今はおだてる時

 張繍征伐より帰還した曹操は暫くの間、内政に励む事にした。


 そんなある日。


 曹操が自分の下に届けられる書に目を通していると、袁紹から使者が送られてきたと兵から告げられた。


 何用か?と思いながら、曹操はその使者に会う事にした。


「使者殿。遠路遥々ご苦労であった」


「はっ。お会いする事が出来まして嬉しく思います」


 兵に連れられてきた使者に曹操が挨拶を交わした。


 使者も一礼すると、懐に手を入れた。


「我が主より、この文を届けるように頼まれましたので、お届けに」


「そうか」


 曹操は近くに居る護衛に、その文を取りに行かせた。


 使者から文を受け取った護衛は曹操の下まで来ると、掲げるように文を差し出した。


 曹操はその文を受け取ると、広げて中身を見た。


「…………っ⁉」


 文を最後まで読んだ曹操は一瞬だけ顔を顰めたが、直ぐに真顔に戻った。


「……これは直ぐに返答できる事ではない。家臣と相談してから返答する故、お主は暫し待つが良い」


「はっ」


 曹操の返答を聞いても、使者は何も言わなかった。


「これ、使者殿を客殿へ案内せよ」


「はっ」


 護衛の兵が一礼すると、使者と共に客殿へ案内していった。


 使者が出て行くと、曹操は護衛の兵に荀彧達を呼んで来る様に命じた。




 暫くすると、荀彧、郭嘉、程昱、荀攸、最後に曹昂の五人が曹操の下にやって来た。


 皆その部屋に入るなり、曹操の機嫌が悪い事を一目で察した。


「お呼びとの事で参りました」


 荀彧が皆を代表し、一礼して訊ねた。


「おおっ、来たか。これを見よっ」


 曹操はそう言うなり、荀彧の足元に袁紹の使者が届けて来た文を叩きつけるように投げた。


 荀彧は何事かと思いながら、その文を拾い広げて中身を見た。


 一読した荀彧は、不快そうな顔をし、隣にいる郭嘉に無言で文を渡した。


 渡された郭嘉は一読すると、何も言わず荀攸に渡した。


 荀攸も一読すると、同じように程昱に渡した。


「何が書かれているのですか?」


 荀彧達が無言で文を回しているので、曹昂は気になり、程昱が読んでいる横から失礼と思いつつ覗き込んだ。


「…………うわぁ」


 その文を読んだ曹昂は、思わず声を出してしまった。


 最初は挨拶から始まり、今度は劉虞について書かれていた。


 そして、最後には兵糧などを貸してくれるように書かれていた。


 加えて、その文辞が高慢であった。


『劉虞との戦で兵糧が足りぬから貸せ。河北を手に入れた暁には、倍にして返してやる』


 と文に書かれている一文を意訳するだけでも、傲慢と言っても良かった。


 兵糧を借りる立場で此処まで傲慢な文章は見た事が無かった。


「あの横着者め。河北の殆どを手に入れているからと此処まで傲慢になるとはっ」


 曹操は怒りが収まらないのか、肘置きを何度も叩いた。


 暫く叩いた事で怒りが和らいだのか、深く息を吐いた。


 曹操が落ち着いて来たのを見た郭嘉が曹操に話し掛ける。


「殿。御怒りは御尤もです。しかし、今の我等では袁紹には」


「まだ、敵わぬと言うのかっ!」


 郭嘉の言葉を聞いて、曹操は怒りを再燃させた。


 兵力では袁紹が勝るが、其処は曹昂が作った兵器を用いるなりすれば勝てるのではという思いが曹操にはあるからだ。


「袁紹に対する為には、周りの勢力を潰してからでないと、袁紹と戦う事も難しくなります」


「むうう……」


 郭嘉にそう言われて、曹操は唸り声を上げた。


 曹操の周りには呂布。袁術。劉表。張繍という敵対する勢力が居た。


 その内、劉表は謀略により暫くは対抗する事も出来なかった。


 張繍は南陽郡を支配下に治めたばかりなので、攻め込む程の余裕はまだ無かった。


 だが、呂布と袁術の二人は隙を見せたら何時でも攻めて来る可能性があった。


「袁紹と対するにも、まずは呂布か袁術のどちらかを何とかすべきです。さしずめ、呂布を先にするのが良いかと」


「そうだな。しかし、袁紹に兵糧を渡すのはな」


 曹操は其処だけが受け入れられない様であった。


「漢の高祖が項羽に勝てたのは、優れた臣下が居ただけではなく、高祖が我慢し続けた事で勝てたのです」


「そうだろうな」


 郭嘉が、漢の高祖を例に挙げたのを聞いた曹操は同意する様に頷いた。


「加えて、殿には六つの特長があり、袁紹には六つの欠点がございます」


「ほぅ、それはどんなのだ?」


 郭嘉の批評に興味を持った曹操は続けるように促した。


「一つ。袁紹は儀礼を好んでおりますが、殿は自然体を好みます。これは法則が優っております。


 二つ。袁紹は天子に逆らう行動をし、殿は天子を奉じて天下を従えておられます。これは正義に優れております。


 三つ。袁紹は締まりない政を行い甘いが、殿は厳格で上下共に掟をわきまえております。これは政治が優れております。


 四つ。袁紹が信任しているのは親戚や子弟ばかりです。殿は相応しい才能を持っているかどうかだけが問題で、親戚・他人を分け隔てされません。これは度量に優れております。


 五つ。袁紹は決断に乏しいが、殿は即断で実行します。これは策謀に優れております。


 六つ。袁紹は家が名門なので虚名と名士を好む。殿は上辺だけを飾ることをなさらず誠実です。これは人徳が優れております。


 この六つの点から、殿は袁紹に優っているのです。これだけで十分に殿は袁紹に優ると言えるでしょう」


 郭嘉が、曹操と袁紹の六つの違いを述べると、荀彧もそれに続くように語りだした。


「加えて、袁紹は眼に触れないことに対しては考慮が及ばないが、殿は眼に触れないことに対してさえも、周到に考慮され、処置されないことはございません。これは愛情に優れております。


 袁紹は讒言と諫言の違いが分かりませんが、殿は讒言と諫言の違いが分かります。これは聡明で優れております。


 袁紹は善悪の判断をはっきりといたしませんが、殿は善悪の判断は法で以てそれを正されます。これは法政に優れております。


 袁紹は兵法に疎いが、殿の用兵は神の如く。これは軍事が優れております。


 郭嘉殿が上げた六つの特長にこの四つの特長を持ってすれば、殿は袁紹に十勝するでしょう」


 荀彧が言い終えると、曹操は手を振る。


「ああ、もういい。二人に其処まで美点を上げられれば、背中がくすぐったくなる」


 そう言いつつも曹操は、満更ではない顔をしていた。


「父上。当代きっての知者であられる荀彧殿と郭嘉殿がそう申すのです。今は袁紹の機嫌を取って要求を呑むべきです」


「私も同感です」


「私も」


 曹昂が袁紹の要求に応えるべきと言うと、程昱と荀攸も同意した。


「ふぅむ。そうだな。お前達がそう言うのであれば、袁紹の要求に応えるとするか。ついでに、青州もあいつにくれてやるか。そうすれば、益々調子に乗るだろうしな」


 名案とばかりに手を叩く曹操。


 袁紹は朝廷に上奏せず勝手に青州の殆どを支配下に治めているが、曹操は名実共に青州を支配する事にしようと言う。


「宜しいと思います。青州は黄巾賊が暴れ回った事で荒れ果てているそうです。袁紹殿に渡して、豊かにしてもらいましょう」


「青州を治めているのは誰であったか?」


「州牧はおりませんが、青州刺史として孔融がおります」


「ああ、何回か顔を合わせた事があるな。あやつには悪いが、青州は袁紹に譲ってもらおう」


 曹操がそう言うなり、直ぐに朝廷へ袁紹に冀州、并州、青州を治める許可を与えるように上奏した。


 その上奏は直ぐに通り、袁紹の使者にその詔を渡し、大量の兵糧も送るように手配した。


 

 数日後。



 その詔により袁紹は長子の袁譚に兵を与えて青州に攻め込ませた。


 一月後には孔融が拠点にしていた城を陥落させた。


 孔融は逃亡し行方知れずとなった。


 こうして、青州は正式に袁紹の物となった。

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