものをいろんな角度から眺めている。

 そこでわたしはようやく、柏木さんが落としたものが何かわかった。

(あれって、この前の現地限定キーホルダーじゃん……)

 三期生がデビューした後、販売されたグッズは一回だけ。先日の一期生のイベント会場で販売されたものだ。会場では、デビューしたばかりの三期生を含む、ぽらりすメンバー全員のキーホルダーが発売された。

 受注販売もされているけど、今、手に持っているのは現地に行った熱心なファンだけ。

(そっか、柏木さんの妹はリリシアちゃんのファンなのか……)

 わたしが心の中で意外な発見に驚いていると、またグループの子が言った。

「でもさ……別に顔隠す必要ってなくない?」

「え、なんでー?」

「だって変じゃない? 中身がいるってみんなわかってるんでしょ?」

(……まぁ、そう思う人もいるよね)

 VTuberは万人から好かれる存在ではない。キャラクターを画面に配置し、そのキャラとして行われる配信。そういうやり方は、一部の人には理解されないこともある。

「隠さないでやればいいのに。なんかちょっと卑怯じゃない? 顔出してる人がバカっぽいじゃん」

 わたしは元々こういう人がいることも知っていたし、やってる内に慣れた。

 でも、それを聞いている柏木さんの表情が気になってしまう。

 なぜか硬い表情で顔を曇らせている。

「ってか、中身ヤバいから隠してるとか? この子も中身とか変な子だったりすんのかな」

 どうしてそんな顔をするんだろう――。

「あっ、あのぉ!」

 そう思った瞬間、わたしは立ち上がって叫んでいた。教室内の視線がわたしに突き刺さる。こういう視線は苦手だ。でもどうしても聞き流せなくて、体が勝手に動いてしまった。

 柏木さんたちに近づいて、唖然とする彼女たちに言う。

「り――」

「り?」

「りっ、リリシアちゃんは、可愛い女の子なのでぇっ! 中とか関係なくてぇ!」

 唖然としてる子の手からパシッとキーホルダーを抜き取り、目を丸くする柏木さんに手渡した。

「い、妹さんの好きな子、すっごくいい子ですよ!」

 そこで丁度チャイムが鳴った。先生が入ってきて「おーい座れー……えーと、そこ」と指をさされたので顔を赤くしながら急いで席に戻った。先生、名前忘れないでください。



 ……やらかした。

 それからというもの、クラスメイトとわたしの距離がさらに広がってしまった。『自己紹介で気絶するやべー奴』から、今度は『自己紹介で気絶するし、急に叫ぶやべー奴』にランクアップしたせいだ。

 本当に誰とも目が合わない。

 でもあそこで立ち上がったこと自体は後悔してない。言うべきことを言った。リリシアちゃんが変に言われるのは、わたしのことを言われる以上に耐えられないものがあるのだ。

 柏木さんたちのグループの様子は特に変わってない。ずっと同じくキラキラしてる。グループの子からはたまに困ったような顔で目を逸らされたりもするけど。

 けど、柏木さんだけはわたしをじーっと見てることが何度かあって、その度に私の方から顔を逸らしていた。

 な、なんでそんなに見てくるんだ。

(でも今はそれよりも――)

 そう。今日はついに来てしまった。

 オフコラボ、当日である。

 胃が重たい。

 学校が終わってから、遅れないよう急いで荷物をまとめて事務所のスタジオへ向かう。都内にあって、電車で三十分くらいの距離だ。

 電車の中、予習のつもりでリリシアちゃんの動画を見る。

 ちょうどわたし――白宵ミアについて語っているところのまとめがあった。

『ミア先輩は大好きですね。昔からファンなんです』

『もちろん配信は全部見てます! 名誉シモベリスナーですから!』

『チャンネルメンバーですよ。え! 当然ですよね?』

 リリシアちゃんは後輩とは思えないくらいにとても落ち着いていて、かわいいが溢れている。清楚系美少女という言葉がぴったりだ。そしてたいへん光栄なことにわたしの事も推してくれているらしい。

 こんなかわいい子がわたしを推してくれるなんて……ありがたすぎて泣けてくる。

 でも今日いきなり印象が真逆になる可能性はあるのだ。「ミア先輩……こんな人だったなんて、ほんと最悪。幻滅です」とか言われたらわたしは引退してしまう。

(うう、大丈夫かな)

 そんな風に胃を痛めている間に、スタジオまで到着してしまった。

 深呼吸をして、そろそろと指定の会議室のドアを開く。

「……こ、こんにちはぁ~」

「おっ、そのふにゃ声はミアだな」

「あ、会ったことあるんだから顔で判断してくださいよ!」

 すぐにテーブルでノートパソコンをいじっていた女性が視線を上げた。

 明るいブラウンのジャケットを着た、二十代後半くらいのほっそりとして背の高い女の人。なぜかいつも口には棒付きの飴を咥えている。

 マネージャーの秋子さんだ。

 リリシアちゃんがいるかもしれないと怯えていたけど、まだいないらしい。これはこれで逆に緊張する。ちなみに秋子さんは慣れたので平気だ。

「今日はいつも以上にふにゃ声だね。腹から声出してる?」

「お、お昼ご飯はいっぱい食べましたっ!」

「……あっ、そう。リリシアちゃん少し遅れるらしいから、座ったら?」

「は、は、はいっ」

「……いつも思うけど、よくそれで配信はちゃんとできるよなぁ」

 緊張でがくがくと足を震わせながら腰を下ろす。わたしの震えで椅子ががたがた鳴っていた。

 できるよなぁとか言われても困る。がんばってるから、としか言いようがない。

「りりりしあちゃんとも、がが、がんばります」

 秋子さんが「はぁ」と息を吐いて渋い顔をする。

 そしてすーっと息を吸い込んで口を開いた。

「あ~あ、先輩がカッコよくリードしてくれたらリリシアちゃんだって尊敬を深めちゃうと思うけどなぁ~?」

「……えっ?」

 それを聞いた瞬間、脳裏に存在しない記憶が閃いた。

 完璧なスケジュールで見せ場も作り、配信を大成功させるわたし。

 そんなわたしを見て、リリシアちゃんが熱のこもった声で言うのだ。

 ――ミア先輩、とっても素敵ですっ!

「……わかりました、秋子さん」

「何が?」

「この白宵ミア。オフコラボくらい余裕でさばいて見せますともぉ!」

「……ちょろ」

 なんか苦笑している秋子さんを横目に、ぐっと拳を握りしめる。そうじゃないか。わたしはぽらりす二期生、白宵ミア。誇り高き吸血鬼であり配信者。後輩からの尊敬の一つや二つくらい余裕なのだ!

「――すみません、遅れました。リリシア・シャーロットです」

 そこで部屋にノックの音と、くぐもった綺麗な声が響く。

 どきりと胸が鳴った。

「開けてあげなよ。ミア先輩」

「わっ、わかりましたっ!」

 震えはまだ残っている。けれど先輩なのだから、幻滅されるわけにはいかない。

 勢いよくわたしは会議室のドアを開けた。

「は、ははは初めましてぇ! わっ、わたしが白宵ミ…………あ……え?」

「え……?」

 そして、時間が止まった。お互いにピシッと硬直する。頭は真っ白になってうまく動かない。

 だって? え? さっきまで……一緒のクラスにい……た……。

「か、か、か……柏木……しゃん?」

「……玖守さん?」

 ど、ど、ど、どういうこと……!?

 混乱するわたし達が沈黙していると、しばらくして秋子さんが悪戯が成功したような笑い声を零し始めた。

「くくく、あー偶然だなぁー! まさか事務所のメンバーが一緒の学校にいるなんてな!」

「あ、秋子さん……!?」

「いやリリシアちゃんとミア、どうも学校が一緒らしいって社長に聞いたからさ。顔見知りじゃないかなって思ってたんだよ。合ってて良かった!」

「い、いやいやいや何言ってるんですか! 知ってたなら先に言ってくださいよ!」

「いやサプライズが面白いんだろ?」

 当たり前じゃん、みたいな顔をされる。

 な、なにしてるんだ!

 内心そんなことを叫ぶけど、出会ってしまったものはもう取り返しがつかない。

 ま、まさか柏木さんがリリシアちゃん? 言われてみれば、声の雰囲気とか似てる。でもクラスにメンバーがいるなんて思わないじゃん!

「でもまったく知らない人間よりはいいんじゃないの?」

「そ、それは! そうですけど!」

「だろ。準備もうちょっとかかるから、二人で話してな」

「う、うう……っ」

 ぽん、と背中を押されて、気持ちも全然まとまらないまま柏木さんの前に立たされる。

 今日の柏木さんは私服姿だ。ブラウスとロングスカート。それに柔らかい色のカーディガンを羽織っている。ああ、私服姿も可愛いんだな……。

 癖で斜めに視線を逸らしながら、頭の中で柏木さんとリリシアちゃんを重ね合わせる。

 うん。納得だ。

 リリシアちゃんの中の人は可愛い天使みたいな女の子だろうと思っていた。目の前の柏木さんはまさにそんな子。解釈一致。この前のことも頷ける。リリシアちゃん本人ならキーホルダーを持っているのも当然だ。妹だと言ったのは、身バレを防ぐためだろうし。

「ミア先輩が玖守さん……? 玖守さんがミア先輩……?」

「ええとそのぉ……」

 柏木さんが目を丸くしてわたしを見つめていて、慌てて視線を逸らす。

 目線からどうしても逃げてしまう。柏木さんはリリシアちゃんと同じく天使で、可愛い。クラスでも人気者だ。けど、わたしはどうか。中の人がこんな人間で、がっかりさせてしまってはいないか?

 頭がぐるぐるしてくる。視界もなんかぼやけてきた。

 な、何を言えば? わたし、どうすれば?

 ど、どどど、どうしよう――。

「ご……ごめんなさいっ!」

 極度の混乱の状態異常で、わたしから咄嗟に出てきたのは謝罪であった。

 しばらくの沈黙の後、頭の上からぽつりと声が降ってくる。

「あの……どうして謝るんですか?」

 うっ、ピュアな疑問。

「ええと、中身がこんなのでごめんなさいという……」

「ええ! そんなことないです! 顔を上げてください!」

 そっと頭を上げたら、すぐ近くで柏木さんが何かを掲げていた。

「これ。なんだかわかりますか?」

 ん? と眉をひそめてそれを見つめる。これ……サイン色紙?

「色紙? なんで……」

 そう言って色紙から視線をあげる。

 するとなぜか頬を染めてわたしを見つめる柏木さんがいた。

「私……ミア先輩のファンなんです……!」

「え……? あ、はい。お噂は、かねがね……」

「初配信からずっと拝見しておりまして!」

「は、はぁ」

「ちょっと生意気なところだけどぽんこつなところが私のツボで!」

「な、なるほど」

 言いながらだんだん近づいてきて顔を引いた。

 あ、圧がすごい!

「今もすっっっっごいどきどきしてるんですよ! ああまさか同じクラスだったなんて……あれじゃあこれからも毎日会え……えっすごいほんと心臓やば――あのっサインください!」

「うわ急に来た!」

 しゅっと脈絡なくサイン色紙が差し出された。ご丁寧にペンも添えてある。あ……じゃあ一応……書きますかね……。しゃしゃっとサインを書いていく。今までグッズなんかにサインを書いたことはあるけど、対面でサインするのは初だ。まさか柏木さんが初めての人になるとは。

 柏木さんは胸元で拳を震わせながらわたしのサインを眺めている。

「すご……ミア先輩のサインなんて……家宝にしなきゃ……」

 その様子を見て、おそるおそる声をかけた。

「あの、柏木さん」

「はい! なんでしょう!」

「がっかり……しません、か?」

「がっかり?」

 きょとんと首を傾けられる。

「中の人が……わたしみたいな陰キャで」

「全っ然です!」

 首を振って、がしっとサイン色紙ごとわたしの手を握ってきた。うわ! こ、これが伝説の陽キャのボディタッチというやつか!? 実に数年ぶりな同年代の人間との肌の接触。頭がくらっとする!

「私、嬉しいんです!」

「へぁ、その」

「大好きなミア先輩がこんな近くにいたなんて知ってたら……! ああもっと早く声もかけてたらよかった! 全然気づかず二年生になってしまいました! で、でもあれ? い、今一緒のクラスじゃないですか! 過去を嘆くよりそちらを喜ぶのが健全なのでは!?」

「か、柏木さん。その。近っ」

 あまりの美少女っぷりに顔をのけぞらせるわたしに、柏木さんはさらに目を輝かせて言った。

「私、ミア先輩が――玖守さんが大好きなんです! よかったら、お友だちから始めませんか!」

「へ……っ!?」

 突然の告白。慣れない触れ合い。ぐい、と詰めてくる柏木さんのめちゃくちゃ整った顔。

 そして、何よりも求めていた、お友達のお誘い。

「あ、ぁ……ぇ……と」

「あれ、玖守さん? なんだか顔が真っ赤に……」

 嬉しいけど、嬉しすぎて完全にキャパシティがオーバーした。

「ご、ごめんなさぁぁい!」

 そのまま耐えきれずに、わたしは手を振り払って部屋から脱兎のごとく駆け出した。

「あっ!? おい待てミア! 逃げるなぁ!」

 ……そしてすぐに秋子さんに捕まって連れ戻された。



「ま、仲が良くて何よりだよ」

 猫みたいに脇を持ち上げられて、柏木さんの前にまた立たされる。たぶんだけど、仲良しは突然相手から逃げたりはしないです、秋子さん。

 柏木さんは慌てて謝ってくれた。

「す、すみません玖守さん。嬉しくなって色々とご迷惑を」

「い、いえ……」

「嫌な気持ちにさせてしまいましたね……」

「そ、そんなこと!」

 柏木さんは悪くない。全部わたしが根暗陰キャぼっちなのが悪いのだ。

 それに――。

「べ、別に嫌というわけでは……」

「……本当ですか?」

「あー、二人とも、そろそろ準備できるからそっちも準備しときな。あと呼び方は気を付けて」

 苦笑しながら秋子さんが言う。そ、そうだ。今は配信前だった。

 呼び名は大事だ。配信中に間違えたりしたら目も当てられない。

「はい。では……ミア先輩! 今日はよろしくお願いしますね!」

 柏木さんは即座に対応して、キラキラな微笑みを向けてくる。知り合いに先輩と呼ばれるのはちょっと変な感じだ。同級生だし。背筋がむずむずする。

 それから柏木さん――リリシアちゃんはじーっとわたしを見つめていた。

 え、えと、わたしも呼べば……?

「り、リリシアちゃん……」

「はいっ!」

 正解です! という感じで笑顔が花開いた。あってた。よかった。

 柏木さんにリリシアちゃんと呼ぶのはすごく不思議な感じだ。どうしてもちょっと恥ずかしさが出てしまう。

 そんなわたしにそっと近づいてきて耳打ちをしてくる。

「嫌では、ないんですよね?」

「へ?」

「お友だち、です」

 おともだち、という言葉が頭の中でゆっくりと組みあがった瞬間、わたしは弾かれるようにぶんぶんと頷いた。い、嫌なわけがないというかそんなの身に余るというか。

「では、がんばって攻略することにします」

「こ、攻略……? 何を……」

 柏木さんが、すっと指を立てた。その先には、わたしのおでこがある。

「ミア先輩を」

「え!? わ、わた……わたし?」

「あ、呼ばれてますよ」

「ん!? ……うぅっ!」

 思いっきり振り向いたら首の可動域を越えた。

 首を抑えるわたしを、後ろにいた秋子さんが呆れた顔で見降ろしている。

「……何してんだミア」

「く、首を回してしまい」

「おいおい……配信は平気か? 嘘は吐くなよ」

「それは大丈夫です……」

「ならよし。あ、そうだリリシアちゃん、配信中は今みたいにぐいぐい行っていいからね」

「ちょちょ、ちょっと」

 何を考えたのか秋子さんがとんでもないことを言い出した。

「わかりました! こういうことですよね!」

 そして何を考えたのか柏木さんがわたしにハグをしてくる。

 あわわわわわ。

「満点。見えなくても雰囲気は伝わるからね」

 秋子さんが指で丸を作る。満点じゃないですけど!? そんなことしたらいつものキャラが保てなくなるじゃん!

「よーし二人とも、配信に入るぞ? 準備はいいか?」

「はい! 大丈夫です!」

「え!? はっ、はい!?」

 ハグで完全に脳みそが溶けている間に、いつの間にか配信の準備が整ってしまっている。もうやるしかない。なんとかいつものようにスイッチを切り替えるのだ。わたしは白宵ミア……ぽらりす二期生……生意気でかわいい……。うう、無理そう!

「スタートだ!」

 そうして、配信が始まった。


【初オフコラボ!】ミア先輩が来てくれました!【白宵ミア/リリシア・シャーロット/ぽらりす】


「みなさん、こんばんはー! 今日はミア先輩とオフですよー!」

「こっ……こんみあぁ~!」

『うおおおおおお!』『オフコラボ来たああああ!』『こんみあああああ』『ミア様声ふにゃふにゃやんww』『ミア様ww』

 画面にわたし、白宵ミアとリリシアちゃんが映る。コメントの流れはすごく早い。なんで今日に限ってこんな人いるんだよぉ……! ああオフコラボだからかぁ……!

 今日の配信アカウントはリリシアちゃんのものだ。でもかなり私のチャンネルの視聴者らしき人が多い。それだけ注目されてしまっているようだ。き、来てくれてありがとう! でもほんとは他の日に来てくれた方が良かったかな!

「今日はスタジオをお借りしてるので、なんと隣にミア先輩がいますよ! もうほんと可愛いすぎる……! 可愛すぎるので抱き着きますね。えい」

「ひゃ! ちょ、ちょっと、リリシアちゃん! 急に抱き着くのはぁ……!」

『声よわww』『あ~てぇてぇ』『自分、なんか目覚めそうです』『もうこの時点で神』

 コメント欄が爆速で流れだした。そんなに需要あるのかこれ!

「リリシアちゃん! あの、配信、進めないと!」

「わ、ごめんなさい。ミア先輩といて嬉しくなっちゃってつい……」

「う、嬉し……!? ……う、うん。そっ、か。まぁ、それなら仕方ない……かなぁ?」

『ミア様がちょろすぎる』『二人の空気醸し出してんよ~』『てぇてぇ……(´;ω;`)』『空気がうますぎる』『俺のパソコンからマイナスイオン出てきた』『\10000』

 すごい盛り上がりだ。いやでも盛り上がってるのはいいけど、わたしのキャラが壊れかけてるのがまずい! このままではリリシアちゃんにペースを持っていかれてしまいそうだ。

 ぶんぶんと首を振って、むん、と気合を入れた。先輩の威厳を見せないと!

「まずはみなさんに聞いていた質問から答えていきますねー!」

 リリシアちゃんが進行してくれる。デビューはまだ最近なのにすごく慣れていてスムーズだ。今日の流れは質問返し、そしてゲームである。質問は事前にピックアップしているので、答えもちゃんと考えている。

「一つ目の質問はこちら!」

『ミア様リリシアたんオフコラボ感謝です! 初めてのコラボ(しかもオフ!)ということで、お二人の第一印象を教えてください!』

「定番の第一印象ですね。ミア先輩、どうでしたか?」

 わたしたちが元々知り合いだということは明かしていない。だからここでの第一印象は、VTuberとしてのリリシアちゃんを初めて見た時の印象を答える。

「え……っと初めてリリシアちゃんを見たのは初配信の時かなー? すっごく声が良くてかわいい子だと思ってたよー? もちろんわたしが一番だけどね! 一緒に遊びたいなって思ってたし今日は遊べて嬉しい! まっ、今日のゲームもわたしがキャリーしちゃうけどねー!」

『ミア様節来た』『急に滑らかに喋るやん』『台本用意した?』『いつものミア様っぽい』『事前に練習したんやろなぁ……』

「れ、練習? し、してないけどぉ……?」

『もう声ふにゃふにゃしてて草』『お か え り』『いつものミア様も好きだけどこういうミア様も好き』『ミア様って裏ではこんな感じなん?』

 ……ば、バレてるんですけど?

 まずい……わたしのキャラが剥がれていく……。

「ミア先輩……可愛すぎる……」

 リリシアちゃんはとろんとした目でこっちを見つめていた。

 こっちはこっちで大丈夫かと見ていたら気づいたようで、リリシアちゃんもこほんと咳払いをする。

「私はミア先輩の初配信を偶然見た瞬間にはもう一目惚れでした。生意気なキャラとか声とかビジュアルとかゲームうまいのも全部すごいツボなので絶対にミア先輩ルートを攻略したいと思います! ぽらりす運営さん! ミア先輩のギャルゲー作成お願いします!」

『攻略宣言で草』『ミア様ルート!?』『リリシアたんマジでミア様ガチ勢なんや』『ミア様の全アーカイブ見てるぞ』『でミア様は?』『なんか固まってるけど』

「え? へぁ……その、あ、ありがとうございます」

『へぁw』『ガチ照れしてたのかww』『素直なお礼で草』『デレデレやんww』『もう攻略されてませんか?』『しおらしいミア様……/\2000』

 うるさい仕方ないだろ! 褒められたら恥ずかしくなっちゃうんだよ!

「では次の質問です!」

『リリシアたんミア様こんみあばんは~! 二人のコラボが楽しみすぎて夜しか寝られません! お二人は最近ハマってる趣味とかありますか?』

「健康に寝てる方からのご質問ですね。趣味ですかー。私はお洋服とか見るのが好きですね。プリンセスなのであんまり私服で出かける機会はないんですけど」

『ちゃんとかわいい』『プリンセスアピ』『こんな高貴な人と喋っていいんか?』『めっちゃ良い匂いしそう』『普通にお洒落そう。声がもうお洒落』

 よ、洋服。なるほど。リスナーの言う通りたしかに可愛い。もしかしてわたしもそういう趣味を用意するべきだったのでは? 全然考えてなかった!

「ちなみにミア先輩は?」

 ……え、ええと。

「げ、ゲームです……」

『いつもの』『知ってた』『ミア様の雑談、ゲームの話多いよな』『てかそれしかない』

「いやゲームの話ばっかじゃないよ! 色々喋ってるって! ZGGとかマジックアンドダンジョンズとか、まったりする系もルナファクとかRPGだとオケモンとかさ!」

『それ全部ゲームって言います』『いいチョイスじゃん』『俺も好きだぜ』『ZGG流行ってるよなぁ』『それ全部一人でできるゲームなんですが』『ソロプレイ定期』『ミア様、誰かとゲームやってる話聞いたことないな』『ミア様、友だちいないの?』

 友だちいないの?

 コメント欄はすごいスピードで流れていくのに、そのコメントだけはしっかり目に留まってわたしの胸に突き刺さった。

「………………うっ」

「え、ミア先輩!? 大丈夫ですか!」

『あ』『あ』『ww』『息を引き取る音が聞こえる』『泣いた』『ミア様……w/\10000』

 ばたりと机に倒れ、コメントに刺された胸を抑える。

 と、友だちいないよ! 悪いかぁ!



 これ以上やると墓穴を掘り過ぎて黒歴史ノートが埋まりそうだったので、質問は切り上げて二人でゲームを始めた。さっきもちょっと話した『マジックアンドダンジョンズ』というゲームである。

 ランダムで生成されるダンジョンを進みながら装備を整え、最奥にいるボスを倒すやつ。いわゆるローグライクなアクションゲームで、ソロでもできるけど、二人以上のマルチプレイも人気だ。

 けっこう人気なタイトルなので、わたしも配信をする前から大好きでやり込んでいる。

 いうなれば、そう。ベテランというやつだ。

 リリシアちゃんからこのゲームをやりたいと聞いた時は、意外なチョイスにびっくりしたものだ。スピード感あるバトルの絵面は、ちょっと印象と違う。

 でもこれはわたしが非常に得意なゲームだ。リリシアちゃんを完璧にサポートできるはず。そしてリリシアちゃんからもリスナーからも褒められ、完璧なすーぱーつよつよかわいいミア先輩としてカッコよく決める。

 そんな妄想をしていたけど――。

「ミア先輩、危ないです!」

 リリシアちゃんの操作するデフォルメされた魔法使いのキャラが呪文を唱え、わたしのキャラの背後にいた敵を氷の弾丸で打ち抜いた。

「あ、ありがとう……」

「はい!」

 ……リリシアちゃん、上手い。あんまりアクションゲームのイメージは無かったけど、意外な才能だ。

『リリシアたん、けっこう上手くね?』『ミア先輩とやりたいって練習してたからなぁ』

 そういえば最近の配信で時折やっているのを見た。そんなに練習してくれてたんだ……。

『ミア様、空気?』『ミア様は飛び回って何してるの?』

 う、うるせえ!

 わたしが操作するのは、黒い布を全身に纏った、デフォルメされた忍者のキャラだ。身軽な近接攻撃タイプだから、広範囲の攻撃が得意じゃない。でも代わりに敵の注意を引き付けて、遠距離タイプのリリシアちゃんの攻撃が当てやすいよう誘導している。決して空気じゃない。攻撃よりも移動や守りの時間が多いから、ちょっと地味なだけ。

『いや、ミア様めっちゃ上手いけどね』『立ち回りエグイ』『ステップ上手すぎでしょ』

 気づいていそうなコメントもちょっとある。けれど大体の人は気づいていない。

 ……いいもん! 今日はラスボス倒してクリアするのが目標なんだから!

 ダンジョンは一層、二層と続いていき、進む度に攻略の難易度が上がっていく。十層が一つの到達点で、そこにいるのがラスボスだ。

 今日の目標は、そいつを倒すこと。わたしが目立つことではない。

「つ、次がラスボスの部屋ですか……!」

 段々と攻略も進んで、ついに十層。ラスボス部屋の前まで来た。リリシアちゃんの声は震えている。でも平気だ、なぜならわたしがいるので!

「うんうん! まぁわたしがいれば平気でしょ~!」

『次ラスボス!?』『おおおお頑張れー!』『次はキツイぞーww』

 最後の部屋に二人で踏み入る。

 静かで暗く、広い空間。その奥にうずくまる巨大な物影がいた。それは騎士の鎧を被った赤鬼だ。わたしたちに反応して、ゆっくりと体を起こす。両手には巨大な武器を持っている。右手に金棒、左手に両刃の剣。

 眼が開く。鋭く赤い眼光がわたしたちを捉え――咆哮した。

 ナイトオーガ。高耐久、高火力、かつ、素早い。

 何人ものプレイヤーのHPを削り切ってきて泣かせてきた、高難易度ボスだ。

「リリシアちゃん行くよ! 作戦通りで!」

「わ、わかりました!」

 作戦はシンプル。今まで通り、わたしが敵の攻撃を引き付ける。そしてリリシアちゃんが魔法で攻撃する。セオリー通りの攻略だ。

 本来、囮は数人必要だけど。わたしなら!

『ゴァァァァ……!』

 ナイトオーガが金棒を振り回し、剣を叩きつけてくる。それを忍者キャラ特有の素早い身のこなしで一つ一つ避けていく。

 二つの巨大な武器から繰り出される攻撃は重たく、普通の防御キャラでは一人で受けきれない。だからわたしは回避ができる忍者キャラを選んだのだ。当たらなければどうということはないと昔からネットでは言われている。

「魔法、撃ちます!」

「おっけー!」

『リリシアたんナイス!』『ミア様ずっと攻撃避けてるのすごくね?』『二人とも上手い!』

 わたしが引き付けている間に、リリシアちゃんが詠唱に時間のかかる高火力魔法を完成させてくれる。撃ち込むたび、ナイトオーガのHPは大きく削れていった。

 緊迫感の中、着実に、作戦通りに進んでいく。

 よし、これならいけそう――そう思った矢先。

「――あっ!」

「リリシアちゃん!?」

 突如繰り出してきた、両手の武器を地面に叩きつける広範囲の連続攻撃。緊張していたリリシアちゃんは回避が遅れ、もろにダメージを食らってしまった。リリシアちゃんの使う魔法使いキャラは、火力が高い代わりに耐久は高くない。ゼロになったHPバーが割れて、そのままステージから消えてしまう。

『うあああああ』『リリシアたーーーん!?』『一撃がヤバすぎる』『これじゃダメージ出せねえええ!』

 隣でリリシアちゃんが焦った様子で謝ってくる。

「ご、ごめんなさい! 指が……緊張してっ!」

 ……厳しい状況になった。

 攻撃役のリリシアちゃんはもういない。残されたのは回避できるだけのわたし一人。ナイトオーガの残HPは三割くらいだけど、わたしの火力は正直低い。それに、今までは回避を主に専念していたけど、攻撃も入れるとなると、その難易度は跳ね上がってしまう。しかもまだ、HPの二割以下で出る第二形態も見ていない。

 絶体絶命というやつだろう。リリシアちゃんは涙声になっていた。

「ミア先輩、諦めても大丈夫ですから……! また今度、再挑戦すれば……」

「……ううん、待って!」

 画面ではナイトオーガが相変わらず狂ったように武器を振り回してわたしを攻撃してくる。何をぶんぶん振り回してるんだ。小さいわたし一匹倒せないくせに……リリシアちゃんを泣かせるな!

「わたし、勝つよ!」

 一歩引いて回避に専念していたキャラを、前に進める。ナイトオーガの行動パターンが変わって、武器攻撃だけじゃなく、足の踏みつけや突進など、複雑性を増してくる。

 でも、全部避ける。

 攻撃の隙に、わたしは短剣で少しずつナイトオーガを削っていく。避ける。短剣を刺す。避けて、避けて、避けながら、切りつける。それを繰り返す。かつてないくらいに集中して、ただ一心にHPゲージに傷をつけていく!

『ミア様なんで死なんの!?』『こいつってそんな避けれんの?』『←いや、普通はムリww』『全部避けてる?』『第二形態は流石に……!?』

「ミア先輩……!」

『グ――ガ――ゴァァァァァッ!』

 二割を削ったところで、ナイトオーガの肩からさらに二本の腕が生えてくる。傍らの武器を拾い、当然のように巨大な武器を携えた。モーニングスター。バトルアックス。体からは蒸気のように赤いオーラが迸る。さらに手数を増した第二形態。

 当たったら死にそう。いや、絶対死ぬ。

「でも大丈夫……当たらないからっ!」

 攻撃の範囲を見切って、ナイトオーガの猛攻を避け続けていく。紙一重の距離感だ。モーニングスターが当たり判定のすれすれを掠め、バトルアックスが風を切って迫る。すべてを避け、切り、避けて、切りつける。

 息が浅くなっていく。緊張で心臓が鳴っている。

 もうナイトオーガのHPゲージは肉眼では見えないほど細い。

 あと、一撃だ……っ!

「これで――!」

 振り下ろされる四種の武器。最後の攻撃。

「終わりだぁぁぁ!」

 それらが落ちるより速く、わたしは飛び上がって短剣をナイトオーガの額に突き刺した。

『……グ!? ガッ!? グォォォ……ッ!?』

 ナイトオーガのHPバーがぱりんと割れる。

 断末魔の叫びをあげながら、ナイトオーガが光の粒に変わって空に溶けていった。

「や……やったぁぁ!」

「み、ミアせんぱぁぁい!」

「ひゃぁぁ!」

 グッと拳を握って叫んだら横から思い切りリリシアちゃんに飛びつかれた。

「すすす、スゴすぎますっ! 見たことない動きでした!」

「そそそっ、そうかなぁー!?」

 昂った様子でぐいっと顔を近づけられ、思わず照れてしまう。コメントの流れもとんでもないことになっていた。

『うおおおおおお!』『SUGEEEEE!』『上手すぎだろ!』『クリアおめでとおおお!/\10000』

 さ……さっきまで空気とか言ってた人がみんな褒めてくれてる……!

 うわこれ……き、気持ちいいいー!

「ありがとー! まぁわたしにはー? これくらいー? 余裕でしたけどぉー!?」

『www』『嘘つけぇ!ww』『でもマジでうまかった!』『今日はイキっても許す/\10000』

 続々とお祝いコメントが流れてくる。全部わたしを褒めるものばかりだ。

 ああ完璧すぎる……! 今日のわたし、最高に輝いてる……! どう見ても超カッコいい先輩だ。ニマニマが浮かぶのを止められない。リリシアちゃん、今日のわたしはどうですか!?

「ミア先輩、最っ高にカッコよかったです!」

「ふへへへ……!」

 求めていたセリフを貰えて頬が緩む。

 ああ、これを聞くために今日は頑張ったんだ……!

 リリシアちゃんが尊敬のこもったキラキラした瞳で言った。

「さっきのボス、コラボのために練習してきてくれてたんですよね!」

「えへぇ…………へっ? れ、練習?」

 ……あれ? 思ってたのと違うぞ?

「れっ……練習なんてしてないけどぉ……?」

 視線をうろうろさせながら小声で言うけど、リリシアちゃんは「いえいえ!」と首を振った。

「私はちゃーんと気づいてますよ! デビューしてすぐの頃、ナイトオーガのソロチャレンジしてましたよね! あの時は失敗してたプレイが今は完璧になってて……ああミア先輩、今日のために練習してきてくれたんだって。私……感動しました!」

 ば、バレてるぅ!

 いざ今日みたいな状況になった時にソロで倒したらカッコいいと思って、配信外で一人でやり込んでいたのだ。実際その通りになって、わたしは完全に有頂天だった。まさかバレるなんて! リリシアちゃん、わたしに詳しすぎるでしょ!

『やっぱり練習してるじゃないか!』『そのアーカイブ非公開のやつじゃね?ww』『リリシアたん非公開のやつも見てて草』『配信外でも努力してるんやなぁ』

「ま、待って! もう時間近いから! 終わろうリリシアちゃん!」

「はっ、そうでした! みなさん、今日は楽しんでもらえましたでしょうか!」

『ミア様逃げた!』『楽しかったああああ!』『限界リリシアたんも見れて嬉しかった』『またコラボお願いします!』『ミア様はもっとバンバンコラボしてくれ!』

「そうですね! ミア先輩のコラボ、もっと見たいです!」

 ま、またコラボ!?

 今日すごい頑張ったんですけど……!? 今回だけでもう十年くらいのコミュニケーションはしたのに!

 しばらくはまったりソロ配信をしたい。ゆるーいゲームをしてのんびり雑談とか。なんならちょっとおやすみを貰ってもいいくらいだ。そのくらい許されると思う。それくらいの濃いコラボだった。

 なんて思っていたのに――。

【夜兎(やと)リッカ】『ミアちゃんはいい子だねえ……クソゲーとか興味ある?』

【犬飼(いぬかい)サキ】『一緒に飲まない? おじさんが奢ってあげるよ! ぐへへ』

【ルルーシャ・リルル】『ルルとも遊ぼう! ゲーム教えろ!』

【瀬名(せな)ロクコ】『ゲームゲームゲームゲームゲーム』

【水上(みなかみ)イヅキ】『みんなミアちゃんがコラボ解禁したからって一気に来たなぁ! お酒はダメだぞ! ちなみにミアちゃん、私とも遊んでね?』

 な、なんかいっぱい来たぁ!

『めちゃめちゃいるやん!』『ミア様、先輩同期後輩おるぞww』『今までコラボ無かったからなぁ』『ゲーム上手いし大会とかも見たい!』『オフも頼むぞ!』

 突然現れたライバーにコメントは大盛り上がり。

「こ、これからミア先輩のコラボがこんなに見れるなんて! 夢のようです!」

 リリシアちゃんはなぜか感動して手を合わせている。

(え……これ、コラボする流れ?)

 秋子さんの方に目を向ければ、無言で親指を立てられた。

「……ええええ!?」

 もう、どこを見ても逃げ場がない!

「うわああ! も、もう配信終わりにしてぇ!」

「はい先輩! みなさん、今日はお疲れ様でしたー! コラボお楽しみにー!」

 ――そうして大盛況で終わったオフコラボ配信。

 この日から、わたしは色んな人と絡んでいくことになってしまうのだった。

 わ、わたしのおやすみは一体どこにいったんだぁー!?



 第二章



(知ってる天井だ……)

 気づいたら自室のベッドに寝転がっていた。

 外は暗い。夜だ。あれ、さっきまでオフコラボでスタジオにいたはずでは?

「おかーさーん……」

 定まらない記憶を追いかけ、のそのそリビングに出てお母さんに聞いてみる。母曰く、いつものマネージャーさんと芸能人みたいな美少女がわたしを運んできてくれたらしい。

 絶対、秋子さんと柏木さんだ。秋子さんはわかるけど、芸能人みたいな美少女と言われて他に思いつく人がいない。母には「人様にご迷惑かけちゃだめよ?」とも言われてしまった。おっしゃる通りです。

『起きたら生存報告だけくれよー』

『ミア先輩、起きたら連絡ください!』

 自室に戻ってスマホを見ると、二人からは連絡が入っていた。申し訳ない。いきなりぶっ倒れたらびっくりだよね。書いては消し、書いては消してから、『元気ですありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません』とだけ返信した。

 ふぅぅ……と長い息を吐き、ベッドの上に置いたクッションに倒れ込む。そしてカッと目を見開いた。

(いやコラボやばいな!)

 やってる最中はアドレナリンどっばどっばでなんとかなった(?)けど、この先おんなじことは絶対に無理だ。

「やっぱりコラボなんて……」

 やんない方がいい……と言いそうになったけど、純度満点の柏木さんの笑顔が浮かんでしまう。まあ、あんなに喜んでくれたのは、なんというか……嬉しかったけど!

「……年に一回くらいでいいかな!」

 何事にもペースというものがある。

 最後の方はまたコラボしそうな雰囲気だったけど、別にスケジュールが決まったわけではないのだ。

 日々、まったりソロで行こう。長い人生、急がず焦らずでよいではないか。コラボはたまーに、気が向けば、ごくまれに、ほんと、時折、暇で暇で仕方なーい……時に、まあやってもいいですけどね? くらいの感じでしよう。

 そうと決まれば秋子さんにも宣言だ……とスマホを取った所で、秋子さんからちょうど返信が来ていることに気付いた。

『元気で良かった。ところで、トレンド入りおめでとう』

『?』

 えっなんの話?

『今日のオフコラボだよ。盛り上がったから』

 何もわからない。

 でもトレンドと言えばSNSだ。

 普段たまに使うSNSアプリのアイコンを見て、わたしはぴしりと凍り付いた。

「……え?」

 なぜか通知アイコンがすごい数になっている。

 今日のオフコラボのための宣伝に、いつもの数倍のリプライがついている。

 そしてトレンドには『白宵ミア』の文字が。

 なになになになに?

『トレンド一位、おめでとおおおおおお!』

「――えええええ!?」

 トレンドになってるわたしの名前を慌ててクリックする。すると一番上に短い動画のついた記事があがっていた。

『【悲報】イキリ散らかしていた生意気系VTuber、陰キャぼっちだと判明してしまう』

「待ってええええ!?」

 待って待って何あげちゃってくれてるの!?

 短い動画はわたしがリリシアちゃんに抱き着かれてふにゃふにゃになってるところとか、友だちがいないと言われて倒れるところとかが簡単に編集されたものだった。わたしが「へぁ」とか「ふぇ」とか変な声を出してるところはご丁寧に字幕がつけられている。

『普段あれだけイキってるのにww』『これはリリシアたんがナイスすぎる』『友だちいるとか言ってなかったっけ?』『わからせられそうな顔してる』

 コメントにたらーっと冷や汗が流れる。

 嫌な予感がして動画サイトを見てみると、やっぱり切り抜きが上がっていた。

 しかもあげられたばかりなのに視聴数がすごい。

 まとめサイトにもしっかりまとめられている。

 コメントはだいたい『ww』がついてる。

「ち、違うってぇ! …………あ! これまずい!」

 がば、と起き上がる。

 わたしはいつも白宵ミアとして、生意気なキャラのロールプレイをしている。

 でも今日は素のぼっちで陰キャなわたしを晒してしまった。

 こんなのでは元々ファンだったシモベたちをがっかりさせてしまう!

「み、みんなに違うって言わなきゃ!」

 がばりと起き上がってパソコンを起動した。

 急いでSNSでちゃちゃちゃっと軽く告知して、配信開始。


【騙されないで!】ごかいをときたい【白宵ミア/ぽらりす】


「こ、こんみああぁぁぁ~~!」

『こんみあー』『ぼっちさんこんみあー』『トレンドおめ!』『誤解ってなんですか?』

 突発的な配信なのに、ぐんぐん同時接続数が伸びている。

 いつもの倍くらいは行きそうだ。これがトレンド効果か!? 何も嬉しくないが!?

「ええとおめでとうじゃなくてぇー! それちょっと違うって話をしたくてぇー!」

『あれ? さっきと声違くないですか?』『普段とギャップあって良かったわ』『コラボしたらああなるの?』『変な声でトレンドを駆けあがる女』

「そうじゃなくてー! わたし、ぼっちじゃないって話をしたくてー!」

『?』『?』『今更ww』『それは無理では?ww』

 コメントがクエスチョンで埋まる。

 いやいやいや!

「無理じゃないでしょ!」

『いや無理ですねえ』『焦ってて草』『トレンド乗ったし』『切り抜き急上昇ランキング入りそうだぞ』

「とっ、とれんどぉ……? らんきんぐぅ……?」

『知らない国の言葉みたいに言うじゃん』『トレンド(trend):SNSの利用者の間で話題になっている事柄』『辞書ニキ助かる』『ミア様の国には無いんですか?』

「うぐぐぐぐ」

 コメントが好き勝手言ってくる。こっちの気も知らないでよぉ!

『もうぼっち系吸血鬼になれよ、白宵』『ぼっちなミア様もおもろいからこれで行こう』

「えええ……?」

 しかし、なんだか思ったよりもわたしの素が受け入れられていて戸惑ってしまう。

 な、なんでみんな平気なんだ。リアルのわたしなんて面白味の欠片もないだろうが!

「だめだぁー! わたしは生意気かわいいつよつよ吸血鬼なんだぁー!」

『叫んでるww』『www』『つよつよ(笑)』『自分でかわいい言ってて草』

 だ、誰も信じてくれない! いやキャラ作ってたのは合ってるんだけどさ!

 コメントはさっきからずっと爆速だ。もうどうすればいいかわかんないよ!

「だ、誰か助けてえ!」

【瀬名ロクコ】『呼んだ?』

「え!?」

 そこに突如としてポップする、眠たげな瞳で猫耳ヘッドホンを被った紫髪の女の子のアイコン。

『お』『ロクコちゃん来た!』『ロクコちゃん!』『ロクコさん! ロクコさんじゃないですか!』『ロクコちゃんがゲームをしてない……!?』

 ぽらりすの一期生、先輩である瀬名ロクコちゃんが現れた。ロクコちゃんと言えばゲーム。ゲームと言えばロクコちゃん。無口無表情でダウナーな、ゲームしてるイメージしかない先輩だ。絡んだことは無いから、実はあまり詳しくないけど。

 そういえばオフコラボの時も最後にいた気がする。まさか、そのまま見てくれてしまっていたのか……!?

【瀬名ロクコ】『ミアはぼっちだと思われたくないんだ』

「お、仰る通りです! わたし! のっと! ぼっち!」

【瀬名ロクコ】『じゃあ一緒に遊ぼ』

「えっ」

 ロクコちゃんの短いコメント。それをきっかけにコメントの流れがまた加速してしまう。

『あ』『あっ』『www』『コラボだああああ』 『お誘いがうまい』『目を付けられた』

【瀬名ロクコ】『あとで連絡するね』

 えっ、えっ。あの、わたしぼっちだとは思われたくないけどこんな短期間でコラボするのはけっこう重たいというか大変かなというか……。

 なんてことを思いつつも、この流れで断れるはずもない。

「あ……は……はい……たのしみにしてましゅ……」

『うおおおおおおおお』『脱ぼっち』『これは十時間コース』『ロクコちゃんについていけるんか……?』『ゲーム好きだし相性良さそう』『ミア様いけええええ』

 爆速のコメント欄を見ながら呆然とする。

 ぼっちじゃないって言いたかっただけの配信なのに、なぜかコラボが決まってしまった。

 どっ……どうしてこうなるんだぁ!



 今日も胃を抑えながら目を覚ます。今日のログインボーナスですよーと「胃腸デバフ」にスタンプが押されてる幻が見えた。

 昨日、またコラボが決まってしまったせいだ。この短期間に何度もコラボは胃の負荷がすごい。胃薬とか、どこかで買っていこうかな……。

 お腹をさすさすしながらリビングへ向かい、妹と一緒にご飯を食べる。

「おねーちゃんまたひどい顔してるね」

「あはい……そうですよね……」

「でもこの前よりはましかも?」

「……まし?」

「うん、この前は徹夜明けのお父さんみたいだったけど……今日は二時間は寝てそう」

 そう言って妹は食パンにかぶりついた。二時間てそれ、平気か?

 でもこの前よりはまし。本当かな。まぁたしかに、次は初めてのオフコラボを経たうえでのコラボだ。多少なりともレベルアップしてるのかもしれない。わたしもちょっとは成長しているのか、どうか。

 自覚のない成長に思いを馳せているとぴんぽーんとチャイムが鳴った。「はーい」と妹が玄関に向かっていく。妹は中学の制服も着終えて準備ばっちり。しっかりした妹なのだ。いつもわたしよりきちんとしてて落ち着いている……とか思ったらすぐにどたどたと血相を変えて駆け戻ってきた。

「お、おおおねーちゃん!」

「ふぁに?」

「げーのーじんみたいな人が来てる!」

 なんかそれ昨日も聞いたような……なんだっけ。そういえばお母さんが言ってたわたしを運んできてくれた人が芸能人みたいな女の子だとかなんとか――って!

「ふぁしわぎさん!?」

 もぐもぐごくんとパンを呑みこんで、玄関へ走り出す。

「おはようございます! ゆいなちゃん!」

「んん!?」

 玄関に立っていたのはまごうことなき制服姿の柏木さんだった。なんか今日も全身がキラキラしてる。純粋そうな笑顔がぺかーっと眩しい。

「え、ええと……」

 あまりにも突然な状況に戸惑いを隠せない。クラスの美少女がいきなり家にやってきたみたいなシチュエーション、ほんとにあるんだ!

「な、なぜ……」

「一緒に登校しようかと思いまして!」

「えと、それはその……と、というか、名前!?」

「はい。今日から下の名前で呼ばせてもらおうかと……だめでしょうか?」

 首を傾けながら言われて、わたしはぶぶぶぶんと首を振った。だめとか言えるわけない! 柏木さんですよ! あなたは!

 後ろからくいっと服の裾が引かれた。わたしの背後から妹がそっと覗き込んでいる。

 その目は尊敬の色に輝いていた。

「このすっっっごいかわいい人、もしかしておねーちゃんの友だちなの?」

「えぇ……っとぉー……すぅー……」

 大きく息を吸い込んだ。

 友だちって言っていいのか? いや、まず、友だちとは? 昨日、友だちになってくださいと言われた時わたしは逃げたのだ。その後は攻略するとかなんとか色々言われて、そこから友だち云々の話はしてない。

 今の関係ってなんなんだ? こんなややこしい関係、ぼっちには難しいよ。

 唸ってたら柏木さんが妹の前にかがんだ。

「そうなんです。私、昨日ゆいなちゃんの……お友だち候補にさせてもらったんです」

「こ、候補!? おねーちゃんが!?」

 いやいやそんなものにした覚えはないんですけど!

 妹がドン引きした目で見上げてきた。

「おねーちゃん……私、おねーちゃんの分際で人に候補とかつけるの良くないと思うな」

「いやつけてな……って、分際ってなに!」

 姉だぞ! わたし!

「と、というか言ってないですよ! ね! 柏木さん!」

「では、お友だちと言っていいんですか……?」

 期待を込めた目で見つめられてしまい、ぐっと言葉に詰まる。

(そ、そんなの!)

 わたしが決められることじゃないし!

 わたしからお友だちでいいですよ、なんて、そんな上からな言い方……!

「……おねーちゃんの反論が無いんで、もしよかったら少しうちあがっていきませんか。昨日の話を聞かせてください。……詳しく」

 迷っていたら妹の目がもうドン引きを越えて無になっていた。

 ちょ、ちょっと待って。何か誤解されてる気がする。

「あの、黙ってたのは反論できないからとかじゃないよ!」

「お邪魔していいんですか! ではお言葉に甘えますね。まさかゆいなちゃんの家に入れるなんて……!」

「どうぞどうぞ! …………おねーちゃんはそこで一人でパン食べて着替えてて」

 妹は柏木さんを中へ招き入れた後、極寒の目つきでわたしに一瞥をくれた。

 ぱたんと閉まるドア。床を滑って雑に出てくる食パンと着替え。

 あとに呆然と残されるわたし。

「ま、待って待って! 誤解だってぇー!」

 その後なんとか誤解は解けたけど、遅刻しそうで慌てて準備をするはめになった。



 朝からどっと疲れた。

「ゆいなちゃん昨夜は大丈夫でしたか?」

「あはい……平気です」

「本当によかったです。急に倒れたからびっくりしたんですよ」

 そしてなぜか柏木さんと並んで通学路を歩いている。

(な、なんでこんなことに)

 昨日までは話したこともなかったのに……。

 と歩いてると、じーっと柏木さんに顔を覗き込まれていた。

「な、なな、なんでしょう……」

 くっきりした瞳に、わたしはするーっと斜めに目を逃がす。まともに視線を受け止められる日はきっとこの先来ないだろうな。

「やっぱりゆいなちゃんがミア先輩なんですよね」

 小声で呟かれる。

「そ、そうですが」

「なんだか夢みたいです。こうして一緒に隣を歩けるなんて」

「大げさでは……」

 それを言うならわたしが柏木さんと歩いてることもびっくりだ。

「でも……これからはずっと一緒にいられますね」

「う、うぇ? そ、そうです……かね」

 だしぬけに言われて距離感がバグる。いや、ずっと一緒なんて、そんなとんでもなく重たい言葉さらっと使っていいものなの? 陽の者の間では常用なの?

 柏木さんはにっこり首を傾げている。

 うう……冗談なのか本気なのかわからない!

「と、というか! わたしたちだいぶゆっくり歩いてますけど遅刻しませんか!」

 変な空気を打ち消すために、さっきから気になっていたことを一気に喋った。さっきわたしの準備は大幅に遅れたので、この時間なら急がないと遅刻のはずだ。

「それなら大丈夫ですよ、うちのお父さんが送ってくれますから!」

「あっそうなんですねそれなら安心……」

 ……か?

「えっあのそれってもしかして、わたしも乗っていく感じなんでしょうか……」

「はい! お友だちと一緒に行くと言ってきたので!」

 こ、行動が早い。

 というかさっき候補とか言ってたのに、もうお友だちって言っちゃってるじゃん!

「あそこのコンビニで待ってくれてますよ!」

 指さしながらするっと身を寄せてきて、ナチュラルに手を繋いでくる。――あわわわわ。

 と、友だちでもそんな簡単に手は繋がなくない!?



 他人と話すのって難しい。会話デッキが無いとまずスムーズには会話できない。誰ともそうである。クラスメイトとか、用事があっても、事務的な会話くらいしか無理だ。わたしは事務的な会話すら事前に練習しないと難しいけど。

 なのでクラスメイトのお父さんとか、何を話せばいいか全然わからない。

「君が春花の友達、玖守さんか」

「は、はい」

「そうか」

「はい……」

「…………」

「…………」

「お父さん、ゆいなちゃんは人見知りなんです」

「そうか。すまないね」

 ぃぇ……、と声にならない声で返事をしてわたしは窓の外に視線を逃がした。

 ちらほらと同じ制服を着た学生たちが外を歩いている。

 まさか隣で信号待ちしてる黒塗りの高級車にわたしが乗ってるとは思わないだろうな。

 正直、こんな威圧感ある車に送ってもらうのは全力でお断りしたかった。でも遅刻しそうだったし、断ってまた柏木さんにしゅんとされるのを想像してしまってだめだった。

 斜め前の運転席には、柏木パパが座っている。

 柏木パパは穏やかな風貌の人だ。優しげな感じが柏木さんと少し似ている。

「ゆいなちゃん、今日はお昼一緒に食べませんか?」

「え、ええと……」

「……だめ、ですか?」

「い、いやその、他の人とかいるのかなって」

「春花。無理は言っちゃだめだよ」

「無理じゃないです!」

 ぽつぽつと話をしながら車で運ばれていく。柏木さんがちょっとむきになっているのが新鮮だった。お父さんとの仲は良好らしい。

 学校の前に着いて、車から降りる。運転席の横を通る時、柏木さんのお父さんが小声で話しかけてきた。

「玖守さん。春花とはこれからも仲良くしてくれるかな」

「え、あっ、は、はい。わたしで良ければ……」

「頼んだよ。春花はあんまり強い子じゃないんだ。実はね」

「はあ……」

 冗談っぽく呟いて、お父さんの運転する車が発進した。

 見送りつつぼんやり反芻する。強い子じゃない。そうなんだろうか。たぶんどこをどう比較してもわたしの方が弱いけどな……。

「遅刻しちゃいますよ? 行きましょう!」

「あっ! はい!」

 柏木さんに呼ばれて反射的に振り向く。こういうのがあると、どちらの立場が上かと言えば柏木さんだなと思う。たぶんこの立場が逆転することも無いだろう。

 お父さん、仲良くしてもらうのはわたしの方みたいです。



 学校の中、柏木さんはあらゆる瞬間にわたしの名前を呼んできた。

「ゆいなちゃん、教室移動ですよ。一緒に行きましょうか!」

「はっ、はい! 行きます!」

「ゆいなちゃん、体育ですね! もしかしてこれからは一緒にペアも組めるのでは?」

「く、組めます! ……え!?」

 どこかの動画で、ご主人を大好きな犬がこんな感じだったなと思った。でもそれだとわたしがご主人になる。柏木さんの方がご主人であるべきでは? もちろんわたしは喜んで犬になる所存だ。わんわん!

「ゆいなちゃん、お昼ですよ。一緒に食べましょう!」

「え……ええとぉ」

 柏木さんが話しかけてくれることはすごく嬉しいしありがたいけど、その度にクラス中の視線がぐわっと飛んでくるのが怖い。池にエサが放り込まれた瞬間の鯉か?

「あの、場所変えません……か?」

 今日は一日ずっと注目の的で、流石にちょっとMPが持たなくなってくる。

「そうですか? 教室で食べるのもいいかと思いましたが」

「ひ、人目がちょっと」

「なるほど……じゃあ二人っきりになれるところで」

「そ、それは言い方がちょっと!」

 二人きり、と柏木さんが言ったあたりで視線がぐわっとこっちに飛んできた。ひぇ! 視線が一斉に向けられるの、ほんとに怖い。ひそひそと『ワンナイト的な?』とか聞こえてきた。何言ってんだ! 違うから!

「あのさ……」

 ふと低い声がして、見上げると普段柏木さんとよく一緒にいるクラスメイトの子が机の前に立っていた。軽くびくっとしてしまう。

「春花どーしたの? 急に玖守さんと一緒でさ……何かあった?」

 わたしをちらりと見て、柏木さんに話しかけている。わたしを見た視線にはちょっと圧がある気がする。

 そ、そうだよな。わたしが柏木さんと一緒にいるなんて変だ。柏木さんは人気者である。かわいくて、明るくて、優しくて、パーフェクトな美少女なのだ。やっぱり柏木さんだって元の明るいグループに戻った方がいいのでは……。

 柏木さんが悩ましげに指を顎に当てた。

「すみません……実はゆいなちゃんとはお互いに秘密を共有しあう仲になって。……昨夜も実は色々あって」

「……まじ?」

「だから、これからは少し……一緒にいたくて……」

「……そ、そーなん? 玖守さんと……?」

 柏木さんの切なげな言い方に動揺している。聞き耳を立てていた別のクラスメイト達もざわつきはじめた。

「え、えっ」

 ま、待った。なんかざわつき方が変じゃない? 言い方も変だったような。ま、まるでわたしたちがいかがわしい何かをしてるみたいじゃないですか? これ何か絶対誤解させてませんか?

「じゃあ行きましょうか!」

 しかしそんなクラス全体の反応も気にせず、柏木さんはわたしに手を差し伸べてくる。

 視界がぐるぐるしてきた。

 今からこの状況を打開……いや絶対無理だ。

 がくりとわたしはうな垂れ、柏木さんの手を取った。

 だめだ……諦めよう。

 わたしはわんこだから何もわからないのだ。わんわん。



「――ふぅ……」

 視線を逃れ人目につかない場所へ……ということで屋上へやってきた。鍵は柏木さんが持ってきてくれた。模範生徒だから借りられるらしい。すごい。

 わたしは体の力を抜いて座り込み空を眺める。今日も素晴らしく快晴であった。やっと視線が無い所まで来られた。今日は朝から大変だったな……。ああ……やっと、楽に……。

「ゆいなちゃん!」

「うわぁ!」

 急に美少女が肩をゆすってきて叫んでしまった。そうだった。わたしは柏木さんと一緒に屋上へ来たのだった。でもなんで急に肩を掴むんだ。

「よ、よかったです。急に顔から生気が抜けたので焦りました」

「あ、いえ、気が抜けただけで……」

 そんなに焦らせるほどだったか。たしかに家でもぬぼーっとしてたらたまに家族にびっくりされるけど。「ゆ、ゆいな。お願いだから仏壇のそばでそれはやめて」みたいな。わたしの顔ってそんなに死にそうかな?

「ゆいなちゃんって注目されるの苦手だったりしますか?」

「えっとまあ、MPというか、メンタルが削られるというか……」

「MPですか」

「あはい。そうです」

「なるほど……じゃあいつも休み時間に寝ているのはMPを回復しないといけないからなんですね」

「……そうですね」

 違うけど。話す人がいないから机に伏せてるだけだけど。そういうことにしておこう。

 お弁当の蓋をぱかりと開けて、もくもくとご飯を食べる。

 柏木さんも膝の上にお弁当を乗せて食べている。中身がすごい綺麗だった。色鮮やかな具材が丁寧に敷き詰められている。上手だな。お母さんとかが作ってくれてるんだろうか。

「ゆいなちゃん、あーん」

 見ていたら卵焼きを突き出されてた。

「え? あ、あ~」

 言われるがままに口を開けたら、そこにお箸で卵焼きを落とされる。もぐもぐ……。

 柏木さんがじっとわたしの顔を覗いている。もぐもぐ……。

 もぐもぐ……ごくん。

 でもまだ見られてる。な、なんなんだ。

「え、えっと。食べ終わりましたが……」

「味はどうでしたか?」

「へ?」

 わ、わからない。人に見られながら食べるなんて無いから、そっちに意識が向いてしまってた。

「……ではもう少し食べてもらいます。あーんしてください」

「え? ……あ、はい……」

 えあ~と口を開け、その度にご飯を運ばれる。

 柏木さんのお弁当に入っているおかずをそれぞれ一口ずつ制覇してしまった。

「お、おいひいです」

 具体的な食レポは何一つできないけど、美味しくはあった。卵焼き。ソーセージ。ほうれん草のおひたし。ご飯。その他。美味しいです、はい。

「ふふ、良かったです!」

 柏木さんもようやく満足そうに自分でも口を付け始める。

 その様子でなんとなく思った。

「お弁当……もしかして柏木さんが作ってるんですか?」

「その通りです! 私は料理もできるんですから!」

 ふふん、と得意げな顔をする。料理もできるなんて、流石すぎる。

「うちは母がいないので、自分の分は作ってるんですよ!」

 一瞬どういう顔をすべきか迷うと、すぐに柏木さんが続けた。

「あ、気にしないでくださいね。母がいないのはずっと前からなので」

 お母さんがいない。そうなんだ。全然知らなかった。そんな素振りは全く無かったけど。

「そういえば、今度ロクコ先輩とコラボですよね」

 ちょっと気まずくなった空気を察したのか、柏木さんが話題を変える。

 うっ、と思い出す。そうだ。コラボがあるんだった。

「そ、そうですけど、柏木さんも知ってるんですね……」

「ミア先輩の配信は全部見てますから」

 当然ですよね? みたいな感じで首を傾げられた。当然ではない。

「日付とか決まりました? ロクコ先輩、後で連絡するって言ってたような……」

「た、たしかに」

 言われて思い出す。連絡が基本無いからまめにチェックする癖がついていないのだ。

 慌ててスマホを取り出して確認してみる。

『日曜ってヒマ?』

 ロクコちゃんから連絡が入っていた。時刻は少し前だ。数日放置とかしなくてよかった。

 日曜。カレンダーの予定表を見るまでもなく、リアルの予定はない。配信の予定も特に決めてなかったはずだ。

『一応、空いてます』

『じゃ、そこで。ゼロガやろ』

 即座にメッセージが帰ってくる。

 ゼロガとは。『Zero Gravity Gunlands』の略称だ。ZGGとかゼロガとかゼログラとか言われる。宇宙が舞台で銃を打ち合う、バトルロワイヤル形式の人気FPSゲームだ。ロクコちゃんは最近ずっとこのゲームをやってる。

 人気だったし、わたしもそこそこ触ってたゲームではあるけど……。

「不安そうな顔ですね」

「ええと……はい……」

 暗い声で返事をしたら、くすりと笑われた。

「大丈夫ですよ。ミア先輩なら」

「そうですかね……」

「ロクコ先輩も楽しみにしてるはずですよ。私も見守ってますね!」

 微妙な顔でお弁当の残りを口へ運ぶ。

 本当に大丈夫かなぁ……と不安ではある。まぁでも、今朝は妹も言ってたではないか。二時間くらいは寝てそうだと。少しはましになったのだ。柏木さんも大丈夫だと言ってくれる。

 実際やってみたら余裕かもしれない。

 なんかそんな気がしてきた。

 よし……日曜日、がんばるぞ!



 日曜日になった。通話アプリを開いて配信の準備をする。

 瀬名ロクコちゃん。ぽらりす一期生で生粋のゲーマー。すべてのゲームを愛していて、FPS系の腕前はプロ並み。だけど他のゲームは下手らしい。そのギャップもウケているそうだ。ちなみにいつも眠たげな目をしているが、別に眠たいわけではない。……公式の紹介によるとそういうことらしい。

 準備が終わり、意を決してロクコちゃんとの通話を繋いだ。

「あっ、あっ」

「よろー。ミアって呼んでいい?」

「だだ大丈よよよよろしくおねおねおね」

「あ、待って。バグってるかも」

「ごご、ごめんなさい。そ、それわたしが緊張してるだけで……」

 昨日の夜くらいまではだんだん余裕も出てきて『まー柏木さんも大丈夫って言ってくれたしー? オフコラボも経験済みだしー? 今回は通話だけだしー? コラボくらい余裕かなー!』とか思っていたけど普通に無理だった。心臓がばっくんばっくんしてる。

 そーっと会話用のメモを眺めて口を開いた。

「い、一応今日の流れを相談しておけたらと思うんですが……」

「ゲーム! ……以上」

「あ、了解です……」

 ロクコちゃん、本当にゲームが大好きなようだ。会話よりもゲームに意識が向いてそうである。チャットだとけっこう話してくれるんだけど、口頭だと短い単語だけで会話が区切られてしまう。

「で、では始めますね。自己紹介してゲーム……でいいでしょうか」

「うん。いざゆかん」

 操作して配信を開始。本日のタイトルは『【ZGG】ロクコ先輩と宇宙へ赴くばんぱいあ【ぽらりす/白宵ミア/瀬名ロクコ】』である。画面に生意気そうな吸血鬼のわたしと、紫髪猫耳ヘッドホンのロクコちゃんがフェードインしてくる。

「こっ、こんみあ~!」

「こんー」

『わこ』『わこ~』『こんみあー』『コラボうおおおおおお』

「え、ええとまず自己紹介……シモベたちこんみあー! ぽらりす二期生つよつよ無敵ヴァンパイアの白宵ミアだよー! つよつよだから宇宙でもよゆーでキルするよ!」

「一期生、瀬名ロクコ。ゲーム、らぶ。……以上」

 自己紹介、はや!

『ロクコちゃんいつも通りのスピーディさ』『俺にもラブって言ってくれ!』『←ラブ要求ニキはがんばってゲームになりましょうねー』

 スピード感がすごい。いつも通りと言われているし、ロクコ先輩はこれでいつもの調子なんだろう。本当は事前に配信を見てどんな人か知っておきたかったけど、えげつないゲームの上手さで敵を倒す様子しか見られなかった。

「…………」

 ロクコちゃんは無言でカチカチとマウスをいじっている。たぶんゲーム内のトレーニングルームでエイムを合わせているんだろうな。流石の集中。この気迫。達人の気配。うん。邪魔しちゃ悪いな。これは決して気まずい沈黙の言い訳をしているわけではない。

(……よし)

 わたしはマイクに乗らないよう、こっそり気合を入れる。

 言わずもがな、今日は得意分野であるゲームがメインだ。

 そしてわたしはゲームは得意。ゼロガだってけっこうやってきた。

 なので今日こそコラボを成功させる大チャンスなのだ。

 気まずい沈黙ゼロのトーク! ゲームでもロクコちゃんをサポート!

 これが今日の目標だ。

(がんばるぞ!)


 ――一時間後……。


「ろ、ろくこちゃん……い、いい天気ですね……」

「…………」

「あの」

「ミア、ストップ」

「うっ……」

「……ごめん、敵かと思った。違った」

「ぷはぁ! はぁ! はぁ!」

『えー、今回のトークも失敗です』『会話デッキ貧弱すぎん?』『敵の警戒を怠らない。さすロクコ』『ミア様、息止めてる?』『呼吸ストップは草』

 わたしたちがやっているゲーム『Zero Gravity Gunlands』はいわゆるバトルロワイヤル形式のFPSゲームだ。銀河の奥のとある惑星の住人が娯楽を求め、すごい科学技術でサイバーな銃撃戦というエンターテインメントを生み出し大流行中……という舞台設定のゲームである。

 ステージやキャラクターがけっこうカラフルで、意外と見た目にも入りやすい。二人~四人のパーティでステージに潜り、数十のチームから最後の一チームに残るのが勝利条件だ。

 ランク戦なんかもあり、ロクコちゃんは最上位ランクの常連だ。わたしもその一個下までは行ったことがある。自分で言うのもなんだけど、実力的には申し分ない。

 ……なのに、勝てません。

「あーやられ」

「え。あっ……わたしも……」

 わたしたちのパーティが全滅し、切ないBGMが流れる。

「…………」

「…………」

 そして次のマッチングまでの間ロビーに戻り、気まずい沈黙が場を包む。

 コメント欄を遡って眺めてみる。

『うわー!』『どんまい』『次行こ!』『…………』『はい』『そして沈黙と』『あ、俺の音量の問題じゃないのか』『今来ました。二人ともミュート?』『何この沈黙』

 わたしが聞きたい。

 こんなはずではないのだ。もっとバンバン勝って「ん。ミアってやっぱりすごいね。見込み通り。これからも一緒にゲームしようね。ね……その……これ、フレンド申請。受け取ってくれる?(照)」とかなるはずだったのに。

(いやいやまだ始まったばかりだし全然よゆーで挽回できるはず……)


 ――二時間後……。


「……あー」

「……あっ」

 わたしたちのパーティが全滅する。

「…………」

「…………」

 そしてロビーでの沈黙。

『あのー』『さっきも見た』『配信ループしてる?』『会話デッキさーん』『逆におもろいだろこんなの』『両視点見るとおもろい』『睡眠用BGM?』

 誰が睡眠用だ。寝るな。というか寝ないで。助けて。ほんとに!

 一回喋らなくなったことで、会話が切り出しにくくなってしまった。ゲームもトークも何もかも流れが悪い。

(いやいやいやまだ挽回はいける……)

 今日のコラボはいつ終わるか決めていない。ロクコちゃんも終わる気配は無いからまだ時間はあるはずなのだ。挽回の機会は必ず……。


 ――六時間後……。


「…………」

「…………」

 全滅。

「…………」

「…………」

 沈黙。

『なんで勝てないw』『一回勝てたらナイスとか言えるのに……』『ロクコちゃんとミア様いて勝てないのは逆に奇跡でしょ』『噛み合わせ悪すぎw』

 い、一回くらい勝たせてよ! なんでこんな勝てないんだ!

 三時間前くらいに『スナイプ?』みたいなコメントがあったから、リスナーが同じマッチングになりづらいように画面を隠したりもした。しかし負け。しっかり負け。スナイプとか関係なく、普通に負けていることが判明した。なんだこれ? わたしの人生か?

『しりとりしようぜ』『おけ』『どうぞ』『ミア様のま』『マッチングアプリ』『リストラ』『この間リストラされた俺に突然のダメージ』『←元気出せ』『リストラニキ……/\200』『ラジオ』

 コメント欄がしりとりを始めやがった。慰めてる人、そのお金わたしに来るけどいいのか。居たたまれなくなって自分のコメント欄に自分で打ち込む。

【白宵ミア】『あのー、コメント欄での会話は控えてもらえますー?』

 すぐにコメントが帰ってくる。

『ミア様は会話控えなくていいんだぞ』『リアルの会話は控えないでもらえます?』『とりあえず一回勝ってくれ』『ミア様のコラボは面白いなぁ』

 うるさいよ。

 と思ったところで、一通のコメントが流れてきた。

『ミア様! これを会話のネタにしてくれ! 好きなおにぎりの具はなんですか?/\1000』

 な、なんてナイスな援助なんだ!

「う、うわぁー! シルバーレトリバーさんありがとぉー! 好きなおにぎりの具かー。わたしはおかかかなぁー!」

「…………」

「ろ、ロクコちゃんは」

「肉」

「に、にく。なるほど」

「…………」

「…………」

『……いや続かんのかーい!』『www』『ダメで草』『おにぎりの具で肉答える人珍しすぎる』『有能コメだったのに』『シルバーレトリバーがいい奴ってことだけわかった』

 ……だ、誰か助けて!


 ――そんな風にして、わたしたちは結局十二時間ほぼ無言で配信をした。

 『地 獄 バ ト ロ ワ』という名前のまとめ動画があがり、なぜかすごい勢いでバズってた。

 なんでだよぉ!



 翌日の学校。授業中。

「ぐぁ……」

「玖守ー」

「うぐ……」

「おい玖守!」

「ははは、はいっ! なんでしょう!」

 突然大声で名前を呼ばれ、がたんと音を立てて立ち上がってしまう。

 現実に意識を戻すと、すぐ隣で数学の先生が不審そうにわたしに目を向けていた。

「具合悪いんなら保健室行くか?」

「あいえ。大丈夫です……」

「じゃあ変な呻き声をあげるな」

 すみません……と謝罪して席に座りなおす。こっちの様子を訝しげに見ていたクラスメイトの方に目を向けると、すっと黒板とかノートへ視線を逸らされた。うっ、また変に思われてる。

 でも今はそれどころじゃないのだ。

(コラボ失敗したぁぁ~~!)

 さっきから脳内で昨日のロクコちゃんとのコラボをループ再生している。

 なんでわたしは十二時間もほぼ無言配信をしてしまったのか。なんでわたしは上手に話せないのか。なんでゲームも勝てないのか。なんでわたしはぼっちなのか。

(ロクコちゃん、怒ってたらどうしよぉ~~!)

 SNSとかメッセージとかも何が書かれているか怖すぎてほぼ見れてない。怒られてたら泣いちゃいそう。土下座しなきゃ。それかお金? 賄賂? まさかハラキリ……?

「ゆいなちゃん?」

「はっ!」

 マイナス思考の沼に沈んでいたらいつの間にか授業が終わっていた。

 柏木さんが不思議そうに顔を覗きこんでいる。

「もしかして体調悪いですか?」

「い、いえあの、大丈夫です!」

「……本当ですか?」

 言いながら、そっとわたしの手を包んでくる。

「大丈夫じゃなさそうな顔してますけど」

「え。あ。えっと……」

「着いてきてください」

 柏木さんがわたしの手を引いて廊下に出た。うわ、と頭で思う間にもう足がついていってる。柏木さんには抵抗できない。わたしが逃げないってわかってやってるんだろうか。

 屋上へやってきた。柏木さんが誰もいないことを確認する。

「もしかしてですけど、昨日のコラボのことですか?」

 うっ、と呻き声が漏れる。

 おっしゃる通りです、はい。

「そ、そうです……ロクコちゃんとのコラボで失敗しちゃって」

「失敗?」

「うまく喋れなかったし。ゲームも負けっぱなしだったし。がっかりさせたと思うので。……あっ! でもこれいつものことなんで! 気にしなくていいですよ! これはなんというかぼっちの性というか……」

「ゆいなちゃん。ロクコ先輩の配信は見ましたか?」

「へ?」

 ロクコちゃんの配信?

「み、見てないですけど」

 確かに向こうの視点があったことは知っている。コラボなので、ロクコちゃんの視点でも配信されてたはずだ。でも見れるわけない。あんなに失敗したのに!

「なるほど、だからですね! では一緒に見てみましょうか!」

「え……?」

 柏木さんが得心がいったように頷いて、屋上の給水塔の下に座り込む。そしてくいとわたしの手を引いた。わたしは引かれるがまま、すとんと柏木さんの隣に腰を下ろす。

「どうぞ! 片耳ですけど」

「あ、ありがとうございます……?」

 柏木さんが白いイヤホンをスマホに付けて、片側を渡してくれる。な、なんで一緒に見ようなんて言うんだろう。自分の事故配信とか見たくなさすぎる。でも柏木さんに見ようって言われたら断れない……でも事故だし……。

「……もしかして私とイヤホン分け合うの、だめですか?」

「え!? い、いやそうではなく!」

 ぐるぐる躊躇っていたら悲しそうな顔で見つめられてしまった。

 し、仕方ない!

「……ええい!」

 学校じゃ毎日が事故なんだから今更何も問題ないだろ!

 わたしがイヤホンを耳に突き刺すのを見て、柏木さんはロクコちゃん視点の配信を再生した。

『ろ、ろくこちゃん……い、いい天気ですね……』『……あっ』『うわ!』『敵ぃ!』

 すぐにわたしの声が聞こえて目をつむった。うううう、声が情けなすぎる。

「あ! ここです! 見ててください!」

 目を背けたところに柏木さんの声が届いて、薄目を開けた。

 あれ?

 わたしが情けない声をあげるたび、ロクコちゃんのアバターが笑顔で斜めに倒れている。

 どう見ても、笑いをこらえているようにしか見えない。

「がっかりなんてしてないですよね!」

 その通りだ。笑い声を抑えていて、なんというか楽しげな雰囲気である。

『ロクコちゃんニッコニコで草』『ミア様面白い!』『キャラ立ってんなー』『二窓してるけど面白すぎる』『こんなゲーム付き合ってくれる人珍しいもんね』

 コメントもそうだ。

 み、みんな楽しんでるのか? まさか。

「ロクコ先輩、ゲームを長時間付き合ってくれる人がいないってよく雑談で嘆いてましたから! だからミア先輩とはずっと遊びたいって言ってたんですよ」

(な……なるほど)

 考えてみれば、ただ本気で地獄みたいな空気にあそこまでリスナーが付き合ってくれるわけがない。ちゃんと面白かったから人もいたんだ。

「もう大丈夫ですか?」

 ロクコちゃんは楽しんでくれていたのか。

 気にしてたのはわたしだけなのか。

「……はい。ありがとうございます」

「いいんですよ! お礼は今度コラボしてもらえれば!」

「……そ、それはまあ……おいおいで……」

 ふと気になってロクコちゃんとのチャットをスマホで開くと、メッセージが届いていた。

『すごい楽しかったよ。また遊ぼ』

『プレイ中、あんまり喋れなくてごめんね。ゲームに集中しちゃう癖があるの』

『今日は遊べてよかった。あんまり長く一緒にゲームできる人いないから、また遊べると嬉しいな』

 届いた時刻は、コラボが終わったすぐ後。

 ロクコちゃんはゲーマーで、そしていい人だ。

 わかっていたはずだけど、全部悪い方向へ考えてしまった。

(へ、返信しなきゃ……!)

 慌ててチャットを打ち込んでいく。

 柏木さんはそんなわたしを見守ってくれていた。



 数日後。

「シモベたちー! どーもこんみあ! ぽらりす二期生、白宵ミアだよー!」

「ども。ぽらりす一期生。瀬名ロクコ」

『こんみあ!』『わこ』『またコラボ嬉しすぎる!』『こんみあ~~』『リベンジや!』

 わたしたちはまたコラボ配信を始めた。タイトルは『【ZGG】リベンジ。今日こそチャンピオンとるぞ!【ぽらりす/白宵ミア/瀬名ロクコ】』である。

「きょ、今日こそチャンピオンとりましょう……!」

「うん。勝とうね」

 相変わらずの短く区切る喋り方。前はゲームに意識が向いてるのかと思ったけど、ロクコちゃんはこれが素なのだ。それも今日はなんとなくわかる。

 なんと今回はわたしから誘ったコラボである。すごい勇気を出した。これだけで超褒めてほしいくらい。今回はリベンジ回。流石に今日は勝つぞ! そしてちゃんとお話もするのだ!

「あ、そうだ。ミアにちょっと謝っておくね、ごめん」

 一人で気合を燃やしていると、ロクコちゃんがそんなことを言ってきた。

「え? なにかありましたっけ……?」

「口下手なの。うち。前回困らせちゃってたでしょ。今日はがんばって喋ろうかな」

「あ……」

 そうか。ロクコちゃんも、終わった後に反省したりするのだな。

 きっとわたしがメッセージに長く返信しなかったからだ。不安にさせてしまったのかもしれない。これはきっとわたしが悪い! で、でも、暗い感じにはしたくない。がんばって明るい言葉を探していく。

「ご、ごめんなさい! 前回はわたしもミスしまくりで! い、いつも通りで大丈夫ですよ!」

「そう?」

「わ、わたしはつよつよ吸血鬼なので! ロクコちゃんの考えくらい読み取って見せますとも!」

「そうなんだ」

 少し驚くような雰囲気の後、ロクコちゃんは思いついたように言った。

「じゃあ今うち何考えてる?」

「い、今?」

 読み取るとかは試合中の話なんですけど……。

「ゲームしたい、とか……?」

「今してるし」

「うぁ」

 それはそうだ。コメントでも『してるやん』『読み取り失敗』とか言われている。

 よく聞くとロクコ先輩の方から含み笑いが聴こえていた。最近のマイクは優秀である。優秀じゃないのはわたしの耳と、思い込みでネガティブになってしまう頭の中だ。

「これからも仲良くしてね」

「は、はい。よろしくお願いしま……あ、それが答え?」

「敵来てるよ」

「え!? は、はいっ!」


 ――そんな風にしてわたしたちはまた十二時間、喋ったり叫んだりしながら配信をした。

 今度は『天 国 バ ト ロ ワ』という名前のまとめ動画があがり、それもすごいバズっていた。

 ……ま、まあ、天国なら許してやるよ!



 第三章



 ロクコちゃんとのコラボから数週間が経った。

 なんと白宵ミア。最近コラボが多いです!

 ちなみに相手はリリシアちゃんかロクコちゃんだ。

 割合で言うとロクコちゃんが九割くらい。

 ロクコちゃんはゲーマーで、圧倒的にインドアな人間だ。自称引きこもりというくらいだし、波長が合う。なんとこの前は配信外でも通話をして遊んでしまった。

 まさかわたしに裏で遊んでくれる人ができようとは。

「ゆいなちゃんは最近楽しそうですよねー……」

 今はお昼休みの屋上。恒例となってきた柏木さんとの昼食の時間だ。ご飯を口へ運びつつ、ロクコちゃんとのチャットを見返している。『今度いつ空いてる?』とか人に送られたの初めてだ。

「ふへへ……」

 思わず、ニマニマ笑いが零れる。

 なぜなら! これって! すごく友だちっぽくない!?

 これは仲良しと言っても過言ではない! ソロの配信でもお互いに何度か名前を出してるし。夢だったんだ、ソロ配信で他メンバーとの仲良しトークするの。

 リスナーもわたしたちには『尊い』『てぇてぇ』とか言ってくれる。うんうんそうだよね! わたしもこの仲良し度合いには感動さえ覚える。『最近リリシアたんが修羅だよ』と言われるのだけ気になるけど……。

「ゆいなちゃんってー! さいきんー! すごーく楽しそうですよねー!」

 柏木さんが急に大きな声を出してきた。

「ど、どうしたんですか? 声そんなにおっきくしなくても聞こえますけど……」

「……そうですね」

 柏木さんはなんだかしらーっとした目をしている。なんかちょっと声がいつもより低い気がする。ほんとにどうしたんだろう。お弁当、足りないのかな。

「ゆいなちゃん、最近ずーーーーっとスマホ見てませんか」

「え? そ、そうですか?」

「そうです。今も何回も声かけてるのにニマニマしてますし」

「ええ!? ほ、ほんとですか! すみません!」

 もしかして呼ばれてたのか!? 最悪だ! 申し訳なさすぎる!

「だめです。許しません」

「そ、そんな!」

「私はお詫びを所望します」

「お詫び!?」

「お詫びとして……お詫びとして、ですね」

 柏木さんが口をもごもごさせながら目線を逸らす。そ……そこまで柏木さんを怒らせてしまっていたのか。これはまずい……! 柏木さんに嫌われたら生きていけない。たぶん柏木さんと喧嘩したら全員わたしの敵に回る気がする!

「ごごごごめんなさい! 許してください! なんでもします!」

「なんでも?」

「なんでもです!」

 なにやら戸惑うような気配。こほん、と頭上で柏木さんが咳をした。

「で、では……よかったら今度……一緒にお出かけしませんか?」

「うえぇっ?」

 予想外すぎて叫んだ。な、なんで急に!?

 柏木さんとお出かけするのは光栄というか畏れ多いというか逆にごめんなさいって感じだった。キラキラな柏木さんとジトジトのわたしで何をするんだろう。まったくもってイメージがつかない。

「い、いずこへ?」

「え? あ、そうですね……お洋服とかでしょうか? いろいろかわいいもの見たり……」

「ひぇ」

 ひゅっと身が竦んだ。洋服。アパレル。そこには恐怖の感情しかない。

「で、でも洋服屋さんは、店員を倒さないと出られないダンジョンだって」

 他にも店員は全部の服にお似合いだって言うとか、私もこれ持ってるんですよーって全部の服に言うとか、こっちがだいたい手に取った服のサイズが残り一つだったりするとか……。

「ゆいなちゃんが何考えてるかだいたいわかりますけど、それ全部偏見です」

「だ、だとしても! わたしが着たって何も似合わないですし……」

「そんなことはないと思います!」

 柏木さんはまっすぐな瞳でそう言ってくれる。

「でも……」

 しかし、そんな明るい人間向けのお店に入れるとは思えない。

 猫背でぼっちで陰の者であるわたしが入っても、妖怪と間違われるのが関の山では。

「えっと……そこまで嫌がるならお洋服じゃなくても。……というより、場所はどこだっていいんですけどね」

 柏木さんは視線を斜めに落とす。今日の柏木さんはちょっと珍しい表情をする。いつもだいたいわたしの目をまっすぐ見るし、はっきり言うのにな。

 ぽろん、とそこでわたしのスマホが鳴った。

 あ、ロクコちゃんからだ。

『今度オフ会しない?』

「おっ、オフ会!?」

 突然のお誘いに激しい動揺が全身を駆け抜ける。

 オフ会。それはゲーム好きとしてはちょっと憧れのイベントである。ネットで出会う気心の知れた仲間とリアルで会う。趣味の合う人と実際に会ってお話できる。えーちょっと危ないよねとか思うけど、ネットでオフ会したって聞くと羨ましくなるやつ!

 わたしには縁なんて無いなと諦めていた。けどまさかお誘いがあるなんて!

「い……行きたい……」

「ふ~ん」

 浮かれるわたしの隣から、拗ねるような声がする。

 見ると柏木さんがむすーっと顔をむくれさせていた。

「ゆいなちゃんってロクコ先輩のお誘いはすぐオーケーするんですか」

「えっ!?」

「私が誘った時はびみょーな顔だったのに」

「ええと! ち、違くて!」

 柏木さんがむすーっとした表情のまま顔を詰めてくる。

「どうして私とのお出かけはだめなんですか?」

「だ、だめというわけではなく! あ……合わないんじゃないかなってだけで!」

「合わない? ですか?」

「わ、わたし洋服屋さんとか行ったことないですし……柏木さんも一緒にいて、別に楽しくないと思いますし……」

「いえ? ゆいなちゃんと一緒ならどこでも楽しいですよ? ああロクコ先輩と二人きりでお出かけしてるんだー私を置いてー…………とか思うよりはよっぽど?」

 ……笑顔が眩しい。けど、なんでだろう。圧があるな。

「それにゆいなちゃん、考えてみてください。オフ会はロクコ先輩と二人なんですよね?」

「え? た、たぶんそうですけど……」

「それって、大丈夫ですか?」

「え?」

「ずっと二人きりなんですよ。もちろんロクコ先輩はいい人です。けど……オフ会では、ゲームをしているわけにはいかないんです。会話のきっかけは……自分で見つけないといけないんです!」

「な――」

 そ、そうじゃん!

 ロクコちゃんとはそこそこ話せると思っていたけど、考えてみればすべてゲームが間に挟まっていた。適度な距離感でわたしたちへ話題を提供してくれるコンテンツが存在したのだ。

 オフ会では、それが、無い!

「あー大変ですねーこういう時は誰かもう一人いたらちょうどいいんですよねー」

「じゃあもう秋子さんに土下座するしか……」

「なんでそこで秋子さんなんですか!」

 怒られてしまった。

「で、でも他に知らないですし」

「わ、私がいます!」

「え……柏木さんが?」

 柏木さんが前に立ってむんと胸を張る。

「私が一番ゆいなちゃんと一緒にいるんですから、フォローだって完璧です」

「な、なるほど」

「会話だって笑顔を絶やさず絶やさせず、無限に引き延ばすことが出来ます」

「す、すごい!」

 どうやってやるんですか! 教えてください!

「なのでそのオフ会、わたしも行きますね」

「な、なるほ……ええ!?」

「だめですか? オフ会ということなら私が行ってもいいと思うんです。ロクコ先輩とのコラボはこの前もしましたし」

「そ、それはそうですけど」

 やってたな、そういえば。何の話かよくわからなかったけど、コメントで『正妻バトル』『取り合いじゃん』『三角関係で草』とか言われてた。宿題があったから、一瞬しか見られてないけど。

「少し待っててくださいね。ロクコ先輩に聞いてみます」

 柏木さんがスマホをぽちぽちとし始める。

 しばらくしてから笑顔をこちらに向けてきた。

「オーケーだそうです。ゆいなちゃんも行くって伝えておきました」

 か、柏木さんが来てくれるんだ。

 いいのかな。柏木さんが来てくれるのはもちろん嬉しいけど、わたしなんかと一緒にいて嫌じゃないんだろうか。

「では今度のお休みはオフ会デートにしましょうね!」

 ぱぁっと開いた花のような笑みに圧され、こくりと頷いた。



 そして次のお休み。

 毎度のごとく緊張でまったく寝付けなかったけど、なんとか眠れてなんとか起きた。慌てて妹に借りたパーカーを着こみ(わたしの服は変な文字の書いてあるTシャツしかない)、待ち合わせ場所の駅前へと電車で向かう。

「ええとロクコちゃんがもういるって連絡が……」

 待ち合わせ時間にはもう少し余裕があるけど、ロクコちゃんはもういるらしい。人混みから離れた方へ、スマホを確認しつつ早歩きで向かっていく。『このあたりにいるね』と指示された場所はこっちの方だ。

 このあたりかな? ――と思った矢先、目の前にいた女の人にぶつかってしまった。

「わ」

「あたっ! わっ――ごごごごめんなさいっ! 待ち合わせしてて! 集中しすぎて! 気を付けます! なにとぞ!」

「ん……ミア?」

「え?」

 謝罪のために思い切り振り下ろした頭をゆっくりと持ち上げる。目線を上げた先には、わたしより少しだけ背の高い、すらっとした女の人がいた。雰囲気的には大学生くらい。表情が薄く、涼やかな印象を受ける。大人っぽい、切れ長の瞳。ショートカットの髪がわずかに青く染められている。

 かっこいい雰囲気で綺麗な、まったく見覚えのない人。でも、そのハスキーな声だけは聞き覚えがあった。

「もしかして……ロクコちゃん?」

「正解。会えて嬉しい」

 目を柔らかく細められてたじろぐ。

 す、すごいかっこいい顔だ!

「うち、羽瀬川澪(はせがわみお)って言うの。澪って呼んでね」

「わ、わたし、玖守ゆいなです。みみみみおちゃん……?」

「うん。澪だよ、ゆいな」

 ぼそぼそ呼ぶと、ロクコちゃんが頷きながら微笑んでくれる。うわ! と、友だちっぽい! 名前で呼び合うの、友だちっぽい!

 一人で名前で呼び合う感動に浸っていると、すぐ側で別の声が届いた。

「お待たせしましたー!」

 聞き慣れたよく通る明るい声。

「学校ぶりですね、ゆいなちゃん」

 振り返ると思っていたよりも一歩近いところに柏木さんが立っていた。

 今日は髪をアップでまとめて、お洒落な薄いフレームの眼鏡をかけてる。服装は白いひらひらのついたブラウスに、チェックのロングスカート。清楚オブ清楚みたいな恰好で、お洒落でかわいい。雑誌の中から出てきたみたいだ。

 そんな柏木さんにするっと手を絡められる。

「……ん?」澪ちゃんが呟く。

「こんにちはロクコ先輩ですね? 柏木春花です、よろしくお願いします!」

「うん……春花だね。羽瀬川澪。よろしくね」

 ロクコちゃんは頷いたけど、視線は柏木さんではなくわたしたちの手のあたりに向かっていた。

「……一個、聞いていい?」

「どうしたの?」

「なんか、近いね?」

 近い? 言われて、わたしと柏木さんの様子を改めて眺める。柏木さんは普段通り微笑んでわたしの傍にくっついている。手も繋いでるけど、これもいつも通りだ。

「普通ですよ? ねっ? ゆいなちゃん?」

「……たぶん?」

 なんか不安になってきた。そもそもわたしは他に絡むような人がいないから普通がどうとかわかんないのだ。柏木さんと一緒にいるのを他の人の視点から聞いたのは澪ちゃんが初めてだ。

 もしかしてわたしたち、距離感近すぎ?

「……大丈夫? ゆいな催眠されてない?」

「澪先輩、高校生はこれが普通なんですよ」

「うちの高校時代はそんなことしてる人いなかったけど」

「そうですか。……ジェネレーションギャップですかね」

「…………ほーん」

「…………うふふ」

 二人の応酬を眺めながら、なんとなく不穏な気配を察して背筋がひやりとする。

 あれ? なんか空気悪くない?

「そんなことよりゆいなちゃん。今日の恰好、どうでしょうか? ……せっかくのデートなので可愛くしてきたんです」

 柏木さんが着てきた洋服を広げるようにひらりと跳ねる。さっきも見た白いひらひらのブラウスとチェックのロングスカート。靴はぽてっとしたスニーカーだ。髪型や眼鏡も相まって、落ち着いた雰囲気である。

 オフコラボの時にも私服姿は見たけど、今日も超絶美少女だ。

「か、かわいいです!」

「ふふ。ありがとうございます!」

「……ゆいな、うちは?」

 澪ちゃんに言われて服装を眺める。上は大きめのジーンズっぽい素材のジャケットを羽織って、下は細い黒のズボンを履いてる。靴はごつごつしてる感じの白いスニーカー。かっこかわいい感じだ。澪ちゃんも柏木さんとは違ったタイプでとてもかわいい。

「か、かわいいです」

 感想がおんなじになってしまった。語彙力ゼロ。

「うん。ありがと。ほら春花、うちのがかわいいって」

「そうは言ってませんでしたよ? ASMRでしか耳かきしてもらってないから耳が詰まってるのかもしれませんね?」

「ゆいな、春花ってこんなこと言うんだよ。怖いよぉー助けてゆいなぁー」

「え、ええと……」

 真顔で抱き着いてくる澪ちゃんと、睨んでる柏木さん。な、なんだこの空気。突きつけてる刃が鋭すぎない? 二人の視線が交錯するところで火花が散っている。

「あ、あのぉ。そろそろお出かけに……」

 空気に耐えきれなくなってとりあえず小さな声を発した。

 二人がそういえば、という顔をする。

「そうでした。時間は有限ですもんね」

「たしかに。こういう時間は早く過ぎる」

 うんうんと二人が頷く。い、意見が合ってる。良かった。ずっと喧嘩するのかと思ってしまった。まあでも、そうだよね。二人とも普段落ち着いてるし、喧嘩なんてするはずない! うん!

 さあ、どこに行きましょうか!

「じゃあゲームセンター行こっか」

「ではお洋服を見に行きましょうか!」

 そんなわたしの無垢な期待はやっぱり成就せずに散っていった。

 ……だめそうですね。

 二人とも、お互いにむっと眉を寄せ、視線をばちばちに戦わせ始めている。

「うちはゆいなとゲームしに来たんだけど?」

「行先は決まってなかったと記憶してますけど?」

「でもうちとゆいなならゲームじゃない?」

「……ええ、そうですね。たしかに、ゲーム最優先のロクコ先輩ですから、ゆいなちゃんを誘う理由もゲームですよね」

 柏木さんが腕を組み、澪ちゃんが怪訝な顔をする。

「それをわかってるならゲームでも……」

「いえ。澪先輩は大事なところを見逃しています」

「大事なところ?」

「はい」

 柏木さんが深く頷く。大事なところ、一体なんなんだ。

「……ゆいなちゃんのお洋服、どちらが好みか――勝負です!」

 びしぃっと澪ちゃんに指を突きつけた。

「なるほど春花。うちに勝負を挑もうと言うんだね。……つまり、ゲームを」

「はい。わかってもらえて何よりです」

 ……なんだか二人だけで通じ合っているけど、それで決着がついたらしい。

「というわけでゆいなちゃん、お洋服を見に行きましょう」

「……うぇ? で、でも店員が」

「追いかけてこないので大丈夫です」

 そ、そうなんですか。でもあんな陽の気が漂ったところに行くなんて……。

 と立ち止まっていたら、横からするっと手を繋がれた。

 いつもと違う手の感触。こ、これは澪ちゃんだ!

「行こっかゆいな。うちが店員から守ってあげるからね」

「澪先輩? なんでゆいなちゃんと手繋いでるんですか?」

「年上とオフ会する時は手を繋ぐってルールがあるんだよ」

「嘘ですよゆいなちゃん! 澪先輩が騙そうとしてますから。聞いちゃだめですからね」

「って言いながら春花も手繋いでるじゃん」

「私は仲良しですから!」

「あっ、あっ」

 わたしの両隣に二人が滑らかに移動して挟み込んで手を繋がれている。状況としては両手に花。花だけど、なんか、蔦が絡んでくるような拘束感を感じる。

(……へ、へぇーっ! オフ会ってこんな感じなんだなぁー!)

 絶対違うと思うけど、そういうことにしておこう。



 光の満ちたお洒落なお洋服屋さん。ここは鬼畜難易度の魔境ダンジョン。商品を買うまで抜け出せない深い沼が広がり、突如として隣へワープして話しかける店員がスポーンする最難関ステージ。

 ……とか思っていたわけだけど。

 結論から言うと、全然問題なんてなかった。店員さんも穏やかだし、特に話しかけても来ない。二人がいるからというのはあるかもしれないけど。

「わぁ~~ゆいなちゃんこういうのも似合いますね!」

「ゆいな、次これとか」

「いえこっちを」

「……む」

「……なんですか」

「ど、どっちも着ますから!」

 店内を少し見て回って、わたしは試着室で二人の着せ替え人形となっている。

 二人はずっとなぜか戦ってるけど、選ぶお洋服のセンスはかなり的確だった。ファッションに疎いわたしでも、鏡を見るとなんとなく良いように見えるのだ。あと、着替えるだけで褒めてくれるのでちょっと気持ちいい。

 ……わたし試着室に住もうかなぁ。狭いから落ち着くし。

「き、着替えましたぁ~……」

 そろーっとカーテンを横に引く。

「か、かわいい……!」

「うん。これもすごくお洒落」

 珍しく二人の意見が合っている。今回の衣装は清楚な雰囲気のやつだった。肩部分がレースになっているブラウスと黒のロングスカート。雰囲気がお嬢様っぽい。というかけっこう柏木さんの服装に似ている。柏木さんが選ぶのはこういう雰囲気のものが多い。

「うちは一個前の緩い感じのが好みだな」

「私は今のがいいと思いますけどねー」

「そう……?」

「そうですけど……?」

 意見が分かれ、二人がすうっと目を細めて睨み合う。一個前の、というのは澪ちゃんチョイスのスウェットなんかを合わせた緩い雰囲気のやつだった。

「ど……どっちも可愛いですよ……?」

 そう言うと二人は顔を見合わせた後、落ち込むようにがくりと肩を落とした。

「……ごめんゆいな。言わせちゃったね」

「……そうですね。言わせちゃったのはよくないですね」

「い、いえその! 言わされたとかじゃなくて! ほんとに良いと思って! というか……褒めてもらえて嬉しかったので……」

 だんだん小声になりながら伝える。二人はまた顔を見合わせると、今度は納得するようにうんうん頷き始めた。

「課金……だね」

「私もまだ予算には余裕があります」

「な、何言ってるんですか!」

 お金を使わせるなんて! そんなことさせたら申し訳なさで死んでしまう。

「わ、わたしがどっちも買いますから!」

「あ、お買い上げですかー?」

「へ!?」

 叫んだらちょうど通りかかった店員さんに声をかけられてしまった。「え、えと、その」とか言っている間に「お取り置きもできますが……」とスマイルされる。うわ気遣い満点のサービスだ! 断るのが苦しい!

「すみません、もう少し悩むので大丈夫です」

 硬直していたら澪ちゃんがフォローしてくれた。……た、助かった!

 店員さんが去っていくのを待って、澪ちゃんが話しかけてくる。

「ゆいなって人と喋るの苦手だよね」

 うっ。ストレート。

「に、苦手です」

 喋るだけじゃなくて、人全般が苦手だけど。

「そっか……ちなみにうちもそうだったよ。ゲームばっかしてたし。人に合わせるの苦手だったな」

 そうなんだ。でも今の澪ちゃんからそういう気配は感じない。どうやって乗り越えたんだろう。

「い……今は大丈夫なんですか?」

「うん。やりたくないことはやらないって思ったら楽になった」

 そう言って、ふっと笑って軽く首を振る。

「うち、高校出て働いてたけど無理だったんだよね。メンタル壊していろんな人に迷惑かけてさ、それで最終的にVTuberになったんだ。結果として家にお金とか入れられてるから良かったけど」

「そ……そうなんですか」

 ……なんだか、すごく共感してしまう。わたしも働き始めたら要領が悪すぎて一瞬で病気になりそうだ。

 やりたくないことはやらない。逃避のようでいて、でも不器用な人にとっては正しい選択なのかもしれない。

「おすすめはしないけどね。結果引きこもりニートゲーマーだし」

「で、でもすごいです」

 そういう勇気があれば、わたしも今の自分を脱却できるんだろうか。

「まーうちはゲーム上手いから引きこもりでも生きていけるんだよね」

 どやぁ、と意外にも大きめな胸を張る。

 柏木さんがちょっと呆れた顔をした。

「それは運ゲーというのではないんですか?」

「うちは運ゲーも強いよ。……運試しする?」

「運試し?」

「あれとか」

 すっと澪ちゃんが指さした先にはよくあるガチャポンがあった。そういえば最近、ぽらりすメンバーのマスコットキャラが出るガチャポンが公式で出たらしい。

 マスコットキャラとは、わたしたちVTuberの2Dアバターの横にいるちっちゃい謎の生物だ。例えばわたしのマスコットはデフォルメされたコウモリのバッちゃん。一頭身で目がつぶらな子。リリシアちゃんだと上品な感じの猫であるシャロ猫ちゃん……とかだ。

「なるほど、先に自分のマスコットが出た方が勝ち……ですね」

「ざっつらいと」

「受けて立ちます!」

 二人は闘気を立ち昇らせてガチャポンの方に歩いていった。……え? あれ待って。わたし一人になっちゃうんですけどー……。あのー……。

 試着室で呆然とするわたしに、店員さんが営業スマイルを携えて近寄ってきた。

「こちらの服はどうされます?」

「あ、その……えっとぉ……」

 わたしは洋服を二着買った。

 ちなみにマスコットガチャ勝負は澪ちゃんの勝利だったらしい。



 澪ちゃんがやりたいと言っていたゲームの場所にも訪れた。

 ゲームセンターの地下にあって、黒い店内がゲーミングな虹色で輝いているところだ。

 いろいろゲームがあったけど、澪ちゃんが目を輝かせて一直線に目的地へ向かっていく。

「これこれこれこれにしよう」

 お、大きい。

 目的のものを眼前に、ちょっとたじろいでしまう。

 ボックス型の大きな密室。ボックスに書いてある説明を見る感じ、四方から襲ってくるゾンビを備え付けの銃で撃ちまくるもののようだ。ゲームセンターによくあるゾンビを撃って倒していくやつのパワーアップ版みたいなものらしい。

「私、ゲームはあんまり得意ではないんですが……」

 柏木さんが不安げな顔をする。それを見て澪ちゃんがぽんと手を叩いた。

「三人でやろう……っていうのもありだけど。二組に分かれてもいいかもね」

「二組ですか?」

「うち一人とそっち二人で勝負。それでちょうどよくなるかも」

 たしかにボックスは二つあって、どっちも空いている。

 柏木さんが首を傾げる。

「でもいいんですか? ゆいなちゃんが私の方になっちゃいますけど」

「ゲームはできるだけ公平にやるもの。問題なし」

 というわけで、二対一の勝負が決定した。

 ボックスに入って銃を手に取る。意外とけっこう重たかった。でも、ここで弱気になる訳にはいかない。こっちのチームはわたしの責任が重いのだ。

「か、柏木さん! ままま、任せてください! エイムは良い方なので!」

 柏木さんは銃の持ち方でわたわたしている。やはりこの勝負、わたしはいつも以上にがんばらねばならない。もちろんこういうゾンビを追い払うタイプのゲームも経験済みである。……コントローラーで、だけどな! まあでも似たようなものじゃないでしょうか!

「ここはゆいなちゃんと二人きり……と言っている場合ではないですね!」

「そっ、そうですね! 一人だと厳しいので……お手伝いお願いします!」

 ゲームが始まって、ばんばんゾンビが襲い掛かってくる。

 四方から襲ってくるので、見る方向がばらけていて大変だ。同時に北と南から襲われたりすると一気に辛くなる。しかもエイムも難しい。当たり前だけど、ゲームの要領では全然当たらない。

 なんとかギリギリでステージを進んでいく。

 しかし、進むにつれて大事なことを思い出してきた。

(そういえば、わたしって体力無いんじゃん!)

 銃が重いよ! 手がぷるぷるしてきたよ! 弾も全然当たんなくなってきたし!

「ゆいなちゃん! こっちはもうだめです!」

「こ、こっちも! だめそう……! うっ!」

 ――ゲームオーバー。

 後半のステージをだいぶ残して全滅した。わたしたちはゾンビと化した。

「思ったより……体力が……きつい……」

「私も汗かいちゃいました。かなり難しいですね。……澪先輩は?」

 それからしばらくして澪ちゃんがボックスから出てきた。非常に不満げな顔をしている。

「ラスボスに負けた」

「そこまで行けたんですね」

 柏木さんが目を丸くする。つまり勝負なら澪ちゃんの勝利だ。しかし澪ちゃんの表情は浮かない。

「……悔しいからみんなで行こう。あいつ。倒す。絶対」

「うぇ……?」

 澪ちゃんの全身からむすーっとした不満オーラが漂っている。だ、だいぶ負けず嫌いなんだな。

「行くよ二人とも」

「そうですね。私もクリアはしたいです。ゆいなちゃん、行けますか?」

「あ、はい……え? 行けるかな……?」

 体力がけっこうやばいんですけど、こんなわたしで大丈夫ですかね……?



 数十分後、なんとか最後までやりきった。

「楽しかった」

 クリアできた澪ちゃんはお肌がツヤツヤしてる。結局、だいたい全部澪ちゃんがやってくれた。

 四方向から同時に大群が押し寄せてきた時にくるくるしながらすべてをヘッドショットしていたのは愕然とした。もう澪ちゃん一人でいいんじゃないかな。というか澪ちゃん、こういうゲームも上手いんだ。

「今度ソロでもリベンジしようかな。運動にもなるし」

「引きこもりなのにすごい体力ですね……」

「わ……わだじも……」

「ゆいなちゃんは休んでてください!」

「わ。声がグロッキー」

 柏木さんが気遣ってくれる。

 ゲームとはいえ二回の運動。わたしの動きは徐々に精彩を失って置物と化していった。運動とかまったくしてないし。これが正しい引きこもりだ。澪ちゃんが動けるのが変なのだ。今回はわたしより柏木さんの方が活躍してたな。

「そこ座ってよっか」

「ゆっくり休んでくださいね」

「すみません……」

 両脇から腕を抱えられてゲームセンター備え付けのソファへ運ばれる。ボクシングの後に真っ白になった人のような恰好で座り込んだ。こんなところでグロッキーになってる人、なかなか珍しいのではないか。

「――くぅー! 勝てなかったぁー……!」

 とそこで近くから女の人の声がした。わたしたちが三人でやってる間、隣のボックスに入っていた人みたいだ。

 そっちに目を向けた瞬間、澪ちゃんが驚いたように声を漏らす。

「あれ。月穂じゃん」

「え? ――あっ。澪じゃーん!」

 謎の女性が顔を輝かせて澪ちゃんに駆け寄って肩を掴んだ。な、なにやつ? 曲者ではないのか。

「澪が好きそうなゲームあるなーと思って来たんだよ! まさかいるなんて!」

「ぐーぜん、すごい。……ちなみにどこまで勝った?」

「あーラスボスで負けちゃった」

 ざんねーん、と頬をかきながら笑っている。それを聞いてびっくりした。

 ま、まさかソロで澪ちゃんと同じところまで行ったのか? この人、何者?

「で、澪は何してたの? この子たちは?」

「ゲームしに。こっちは後輩」

「えっ嘘! 誰だー……っていや待って! 当てるから!」

 澪ちゃんに手を差し出して止めると、わたしたちの前にやってきてむーっと悩む。柏木さんとわたしは呆気にとられていた。なんともパワーのある人だ。

 すごく綺麗な人だった。髪は短くて、肩で切り揃えられている。服装は落ち着いた雰囲気。澪ちゃんよりもその人はもう少し上に見える。でも澪ちゃんを見つけた時とか、今悩んでる顔とか、ちょっと子供っぽくて可愛らしい。それだけで少し好感を覚える。

「……ミアちゃんとリリシアちゃんだ。どう?」

 悪戯っぽい笑みで、周りに声が届かないように小声で言う。柏木さんとわたしはこくこく頷く。そしてこの人が誰なのかも薄々わかった。柏木さんがわたしが思ったのと同じことを呟く。

「もしかして、イヅキ先輩……ですか?」

「正解! 流石だね!」

 綺麗な大人の女の人は、人好きのする笑みを浮かべて言った。

「初めまして。水上イヅキこと、紗上月穂(さじょうつきほ)です。よろしくね!」



「はーなるほど。みんなでデートしてたわけだ」

「というかオフ会ね」

「え? 別物なの?」

「デートだとちょっと……いかがわしくない?」

「いや別にいかがわしくないけど!」

 月穂さんが澪ちゃんに突っ込み、みんなが笑う。

 水上イヅキ先輩はぽらりす一期生のVTuberだ。青い髪で中学生くらいの少し幼い見た目だけど、実は海の精霊なので見た目通りの年齢ではない……という設定のキャラだ。ぽらりすが発足した当初からいて、ずっとメンバー内の登録者数はトップを走っているお方。

 いわば、雲の上の人である。設定は海の精霊なんだけど。

 イヅキ先輩……あらため月穂さんが来て、場はすごく明るくなった。元々別に暗かったわけじゃないけど、なんというかすごく滑らかだ。月穂さんが全体に気を配っているのがわかる。

 月穂さんは配信の企画では司会役もスマートにこなす。月穂さんがいると、その場がかなり安定する。頼れる先輩なのだ。

「ゆいなちゃーん。おーい」

「……はっ!?」

「平気ー? まだグロッキー?」

「いいいいえ! げげげんきです……!」

「緊張しなくていいんだぞー? まーでも、初対面だと緊張もするかなー」

 私も緊張するもんねー! と笑ってわたしの下手くそな発言をいなしてくれる。や、優しい。

 イヅキ先輩の前では流石に緊張してしまう。それには初対面だということの他に、もう一つ理由があった。

「あああのじじ実は」

「ん?」

「む、昔からずっと見ておりまして……」

「えーほんと! 嬉しー!」

 どこでも喋ったことはないけれど、わたしがVTuberになるきっかけになったのはイヅキ先輩なのだ。昔にとあるゲームをやっていて、イヅキ先輩とマッチングした。そこでVCに誘われ、イヅキ先輩とコメントに褒められて、VTuberというものに興味を持った。

 昔から大ファンなのでどきどきが止まらない。

「ほんとに嬉しいなー! 嬉しさを表すためにハグしちゃおー!」

「え!?」

「えい! ぎゅー!」

 あわわわわ。

 本当にぎゅっと抱きしめられて脳内がショートした。

 手を繋がれるとかはあるけどハグはされ慣れてないからびっくりする。でもすごく包容力を感じた。抱き着き方とかに優しさとか温もりがある。あ~……ここに住みたい。

「す、ストップです月穂さん!」

「うん。ゆいながトリップしそう」

「え! 苦しかった?」

「い、いえ……」

 良すぎて住みそうになった。優しさに包まれるとはこういうことか。

「ゆいなちゃん。ぎゅっとするなら私がやってあげますからね」

「うちもやるよ」

「澪先輩、ぎゅっとする成分は私で足りてますよ」

「でも春花は……胸がね」

「……パンチしてへこませましょうか?」

 ま、また始まってしまった。

 普通の時は割と二人とも仲良くしてるのに、いつの間にかにらみ合いが始まってしまう。

「あらら、そういう感じなんだ」

 指を顎にあてて笑いながら月穂さんが呟いている。月穂さんにかかれば二人のバトルもそういう感じ程度で済むらしい。流石すぎる。願わくば仲裁の方もお願いできないでしょうか。

「えーそこのお二方?」

 月穂さんが二人の間に割って入る。

「ここはひとつ、厳正に勝負で決めようよ」

「勝負ですか?」

「何するの?」

「私に良い考えがありますよ!」

 ふふふ、と不敵な笑みを浮かべて両腕を広げた。

「題して『どっちが白宵ミアにふさわしいか? カラオケ点数バトル配信』だー!」



 というわけでカラオケにやってきた。

(な、なんだこれ)

「えーみなさんこんにちはーっ! ゲリラ配信なのに来てくれた人ありがとー! 急な予定でごめんね! ちょっと今日はだいぶ偶然だったからさ。予定ある人はアーカイブ見てくれたら嬉しいぜー!」

『わこー』『うおおおおお』『ニートなので来ました』『なんだこのタイトルww』『ミア様いるん?』『カラオケ?』『イヅキちゃんが対決すんの?』

(なんだこれええーー!?)

 わたしの心の叫びはどこにも届かない。

 突然やってきたカラオケの室内。月穂さんがイヅキ先輩としてスマートフォンから配信を開始していた。配信の画面には、カラオケらしきイラストを背景にわたしたちみんなの2Dアバターが並んでいる。

 唐突に月穂さんが提案した謎バトル。それを聞いた二人は瞬時に戦意を浮かべて頷いた。

 Q.あれ? わたしの意思は?

 A.ありません。

 柏木さんに「絶対勝ちますから」とか言われても困る。

「わたくし水上は司会兼実況です! 対戦者は…………みんな気になるよね! はい! では対戦者のお二方、自己紹介と意気込みとハネムーンで行きたい所をどうぞ!」

『結婚前提やん!』『なんだこのバトル』『これそういう戦いなんか』

 二人がマイクを手に取りすっと立ち上がる。

「ぽらりす二期生、瀬名ロクコです。負けられない戦いがここにある。えっと……ハネムーンはうちの部屋でゲームをします。以上」

『部屋かぁ……』『おうちデート、最高では?』『ロクミアもありますよ!』

「次の方どうぞ!」

「はい。ぽらりす三期生のリリシア・シャーロットです。ハネムーンはミア先輩が行きたい所に行きます! 朝から晩まで完全に計画も立てて旅行をプロデュースします! よろしくお願いします!」

『相手を立てる。流石プリンセス』『りりみあはガチだよ(真顔)』『計画ぎちぎち』『なあ……三人で仲良くは……できないんか……』『ここは戦場やぞ』

「はい自己紹介いただきましたー! どうなるか注目の一戦です! では解説兼景品の方も自己紹介と意気込みとハネムーンで行きたい所をどーぞ!」

「はぇ? あ、えっと、け……景品と解説になっちゃいました。白宵ミアです。……意気込み? えーと……二人とも負けたらいいと思います。ハネムーンは行きません。そのお金で家具を新しくします」

『草』『現実的すぎる』『テンション全然違くて草』『この急に放り込まれた感よ』『景品さんもっと盛り上げて!』『ミア様という景品を賭けて争うんか』『ルールは?』

「そうだ、ルールも説明します!」

 イヅキ先輩がルールについて簡単に説明をしてくれる。非常にシンプルなルールだ。『カラオケの採点機能を使って五曲ずつ歌って、合計点数の高い方が勝利』らしい。

「我ながら無駄のないルールじゃないでしょうか! どうでしょう解説のミアさん!」

「この争い自体が無駄な気が……」

「さあ早速張り切って始めましょー!」

「あれ、わたしの発言は……?」

「先行はどちらにしますか?」

「ではうちから」

「ロクちゃんです! どうぞ!」

 澪ちゃんがぽちぽちと機械を操作して曲を入れていく。みんなご存じの通り、ロクコちゃんはゲームばかりしている人だ。歌うとかするのかな……そう思ってコメントを眺めると、『ここでロクコちゃんの歌聴けるんか!』『言ってもやってくれないんよなw』『めちゃうまい』と褒めるものばかりである。もしかして歌上手い?

 操作が終わる。画面に出たのは少し前に流行っていたアニメのオープニングだ。

 前奏に合わせて、ロクコちゃんが小さく息を吸う。

「~~♪ ~~♪」

 う……うっま。

 この歌は重厚な世界観のファンタジー作品のオープニングテーマだったはずだ。落ち着いていて、それでいて熱い曲調がロクコちゃんの綺麗な歌声によって紡がれていく。

「――……終わり」

 歌い終わった時、わたしたちは自然と拍手していた。

『うまww』『うますぎワロタ』『久々に聞けて感動……』

「さあ得点はー!」

 だららら……と点数が回っていき、だん! と刻まれた点数はなんと――93!

「たっか!」

「いやー素晴らしい歌声でしたねミアちゃん、どうでしたか?」

「え! ええと……なんか……すごかったです」

『解説ー?』『もうちょっとなんかあるやろ!』『なんかすごいww』『これはクビ』

「えっと! 胸に来る感じでした! 歌声も綺麗で、シリアスな曲調とマッチしてて! 高得点も納得のすばらしい歌です! おらぁ! これでどうだぁ!」

『花丸!』『よくできました!』『リスナーに向かってだと元気なんですね!』

 おい最後のやつ、名前覚えたからな。

「ミアちゃんありがとうございました! ロクコちゃんって実は歌うまなんですよねー。ちなみになんで歌枠しないんですか?」

「はずいじゃん」

『はずいww』『ロクコちゃん恥ずかしいとかあるんだ』『無表情なのに照れてるように見えてくる不思議』

「だそうです! はい、では次はリリシアちゃんです。……さあハードルがあがりましたがリリシアちゃんはどんな歌を聴かせてくれるんでしょうか!」

 柏木さんは難しい顔で曲を選んでいた。なんだかそわそわしてくる。平気だろうか。柏木さんの歌なんてたぶん合唱の時に聴いたくらいだ。要するにわかんない。ロクコちゃんはすごく上手かった。ましてバトルという形式だ。どうしても比較はされてしまうけど。

 ふいに顔を上げた柏木さんがわたしを見て、ちょっと目を丸くしてから、くすっと笑った。

「決めました!」

 タッチして曲名がカラオケの画面に表示される。たしか、数年前に流行ったドラマの主題歌だったはずだ。そういえばこればかりがテレビでも街中でも流れていた時期があった。好きな人に想いが届かない系の切なめラブソング。

 リリシアちゃんが目をつむり、口を開いた。

「~~♪」

 語りかけるような歌声が広がる。うまい……。心配なんて何もいらなかった。吸い込まれるようだ。それから少し胸がくっと詰まる。聞きやすいメロディーラインに添って、優しい声が流れていく。

「……終わり、です」

 曲が終わる。リリシアちゃんがはにかむように言って、わたしたちはまた大きな拍手をした。

『ガチすぎん?』『可愛すぎる』『どうなってんだこのグループ』『CDデビューしろ!』

「すごーい! リリシアちゃんも上手だねー! さあ得点は!?」

 大仰な演出と共に現れた点数は――94!

「接戦だー! すこーしだけリリシアちゃんがリードですねミアちゃん!」

「あっ、そ、そうですね。優しい歌声で、非常に良かったなと、はい」

 なんでこんなに歌上手いんだ……? 別にぽらりすって歌うまを集めてるわけじゃないはずなのに……。

 そこで、す……っと月穂さんが隣で私に向き直って座りなおす。

「……解説のミアちゃん」

「な、なんでしょうか実況のイヅキ先輩」

「私も参戦していいですか?」

「ええ!?」

「聞いてたら歌いたくなっちゃった!」

『イ ヅ キ 参 戦』『きちゃあああああ』『プロ来た』『もうこれライブ会場だろ』

 自由人すぎる!

 謎のバトルにイヅキ先輩が参戦。イヅキ先輩もはちゃめちゃに歌が上手かった。ほんとどうなってるんだうちのグループ。もしかして所属したら歌声にバフがかかるのか? なんて思ったけどその後歌ったわたしの声はしっかり平凡だった。『安心する』『逆に良い』という高評価も大量。おいコメント、それ褒めてないからな。



 カラオケを出て、わたしたちは月穂さんの車に乗っていた。帰りは月穂さんが車で送ってくれることになったのだ。疲れていたし、お言葉に甘えることにした。

「あー歌い疲れた! 喉使い過ぎたかもー。明日の配信平気かなぁ」

 車の中、運転しながら月穂さんが独り言のように言う。

「イヅキが体調悪いの見たことないけどね」

「そうだっけ?」

「最後にいつ風邪ひいたの?」

「小学校くらいかな」

「バカはなんとかって……」

「おい私のことバカって言ってるかー?」

 助手席の澪ちゃんが月穂さんをいじっていた。出会った時もそうだけど、この二人はけっこう仲が良いようだ。カラオケがすっごく楽しかったせいか、皆もまだまだテンションも高い。でも外はもう暗くなり始めていた。もうこんなに時間が経ったんだな。

「そういえば三人とも、今更だけど急に邪魔してごめんね」

「い、いえ!」

 月穂さんがミラー越しに声をかけてきて、ぶんぶんと首を振る。わたし的にはすごく嬉しかった。憧れの人なのだ。

 隣で柏木さんも頷いている。

「私も平気です。楽しかったですし。……しかも勝てましたし!」

「一生の不覚」

「やー、リリシアちゃん強かったねー」

 今回の『どっちが白宵ミアにふさわしいか? カラオケ点数バトル配信』優勝者はリリシアちゃんであった。柏木さん、歌あんなに上手だったんだな。

「ああこれでゆいなちゃんとハネムーンへ……」

「春花、ゆいなは家具をご所望だったよ」

「…………じゃあ家具を選びにショッピングデートへ行きましょうか!」

「強い」

「春花ちゃんはポジティブだなぁ」

 柏木さんにみんなが笑っている。

「は、ハネムーンはあれですけど……」

 そんな会話の隙間に、おずおずと口を開いた。

「今日は楽しかったので……また、遊びたい……です」

「当たり前ですよゆいなちゃん!」

「遊ぼう遊ぼう」

「車も出すよー! 遠くとか行くのもアリかもね」

「あ、キャンプとかもいいですね」

「え? 外?」

「おーいいね、インドアな澪は置いていけばいいし……」

「行くし!」

 みんながわいわいと今度のお出かけの予定について話している。

 こんな楽しいところにいる自分を意外に思う。

 楽しい。そうだ。

 出かける前は心配だったし、最中もいろいろあったけど、結果的には全部楽しかった。

 昔までのわたしだったら、何か理由を探して少しは暗い気持ちを抱えたままだったかもしれない。

(……変わったのかな、わたし)

 昔のことがふっと脳裏に浮かぶ。

 中学の頃から、気づいたら周りの感覚に段々ついていけなくなった。何か周りと一つズレているような感覚があった。みんなが当然のように知っていて話題の中心にあがるものをわたしは知らない。みんながぜひ行きたいと笑顔で訪れる箇所に着いていっても、わたしは全然面白くなれない。

 じわじわと周りとの距離が離れていく感覚に焦っていた。

 だけどズレを無理に矯正しようとしても、一回外れた歯車はうまくかちりと収まらない。

『楽しかった……ね?』

 中学の終わり際、まだギリギリ繋がりのあったクラスメイトと出かけた時、気遣うようにそう言われたことがあった。

『……う、うん』

 わたしは一拍遅れて頷きを返した。その一拍がズレなのだ。あの日以来、自然にわたしは周りと喋らなくなって、一人ぼっちになった。

 つい最近までは……だけど。

「ゆいなちゃんって泳げますか? 夏になったらプールとか」

「春花ストップ、抜け駆けはずるだよ」

「ずるくないですよ? クラスメイトとお出かけするのは当然の権利です!」

「じゃあ制服貸して。わたしも入学する」

「ダメに決まってます!」

 隣と前の席で交わされている会話をふわふわとした夢のように聞いている。

 こんなに楽しいところにいていいんだろうか。

 VTuberとして、白宵ミアとしてのわたしがここにいるならまだわかるのだ。わたしと違って【白宵ミア】は人気者だ。生意気だけど。それでもかわいい。そういうキャラとして演じている。ぼっちってバレたけど、ネットでもまだ受け入れられてるし。

 けどここにいるわたしは素のままのわたしだ。ただの人付き合いが苦手な一般人。

(そんなわたしと、どうして一緒にいてくれるんだろう)

 ……しばらくして、車内が静かになってきた。

 みんなちょっと疲れているみたいだ。さっきまで盛り上がっていた車内が打って変わって密やかになる。うつらうつらとしていた澪ちゃんからは、軽く寝息も聞こえてきていた。

「……柏木さん?」

「はい、どうしましたか?」

「あ、えと……」

 まだ起きてたんだ。声をかけてしまって、何を言うべきか迷う。どうしてわたしの傍にいてくれるんですか? そう聞こうと思ったけど、流石に急だし、変だ。重いし。そうじゃなくて。なんか他の、そうだ。

「カラオケで最初の曲を歌う時、目があいましたよね……あれは……?」

「あ……」

 歯切れの悪い返事だ。言いづらいことを聞いただろうか。

「言いたくなかったら、別に、その、いいんですが」

 首を振り、少し考えてから口を開いた。

「あの時、私、ちょっと不安だったんです。負けるかなって思って」

 そうなんだ。たしかに、澪ちゃんは上手かったけど。

「それでゆいなちゃんを見たら……勝たなきゃって元気が出てきて」

「そ、そうなんですか?」

「はい。ゆいなちゃんが不安そうにしてたので」

 くすくすと笑われて、ちょっと顔が熱くなってくる。思い返してみると、たしかにそんなことを思っていた。柏木さんに肩入れしてしまっていたのだ。解説なのに。

 わたしの中で柏木さんはなんでもできる人だ。あんまり負けている様子とかイメージできない。だから勝ってほしいと思ってしまった。

「その……柏木さんって、わたしの中で完璧なイメージがあって。でも澪ちゃんがすごく上手だったので、負けちゃうかなって思って。……も、もちろん、遊びだし、どっちが勝ってもいいんですけど」

「そうだったんですね」

 柏木さんは呟いて、わずかに困った顔で小さく言う。

「私は……完璧なんかじゃないですけど」

「え?」

 小さな呟きはそのままに、柏木さんは軽く首を振った。そして、そっと体を寄せてくる。

「いえ。そういえば、勝ちたい理由がもう一つありました」

「な、なんですか……?」

「勝ったら、ゆいなちゃんの頭を撫でてあげたかったんです」

「頭……ですか?」

 そっと頭を押さえる。どうして頭なんて。

「……ゆいなちゃん、今日はたまに自分は仲間外れみたいな顔をしてたから」

 その言葉に思い当たるところがあってどきりとした。

「一緒にいるのに、別の場所にいるみたいな」

 そうかもしれない。今日ずっと一緒にいる人はみんな輝いている人たちだった。ここにわたしがいていいのかな。そういう思いはずっとある。今もそうだ。

「だからちゃんとゆいなちゃんを見てるよ、って。そういう気持ちもこめて。一緒にいていいんだよって言いたいなと思って」

 照れるように頬を染めて笑う。

 その笑顔に、胸のつかえが少し溶けていくのを感じる。

 一緒にいていいんだ。そうか。そうなのか。今のままでも。別に。

「あ……ありがとうございます」

「ほんとは普段から言えたらいいんですけどね」

 軽く笑った柏木さんが手を伸ばして、わたしの髪をよしよしと撫でた。頭の上の静かな手の動きに、だんだんと心が穏やかになってくる。

「二人とも、眠ってていいからね。澪はもう寝ちゃったし。住所はさっき聞いたから、近くまで来たら起こしてあげるよ」

 月穂さんの、微笑み交じりの優しい声が届く。

 その声に力が抜けて、シートの揺れに体を預けた。安心してだんだん眠くなってくる。途中、柏木さんの肩が当たった。どっちかが傾いているのかよくわからない。

 それからいつの間にか眠りに落ちていた。



 第四章



 みんなとお出かけをしてから数日が経った。

 今日はスタジオでリリシアちゃんとオフコラボだ。

 なんと本日はプロモーション配信。いわゆる案件というやつである。

「というわけで本日発売! ぽらりすメンバーのカード付きチップスを開封していきます!」

 画面には映らないけど、リリシアちゃんが手を広げてわたしたちの前にある長机を示した。そこにずらっと並べられているのは大量のチップスのパッケージ。パッケージにはぽらりすのメンバーが描かれている。

『昼休憩にコンビニ行ったら全滅でワロタ。早すぎ』『初めて田舎生まれに感謝した』『スナック菓子ASMR!?』『りりみあ当たったあああ!』『二つ隣の駅で買えたわ。イヅキちゃんだった』

 中には一袋につき一枚、ぽらりす所属VTuberのイラスト付きカードが入っているのだ。しかし誰が当たるかは完全ランダム。

「ちなみにミア先輩の狙いは誰ですか?」

「もちろん一番かわいい子でしょ! ちなみに名前はー……」

「白宵ミア、ですね! じゃあ二人でミア先輩狙いです!」

「……あっ。えっとぉ、そうなんですけどぉ……」

『照れてるww』『防御力ゼロ』『ミア様好き!』『いざ本当に自分の名前言われると照れるの草』『へにゃ声も聞き慣れてきました』

 コメント欄にもいじられて口がもにょもにょする。最近もう完全にわたしとリリシアちゃんの二人組、『りりみあ』のへにゃへにゃしてる方と認識されてしまった。

 こんなの元々の白宵ミアのキャラとは違う。ぼっちな素のわたしが出てしまっている。

 だから歓迎なんてされないと思っていたけど……。

「ではミア先輩が当たるようにパワーを分けてもらおうと思います」

「……ぱわー?」

「ちょっとハグしますね」

「あ、うん…………うぇぇ!?」

『うんうん、パワーは大事だよね』『ゴミついてるから取るねのテンション』『ミア様反応遅いww』『リリシアたんが凄いのかミア様が警戒ゼロなのか』『無防備ミア様、正直好き』

 すごい滑らかにハグされて、動揺していたらコメントが加速していた。

 前までとは全然キャラが違うけど、リスナー的にはこれで良いらしい。

 お前らそれでいいのか? 生意気なミア様がこんなよわよわでいいのか? とは思わないでもない。しかし同時接続数……つまり見ている人はやっぱり普段よりも多い。SNSでもコメントでも毎回好評である。なんでこっちの方が人気出るんだ。

 わたしがコメントに思い悩む間にリリシアちゃんは袋を開封していた。……そしてカードを見て目を見開く。

「わ! すご! みみみ見てください! ほんとにミア先輩当たりました!」

「えええ!?」

『当たるんかーいww』『ハグ理論!?』『謎理論で草』『学会に衝撃走る』『推しに抱き着いてから開けると当たる』『うちのリリシアたんぬいでも行けるか……!?』

 そんな風にして配信は今日もわちゃわちゃと進んでいく。



「――お疲れ様でした! ぽらりすチップスをよろしくお願いしまーす!」

「おつみあ~! みんな食べ過ぎちゃだめだぞ~!」

 カメラに向かって手と顔を振って、配信終了。ふーっと二人で息を吐く。

「二人ともお疲れー」

 そこに秋子さんがやってきた。今日はグレーのジャケット姿で、口からは飴にくっついた棒が飛び出ている。

「疲れてるとこ悪いんだけど、ちょっと時間もらってもいいか?」

「え……帰りたいですけど……」

「大丈夫です!」

「よし。じゃあ二人とも先に会議室に行っててくれる? いつもの一番手前の所でお願い。ちょっと準備してから行くね」

 わたしの嫌そうな顔は普通にスルーされた。ちょっとマネージャーさん? 担当の子が疲れてますけど? もう少し面倒くらい見ませんか?

 秋子さんが去っていくのを白い目で見送り、重たい腰を持ち上げた。

 そんなわたしを柏木さんが覗き込んでくる。

「ゆいなちゃん、お疲れですか?」

「あ、いえ! 平気です!」

 配信も終わったので敬語で返す。今、目の前で顔を覗いているのはリリシアちゃん――ではなく、クラスメイトの柏木さんだ。

 同一人物だけど、配信の時とそうでない時はちゃんと呼び方を変えている。これも最初は慣れなかったけど、ずっとやっていたら慣れてきた。コラボも多いし、学校でも会うから、切り替えはきっちりやらないと身バレに繋がってしまう。

「そういえばゆいなちゃん、だいぶ私に慣れましたよね」

「へ?」

 二人で指示された会議室のドアを潜りながら、柏木さんがふと思い出したように言った。

「最初にオフコラボした時なんて倒れちゃったじゃないですか」

「たしかに……」

 そういえば初めての時はぶっ倒れてしまって、柏木さんと秋子さんに家まで運んでもらったのだった。

「ゆいなちゃんが慣れてくれて嬉しいです! ちなみにもっと距離を詰めていただいてもおっけーですよ!」

「……そ、それはおいおいで……」

 両手を広げてうぇるかむな姿勢を向けられるけど、やっぱりわたしのぼっち精神が首を縦には振らせない。柏木さんにも慣れてきたとはいえ、気軽にハグとかは難しそうだ。

「お待たせ―。ごめんね配信終わりに急に呼んじゃって」

 会議室で待つこと三分くらい。秋子さんがやってきてわたしたちの前に座る。

「これ、資料ね」

「ん……?」

 すーっとクリアファイルに挟まれた紙の資料がわたしたち二人に渡される。

 なんだろう……。

「中、見てみ」

 秋子さんがなぜか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。こういう時はあまりろくなことにならないんだけど……。

 警戒しながら中の資料を取り出す。

 その表紙には――太字で『りりみあ3Dライブ(仮)』と書かれていた。

 ……えっ?

「ということで、リリシアちゃん&ミアの3Dライブの企画書です! 拍手!」

「ええええ!」

 ぱちぱちぱち、という秋子さんの拍手が渇いた音を立てている。

「ここここ、これはどどどどういう」

「まあまあ落ち着いて。それを説明するんだろ」

 呆れた様子でなだめられる。いやいやいやでもこれが落ち着いていられますか!?

 3Dライブ。それは数多くのVTuberの一つの憧れでもある。

 普段の2Dアバターではなく、3Dのモデルを用いて歌って踊るのだ。まるで可愛いアイドルのように。かっこいいアーティストのように。それぞれのキャラクターを生かしたセットを背景に、実際のライブ会場で、観客の前に立つ。わたしも何度妄想したかわからない。

 でもそれには高い壁があるはずだった。そもそもまず3Dモデルが必要だ。普段は基本的に首から上しか動かない2Dのアバターを用いているけど、踊るには3Dのアバターがいる。

 でも、聞く話では3Dモデルはめっっっちゃ高いらしい。

「あ、あの、しゃっ、借金はおうちの事情でできなくてぇ!」

「こら落ち着けって」

 ぺし、と丸めた紙で叩かれた。すみません。

「まずページ開いて。二人の3Dモデルのデザインがあるから」

 言われてページをめくる。そこにはわたしたち、『白宵ミア』と『リリシア・シャーロット』が3Dになった場合のデザインが載せられていた。

 ということは、わたしと同時期にリリシアちゃんも3Dになるのか。3D化のペースとしてはけっこう早い気がする。それだけこの企画への熱意があるようだ。

「これ実はもう動いてて、あとは細かい調整くらいなんだ。二人とも、これ見て何か気になるとか変えてほしいとかある?」

「……い、いえ」

「……私もです」

 記載されているデザインは普段のわたしたちの2Dアバターを元に作られたものだ。服装もリスナーが一番よく見慣れているものだし、全然問題ない。あと、こういうのは素人なのでパッと見た感じでは特にわからないっていうのが正直なところです……。

「じゃあそれでもうすぐモデルが完成する。……あと二、三週間くらいかな?」

「二週間!?」

「届いてすぐにお披露目ってわけでもないぞ。そんな慌てなくてもいい」

「で、でも……」

「それよりも3Dライブの話だ」

 ライブと言われて背筋が伸びる。そうだ。ライブ。3Dモデルの話も重大だけど、3Dライブの方がもっと重たくて大きい。

「これ自体はまだ企画段階だ。上にも通してない。……からほとんど決まってないし、今からでも引き返せる」

 ページをめくる。そこにはまだほとんど記載はなく、空白が目立っている。要点として『白宵ミアとリリシア・シャーロットのペア(通称:りりみあ)でライブを開催する』と書かれているくらい。

「今日はライブについて、二人の意思を聞きたくて呼んだんだ。……どう? 二人とも、3Dライブをやる意思はある?」

 秋子さんがわたしたちを見つめる。

 資料を握る手に力が入って、くしゃりと紙が折れた。

 ライブ。ライブか。妄想の中で憧れていた感情と、それが現実になりそうなこの瞬間の怖さがわたしの中でせめぎ合ってる。

 ……こんな大舞台、わ、わたしにできるのか?

 押し黙っていると、秋子さんがふとドアに目を向けた。

「悩むだろうと思って、助っ人も呼んでる。二人とも入っていいぞ!」

「どーもー! 去年のライブはMCめっちゃ噛みました! 水上イヅキです!」

「歌詞ミスりました。瀬名ロクコです」

「つ、月穂さんと澪ちゃん……!?」

 背後の扉が突然開いて、急に月穂さんと澪ちゃんの二人が入ってきた。

 な、なぜ二人が?

「やー、まぁ丁度ここに来る予定あったところにこう……頼まれちゃったからねー」

「ライブ参加経験あり。ぶい」

 そうだ。二人は前回のぽらりす主催のライブ――『Polaris Live!』に参加していたのだ。

 去年の『Polaris Live!』は、ぽらりすの一期生が全員参加したライブだった。参加メンバーはイヅキ先輩、ロクコちゃんを含む一期生メンバー五人。ライブをするVTuberがまだ少ないのもあって当時は相当な盛り上がりを見せた。

 わたしもそこにいた。もちろん観客としてだけど。

 月穂さんがどーんと胸を叩いた。

「色々不安があるならさ。私たちに相談していいから!」

「うむ。月穂が全部教えてくれる」

「おいおいきみもやるんだぞ」

 頷きながら腕を組んでる澪ちゃんに月穂さんが呆れた目を向けている。

 二人ともこんなに軽く言うけど、去年はあの大舞台に立っていたのだ。

 わたしは客席の後ろの方にいた。あんまりお金も無いし、前列のチケットは取れなかったのだ。イヅキ先輩をよく見ていたから、ふと思い立って、軽い気持ちで見に行った。

 すごかった。人が大勢いて、舞台は大きくて、キラキラしていた。大きな画面にイヅキ先輩たちが映って、歓声が沸いてペンライトが揺れて、強く胸が疼いたのを覚えている。

 ……あそこに、わたしが?

「む――」

 無理では? ……一瞬で天秤が諦める方に傾きそうになる。

 だってわたし人前に立つとか普通に無理だし。まず立つだけで頭真っ白になるし。柏木さんみたいに自然にみんなから好かれる笑顔でいられるならまだしも、こちとら学校の自己紹介で気絶したんだぞ。無理に決まってるむりむりむり……。

 ……と、昔ならすぐに諦めてしまっただろう。

 今は無理だとすぐに言い切らないで、悩むだけの隙間がある。

 これでもわたしは半年以上VTuberを続けてきた。慣れないコラボにも慣れてきた。実際にみんなと出かけて、自分自身にも自信が付いた。登録者数は三十万人も越えている。

 ライブで大勢の人の前に出るのは怖い。けれど憧れの舞台でもある。鮮烈な印象のあった『Polaris Live!』は未だに目の奥に焼き付いていた。あんな風にわたしもみんなを楽しませられたら、どんなに素晴らしいことか。

 ぐぐぐ、と悩み、振り絞るようにしながら、声を発した。

「で、出たい……です」

「お」「おー!」「おお」

 柏木さん以外の三人の声が重なった。

 秋子さんが嬉しそうに笑う。

「いやよかった! やっぱ断るとしたらミアかと思ってたんだよ!」

「やっぱってなんですかやっぱって!」

 まあ一瞬思いましたけど!

 月穂さんと澪ちゃんはわたしの席にやってきて頭を撫でたり頬をさすったりしてくる。

「ゆいなちゃんえらい! よく言ったぞー!」

「ゆいなってほっぺすごいもちもちだね」

「あ、ありがとうございます……」

 承諾しただけでこの待遇。えへへ、月穂さんにえらいって言われるの嬉しいな。澪ちゃんにほっぺ触られてるのは関係ないけど。

 でも、ライブに出るのはわたしだけじゃない。肝心なもう一人の意思を聞かないと。

「か、柏木さんは?」

 声をかけると、柏木さんがはっと顔を上げた。

(あれ?)

「……はい! もちろん出ますよ」

「お」「おー!」「おお」

 また三人の声が重なる。

「春花ちゃんもえらーい!」

「月穂とレッスン見に行くね。ふぁいと」

「はい! がんばりますね……ってなんでほっぺ触ってるんですか?」

 頭を撫でられ頬をさすられながら柏木さんが澪ちゃんに尋ねている。

 わたしはそっと首を捻った。

(……気のせいかな?)

 さっき柏木さんに声をかけた瞬間、わずかに躊躇うような様子が見えた気がした。

 でも今は全然そんな風には見えない。澪ちゃんに「それはね、お前のお腹をくすぐるためだよ」とかくすぐられて身をよじって笑ってるだけだ。やっぱり気のせいかも。

「よし。決定だな! まだ企画通してないけど!」

 机をぱんと叩いて秋子さんが立ちあがる。自信満々で、企画が通らないとか微塵も思っていないような声音である。

「告知は来月あたりに3Dお披露目配信で出来たらいいなと思ってるから、二人ともそのつもりでね!」

「ら、来月ぅ……!?」

 またドキドキしてきた。ライブの前には必ず3Dモデルのお披露目がある。これもVTuberとしては大きなイベントだ。立て続けに一大イベントの話が出てきて頭がぐらっとしてくる。

「二人のお披露目楽しみにしてるよー!」

「めっちゃ失敗したら笑ってあげる」

「え、縁起でもないことを!」

 澪ちゃんに叫びつつ、柏木さんに目を合わせた。

 いつも通りの様子で、お腹の前で軽く拳を握っている。

「まずはお披露目ですね。ゆいなちゃん、がんばりましょうね!」

「は、はい、がんばりましょう……!」

 どうもやるしかないようだった。

 来月か……来月って、どれくらいで来るんだろう……。



 とか考えていたのがおよそ一ヵ月前。

 あっという間に3Dお披露目配信の日になってしまった。

「うわあああ……めちゃめちゃ緊張するぅ……」

 ここはぽらりすの特設スタジオ。3D配信の場合、わたしたちの動きを3Dモデルに反映するために機材や装備が必要だ。そのための特別なスタジオがある。

 けっこう広い空間に、わたしたちはモーションキャプチャースーツを着て立っていた。ぴたっとした素材でちょっと恥ずかしい。3Dのためなら仕方ないけど。

 このスーツの動きを部屋の隅にぐるりと配置されたカメラが捉えて3Dモデルに伝えるのだ。ちゃんと動いているかどうかは、モニターがちゃんと複数台設置してあるので見えるようになっている。

 今のところモニターには配信枠の待機画面に流れるコメントが映っている。

『wkwk』『こんみあ』『待機』『こんみあ~』『ミア様緊張してそう』『来るぞ……!』『りりみあ同時とか贅沢すぎ!』『お披露目で二人同時珍しくない?』『うおおおおお』『リリシアたああああん』『これ絶対ミア様ビビってるな』

 まだ何もしてないのにしっかり緊張がバレている。

「ミア先輩の3Dという記念すべき日に隣に立って居られて感無量です……」

 緊張するわたしの横でリリシアちゃんはなぜか手を合わせて拝んでいた。

 リリシアちゃん、普段は平気なんだけどたまに変になるんだよな。わたしじゃなくて企画した秋子さんとかに感謝すべきでは……?

『そろそろ始めまーす』

 耳にはめたイヤホンからスタッフさんの声が届いて心臓が跳ねた。スタッフさんはみんな別室のコントロールルームにいて、こっちの様子を見ながら色々とサポートしてくれるのだ。

「お、おおお願いします」

「お願いします!」

 ついに来てしまった3Dお披露目。リリシアちゃんと構成を考え、リハーサルもした。

 今日はまず、二人で歌う所から配信が始まる。

 この日のためにリリシアちゃんと特訓してきた。歌と振り付け。今日やる二曲だけに絞って鬼のレッスンをこなした。

 うおぉぉ思い出せあの日々を……! まだ一ヵ月しか経ってないけど……!

『始めます。五、四、三……』

 カウントダウンがゼロのタイミングになった時、配信画面がぱっと切り替わってわたしたちを映しだした。明るいライブ会場のようなセットに立った、【白宵ミア】と【リリシア・シャーロット】の二人。コメントの流れが加速して盛り上がっているのが見える。

 イヤホンからポップなメロディが流れ出す。

 くるりとターンして、ポーズを決めた。そして歌い出し!

「~~♪」

 歌い出し、おっけー!

 それからも練習したことを思い出しながら必死に声を出してダンスを当てていく。

 横ではリリシアちゃんも同じ振り付けを踊っている。初の本番だというのに、声は相変わらずとても綺麗で、ダンスだってキレがあった。流石すぎる。これがスペック差というやつでしょうか。でも、リリシアちゃんが隣にいるのは頼もしさもある。

 歌い終えて、二人でカメラに向かってぶんぶん手を振った。

「みんなこんみあー! 3Dお披露目はじまるよー!」

「一回みなさんの所に移動しますねー!」

 そして配信画面が暗転。背景を切り替えるのだ。本当に移動しているわけではないけれど、まあお約束というやつである。

 切り替わったのを確認して、配信再開。ちなみに今日のタイトルは『【#りりみあ3D!】つよつよコンビ、3Dになります【ぽらりす/りりみあ】』である。

「こんみあ~~! ぽらりす二期生! つよつよ吸血鬼の白宵ミアだよー!」

「こんばんはー! ぽらりす三期生! つよつよプリンセスのリリシア・シャーロットでーす!」

『うおおおおおお!』『きちゃあああああ!』『3Dおめでとうー!』『ミア様踊れるんか!』『うごいてるよおおおお』『りりみあ!りりみあ!りりみあ!』

「みなさん見てくださーい! ミア先輩の3Dですよー!」

「そ、そうだぞシモベたちー! これがすーぱー吸血鬼ミア様の真の姿なのだぁー!」

『初手ミア様アピール』『モデルかわいい』『ミア様ああああああ』『ファンサ頼む!』

 リリシアちゃんに肩を押されて真ん中に立った。カメラが切り替わってわたしの全身がアップで映し出される。

 やっぱり、自分で見てもかわいい姿をしていた。ハーフツインの長い銀髪も、いつもの生意気そうな表情もちゃんと表現されている。身長は現実のわたしと同じくらいで少し小さめ。くるくると回って見せると、衣装や髪もそれに合わせて揺れる。

『ミア様ー!』『\50000』『ミア様がおる……(泣)』『衣装作り込まれてる!』

「どうー? かわいいだろー! かわいいと思ったそこのきみ! 高評価とチャンネル登録をお願いな!」

『ぽちー!』『悔しいけど実際かわいい』『もうしてたわ』

「あーこれでまたみんなに崇められちゃうなー……って、り、リリシアちゃん?」

 なんか今日は大人しいな……と横を見たらリリシアちゃんが顔を両手で押さえて固まっていた。

「ど、どうしたの?」

「み……みあせんぱい……ほんとぉ……やば……」

「え……?」

『?』『何?』『機材トラブル?』『固まってるけど』

 顔に当てていた手が剥がれて、わなわなと宙に向けて震わせた。

「みあせんぱい宇宙でいちばんかわいいよぉ……なみだでてきたぁ……!」

「ええええ!?」

 リリシアちゃん! マジで泣いてる!

『ええwwww』『www』『限界化してるww』『wwwwwww』『推しの3D隣で見れたらたしかに感無量ではある』『なかないで』『あかんなんかワイまで泣けてきた!!』

「り、リハーサルの時は平気だったのに!」

「がっ、我慢してたんですー!」

 リリシアちゃんの声が震えている。これもしかして時間とか置いた方がいい?

「あの、だ、大丈夫?」

「いえ……だめなので頭を撫でてハグしてください……あと頭を撫でる時はちゃんとよしよしって言いながらでお願いします……」

「注文が多いー!」

『わがままで草』『大丈夫そうww』『リリシアたんの癖を感じます』

「……じゃあ頭だけね」

『ww』『やるんだww』『でもやるのかww』

 というわけで少しだけリリシアちゃん復活までの時間を取った。



「お騒がせしました……」

 コメントを読みつつ頭を撫でていたら、すぐにリリシアちゃんは復活した。

 恥ずかしそうに画面に向けて頭を下げている。

「すみません……ミア先輩が可愛すぎて動揺してしまい……」

『ガチ謝罪で草』『まさか謝罪会見お披露目になるとは』『かわいいからしょうがないな』

「パンツでもなんでも見せますのでどうかここは一つ……」

「リリシアちゃん!?」

『エッッッッッ』『許します』『これはBAN』『これアーカイブ残らないタイプの配信ですか!?』『神枠じゃん』

 身を切り過ぎている。三分もかかってないんだからそこまでしなくても!

「あ、あのぉ! それより今日は告知があってぇ!」

『迫真のカットイン』『慌ててるww』『告知は普通に気になるけど』

 元々の予定に話を戻す。

 一回落ち着こう。元々の予定通りここで告知を入れるのだ。

「今日はなんで二人なんだって思った人もいるでしょー?」

『思った』『だいたいお披露目って一人よね』『告知と関係あるんか』

 3Dのお披露目配信は、基本的にはまず一人でやることが多い。

 でも、今日は『りりみあ』の二人で大事な告知があるのだ。

「リリシアちゃん、告知しても平気?」

「あ、はい! 大丈夫です!」

「じゃあスタッフさんお願いします!」

 ぱっと画面が切り替わり、配信画面にでかでかと大きな文字が映し出された。


 ――【りりみあ3Dライブ決定!】


「……というわけで!」

 リリシアちゃんと声を合わせて発表する。

「3Dライブが開催されまーす!」

『ええええええええ!』『きたああああああ!』『まじかあああああ!』『ライブうおおおおおお!』『熱すぎる』『きちゃああああああああ』『おおおおおおおお』『すげええええええ』

 目で追えないスピードでコメントが流れていく。かすかに見えるのはだいたい歓迎のコメントだ。喜びが目の前に見えて嬉しくなる。

「詳細は後々発表するから! みんな続報を待っててねー!」

 少し経っても全然流れが止まない。去年の『Polaris Live!』の時もこんな感じだったような気がする。あの頃よりもぽらりす全体の視聴者が増えてる分、もっとすごいかもしれない。まるでもう歓声が聞こえるようだ。胸が熱くなる。

 しかしここからはもう後には戻れない。憧れの舞台に不安もある。怖さもある。でもきっと成功させられるはずだ。リリシアちゃんだっている。わたしは一人じゃない。二人で絶対に成功させなければ!

 そう意気込んでリリシアちゃんの方を向いて、

(……あれ?)

 違和感を覚える。

 なぜか少し、ぼうっとしていた。

 コメントも見ていない。どこにも定まらない場所へ目を向けているような感じだ。さっきの限界化していた様子とも違う。

「……リリシアちゃん?」

 小声で名前を呼んだ。はっと顔を上げて、慌てて笑顔を作る。

「……あっ、すみません! ちょっとぼーっとしちゃいました!」

『平気?』『まあ大発表だしな!』『限界引きずってる?』『ライブがんばれええええええ』

「はい、そうですね! ライブですよね! がんばりますよー! ミア先輩となんて夢でもありえないくらい嬉しいことなので、絶対成功させますから!」

「……そーだね! まあつよつよ吸血鬼なら余裕ですけどー!」

「あ、これはまた強がってますね! これはハグをしないといけません!」

「わっ、えっ、なんでその流れで抱き着くんだぁ……!」

『へにゃ声ノルマ達成』『3Dへにゃ声ありがとおおおお』『3Dでのいちゃいちゃ見れるのありがてえ』『やっぱりりみあなんだよなぁ……』

 濁流のようなコメントの中で、リリシアちゃんへの違和感も流れていく。

 まあ一瞬だったし、勘違いなんだろう。きっと。

 そんな風にして目的にしていたライブの告知も無事達成。

 この後もしっかり盛り上がって、3Dお披露目配信は成功を収めたのだった。



 翌朝。ベッドで昨日の告知についてネットでみんなの反応を検索する。

『【朗報】ぽらりす所属ユニット「りりみあ」のライブ開催決定』

『マジで楽しみすぎる!』

『チケット争奪戦やろなぁ……』

『去年のライブくらいの規模なんだろうか』

『ミア様って運動得意なイメージ無いけど踊れるの?』

『リリシアたんは歌も上手いし完璧そう』

『ミア様転びそうで怖い』

 ……わたしへの心配がちょくちょく出てくるな。

 たしかにリリシアちゃんとわたしのどっちが不安かと言えばわたしに決まってるけど。

 情けない現実に眉が寄ってしまう。

 くそぉ見てろよぉ……絶対あっと言わせてやるからなぁ……。

「おねーちゃん早く起きないと遅刻するよー」

「あっうん!」

 妹の声でがばりとベッドから飛び起きた。

 朝食を食べ、いつも通りの準備をする。3Dお披露目は盛り上がったけど、同時にすごい体力も使った。レッスンでの基礎トレーニングはしていても、緊張の中あれだけ動き回るとたいへん疲れる。しかしそんな翌朝だって学校はあるのだ。ああ無常。

(はぁ……)

 家を出て、駅までの道を一人でぽつんと歩いている。

 ネットではそこそこすごいわたしではあるが、リアルでは単にぼっちな一般人だ。ゆいなちゃん昨日すごかったねー! とか誰も言ってくれない。隠してるから普通なんだけど。というか友だち(?)が柏木さんくらいしかいないんだけど。

(そういえば、最近は柏木さん来ないな……)

 けっこう前、初めてのオフコラボの翌朝、柏木さんが突然家まで来てびっくりしたことがあった。あの後も何度か来てくれてはいたのだ。けど、最近は来ない。

(まぁ柏木さんも忙しいしな……)

 柏木さんはネットでもすごいし、リアルでもすごい。友だちだって沢山いる。

 わたし以外の人付き合いだってあるだろう。わたしとは違う。

 うう、なんでわたしは友だちが増えないんだ……。

 胸の中で涙を流しながら、とぼとぼ一人で通学するのだった。



 教室の席に座り一息ついたところで、突然机の上に影が落ちた。

「玖守さん、ちょっといいー?」

「うぇ?」

 机を囲うようにクラスメイトの女の子が二人、目の前に立っていた。

 柏木さんと仲が良い二人だ。ギャルっぽい二人。気の強そうな子とちょっとふわふわしてる感じの子。

 急なことにビビる。わ、わたし何かやりましたっけ……?

「ハルちゃんが最近変なんだけど何か知らなーい?」

 ふわふわな声で言われたことを頭の中で組み立てていく。ハルちゃんとは春花ちゃん、つまり柏木さんのことだ。その柏木さんが最近、変。何か知らないか?

 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、と首を振った。わたし、知らない、何も、はい。

「そっかぁー。知ってるなら玖守さんかと思ったんだけどなぁー」

「へ、へぁ……」

 なんでわたしなんだ。よくわからないまま愛想笑いしようとして変な声が出てしまった。

「春花、最近授業中に居眠りしたりすんだよね」

 もう一人の気の強そうなタイプの子が呟く。

 え、まさかここで雑談するんですか?

「そー。なんか隈とか出てるし」

「化粧で隠してるよね」

「でも体調ちょっと悪そうな感じー」

「ほんとに知らん? 玖守さん」

 突如飛んできたフリに対しても、ぶん、ぶん、と首を振る。ほんとはちゃんと喋りたいんだけど、どもる気がするのでぶんぶんするしかない。わたし、蜂か。

 そっかーと二人が首を捻っている。

 変と言われて、思い当たるところは無いでもない。そういえば最近少しだけ距離が遠いような……。朝も来ないし。一緒にいてもなんとなく距離があるような気も……。

 けどこんなの言ったら勘違いだと言われそうだ。こじれ始めたカップルみたいになるし。

「じゃーなんかあったら教えてね」

「うちらも心配してっからさぁー」

 手を振って二人は自分の席へ戻っていった。柏木さんがいない間に切り上げるようだ。まあ心配されてるって知ったら無理しそうだもんな、柏木さん。

 柏木さんが登校してくる。「おはようございます」と笑って手を振ってくれた。

 授業中もぼんやり柏木さんを眺める。

 特に変なところはわからなかった。



 お昼休みになった。いつも通り柏木さんはわたしを屋上に誘ってくれる。

「ゆいなちゃん、今日……すっごい眠たくないですか?」

「え?」

 ぴくっと反応する。朝、柏木さんが居眠りをしているみたいな話を聞いたから、もしかしてその話だろうか。

「これ絶対昨日の疲れが残ってますよね。普段も長時間配信した時とかは疲れたりするんですけど、今日はそれの比じゃなくて……」

「……わ、わかります」

 いや、居眠りとかは関係なさそう。昨日の疲労が残ってるから、今日は当然眠い。わたしだって寝ないようにするのが大変だった。

「やっぱりダンスがけっこう疲れますよね。歌いながら踊るって、アイドルの方とか普通にやってますけど相当大変なんだなって実感しました。本番は練習とも違いますし……」

 ご飯を食べながら柏木さんの話に頷いている。無限に喋れるの、ほんとにすごい。特殊スキルか何かなのか。

 こうやって話している分には、柏木さんの様子は普通だ。

 変なところなんてどこにも……、

「あれ? ……ご飯、早いですね」

 ぱたん、と柏木さんがお弁当箱の蓋を閉じるのを見て、思ったことが口に出る。

 今日はずいぶんと食べ終わるのが早い。わたしのご飯はまだ半分も減ってなかった。いつもだいたい柏木さんが終わるタイミングで、半分以上は食べ終わってるのに。

 柏木さんがすっと目を逸らす。

「……実は」

 声を潜めて続ける。

「最近……ダイエットをですね……」

「だ、だいえっと?」

 う……嘘でしょ?

 柏木さんはだいぶ細身だと思う。クラスの子も「細いよねー」とか言ってるのを聞いたことがあるから、わたしだけの意見じゃない。それでダイエットとか逆に不健康なのではないか。痩せる意味あるの? そんなことしたら存在ごと無くなっちゃうのでは?

「見えないところがこう……あれが、あれで」

「へ、へぇ……」

「……あ、あの、お腹見ないでもらえますか! ちょっと恥ずかしいので!」

「す、すみません!」

 お腹を隠すように膝を抱えられた。

 すごく自然な流れに見える。「ゆいなちゃんはもう……」とか柏木さんが呟いて、わたしは謝りながらお弁当に視線を落とす。

(――本当にダイエットなんですか?)

 この柔らかい空気の中で、そう尋ねてみたいと思う。

 やっぱり、柏木さんへの違和感が気になっている。何か変な気がする。でも一つ一つは些細なものだ。今だって、ダイエットと言われればたしかにと思えた。でも朝に柏木さんの友だちにも言われたように、何かが変な気はする。どこがどうとは言えないけれど。

「あっ、チャイムがそろそろ鳴っちゃいます」

「……も、もう!?」

 悩んでいる内に時間が過ぎてしまった。お弁当もまだ残っている。

「もう少し時間はありますから、ちゃんと噛んで食べてくださいね」

 柏木さんがわたしに笑いかけながら言った。

(……平気なのかな)

 結局わたしはご飯に時間を使うはめになって、疑問を尋ねることはできなかった。



 ライブまではレッスン、レッスン。またレッスン。

 ぽらりすの事務所から近いところにダンススタジオがあって、わたしと柏木さんは最低週に二回はそこに通っている。

 最低、というのは、トレーナーさんが来てくれるのが週に二回だからだ。他の日も行くけど、トレーナーさんがいないので必然的に自主練習の日になる。

 今日はその自主練の日だ。

「ゆいなちゃーん! いけー! そこでターン! 春花ちゃんステップ! ターン!」

「月穂うっさーい」

 外野から叫んでる月穂さんに、澪ちゃんが眉をしかめている。

 自首練習の日は、予定が合えば月穂さんや澪ちゃんが様子を見に来てくれていた。この後にスタジオで配信予定なのに、そんな中でも時間を縫って来てくれているのだ。二人ともライブ経験者なので、アドバイスはとても助かる。野次がちょっとうるさいけど。

「……お、一時間経ったよ。休憩にしよっかー」

 練習を見てくれていた月穂さんが言って、スピーカーから流していた音楽を止めた。

 わたしと柏木さんはその場にへたりこむ。

「はー! 疲れました!」

「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……」

 柏木さんが汗を拭っている。それを横に倒れながら見上げた。お、起き上がれない……。

「ゆいなちゃんはまず体力だねぇ」

 呆れ笑いを浮かべながら月穂さんがスポーツドリンクを渡してくれる。

 返事もできないので深々と頭を下げる。本当にもう。おっしゃる通り。基礎錬はここでも家でもしてるけど、なかなか体力がつかない。

 澪ちゃんが隣にかがんで肩に手を乗せた。

「ゆいな。育成ゲームだと天才キャラは最初の成長率って悪いから」

「え……じゃあ……わたし……てんさい……?」

「……あー、希望は光にも闇にもなるよね」

 月穂さんが遠い目をしている。……いえ、わたし、天才ですから。この先には光しか見えませんから。なのでそんな目をしないでください。

 月穂さんはすーっと目を逸らして柏木さんに笑顔を向けた。

「春花ちゃんはだいぶ仕上がってきたねー!」

「ありがとうございます!」

「できるならもうちょっと動きを大きくしてみてもいいかな? トレーナーさんに言われてるかもしれないけど……」

「あ……たしかに前に言われたことありました。気にしてみます」

 柏木さんが頷いてどこからか取り出したメモ帳に書き込んでいる。すごすぎる。実力も意識も高い。これでは差が開いてしまうのでは。

「ゆいなもあれくらいできるようになるよ」

 澪ちゃんがわたしの傍らに屈んで優しい言葉をかけてくれる。

「ほ、本当ですかね……」

「うちもめっちゃダンス下手くそだったし。皆の足引っかけないかすごい不安だったな」

「あ、それわかります……」

「レッスン中は『ゲームはうちのが強いし』って思いながらダンスしてた」

 それは関係あるんだろうか。

「でもそんなうちでも出来るようになったし、ゆいなもたぶん平気。前回の時のうちよりは上手いと思うよ。大丈夫。いけるいける」

 ぽんぽんと頭を軽く叩かれる。

 こういう時、やっぱり先輩ってありがたい存在だなと思う。わたしと柏木さんだけだったらモチベーションを維持するのも大変だったはずだ。

 そこで月穂さんがぱっと手を掲げた。

「よし! じゃあ休憩終わったら今日はちょっと珍しいことしてみよっか!」

「……珍しいこと、ですか?」

 柏木さんが聞き返す。わたしも首を傾げた。何も聞いていない。

「じゃーん! 実はこのスタジオ、こんなことができるのだ!」

 入口の方に歩いていって、何やら設置してあるパネルをいじった。すると部屋の奥にゆっくりと真っ白なスクリーンの布が降りてくる。

「実際はダンスの映像とかを参考に流す用だけど本日はー……なんと!」

「水上イヅキ初配信の上映会をします」

「ちがーう! 去年のライブ映像流すんだよ! 適当なこと言う子にはお仕置きね」

「あっ、月穂、待っ――」

 月穂さんが澪ちゃんをくすぐりの刑に処している。なんか見ちゃいけない現場みたいになってて、そっと視線を逸らした。

 でも、ライブ映像か。去年のということはきっと、二人も参加した『Polaris Live!』のやつだ。

「歓声とかも入ってるから臨場感が出ると思うんだ! 本番だと思って一回やってみよ!」

 すっきりした顔の月穂さんが言う。澪ちゃんは隣で物言わぬ人形と化していた。

「わ、わかりました」

 簡単な仕掛けだけど、本番をイメージして練習できるのは良い気がする。体力とか振り付けとか歌とかを気にしていても、実際本番でその成果が出せなければ意味がないのだ。

 特にわたしは緊張しがちだから、ちゃんとできるようにメンタルも鍛えておかないと。柏木さんくらい堂々とできればいいな。

 そう思って隣を見たら、その柏木さんは表情を硬くして固まっている。

「……柏木さん?」

「え」

 ぱっとばねが伸びるように振り向いた。周囲を見て、慌てて笑顔を作る。

「すみません、ちょっとぼーっとしてて……あ、ライブ映像を流すのは賛成です!」

「よし、じゃあ用意するよー! 澪は復活した?」

「うう……ひどい目にあった」

「じゃあ電気消してー」

「あらやだもう……月穂のえっち」

「もう一回くすぐられたい?」

「消すよー」

 ぱち、と電気が消える。締め切った部屋なのでだいぶ暗くなった。プロジェクターの光を元に、柏木さんと二人でゆっくり練習の時の位置に立つ。

「ペンライトもあるんだ。前回の後、またあるならこういうのできたらいいなと思ってて」

 おもむろにペンライトを取り出した。去年の『Polaris Live!』で売っていた電池式のやつだ。わたしも持ってる。

 月穂さんが電源を点けると、暗い部屋に小さな光が一つ灯った。

 おお、たしかになんとなくライブらしい空気になってきた気がする。

「最初の曲のとこから始めるね。『Polaris Magical』だよ」

 『Polaris Magical』は、ぽらりすという事務所の代表曲みたいな歌だ。最近は三期生も含めて全員で歌う動画もアップロードされたし、それぞれのソロでも収録している。今回のライブでも絶対に入る曲で、ちゃんと振り付けも練習している。

「二人とも準備はいい?」

「は、はい!」

「大丈夫です!」

 二人で頷く。練習の通り、振り付けの最初のポーズをとった。

「じゃあ……スタート!」

「がんばー」

 スクリーンの映像が動き出す。DVDの中の歓声が部屋の中に広がった。

 ああ、これはたしかに、かなり緊張する。スタジオの中とは思えないくらいの緊迫感だ。

 イントロが流れ出した。画面の中の先輩たちが踊り始める。

 それに合わせて振り付けの通りに体を動かす。

 でも、すぐに体が動かしづらいとわかる。本番をイメージするだけでこんなに違うのか。

 歌いながらダンスも続ける。けど、いつもよりも余裕が無い。本番は間違いなくこんなものじゃないのに、今でさえこんなに動きづらい。まずはこれに慣れないといけない。

 しかし隣をちらっと見ると、柏木さんはちゃんと踊れている。

(すごい)

 踊りながら、頭の隅で感嘆を覚える。やっぱり、全然わたしとは違う。どうにかしてわたしは柏木さんに追いつかなければならないのだ。澪ちゃんはできると言ってくれるけど、本当に大丈夫なのか……。

「~~♪」

 曲が進んでいく。二番に入る。ほんの少しだけ、だけど慣れてきたような気がする。

 今はとりあえずやるしかない。そんな気持ちで振り付けを当てていく。

 ステップ……ターン……ここで後ろに下がって……柏木さんと目を合わせて……。

(え?)

 そのタイミングで、柏木さんが大きく遅れた。

 さっきまで踊れていたはずなのに、一気にテンポが遅れていく。曲が進む中、柏木さんのステップのふらつきが危ないと感じるまでになっていく。

「……は、春花ちゃん!?」

 月穂さんの声が割って入った。

 柏木さんがぐらりと倒れる。

「春花ちゃん!」

「春花っ!」

 鈍い音がして、スタジオの床に柏木さんが打ち付けられた。月穂さんと澪ちゃんが駆け寄る。救急車、と澪ちゃんが言う。月穂さんが急いでスマートフォンを取り出して電話を掛ける。横向けに倒れる柏木さんの体からはすべての力が抜けている。

 わたしは呆然と立ち尽くしていた。

 ――突然、柏木さんは意識を失った。



 第五章



 柏木さんは救急車で運ばれていった。

 あの後、澪ちゃんに言われて秋子さんにも電話をかけた。

 秋子さんは話を聞くとすぐに駆け付けてくれた。事務所からはかなり近い場所だ。柏木さんのお父さんにも連絡をしてくれていた。

「……リリシアちゃんのお父さんにも連絡した。病院に行くそうだ」

「私も行きます」

「うちも行く」

 ダンススタジオの外。月穂さんと澪ちゃんがまっすぐに秋子さんを見つめる。

「……だめだ。君らはこの後案件あるだろ」

「それは……そうですけど」

「いきなり配信を休んで下手に心配させるのはよくない。……ここはどうか頼む。こっちは私とミアで行くよ。何かあったらすぐに連絡するから」

 二人は悩むように顔を見合わせた。

「……わかりました。……じゃあ、お願いね。ゆいなちゃん、秋子さん」

「連絡してね」

 小さく手を振って二人が去っていく。

 立ち去る時の横顔は、不安の色がありありと浮かんでいた。

「そんな絶望的な顔をするな」

 秋子さんがわたしの頭に手を乗せる。

「平気だよ」

 わたしはぎこちなく頷くことしかできなかった。



 病院の外、車の中で待っていると、秋子さんのスマホに電話が来た。

 柏木さんのお父さんからだ。

「――そうですか、ありがとうございます」

 無事だ、と秋子さんが口の動きで伝えてくれる。

 そのことにまずは安堵する。

「病室に……はい……わかりました。……え?」

 秋子さんが聞き返す。わずかに顔が険しくなった。

「それは、一度お話をできれば……はい。伺います」

 秋子さんが通話を切って、画面を眺めたまま何か考え込んでいる。

「……ぶ、無事なんですよね?」

 表情は険しいままなのが気になって尋ねた。

「無事だ。そう言ってた。……すまん。別の理由で、ちょっとな」

 無事という言葉は力強かった。言い切ってもらえて不安は紛れる。

 でも、別の理由とはなんだろう。

「少し、リリシアちゃんのお父さんと話すことがある。ミアはここで」

「わ、わたしも行きます」

 被せるように言った。この状況でただ待っているなんてできない。

「……そうだよな」

 そのまま一緒に受付に行って、エレベーターから病室へと向かった。

 秋子さんが病室へ入る。わたしは廊下からそっと中を窺った。

 病室にはベッドが一つだけあって、そこには仰向けで見慣れた横顔が眠っている。

 柏木さんだ。表情は穏やかだった。胸元は呼吸を示すように上下している。

 隣には、いつか見た壮年の男性が立っていた。

「……いらしていただいて、ありがとうございます」

 柏木さんのお父さんが頭を下げた。声には疲労が混じっている。

「いえ。このようなことになってしまい、申し訳ありません」

 秋子さんが深く頭を下げた。

「……春花さんの容体は?」

「今は眠っているだけです。命に別状もないですし、様子を見て明後日には退院もできるそうです。……それと、そちらにいるのは?」

 柏木さんのお父さんに目を向けられて、慌てて中へ入った。

 わたしの姿を見て、ひっかかった記憶を探るように眉を寄せる。

「たしか春花の友だちの……玖守さん? ……どうしてここに?」

「すみません、連れてきてしまって」

 秋子さんに背中を押され、隣に立たされる。

「……この子が白宵ミアです、と言ってわかるでしょうか」

「ああ……! そうだったのか。だから春花と……」

 納得するように一つ頷いた。

「……なら、聞いてもらった方がいいですね」

「すみません」

「いえ」

 頭を下げる。本来、わたしはいない方がいい場所なんだ。わがままを許されてここに立たせてもらっている。柏木さんは無事らしい。明後日には退院もできる。でも、聞いてもらった方がいい話というのはなんだろう。秋子さんの表情が険しいのは一体なんだろう。

「では――引退の件ですが」

 その答えが下げた頭の上から聞こえて、急激に思考が冷えていく。

「……引退?」

 呟いて隣を見上げた。秋子さんはわたしをちらりと見降ろし、悩むように眉根を寄せる。

「理由をお聞きしてもよろしいですか?」

「……そうですね。いったんお掛けください」

 置いてあったパイプ椅子を示される。秋子さんが腰を下ろして、遅れてわたしも座った。柏木さんのお父さんも同じように座る。

「こういう風に倒れるのは、今日が初めてではないんです」

 初めてじゃない?

 秋子さんが身を乗り出して聞き返す。

「病気か何かですか?」

「いえ。……病気というほどではないようです。ただ、心因性のもので」

「……心因。なるほど」

 柏木さんが反対側に顔が向くように寝がえりを打った。

 もしかしたら起きているのかもしれない、と少し思う。

「中学校の頃も、一度倒れたことがあります」

 柏木さんのお父さんが切り出す。

「春花が生徒会に立候補した時のことです。具体的には聞いていませんが、周りに進められたんでしょう。立候補者は体育館で大勢の生徒たちの前に演説する機会があるのですが……その時も倒れて、少し騒ぎになりました」

 柏木さんの中学校時代のことをわたしは知らない。高校で同じクラスになったのも進級してから。わたしと柏木さんの関係は、まだあまり長くない。わたしは柏木さんのことを知らなさすぎる。

「春花は、あまり人前に立つことが得意ではありません」

 柏木さんのお父さんが言いづらそうに目線を落とした。

「今回の話も伺いました。ライブの練習で倒れたそうですね。……やはり、人前に出る、というのがだめなんだと思います」

「それで引退……ですか?」

「はい。心苦しいですが、これ以上無理をさせるわけにはいきません。練習で倒れるのなら、ライブなどできないでしょう。……やりすぎかとお思いかもしれませんが、私としてはこうすべきだと思っています」

「ライブだけ諦める、というのは」

「……そうですね。ただ、春花はこういう部分をずっと隠していました。これからもこの裏の事情を大勢に隠し続けるのは危険ですし、無謀です」

 苦しそうに言われる言葉に反論する術はなかった。こうして倒れている以上、こっちから言えることは少ない。

「……VTuberをやりたいと言った時は、少し嬉しかったのですが」

 切り替えるように、少し柔らかい声音で呟く。

 わずかに相好を崩して柏木さんの方に目を向けた。

「春花は、小さい頃からとても良い子だったんです。私も仕事が忙しく、妻も春花が小さい頃に亡くなりましたので、手のかからないようにいてくれてたのでしょう」

 柏木さんのお父さんは自嘲するように口の端を歪めた。

「……でもそれに甘えて、春花に無理をさせてしまいました。一人でも大丈夫な子を演じるようになった。やりたいことをさせてあげたいのに、春花はそれを口には出さない。……そんなことをもどかしく思っていたんですが――ある日急に、『VTuberになりたい』と春花が言ったんです」

 視線は娘が眠るベッドに向いていた。思い出すように目尻が緩んでいる。

「ネットを介したコメントとのやり取りであれば、春花にも問題はないようでした。楽しそうにしてくれていて……友だちもできたようで、私も嬉しかった」

 友だち、でわたしに目を向けた。わずかに気まずいものを感じる。

「……このようなことになってしまいましたが、ぽらりすという事務所に所属できたことは、春花にとっても幸いだったと思います。もちろん、引退の話はまだ春花にはしていません。春花が起きたら相談します。……が、私の考えはこうだということはお伝えしておきたかったんです……」

 柏木さんのお父さんは、背中ごと曲げるようにして、ゆっくりと頭を下げた。



 それから三日、柏木さんと会えない日が続いた。容体は元通りに快復しているそうだ。

 予定通りに一昨日退院して、一日だけ様子を見て学校を休んだ。

 今日はやっと会える。

(柏木さんに謝らないと)

 この三日間、ずっと考えていた。やっぱり柏木さんはおかしかったのだ。初めてライブの話を聞いた時も、お披露目配信をしている時も、学校にいる時も、練習をしている時も。違和感はあった。あったのに、わたしは見て見ぬふりをしてしまった。

 記憶の中の柏木さんを思い出しては後悔が積まれていく。

 でももう見て見ぬふりはできない。

 まずは謝ろう。

 そして……許してもらえるなら、これからのことを考えよう。ライブのこともそうだし。お父さんが引退と言っていたことも……。

 そう考えて、通学中の足が止まる。

 引退するんだろうか。柏木さんは。

 胸がぎゅっと痛んだ。足が重い。空が曇っているせいで、胸中の不安がさらに募る。

(そんなわけない)

 引退なんてするはずない。倒れたことは問題だから、何か、平気でいられるようなやり方を探す必要はあると思う。けど、それがだめでも、まだ一緒にVTuberをしていたい。様子を見ながらでもいいから。

 いつもより少し遅れて学校に着くと、柏木さんはもう登校していた。

 休む前と変わらず明るい笑みを浮かべて、みんなの探るような質問に答えている。

「そうです、風邪の重たいやつみたいで。あ、今は平気ですよ!」

 表面上は何も違いはない。自分が気になる答えを得られた人はみんな、そうなんだぁ、と笑って安堵している。

 授業中も何も変わりない。またいつも通りの雰囲気に紛れている。

「ゆいなちゃん」

 昼休みになった。微笑みと共に呼びかけられて、わたしはすぐに動けなかった。

「先に行ってますね」

 体が重い。なんでだろうと思って、怖いからだと気づいた。

 今日の柏木さんは休む前と変わらなさすぎる。

 そこに何か、諦めきったような空気があった。

 重い足を持ち上げて屋上に出る。分厚い雲で覆われている。いつ雨が降ってもおかしくない。薄暗いコンクリートの先に歩いていって、給水塔の影に柏木さんを見つける。

 近寄っていくと、柏木さんはいつものような笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。今度は私が倒れちゃいましたね」

「……そんな。謝るのは、わたしの方で……」

 首を振りながら言って、それ以上言葉が出なかった。

「ゆいなちゃん」

 柏木さんは残念なような申し訳ないような顔をしていた。

(聞きたくないのに――)

「――私……VTuberを引退しようと思います」

 ぽつりと雨が落ちて、地面に染みを作った。

 足から力が抜けていくのがわかった。一番聞きたくないこと。足元が崩れるような錯覚を覚える。どうしてですか? そう尋ねる声すら喉から出ない。

「……父の言う通りなんです。私は人気者には向いてないから……」

 柏木さんは俯いて瞼を伏せた。

 ぽつぽつと雨が降ってくる。給水塔がひさしのようになって雨を遮ってくれている。

 柏木さんがこんなことを言うなんて、と思う。柏木さんは人気者だ。たぶん、クラスの誰に聞いてもそう言う。でも本気で言ってる。お父さんの話を聞いてからだと、信じたくないのに信憑性が沸いてしまう。

「私、中学校の頃に倒れたことがあるんですよ」

 柏木さんがぽつりと呟く。お父さんから聞いた話だ。

「生徒会に誘われたんです。本当はあまり乗り気ではありませんでした。きっと周りからはぴったりだと思われていたんだと思います。周りに乗せられて、私は後に起こることも考えられずに承諾しました。……昔から、良い子でいるのは得意だったので」

 静かに目を伏せる。

「でも、良い子でいるのはそう演技しているからそう見えるだけです。体育館のステージの上で自分で考えた綺麗な言葉をスピーチしながら、『ああ今、私、嘘を吐いてるんだ』と思って、そうしたら急に意識が真っ白になりました」

「……そんな」

「VTuberでいる時も、たまにそういう気分になります」

 自分を責めるように薄く笑う。

「所詮、私は……ただの小心者で嘘つきなんです」

 その笑みに立ち尽くすことしかできない。

「お父さんもそのことは知っています。だから、VTuberとして人気になった私にいずれ無理が来るとわかっていたんです。それでライブなんてできるわけないと」

「でも嘘ならわたしだって――」

 小心者で嘘つき。それはわたしにも当てはまるはずだ。根暗でコミュ障、人前に出るなんて普通なら考えられない。VTuber白宵ミアとして嘘のキャラも演じている。

 わたしの言葉に、柏木さんがふるふるとゆっくり首を振った。

「ミア先輩は違います」

 柔らかい声で否定される。

「私がVTuberになろうと思ったきっかけはミア先輩なんです」

「え……」

「昔、ミア先輩を初めて見た時……すぐにこの人は演技をしているってわかって」

 昔と言うのは、たぶんオフコラボの時じゃない。もっと前だ。そんな時から、わたしの嘘はバレていたのか?

「きっとそういう空気に敏感だったからだと思います。察しの良い人ならある程度は演技だって気づいていたかもしれませんけど」

「そんな」

「……でも、私にはそれが羨ましかった」

 眩しいものを見るように目を細める。

「演技をしているのに、リスナーさんも配信をしてる白宵ミアって人も、とても楽しそうでした。それでなんでだろう? って。演技なのに楽しんでいるなんて不思議だな、って。……私は、演技をしてる自分が辛くてたまらないのに」

「…………」

「それからVTuberに興味を持ってお父さんに頼んだんです。VTuberになりたいから許してほしいって。それで気づいたらここまで来ました」

 そこで柏木さんの表情がふっと暗くなる。

「でもここまで来てやっぱりわかります。私自身は魅力がないから、演技をするしかないんです。ミア先輩が人気なのは、ゆいなちゃんに魅力があるからです」

「わ、わたしに……?」

 信じきれない。根暗で陰キャでぼっちのわたしに魅力があるのか? でも、柏木さんはそう思っている。

「はい。だから……ゆいなちゃんは大丈夫です」

 一人でも。と、言外にそう言われている。

 そんな風な微笑みをくれても、わたしは何も嬉しくないのに。

「……すみません。今日は、これだけお伝えしておきたかったんです」

 柏木さんが目を伏せて立ち去ろうとする。

 雨が当たるのも気にせず、わたしの横を通り過ぎていく。

 頭の中、ぱっと鮮やかに思い出が走馬灯のように巡った。今までVTuberとして一緒に過ごしてきた出来事の羅列。そんな日々が急に感傷を伴って胸の内に湧きあがってくる。

 いやだ、と思う。

 そんなわがまま、わたしなんかに伝える権利はないはずなのに。

 理由より前に感情が体を動かした。足を踏み出す。コンクリートの染みを踏みつけ、柏木さんに追いすがった。まだ。待って。行かないで。手を伸ばして、屋上の扉を開こうとする柏木さんの手首を振るえる指で掴んだ。

 柏木さんが振り向いて目を丸くする。

「……ゆいなちゃん?」

「い……いかないで、ください」

 緊張なのか動揺なのか、何もわからないけど、強く心臓が鳴っていた。柏木さんの細い手首をぎゅっと握る。こんなことをしていいんだろうか。わたしが。でも、言わないと、柏木さんがいなくなるから。そんなのは、絶対に。

「本当に辞めちゃうんですか?」

「……はい」

「VTuberは……楽しくなかったですか?」

「…………」

 目を逸らされた。それなら、まだ。

「わたしはまだ、柏木さんと一緒にいたいです」

 逃げるように顔を背けられた。困っていることが伝わる。柏木さんといる時のわたしはこんな風に見えてたんだろうか。困っている。困っているけど、それだけだから、嫌がっているわけじゃない。

「だめです。辞めるなんて。まだ始まったばかりなのに」

「私だって……本当は辞めたくないですよ」

「だったら……!」

 縋るわたしの言葉に、柏木さんの顔がくしゃりと歪む。

「無理なんですよ! 私はミア先輩とは違うんです! 小さい頃からずっと嘘しか吐いてない、中身のない嘘つきなんです! ……そんな私が人気になんてなれるわけないじゃないですか! ……どうせ、また迷惑をかけます。ただの嘘つきの私がライブに出るなんて、ミア先輩の隣に立つことなんてできるわけ――」

「できますよ!」

 掻き消すように叫んで、もう片方の手を掴む。

「わ、わたしもミアを演じるのなんて、良くないことだと思ってました! リリシアちゃんとコラボして、みんなにぼっちだってバレて、ただの根暗陰キャぼっちなわたし自身が出るのがほんとに、ほんとに嫌だったんです! でも!」

 こんなに大きな声を出すのは久しぶりだ。うまく言葉が伝わっているかもよくわからない。雨の中で胸の内をさらけ出すようにして声を張り上げる。

「それでも柏木さんはわたしのファンだって言ってくれたから……!」

 柏木さんが目を見張った。

「いつもみんなから好かれてて、こうなれたらって憧れてた柏木さんが言ってくれたから! そんな自分でもいいって思えたんです! こんな根暗で暗くて! コミュニケーションできなくて! ネットでだけは元気で! リアルは何もできないこんなわたしでも!」

 自分の嫌いなところはいくらでも見つけられる。そんなのでも自分を許せたのは、柏木さんがわたしのことを好きだと言ってくれたからだ。

「……わたしは、どんな柏木さんでもすごいと思うし、憧れてるし、大好きです。今、話を聞いても、この気持ちは変わりません。嘘つきだって言うけど、わたしは嘘つきの柏木さんを好きになったんです……だから」

 瞳をまっすぐに見つめる。張り付いた髪の上から雨が頬に垂れている。

 冷たくなる体温の中で、握った手だけが変わらずに熱を持っている。

「わたしが好きなだけじゃ、だめですか……?」

 ざあっと、耳に雨の音が戻ってくる。ゆっくりと手を離す。掴んでいたところがわずかに赤くなっていて申し訳なくなった。柏木さんはもう掴まれていないとわかってるはずなのに、俯いたまま立ち尽くしている。

「……どうして」

 震える声で言って、手首を目元まで持ち上げた。

「……そんなこと言われたら、逃げられないじゃないですか……」

 息を吐くようなか細い声が零れる。

 体がくずおれて、扉の前でうずくまった。雨音に紛れて柏木さんの嗚咽が聞こえる。どうすればいいんだろう。わからない。わからないけど、震える肩にそっと手のひらを乗せた。柏木さんが縋るように手を重ねてきた。重なる部分の体温を感じる。どうせ風邪だろうから、何時間でもこうしていていい。

「――……ごめんなさい」

 しばらくしてわずかに掠れた呟きが届いた。

 雨はいつの間にか止んでいて、分厚い雲の隙間でわずかに光が見える。

 とうにチャイムは鳴っていて、五時間目の授業が始まっているはずだった。

「授業……さぼらせちゃいましたね」

「そ、それは、全然」

 柏木さんは張り付いた髪もそのままに遠くを見つめている。

「……ゆいなちゃんは、こんな私でも平気なんですか?」

「も、もちろんです!」

 ぶんぶんと勢いよく頷く。

「……なら、私、もう少しだけがんばってみます。……ライブも、まだ出れるように」

 欲しかった言葉に胸が軽くなる。

 けれど、まだ柏木さんの表情は明るくはない。

「でも、VTuberを続けるなら、お父さんにも許してもらわないといけません」

 そうか、と柏木さんのお父さんのことを思い出す。病室で、一人娘のことを心配していた姿。お父さんのことを無視してVTuberでいることはたしかにできない。

「そ、それなら――」

 思いついた考えを伝えるのに、一瞬ためらう。

 柏木さんとはまだ一緒にいたい。だけど家族の問題にまで踏み込んでもいいんだろうか。お父さんのことなんてわたしはほとんど何も知らない。柏木さんのことでさえこれから知っていこうという段階なのに。

 そんな風に迷うわたしを、柏木さんが見つめてくる。まだわずかに赤い目元。

 ……そうだ。柏木さんの引退を防ぐためなのだ。どんな些細なものでも、何の足しにもならなかったとしても、言わないで後悔するよりはいい。

「――柏木さんのお父さんにも、ライブを見てもらうのはどうでしょうか」

「え……?」

「ら、ライブさえ成功すれば、お父さんも引退すべきだとは言わない……のでは」

 言ってから少し不安になる。これはもしかしたら、柏木さんの負荷になってしまうかもしれない。お父さんに見られていることはプレッシャーになってしまうのではないか?

「……なるほど」

 柏木さんが軽く目を見張った。

「それは……良い考えかもしれません」

 そう言ってくれてほっとする。柏木さんが髪に張り付いた前髪を指で均して、緩く笑みを作った。

「父にどうにか来てもらえないか、説得してみます」

「は、はい」

「……ひとまず中に入って着替えましょうか。ゆいなちゃん、体操服持ってます?」

 そう言われて改めて自分の服を見下ろした。

 制服のシャツがぴったり肌に張り付いて、肌とか下着が少し透けてしまっている。

「あ、えっと……無いかも……です」

 未来のことよりも、まずは身近なピンチが先だった。

 結局柏木さんが声をかけてくれて、クラスの子からなんとか体操服を借りられた。



 後日、ダンススタジオにまた二人でやってきた。

 レッスン、レッスン、またレッスンだ。

 どんなことがあっても、ライブまでのスケジュールは変わらない。もう会場も押さえてあるし、チケットも売り出されている。わたしたちの課題はまだ沢山ある。これからのレッスンで一つ一つ潰していかないといけない。

 そんな限られた時間の中、今日は珍しく秋子さんがやってきていた。

「ほお……じゃあリリシアちゃんは復活と……」

「はっ、はい! ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした!」

 なぜか柏木さんが正座をさせられている。目の前には腕と足を組んだ秋子さんが椅子に座っている。な、なんか秋子さんが怖い。今日はリリシアちゃんの様子を見に来るだけだって言ってたのに。

「なら……ライブにも出るのか?」

「……で、出ます!」

 柏木さんが叫んで、秋子さんがそれをじろりと見降ろす。

「また倒れないって保証は?」

「これから特訓します!」

「何すんの?」

「ま、またライブの映像見ながら踊るとか……!」

「……ばか。そんなことしたらどうせまた倒れるだろ」

 はーっと深くため息を吐いて、軽く柏木さんのおでこを指で弾いた。

 うぅ、と柏木さんが額を抑える。

 秋子さんが膝を曲げて、仕方なさそうな顔でわたしたちと目線を合わせた。

「まず、無茶だけは止めてくれ」

 有無を言わせない言い方ではあったけど、底にある心配が滲んだ真剣な口調だった。

 柏木さんがゆっくりと頷く。

「……はい」

「去年の映像を使うなら最初は見るだけとか。そういう風にして慣らしていった方がいい。ちゃんと体調も様子を見ながら。トレーナーさんにも言っとくから。絶対に無理だけはするな。少しでもダメそうなら、すぐに中断しろ。……ミアも止めろよ?」

 急にこっちに向いてきてびっくりした。こくこく頷く。もちろん、無理はさせないつもりです、はい。

「リリシアちゃんはもう少し、気楽にやったらいいと思う」

「気楽……ですか?」

 聞き返す柏木さんに、秋子さんはたしなめるような調子で言う。

「いつも台本はしっかり読み込んでるし、スタッフにも気を使ってるし、こっちとしてもすごく助かってる。けどリリシアちゃんはまだ子供だろ? もっとわがままを言ってくれてもいいし、迷惑もかけてくれていい。大いに失敗してくれ。ミアを見てみろ」

 な、なんで急にわたしなんですか。

「こんくらい迷惑かけてくれてもいいんだ」

「なるほど……」

 ……なるほどってなんですか。

「あとは、困ったらもっとミアに頼れ」

 ぐいと両肩を持たれて秋子さんの横に引っ張られる。

 え、頼る?

「たしかにミアは頼りない。ボディタッチですぐふにゃふにゃになるし、喋る時も目線は合わないし、猫背だし、体細いし、笑顔はぎこちないし、おだてるとすぐに調子に乗るし」

「多いんですけど!」

 一個くらいでいいだろそういうのは!

「でも、こんなんでも一応先輩なんだよ」

「こ、こんなんってなんですか!」

「配信してる時はけっこう頼りになるんだ。普段はこんなんだけど」

「いやこんなんって言わないでくださいよ!」

 おらぁー! と秋子さんを攻撃しようと拳を振り上げる。秋子さんがちょっと腕を伸ばしてわたしの体を押した。……それだけで全ての攻撃が届かなくなる。空振りした腕をぐるぐる回しながら思う。わたしの腕、短すぎ。

「ふふ……っ」

 そんなコントみたいなことをしてたら柏木さんが吹き出した。

「秋子さん、ありがとうございます。少し気が楽になりました」

「……良かった。気楽にやるのが一番だよ」

「ミア先輩も、ありがとうございます」

「は、はい、こんなのでよければ……」

「……あの、早速一つ、相談してもいいですか?」

「へっ、な、なんでしょうか!」

 相談に乗る。人生で特に縁の無い行動なんですけど、わたしに答えられますか……?

 柏木さんはちょっと恥ずかしそうに口を開いた。

「お父さんとの会話ってどうしてますか?」

「話? ……もしかして、お父さんをライブに呼ぶ話ですか?」

「はい……」

 秋子さんが首を捻る。

「ライブに呼ぶ? 何の話だ?」

「えっと、柏木さんのお父さんを説得するのにライブを見てもらおうとしてて……」

「ああ……そうだったのか」

 秋子さんが納得している横で、柏木さんは照れた顔で縮こまっている。

「なんというか、真面目な話って持ち掛けづらくて……」

 お父さんと話。……そういえばわたしはあんまりしたことないな。仲が悪いわけではないけど、特に話す用事もないのだ。欲しいものがある時は丁重にお願いするくらい。あ、でも。妹は欲しい服とかある時、肩揉んだりして機嫌を上げてからお願いしてた。

「ええと……何か、機嫌を良くしてからお願いするとか……?」

「お、いいアイデアだな。酒とか……はだめか」

 秋子さんが自分で思いついて却下している。高校生の娘がお酒買ってきたらびっくりだ。

「なるほどです」

 柏木さんがこくんと頷く。

「……私、何か考えてみます」

 方針は決まったようだ。でも、ちょっと表情はまだ硬い。

 そんな表情に思わず口を出してしまう。

「あの。もし、だめだったら、言ってください」

 さっき、わたしが先輩だと言われたからかもしれない。らしくないことを言ってしまう。

「わ、わたしとか、秋子さんとか、普段から見てるわたしたちから、柏木さんは大丈夫だってもう一回、伝えますから。それで、何度かお願いしましょう……そうすれば、きっと大丈夫です」

 些細なことでも、わたしなんかで役に立てるなら手伝うのだ。

「ミア。お前そんなこと言って……本当に言えるのか?」

「え?」

 秋子さんに半眼で言われて、自分の言葉をもう一度考えてみる。

 わたしから柏木さんのお父さんに連絡する。しかも、一回断られた後で。

 そ、そうですね。ちょっと難易度は高そうかも。言ってからすごい不安になってきたぞ。

「ゆいなちゃん、顔がすごく不安そうです」

「うぇ……?」

「やりたくないオーラが出てるな」

「そ、そんなことはぁ……」

 無くもないけど……。

 柏木さんがくすっと笑った。

「いえ、でも、ありがとうございます。おかげで勇気が出ました」

「そ、そうですか」

 なら良かった。願わくば、一発で成功させてほしい。

 そんな祈りを込めつつ、後のレッスンも二人でやった。


 *****


 柏木家の夜は静かだった。昼間のレッスンが嘘みたいに。

 家には基本的に一人でいることが多い。真面目に勉強をしたり、調べものをしたり、その内、数時間は配信をしたり。

 今日は父に『夕食は抜いてきてください』と連絡して、食事を用意した。父は帰りが遅いから、二人で食べることはまずない。ライブに出ることを、VTuberの継続を、認めてもらうために今日は話をする。

 父からは『分かりました』と丁寧な返事があった。父とはなんとなく距離がある。

 レシピは昔、亡くなった母が作ってくれたという料理にした。父はこのレシピが好きなのだと言っていた。きのこや人参やブロッコリーなど、野菜を沢山入れたシチュー。

「――おかえりなさい。お父さん」

 帰ってきた父は出迎えの私にまず目を丸くした後、匂いの元を探るように視線を彷徨わせた。

「……これは、シチュー?」

「シチューです」

「春花が作ったのか」

「はい。丹精を込めて作りました」

「もしかして、大事な話でもあるのか?」

「え?」

 目を丸くする。父は悪戯が当たった子供のような顔をしていた。

「お母さんも同じことをしてたよ。大事な……というより、後ろめたい話がある時は、必ず私の好きな料理を作って待っていた」

 懐かしむように目を細める。

「……先に食べようか。冷めてしまうから」

 父は羽織をさっと脱いで、一人で部屋に入っていった。そのまま勝手にシチューをよそい始めてしまう。慌てて私も後に続いた。二人でテーブルに食器を並べていく。

「話というのは?」

 父がシチューを口に運んで、呟いた。スプーンを置いて、背筋を伸ばす。

「私はまだ……VTuberを続けたいです」

「それは……」

「……わかっています」

 また倒れるんじゃないか、父はそういう心配をしている。

「なのでお父さん、ライブを見に来てください」

 父が目を見張る。

「それで、成功したら……私がVTuberであり続けることを許してください」

 心配をされていることは痛いほどわかっている。一人娘にそう何度も倒れられては心臓も持たない。それくらいのことは私でも気づける。

「私、一人じゃないんです。ミアせんぱ……あ、ゆいなちゃんもいますし、裏にはもっともっと沢山のスタッフさんがいます。いろんな人が助けてくれるんです。だから私は平気です。ちゃんと慣れるために練習もします。だから私が平気だって、証明させてください」

 頭を下げる。

 父はしばらく無言だった。胸中は想像もできないから、頭を下げ続けるしかない。

 少しして「頭を上げてくれ」と言われて顔を持ち上げた。

「そうだね。見に行くよ。それなら、春花に何かあってもすぐ駆け付けられるからね」

 目を丸くする。安堵が胸に広がった。

「……ありがとうございます、お父さん」

 そうして二人でゆっくりとシチューを食べた。

 しばらくぶりの家族の食事だった。


 *****


 来る日も来る日もレッスンである。

 おかげで絶望的だったわたしの動きも見られるようになってきた。

 これなら柏木さんの隣に並んでいても大丈夫だとトレーナーさんにも言ってもらえた。間に合ってよかった。ほんとに。

 柏木さんもメンタルはだいぶ改善したようだ。お父さんからもライブに来てもらう許可をとりつけたらしい。いつかのレッスンの日にそんなことを聞いた。

 成功させれば、柏木さんのお父さんもVTuberを許してくれる。

 だから絶対に成功させないといけない。

 準備はばっちりだ。あとはもう、当日を待つだけ。どきどきしながら、日々を過ごす。


 そうして、ライブ当日がやってきた。



 第六章



 ライブ本番の朝は、窓をがたがた鳴らす強風で目覚めた。

「うわ……すっごい曇ってる……」

 空が灰色。それはもう灰色。分厚い雲が空を覆っている。

 どよーんとすべきではないんだけど、残念な気持ちではある。どうせならぱぁっと晴れてほしかった。わたしは元々暗いんだから天気くらい助けてくれてもいいのにな。

 朝食は一家で揃って食べた。こんな朝早くに揃うのはとても珍しい。

 ニュースの天気予報で今日はちょうど台風がぶち当たる日だと流れる。「縁起悪いね」と妹がさらっと言った。お父さんは「でも会場は屋根ついてるだろ?」とちょっと的が外れたことを言う。まぁもちろん屋根はついているし、会場の中にいたらあんまり台風なんかも気にならないと思うけど。

「がんばってね、ゆいな。応援行くからね」

 出る直前、お母さんがすごく心配そうな顔でわたしの手を握った。

 心配されるだけの心当たりがあるので深々と頷く。

「うん。練習もしたから、がんばってみるね」

「ゆ……ゆいながこんなにかっこよく見えるなんて……」

 まだ何もしてないのにお母さんはもう泣きそうだった。

 涙はもうちょっと後までとっておいてね。お母さん。



 会場には朝早くから集合だった。近くまではうちの家族が送ってくれた。また準備しなおして、会場まで来てくれるらしい。

(大きいな……)

 傍目から見た会場は、やっぱりすぐには端を見つけられないほどに大きかった。一度下見には来たけど、ここでやるのかと身が竦む。これでも規模としては前回の一期生が行ったライブ会場よりは小さいのだ。いざ目の前に立つと、とてもそうは見えない。

 ……だんだん緊張してきた。エゴサして気持ちを落ち着けよう。

 『#りりみあライブ』で検索すると色んな人がポジティブなことを呟いてくれている。『#りりみあライブ 行きます! 楽しみ!』『グッズ購入~ #りりみあライブ』とか。

 そういうのがすごく嬉しい。当事者になるとやっぱりそう思う。

「お、運営さんもなんか言ってるな……」

 ぽらりすの運営さんも色々と告知をしてくれていた。

 その中でもグッズの紹介がけっこう伸びているようだ。ん? と見てみると、なぜかわたしたちのマスコットであるバッちゃんとシャロ猫ちゃんが着ぐるみになっていた。

 い、いつの間に?

 しかもわたしたちがプリントされたどでかいサイズのTシャツを着ている。『大きな人も着られるサイズ、あります!』という文と共に、着ぐるみがどーんと画像ぎゅうぎゅうに映っていた。

 なんだこの着ぐるみ。もしかして今日もいるのかな……。

「ゆいなちゃんっ!」

「ひあぁっ!」

 立ち止まって画面に集中していたら、後ろから肩を叩かれて飛び上がった。

 振り向くと柏木さんがいた。気まずそうに肩を叩いた手を押さえている。

「ごめんなさい、そんなにびっくりするとは……」

「で、できれば、声かけとボディタッチは、順番にやってもらえると」

「なるほど。ノックしてから入室してって感じですね」

 ……そう、だな、うん。たぶん。合ってる。

「もう触っても平気ですか?」

 柏木さんが上目遣いで覗いてくる。う、とちょっとたじろいで顔を逃した。

「大丈夫……ですけど」

「ふふ、ありがとうございます」

 手を繋がれる。さらっとした指を絡めてくる。もう手を繋がれるくらいだと動じなくなってきた。こんなところでもわたしは成長しているらしい。成長というか、慣れというか。ちょっと顔が熱いのは気にしないことにする。

「実は、今朝の話なんですけど」

「あ、はい」

 柏木さんがいつもの調子でおもむろに切り出した。

「今日の準備をしていたら、なんだかすっごく怖くなってしまって」

「……え」

 思わず握っている手に力が入った。前に倒れてから、柏木さんとは色々なトレーニングをした。もちろん、メンタルの部分でも。結果として柏木さんはライブ映像と一緒に踊っても平気になったし、かなり精神的にも成長した……はずだ。

 でも、本番はやっぱり違うんだろうか。

「……あ。すみません。心配させてしまいましたね」

 優しく言って微笑む。

「たぶん、普通の緊張だと思います。……もちろん、まだ不安はあります。こんな大舞台でライブするなんて怖いじゃないですか。それに、お父さんにも成功するところを見せないといけませんし」

 頷く。それはもちろん怖い。今日は絶対に成功させないといけない。そういうプレッシャーはある。わたしにも。

「でもさっきゆいなちゃんの顔を見たら、すごく安心したんです。ああ、今日もちゃんとゆいなちゃんがいてくれてるなって」

「わ、わたしの顔ですか」

 ぺた、と自分の頬を触る。何かリラクゼーション効果でもあるんだろうか。

 柏木さんがふわりと柔らかい笑みを浮かべる。

「……ゆいなちゃんは、いつもわたしが困っている時は傍にいてくれますよね」

「え?」

「初めて教室でわたしがキーホルダーを落とした時も。引退に悩んでいる時も。今も」

 そう、なんだろうか?

 わたしは柏木さんの助けになれているんだろうか?

「だから、ゆいなちゃんがいてくれたら、私はここでも平気みたいです」

「そ、そうですか……」

「それにきっと、困った時は助けてくれるんですよね。……ミア先輩?」

 最後はおどけた様子で首を傾ける。

「が、がんばります。……できる範囲で」

 首を縦に振った。いつものように予防線を張りつつ、だけど。

 当然ながら困った時なんて無いに越したことはない。

 そういうことがないように、これでもがんばって練習してきたのだ。苦手な振り付けも。人前に立つ緊張も。いくつか残っていた課題も乗り切れるだろうと自信もついた。だから、何も起こらないと信じたい。

 でも、何かあるなら、ちゃんと動こう。

 意外なことに、そういう覚悟はいつの間にかできていた。



 本番前にはリハーサルをする。

 会場内にあるスタジオで、3D配信では御馴染みの設備に囲まれている。沢山のカメラやモニター。いつものようにモーションキャプチャ用のスーツも装備している。

「じゃ、リハーサル始めましょうかー」

 舞台監督の人から指示を受けて、最初の曲からリハーサルを始めていく。

 軽く振り付けをこなす。声出しもする。モニターに映っているわたしたちの3Dアバターも、しっかり動いてくれている。

 うん。問題は無さそうだ。柏木さんとも顔を合わせて、頷き合った。

「はーいありがとうございましたー! 良い感じです!」

 リハーサルが終わって、息を吐く。なんとなく手応えみたいなものがあった。今まで練習してきた成果が出ているような、そんな感じ。

 控え室に戻ると、なぜか顔の前に拡声器を構えた人が待ち構えていた。

『リハーサルお疲れー!』

 ノイズ交じりの大きな声が飛んでくる。

「あ、秋子さん?」

 秋子さんがメガホン型の拡声器を持ってどや顔をしていた。

「それ必要なんですか?」

「人が多いから声が通りにくいんだよ……まあ細かいことは気にするな」

 机に拡声器を置く。

「二人とも、ちょっとこっちおいで』

 そして手招きされた。前まで行くと、じいっと顔を見つめられる。

「……うん。体調は悪くなさそうだね」

 なんだ、顔色を見てたのか。

「緊張してますが、平気です」

「わっ、わたしも元気です!」

「それは何より」

 秋子さんが立ちあがって、二人まとめて腕を回して、抱きしめてきた。

 腕から緊張を感じる。舞台には立たないけれど、秋子さんでも緊張するのだ。

「リリシアちゃん。ミア。色々あると思うけど……今日はめいっぱい楽しんで」

 楽しむのは大事だ。きっとそうできたら一番良い。失敗できないという緊張はある。あるけど、緊張を通り越して楽しむことができたら。やっぱり、リスナーのみんなも、わたしたちが楽しんでいる姿を見たいだろうし。

「はい! 楽しみます」

「わ、わたしも……がんばってみます」

「その意気だ」

 秋子さんがわたしたちの背中を軽く叩いた。



 ――開演の時間。

 時間が近づくにつれ、天気はどんどん悪くなっていた。雨も風も強くなっている。

 そんな最悪の天候だけど、客席には沢山の人が詰めかけてくれていた。みんなビニールに入れた傘を持って、それぞれの席に向かっている。もう座っている人たちは黄色と白に光るペンライトを持って振ってくれていた。わたしたちのイメージカラーだ。

 そんな客席の様子を裏からモニターで眺めていた。

「……ふー」

 息を吐く。さっきから吐いてばかりだ。緊張でずっと胸が締め付けられていて、意識するたびに息を吐いている。

「ミア先輩?」

「ん?」

「緊張、解けませんか?」

 隣では柏木さん――リリシアちゃんが同じく緊張した面持ちでいる。

「うん……でも」

 ふるふると首を振った。

「それよりも、なんか、楽しみで」

「私もです」

 そうして顔を見合わせてたらなんだか面白くなってきて、二人して笑った。

 テンションが高いせいか、面白さの沸点が低い。

(……ああ、こんなところまで来ちゃうなんてな)

 改めてそう思う。自分を変えたくてVTuberになって、ぼっちであることを隠してバレて、リリシアちゃんやロクコちゃんイヅキさんとも会って。リスナーもわたしに着いてきてくれて。今日こうしてここに立った。

 緊張はする。するけど、それ以上に高まっている。

 リリシアちゃんが手を繋いできた。握り返すと、かすかに笑い返してくれた。

「開始十秒前! 九、八、七……」

 スタッフさんの無音のカウントが始まる。

 それを胸の内側で追いかけていく。

 六、五、四――、

 静寂がスタジオ内に降りている。

 深い海の底にいるような気分になる。

 でも心臓だけはうるさいくらいに鳴っていた。

 ついに本番だ。練習はしてきた。カウントが終われば、ライブが始まる。

 音が遠退く。

 目の前のことに集中していく。

 カチリと心の中のスイッチを入れる。

 今日は完全に、成功する予感しかない。

 三、二、一――、

 なぜならわたしはぽらりす二期生、白宵ミア。誇り高き吸血鬼。

 生意気でかわいくてつよつよで、世界最強なVTuberなのだから。



 ――場内の電気が、足元の灯りを残してふっと消えた。

「皆さまこんにちはー! 本日はご来場いただき、本当にありがとうございます!」

 聞き慣れた声のアナウンスが場内に響く。わぁっと歓声があがった。『リリシアたぁぁん!』と叫んでいる人がいる。

「……ライブの前に、お願いです! 開演中は携帯電話やスマートフォンなど――」

 落ち着くのを待ってから注意書きが読み上げられる。

「以上です! では皆さま、大変お待たせいたしましたー! それでは、わたしたちのライブをー……?」

 せーの。

 小声のやり取りをして、二人で声を張り上げる。

『お楽しみください!』

 途端、ポップな音楽がステージに流れ始めた。

 色鮮やかなライトが会場に線を引く。

 ステージ真ん中の大画面には煌びやかなオープニング映像が流れ始める。

【白宵ミア】と【リリシア・シャーロット】。

 二人のシルエットを交えた映像が音楽に合わせて流れ出す。

 場内に今度はわたしの声が響く。

「みんなぁー! カウントダウン! 一緒に! せーのぉ!」

 音楽がだんだん速まって、画面に数字が『3』から現れる。

『さん!』

『にー!』

『いち!』

 ライトの線が収束してステージ中央を照らし出す。

 客席のペンライトが大きく振られる。

『ぜろぉぉぉーー!』

 大歓声が弾けた。

 白宵ミアとリリシア・シャーロットがステージの上に立っている。

 観客の前でマイクを持って、手を振って、声援に応えている。

 ――みんながわたしたちの姿に歓声を上げてくれている。

「行くぞみんなぁー!」

 拳を天高く上に振り上げた。わあっと観客が応えてペンライトを頭上に押し上げる。場内が一気に熱を持っていく。流れ出したのは電子的でノリの良いメロディー。

 記念すべき一曲目は、二人のオリジナルのデュエットソング。

『ヴぁんぷり☆すたーらいと!』

 メロディーに合わせてダンスを当てる。

 リリシアちゃんと息を合わせて、お互いのパートを歌い上げていく。

 本番が始まってもリリシアちゃんがふらつくような様子は無い。うん、大丈夫。今日はお父さんもいるはずだ。見てるだろうか。見ていてほしい。この楽しさが届いてほしい。

 リリシアちゃんと交差するステップを踏む。曲がサビに入った。

 会場の熱がさらに高まるのがわかる。ペンライトが激しい波のように揺れる。

 歌声と混じって、みんなの声援が会場中に響いている。

 耳に届いて、わたしの胸を震わせてくれる。

「――ありがとうございましたぁー!」

 曲が終わると、大きな歓声が弾けた。

「えー……みんな! こんみあー!」

 こんみあああああ! と大きなレスポンスが返ってきた。

「自己紹介しまーす! ぽらりす二期生、つよつよ天才吸血鬼の白宵ミアとー?」

「はい! 皆さまー? 楽しんでますかー!」

 わあああああああ!  とこれまた大きなレスポンスが返ってくる。

「ぽらりす三期生、シャーロット皇国プリンセス! リリシア・シャーロットでーす!」

 二人でまた目を合わせて、

『みんな、来てくれてありがとぉー!』

 地面が揺れそうなくらいの大歓声が会場を揺らした。これがライブなんだ。すごい光景だ。去年、客席から見た人の波の先のキラキラにわたしが立っている。

「この後もどんどん盛り上げていくので、楽しんでいってくださーい!」

 わたしたちの声に歓声が応えてくれる。

 これだけでもすごい充足感を覚える。

 もちろんまだまだ全然終わりじゃない。

 一呼吸置いて、ちょっとわざとらしい声音でリリシアちゃんが言う。

「ミア先輩。私、こんな風に一緒に舞台に立てるなんて思ってもいませんでした!」

「そうなのー? わたしは絶対出られると思ってたけどねー!」

「なので今日も元気を貰うために……ハグをしてもいいですか?」

「うえっ、ええー!」

 流石に反応がちょっとわざとらしかったかな。けど会場には笑いが起きていた。

 なら平気だな。これも演出の一つである。そういうことにしておこう。

 リリシアちゃんが大きく両手を開いた。

 わたしも両手を開いて待ち構える。

「行きますよー!」

「ばっちこーい!」

 駆け寄ってわたしたちがぎゅっと抱き合う。

 その瞬間、眩しい光がわたしたちを包んだ。

「こ、これはー!?」

「私たち、光に包まれています!」

 やけに説明的なリアクションと共に、わたしたちは自分の体を見下ろした。

 全身が輝く白い光に覆われ、何も見えなくなってしまっている。

「あっ!」

「衣装が!」

 光が収まった時、わたしたちの衣装が新しいものに切り替わっていた。

 アイドルのようなフリルのついた、かわいい統一感のある衣装だ。

「と、いうわけでぇ……新衣装だぁー!」

 わたしの煽りに、わあああああっと会場が盛り上がる。

 ライブ中の衣装切り替え。しかも、どこでも発表していない新衣装。会場の盛り上がりがさらに熱を増す。

 次の曲は、もちろんみんなも知っているあの曲だ。

 ――『Polaris Magical』

 さっきよりは少しだけ落ち着いた、でもノリの良い音楽が流れ出す。

 リリシアちゃんが一歩前に出て、流れるように声を紡いだ。透明感のある綺麗な歌声が響いていく。ペンライトを振りながら、会場も声に聴き入っている。

(ちゃんと歌えてる)

 そっとリリシアちゃんを見つめて思う。

 みんなは知らないけれど、リリシアちゃんはこの曲を歌えなかったんだ。

 あの日に倒れてしまってから、この曲は一つの高い壁のようになってしまっていた。

 去年のライブ映像を見ながら踊る。その特訓はリリシアちゃんにとっては特に大変なものだった。わたしたちのセットリストに入っていて、去年も歌われた曲は『Polaris Magical』くらいだ。だから、まずこの曲を乗り越えないことにはライブには出れないという思いがあった。

 でも今こうして歌えている。そのことに胸が詰まる。

 リリシアちゃんのパートが終わって、わたしが引き継いだ。

 二人のパートになって、サビへ移る。

 観客のみんなもこの曲はほとんどの人が知っているようだった。ぽらりすの歌と言えば『Polaris Magical』なのだ。

 聴き慣れた曲。だからこそ、みんな色んな思いを乗せて、熱い声援を投げてくれる。

 ライブの熱気に溶けて落ちていくような感覚に陥る。わたしは熱くてうねった渦の中にいる。そこにはリリシアちゃんもいる。みんなもいる。外から聞こえる音は遠い。遠いから、遠くても届くように、全身全霊で声を投げかけた。集中してる、と思った。わたしは今、この世界に、ライブに集中している。


《――今はまだ届かなくても、どこまでも輝き続けているよ。きみの傍で――》


 音楽が止む。さっき以上の歓声が全身を覆う。

 興奮で息がかすかに荒くなっている。

 まだ余韻がぴりぴりと肌を震わす。

 ライブって……すごい。

 リリシアちゃんと顔を見合わせた。おんなじような顔をしている。

 これならもう倒れることもないはずだ。このテンションならどこまででも。

 さあ、休む暇はないぞ! ライブはまだまだ始まったばかりなのだ!

『まだまだ行くぞぉー! 早速、次の曲ー!』

 と、叫んだ瞬間だった。


 ――ばつん、という音がして、すべての灯りが落ちた。


「え」

 その時初めに思ったのは、誰かボタン間違えた? ということだった。

 いや、そんなわけない。わたしじゃないんだし。

 会場の電源を全部落とすなんて、そんな。

「あれ、みんな……」

 ……声がマイクに乗っていない。

「――停電だ! 非常電源! 早く!」

 遠くで誰かが叫んだ。昂っていた熱が急速に冷めていく。

 こんな時に?

 舞台の裏が一気にばたばたと慌ただしくなる。台風で。非常電源。五分くらい。そんな声が聞こえる。今日は天気が悪かった。まさかそのせいで停電になったのか。電源を取り戻すのに五分かかる? それってすぐなのか? 長いのか? 来てくれた観客はどう思うんだ?

 何より、せっかく集中できていたのに――。

 はっとリリシアちゃんの方を向く。

「み、ミアせんぱい……?」

 真っ暗になった部屋の中で、混乱に染まった声で名前を呼ばれる。

「これ、なんですか……? 停電? ほんとに……?」

 まずいとすぐにわかった。さっきまでの浮かされたような興奮が冷めている。目の輝きが消えて、絶望の色に染まり始めている。

 柏木さんが倒れた時の情景がフラッシュバックする。

 失敗、という言葉が頭をよぎる。

(だめだ)

 わたしだって怖い。状況がわからない。急にいろんな不安が全身を覆う。どうすればいいんだろう。失敗したらどうしよう。そういう重たいものが急に現れて張り付いてくる。

 でも、リリシアちゃんの不安に気づいてしまったから、固まるわけにはいかない。

「り……リリシアちゃん! こ、ここで待ってて!」

「ミア先輩!?」

 慌てて身についている機材を外して駆け出した。

 五分。それがどのくらいかわかんないけど、何もしないのはだめだ。来てくれたみんなが不安になる。何が起こっているか知りたいはずだ。だからそれを伝えに行こう。大丈夫だと言わないと。

 そんな大それたことわたしができるのか? とも思う。いや、やるしかない。元々ただのぼっちだったわたしがここに立てていること自体が奇跡みたいなものだ。奇跡ついでにもう一つくらいやらかしてもいい!

「秋子さん! 拡声器貸して!」

「み……ミア? 拡声器? お前何を……」

「ありがとうございます!」

 薄っすら目が慣れた暗闇を抜けて秋子さんが持っていた拡声器を掻っ攫っていく。廊下は焦った様子でうごめくスタッフさんで溢れていた。人の波をかき分けながらステージへ駆けていく。

 拡声器はあるから声は届く。でもわたし自身の体を晒すわけにはいかない。暗闇だからといってこの姿のまま飛び出すのは最悪だ。

 舞台袖から叫ぶか? ……いやそれじゃ、注目されづらい。

「あっ!」

 そこでちょうどいいタイミングで見つけた。

「――そこの着ぐるみの人! 止まってぇぇぇ!」



 ばつん、という音と共に突如として暗転した会場。

 観客は何が起こったのかとざわめきながら周囲と顔を見合わせている。

 その混乱の中、ステージへとわたしは歩いていった――バッちゃんの着ぐるみを被って。

 前列の人は気づいてわずかにざわめいている。でもほとんどの人は気づいていない。

 すうっと息を吸い込む。

『みっ……みんなぁぁぁぁー!』

 ノイズ交じりの声が拡声器に乗って拡散される。

 ……だめだ。何人かの人は気づいているけど、遠くまでは聞こえない。

『みんなぁぁぁぁ!』

 でも、何人かには届いている。届くまで叫び続けるしかない。

『おぉぉーーい!』

 だんだんざわめきが止んでいく。

 前の方から徐々に「気づいたよ」という印のように白のペンライトが振られている。

『こっち、見ろぉぉぉぉ!』

 静かな場内に、わたしの声が響き渡った。

 はぁ、はぁ、と荒い息が零れている。ここまでなりふり構わず叫ぶなんて、喉が大変なことになるかもしれない。でもあともう少し、声を張り上げないと。

『聞こえてたらー! 返事くださぁぁぁーい!』

 うおおおおおおと波のようにペンライトが掲げられていく。

 それを見て、一気に安堵が広がった。良かった。声は届いてる。

『いっ、今! 台風で! 停電しちゃいました! ごめんなさい!』

 言って、頭を下げる。着ぐるみのせいでシュールなことになっているかもしれない。

『ひ……っ、非常電源が、もう少しで来るみたいです! 五分くらい!』

 声が裏返る。今、このステージの上で、一人で立っているということが怖い。着ぐるみという薄い壁を一枚抜けたら、もうそこにわたし自身がいるのだ。何かの瞬間に着ぐるみが脱げたらその時点でわたしは終わりだ。

『だ、だからそれまで! もう少しだけ待っててください……!』

 でもここまで出てきてしまったからには、まだ立ち続けないといけない。

 少なくとも、電気がまた戻るまでは。

 もう一度頭を下げた。客席から「大丈夫だぞー!」「どんまーい!」「待ってるよー!」とかぱらぱらと気遣うような声援が投げられている。

 わずかに気持ちは楽になる。けれどまだ、怖くてたまらない。立つだけでも精一杯だ。足が笑えるくらいに震えていた。一人だとこんなに不安になるのか。

(……これで正解なのか?)

 無意識で、そんな風に自問が始まる。

 誰にも何も聞かず、勢いのまま飛び出してきた。着ぐるみなんて被って、勝手にこうしてステージに立って。

 わたしに向けて大丈夫だと言ってくれる人はたぶん、優しい人だ。みんなきっと突然のことに混乱もしている。がっかりもさせたはずだ。せっかく来たのに、停電のせいで台無しになってしまった。それをこんな着ぐるみ被った小娘の謝罪で許そうなんて、虫のいい話はない。

『ごめんなさい……!』

 もっと頭を下げる。これで許される話ではないのかもしれない。けれどわたしにできるのは謝ることしかない。怖い。怖いけど、声と足の震えを押し殺して立つしかない。だって、これで全てが台無しになるなんて、絶対に耐えられないから――。

 ――その時、隣にふと、気配を感じた。

 え。

 隣を見て、目を見張った。そこには見ていて緩い気分になるような、目がくりくりした猫のマスコットの着ぐるみがぬっと立っていた。

 しゃ、シャロ猫ちゃんだ。

 シャロ猫ちゃんがすっと手を差し出してくる。その先にあるのは、わたしが持っている拡声器だ。あなたも喋るの? でも、中身は誰? 着ぐるみが一人で歩くなんてありえない。

 拡声器を渡す。着ぐるみの手で器用に抱えて、口の前に掲げる。

『わ――私からも、謝らせてくださぁぁい!』

 わたしの疑問は、マスコットから飛び出した透明で綺麗な声にかき消された。

『り、り……りりしあ……しゃーろっとです!』

 わあああああ! と歓声があがった。

 リリシアちゃんだ。一番ここにいてほしくて、でも一番来れないと思っていたリリシアちゃんだった。

「な、なんで……」

 でも明らかに無理をしている。

 人前に立つのが苦手だと言っていた。それを特訓してなんとかライブに立てるようにまでなった。でも、こんなハプニングに出れるようなメンタルでは無かったはずだ。

 声がさっきのわたしよりもひっくり返っているし、拡声器を持つ手がぶるぶる震えている。というか、着ぐるみ全身が震えていてとんでもないことになって。どう見ても普段のリリシアちゃんとは違う。

 ど、どうして来たんだ。この姿が観客に見られてしまう。

 いつもと違うと思われたら、リリシアちゃんのキャラクターも崩れてしまうのに!

『み……み、みなさんに……っ! あや、あや、謝らないと……っ!』

「リリシアちゃん!」

『い、いいんです。みあせんぱい! わ、私だけがうう、裏でままま、待ってるなんて……! できるわけないので…っ!』

 明らかに過度の緊張の中で、それでも客席に向かって大きく声を張り上げた。

『わっ、私からも! 謝らせてください! 停電のことも! こ、こんな、声震えててごめんなさい! わ、私! 本当は、こういう人間で! あの、みなさんは良い子とか言ってくれますけど! 全然良い子じゃない! ただのメンタルぺらぺら人間なんで!』

 と、とんでもないこと言ってるけど!?

『今日だって本当はめちゃくちゃ怖かったんですよ! だってこんなたくさんの人の前に立つなんて無理に決まってませんか! ミア先輩いなかったら絶対に私途中で帰ってましたからぁ―!』

 リリシア・シャーロットのキャラじゃない、柏木春花の弱々しい本音が漏れている。

 でも、観客席からは笑い声が漏れて、黄色いペンライトが大きく振られている。

『だけどミア先輩がいてくれたので! な、なんとか来れました! ごめんなさい! なんかいつも余裕ぶっててすみません! ほんとはだいぶ小心者です! ミア先輩とハグしてる時とかめっちゃどきどきしてます! あ、ミア先輩が大好きなのは本当ですよ! あい! らぶ! ゆー!』

 うおおおおおお! と客席が盛り上がる。そ、そこで盛り上がるのかお前らは!

『電源はすぐに戻るので! そしたら、一緒にまた! ライブを盛り上げてくれますか! もうあとは! この変なテンションで行くしかないので! 落ち込んだらたぶん倒れるんで! 皆さんもハイテンションでお願いしまぁーす!』

 わああああ……っ! と歓声と拍手が広がっていく。その内『りーりみあ!』『りーりみあ!』『りーりみあ!』というコールに変わっていった。会場に熱気が戻ってくる。

 そしてついにパッと電気が点いた。またわぁっと拍手が会場中に広がる。

「ミア先輩! 戻りましょう!」

 着ぐるみがこっちを向く。なんてシュールな。でも、今日のMVPは間違いなくリリシアちゃんだ。

「うん! 急いで帰ろう!」

 舞台袖に戻り、着ぐるみを脱ぎ捨ててスタジオへ走っていく。

 リリシアちゃんが捨て身で掴み取った熱気が冷める前に、ステージへ戻るのだ。

 今度は着ぐるみじゃなく、白宵ミアと、リリシア・シャーロットとして。

 もうなりふり構っていられない。

 捨て身の姿をみんなに見せてやるのだ。



 もう、やけくそでがんばった。

 不安とか何も考えている余裕もない。緊張と、積み重なっていく疲労に追い込まれながら、体に覚え込ませた歌と振り付けをひたすらにやり続けた。

 その後は全力で歌って、全力で踊り切った。MCとか、何を話したか全然覚えてない。必死で、ただただハイテンションでやり切った。

「みんなぁー! 今日は来てくれて本当にありがとおおお!」

「これからもりりみあをよろしくお願いしまぁーす!」

 今日一番の歓声と拍手を全身に受けて、わたしたちはステージから退場した。

 会場からはしばらく歓声が途絶えずにいた。



「お、終わったぁぁぁぁぁぁ……!」

 終了の合図が出てすぐ、ばたりと床にへたり込んだ。

「終わりましたね……」

 リリシアちゃん――柏木さんも疲れ切った声で、すとんと私の隣へ座り込んだ。

 もう疲労困憊だ。HPもMPも無い。すっからかん。

「二人ともお疲れぇぇ!」

 そこに秋子さんが飛び込んできてがっとわたしたちを抱きすくめた。ぐぇ、苦しい! 秋子さん、体力無い時にそれはきついですって!

「ああ、悪い悪い。苦しいか」

 ぱっと体を離される。それから肩に手を置かれて、歯を見せて笑った。

「とりあえず二人とも一回着替えておいで。ここで座ってると邪魔になるからさ」

「わ……わかりました」

「それから、控え室にリリシアちゃんのお父さんを呼んでるから」

 さらっと言われたことに、心臓が跳ねた。柏木さんのお父さんも来てるんだ。

 成功だと言われなければ、柏木さんはVTuberを続けられない。

 秋子さんはぱしっとわたしたちの肩を叩いた。

「大丈夫だよ。自信持って行っておいで」

 それだけ言って後片付けに忙しく動くスタッフさん達の中に紛れていく。

 たしかに、ここにいては邪魔になる。柏木さんと手を貸し合いながら疲れた体をなんとか持ち上げて、先に更衣室へ向かった。タオルで汗を拭く。着替えをする。その間、会話は無い。疲れてるのもあるけど、何を言われるのか心配だった。

(柏木さんのお父さんは成功だって言ってくれるのかな)

 今日のライブは間違いなく良かった。……最初だけは。

 停電があってからのことは、あんまり自信が無い。

 やり切った、という思いはもちろんある。

 けれど、失敗したんじゃないかという思いもある。

「……行きましょうか」

 着替え終えた柏木さんに手を伸ばされる。

「今日がどんな結果でも……受け入れる準備はできてます」

 覚悟の決まった表情だった。わたしがうだうだしているわけにはいかない。

 手を繋いで控え室に向かう。

 中に一人で、柏木さんのお父さんが背を向けて立っていた。

 ドアを開ける音でこちらに振り返って薄く笑みを浮かべた。

「……二人ともお疲れ様。マネージャーさんに招待されて、少しだけお邪魔するよ」

 表情はいつも会う時と同じように穏やかだった。そこから答えは読み取れない。

「疲れているところ申し訳ない。もしかしたら気にするかもしれないと思って先に。……春花の引退のことだ」

 握られている手の力が強まった。

 大丈夫だろうか。

 お父さんの目に、今日のライブはどう映ったんだろうか。

 最初だけは良かったと断言できる。会場も盛り上がっていた。わたしたちも上手くできていた。けれど、停電の後は……。

「成功だったと思う。ちゃんと」

「へ?」

「……意外かい? あんなに盛り上がってたじゃないか。失敗なわけないさ」

 言われたセリフがふわっと頭の中で広がった。疲れているせいか、それとも内容のせいか、すぐに意味が掴めない。けど、少しずつ意味が掴めてくる。成功。そうか。お父さんからも、そう見えていたのか。

 へなっと力が抜けた。膝が曲がってしまいそうになるのをなんとかこらえる。

 そっか。良かったんだ。わたしたち、上手く出来たんだ……。

「春花。……停電の時の声は、こっちにも聞こえてた。ずいぶん思い切ったことをしたね」

 可笑しそうに口の端を緩める。

「でも、あれでいいと思う。それにあんな風に観客に声をかけられるなら、きっとこの先も大丈夫だ」

 柏木さんのお父さんが歩み寄って、柏木さんの頭を軽く撫でた。

「約束通りVTuberを認めるよ。こんな大舞台を無事にできたんだから、自信を持って。でも、無理はしないように。一人で抱え込まないで。今まで上手くできなかったけど、これからは僕も助けられるようにする」

「……ありがとうございます」

 優しい声音だった。柏木さんは安堵と恥ずかしさからか、か細い声になっている。

「それから、玖守さん」

「え、はい!」

 わたしにも何かあるんでしょうか。

「玖守さんは、普段と配信中のキャラはずいぶん違うね」

「…………」

 そ、そうですね……。

「でも、春花が好きになる理由がわかった気がするよ。玖守さんは演技をしていても楽しそうだ」

 いつかの日に柏木さんに言われたようなことを言われる。

 外からはそう見えるんだろうか。わたしは必死でやってるだけだけど。

「それに、みんなから好かれてる」

「へ……?」

 頭のどこにも無かったことを言われて、呆けた声が出てしまう。

 考えたこともなかった。好かれてる。そうか。そうなるのか……? わたしが……?

 いや、好かれてなければきっとみんなライブなんて来てくれない。理屈ではわかるけど。

 今更? とか言われてしまいそうだ。

「よければ、これからも春花の友だちでいてあげてほしい。春花は強い子じゃないから。……君がいてくれると私も春花も安心できる」

「は、はい。……わたしの方こそ、お願いします」

「ありがとう」

 微笑んでドアの方へ歩いてくる。

「……じゃあ、二人とも今日はゆっくり休んで。疲れてるところ、邪魔したね」

 そう言って柏木さんのお父さんは去っていった。

 ドアがかちゃりと閉じる。わたしたちが残される。ふっと、気が抜けた。

 ……ああ、良かった。これにて一件落着だ。

 柏木さんのお父さんにライブは成功だったと言ってもらえた。結果として柏木さんはVTuberを続けることができる。これからも一緒。りりみあはこれからも終わらない。今日は大成功だ。めでたしめでたしだ……これで今日はもう寝てしまおうかな。

「ゆいなちゃん」

「え?」

 隣から両手をぎゅっと握られて、強制的に振り向かされた。

「好かれてるってお父さんに言われて、意外そうでしたけど」

 鼻が触れ合いそうな距離で柏木さんに見つめられる。ちょっと不満げな顔。

「私がいつもあんなに好きだって言ってるのに、好かれてる自覚は無かったんですか?」

「え!? え、えぇとぉ……わ、わかってはいるんですよ? でもわかるのと感覚は違うというか……」

「大好きです、ゆいなちゃん」

 目の前でいきなりそう言われて、急に頬が熱くなってきた。

 好き。そういう言葉は、柏木さんには前から言われてた。好き? それ、どういう意味? いやわかるけど。わかるんだけどさ。好きって。でもなんだか言われ慣れてなくて。言われてもどういう風に飲み込めばいいのかわからないし。

 目線を合わせずにまごまごしてたら、タオルを頭から被せられた。柏木さんのタオルだ。

「……汗、拭いてあげますね」

「え、あ、はい」

 目の前には柏木さんの整った顔がある。ぽんぽんとわたしの額とか頬をタオルで優しくはたいてくれる。

 でもなぜかじぃっと無言で、真剣な様子でわたしの顔を覗き込んでいる。

「えっと、柏木さん……?」

「…………」

「あのぉ」

「……やっぱり、もっと攻めないとだめなんでしょうか」

「な、なにを。――もが」

 わたしの問いには答えてくれず、タオルで口が柔らかく塞がれた。それからも真剣な顔でお世話をされる。わたしはされるがままである。

 な、なんだろう。

 優しく汗を拭いてくれてるのに、なぜか圧を感じる。

 これからのわたし、もしかしてピンチなんでしょうか……!?



 エピローグ



「こんみあああ~~」

 ライブが終わってから少し日を空けて、初めて配信の枠を取る。

 画面に銀髪吸血鬼のわたしが映る。ぶんぶん頭を振りながら挨拶する。

 待機の時点でいつもよりも沢山の人が見てくれていた。これがライブ効果か。

『こんみあ!』『こん~』『ライブ良かったああああ!』『ライブ感謝』

「ライブやばかったねー。みんなどうだった? 見てくれた人いるー?」

『ノ』『ノ』『チケット取れんかった……泣』『電車遅延したけどぎり間に合ったわ』『動いてるリリシアたんとミア様拝めて感激や』『オリ曲よかった!』『トラブルあったってマジ?』『停電の時二人出てきておじさん泣いちゃった』『バッちゃん有能すぎる』

 コメントが流れていく。

 ライブが終わって始めての配信だ。みんないろいろな感想とか、気になっているところとか、思い思いに投げてくれる。

 こうしてまた前と同じ雑談ができるというだけで、なんとなく感慨深い。

「……一個ずつ語ろうかな。そうね。早めに触れておこっかな。停電したんだよね、当日」

 コメントを拾って、停電の時のことを思い出す。

 停電の時、わたしたちがステージに出たことは一応、好意的に解釈されたようだった。停電時のことだから動画にも残っていないようだけど、観客の人はSNSでいろいろと呟いていた。怒ってる人もいたけど、それはわたしたちにというより、会場の設備とかそっちの方だ。

「イベント側の人にはすっごい謝られたよ。あとマネージャーさんも。びっくりしたなぁ」

『停電はビビる』『会場いたけど、出てきたのマジで偉い』『びっくりで済むのかww』『初ライブでトラブル怖すぎ』『会場冷え冷えにならなくてよかった』

 ほんとにそうだ。みんなもっと褒めてもいいんだぞ。

「えーと……次どうしよ。みんな何聞きたい?」

『Polalis Magicalえぐかった』『マネさん褒めてくれた?』『振り付けよく覚えたわ』『最初のアナウンスってリリシアたんだよね?』

「あ、そうそう! みんなリリシアちゃんのアナウンスどうだったー? 前に決めたんだよね! 声綺麗だし、あとなんかわたしよりみんな話聞いてくれそうだったし……」

『ww』『それはそうかも』『適材適所』『草』『ミア様もいいとこあるよ!』

 そんな風にして、ライブのことを語っていく。

 いろいろと大変なこともあったけど、なんだかんだでいい思い出になったのではないか。

「――まあ今言ったの全部わたしには余裕でしたけどね!」

『ほんとにー?』『嘘乙』『嘘ついてる時の声やん』『じゃあまたやってください』

「嘘ついてないし! あとまたライブはちょっと……。じゃあ百年後かな!」

『遠すぎ草』『吸血鬼換算やめてください』『寿命ってご存じない?』『孫に伝えとく』『もうひ孫とかになりそう』『まず結婚せんと』

 ライブは楽しかったとはいえ、またやるとなると大変そうだと思ってしまう。

 もうあんな舞台に立つことは無いだろう。……無いはずだ。

 しばらくはまったり期間である。がんばったぶんはしばらくまったりするのだ。というか、これだけがんばったんだから、おやすみくらいもらってもいいのでは?

 そうだ……いっぱい休もう。どこ行こうかな。積んでるゲームあるし、まったり温泉に行ってゲームするみたいな贅沢なことしちゃったりして……。

 ……いやこれ前も思ったな。

 おやすみが欲しいと言うのは、おやすみがもらえないフラグなのでは……?

「……ミア先輩、意識が遠くに飛んでますよ」

「っ!?」

 耳元近くで囁かれて、がたっと椅子の上で飛び跳ねた。

『!?』『リリシアたん!?』『同棲!?』『リリミアうおおおお』

 ソロ配信のはずなのに突然聞こえたリリシアちゃんの声にコメントの流れが加速する。

「り、リリシアちゃん、今日は黙ってるって言ってたのに!」

「ミア先輩の顔から魂が抜けてたので」

「魂!? ほんと!?」

「してましたよ~こことか~」

「ひょ、ひょっとほっへふままないで!」

『あ~』『ほっぺ摘まんでるのかww』『てぇてぇすぎる』『遊んでたの?』

「あ、私お泊まりに来てるんですよ!」

 リリシアちゃんがコメントに答え始める。停電の話があってからリリシアちゃんも、今までのキャラとは違う、みたいな噂は広まった。リリシアちゃん自体もそれは否定していない。賛否はあるけれど、だいたいは肯定されてる。

 でも何より、リリシアちゃんはどことなく肩の力が抜けたようになった。

 その変化については、間違いなく好意的に受け止められてる。

 ……それから、前よりちょっと積極的になったような。

「コメントの皆さんに質問していいですか? ミア先輩と一緒のベッドで寝たいんですけど、許してくれないんです。どうすればいいでしょうか?」

『エッッッッ!』『盛り上がってきたああああ』『酔わせる』『薬』『誘惑しよう』『ミア様体力無さそうだからめっちゃ運動させれば先に寝るんじゃ』『犯罪臭がすごいコメ欄』

「ちょ、ちょっと! 何考えてんだ!」

 一緒に寝るとか無理だから! そんなことしたらほんとに寝られなくなるじゃん!

 と、そこで見慣れた名前のコメントを見つける。

【瀬名ロクコ】『ずる。うちもミアの家行きたい』

「……え、ロクコちゃんうちに来たいの……?」

「ミア先輩。どーしてロクコ先輩だと嬉しそうにするんですか……? 私の時は渋ってましたよね……?」

「い、いや違くて! ゲームできるなってだけで!』

 リリシアちゃんに顔を詰められて逃げるようにコメントを見て、そこでさらにもう一つ知ってる名前が流れてくる。

【水上イヅキ】『今度は私とオフコラボしようって言ったもんねー!』

「い、イヅキ先輩!?」

「ほらまた嬉しそうにしてます! 私の時はなんで困ってたんですか!」

「え、ええ!」

 すぐに両手を上げて降参の姿勢になる。他のメンバーの名前もずらずら流れ始めた。やばい! 答えたいけど! 柏木さんに見られてるから答えられません!

 むすっとした柏木さん。言い訳も聞いてもらえなさそうだ!

「だ、誰か助けてぇー!」

『草』『修羅場で草』『先輩来てややこしくなってんよ~ww』『ミア様、正直に教えてください。正妻は誰ですか?』『ぽらりすでハーレム作ろうとしてる?』『生意気なミア様はどこへ行ったのか』

 わちゃわちゃと騒ぎながら楽しい時間が過ぎていく。

 わたしのVTuber生活はまだこれからも続いていきそうであった。

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ぼっちでポンコツなVTuberでもお友だちってできますか? じゅうぜん @zyuuzenn11

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