この頃から片鱗が

 曹操が許昌へ帰還してから数十日が経った。




 曹昂が自分用に用意されている屋敷にある部屋で窓から外を見ていた。


 季節は冬になろうとしているが、その日は雲一つ無い晴天であった。


「……平和だな」


 部屋には曹昂一人しかおらず、窓から見える風景を見ながら茶を飲んでいた。


 偶には一人でのんびり過ごしたいと思い、一人で茶を飲んでいた。 


 天気があまりに良く、その陽気に誘われ、うつらうつらと船を漕ぎだした。


 そのまま眠りに就くかと思われた時、門が激しく叩かれた。


『開けろっ。曹操が子脩に会いに来たぞっ。早く開けろっ』


 門越しでも聞こえる大声に曹昂は折角の良い気分が台無しにされたと思いつつ、何事かと思い使用人に門を開けて部屋に通すように命じた。




 少しすると、使用人が曹操を連れて参り、茶の用意をすると一礼し、部屋から出て行った。


「それで、今回は何をしでかしたのです。父上」


 茶を飲みながら訊ねる曹昂。


 今度は何をしたのやらと思いつつ訊ねると、曹操はその言葉が気に入らないのかムッとした顔で答えた。


「息子よ。何故、私が悪い事をした前提で話すのだ? 私ではなく、他の者がしたという事は考えられないのか?」


「そうでしたら、父上以外の人が来るでしょうね」


 曹昂の指摘に曹操は言い返す事が出来なかった。


「……まぁ良い。実はな、今屋敷では問題が起こっていてな」


「問題ですか?」


 また、子供が出来たのかと思う曹昂。


 既に卞蓮と妾にした孫猫は男の子を出産していると聞いている。


 それぞれ、熊、彪と名付けたと聞いている。


(今度、生まれるとしたら、史実だと環夫人の曹沖あたりだな)


 曹操が少し視線を迷わせながら話し出した。


「お前は小さかったから覚えておらぬかも知れぬが、私は洛陽の北門を預かる部尉をしていたのだが、その時の職務ぶりを恐れた当時の宦官達の中で一番の勢力を持っていた十常侍の蹇碩を中心とした者達が、私を洛陽から遠ざけたのだ。その赴任先が頓丘県で、其処の県令に任じられた」


「頓丘県ですか。其処は確か兗州東郡にある県でしたね。濮陽にも近い県だと記憶してます」


「そうだ。まぁ、其処で真面目に職務に励んだのだが、洛陽に居た頃に比べると、暇でな」


 都である洛陽と兗州内の郡の中にある県では仕事量も違うので暇だと思うのは仕方がないのではと思う曹昂。


「まぁ、あまりに暇なので、気晴らしに外に出たのだ。其処で見目麗しい女と出会ってな」


「うん?」


 話を聞き流そうとしたが、女という言葉を聞いた曹昂は顔を顰めた。


「その見目麗しい女と仲良くなってな。それで、まぁ一夜を共に」


「ああ、もう話が分かりました」


 曹操が語っている最中、曹昂は話を終わらせた。


「それで、その女性が妾にしてくれと、直接此処に来たのですか?」


「いや、その女の家の事は知人に任せていてな、時折、文で近況を聞いていたのだ。その知人が女が亡くなった事を私に伝えて来たのだ。それで、知人はその娘を私の下に送って来たのだ」


「一応、聞きますけど。父上の子供だという証拠はあるのですか? 偽物という事も考えられますよ」


「その知り合いは信用できる男であったし、娘は母親の遺書と一緒に私の手書きの紙と贈り物として送った玉が埋め込まれた指環を見せたのだ」


「十分な証拠ですね。それで、どうして私の屋敷に来たのです?」


「薔はその話を聞くなり怒ってな。蓮も宥めるどころか同調してな。屋敷に居づらくなったのだ」


 曹操は気まずそうな顔をしていた。


 話を聞いた曹昂は怒るのも無理ないなと思った。


 丁薔は卞蓮以外の女性と関係を持ち、尚且つ子供を作った事も知らなかったのだ。


 怒っても仕方が無いと言えた。


 卞蓮からしても、洛陽から赴任先である頓丘県まで付いて来ているのに、他の女性と関係を持った事に怒っても仕方が無いと言えた。


「……文字通り、自分が捲いた種の所為ですね。父上」


「其処は否定はせん。そういう訳で、何とか薔の機嫌を宥めてくれぬか?」


「何で、私がその様な事を。父上が捲いた種でしょうに」


「また、薔が離縁するとか言いだして、実家に帰る事になるのは避けたい。流石にあの件は悪かったと思ったからな」 


 曹操も雛菊の件で起こった事を反省している様であった。


 因みに、連れ帰って来た雛菊は曹操の妾の一人として迎えられている。


「……遺憾ながら、両親が不和であるのは子としても不本意ですからね。仕方がありません。母上の機嫌を直しましょう」


「おお、そうか助かるぞ。私は本当に良い息子を持った物だ」


 曹昂が丁薔の機嫌を直すと言うと、曹操は曹昂の行いに感服していた。


(別に父上の為にしている訳ではないけどね。説得しなかったら、ほとぼりが冷めるまで屋敷に居させろとか言うかも知れないからな)


 それは勘弁してほしいと思う曹昂。


「ちなみに聞きますけど、信頼できる知人って誰なのですか?」


「うむ。私が洛陽で部尉をしていた時に、頓丘県に赴任する時に連れて行った部下であったからな。かなり信頼できる」


「そんな人いたのですか。名前を聞いても良いですか?」


「劉延と言うのだ」


「ぶっ」


 曹操の口から出た名前に、曹昂は噴いた。


(劉延って、曹操配下の将の中で一番謎と言われてる武将じゃないか。そんな時から仕えていたのか)


 出生も何処で生まれたのか分からないのに、一郡の太守になれた理由が分かり納得する曹昂。


「その人は今、何をしているのですか?」


「ああ、私が兗州の州牧になった時に、東郡の太守の後任に抜擢したのだ。元々あいつは私と同じ豫州沛国出身だったから、少し問題はあったが、治政に優れているので問題なかった」


「へぇ、豫州出身だったのですか?」


「そうだ。断っておくが、劉延は皇族でも何でもないからな。其処は理解しておけよ」


「其処は分かっていますよ」


 寧ろ、皇族であれば、自分でもそう言うだろうと思う曹昂。


「劉延は従兄の劉岱の縁で知り合ってな、劉岱よりも使えるから郡の太守にしたのだ」


「そうなのですか。ちなみに、父上とその劉岱とはどういう縁で知り合ったのですか?」


「劉岱か? あいつはな、私が若い頃の放蕩していた時から付き従っていた、子分みたいなものだ」


「はぁ、悪友という奴ですか?」


 袁紹みたいな存在と考えれば良いのかなと思う曹昂。


「まぁ、そんな感じだ。ああ、そうだ。此処まで話したついでだ。話してやろう」


「うん? 何をですか?」


「お前の母は何と言うか知っているか?」


「劉・・・・・・あれ? 何と言うんでしたっけ?」


 聞かれて、名前を知らない事に今更ながら気付く曹昂。


「教えていなかったのもあるからな。お前の生みの母は劉吉と言うのだ」


「劉吉って、皇女様と一緒ですね!」


「うむ。皇女様が名乗った時は驚いたものだ。同じ名前だったからな」


 偶然とは凄いものだと言わんばかりに頷く曹操。


「凄い偶然ですね。ええっと、今の話を聞いた所、私を産んだ劉吉は劉延と劉岱の親戚という事になるのですか?」


「遠縁だそうだが、そうなるな」


「そうですか。生みの母の親族は二人だけですか?」


「いや、もう一人居るぞ。あいつは今何処に居るのやら。豫州が混乱していた時に何処かに行って行方が分からなくなってな」


「誰ですか? その人?」


「劉馥。字を元穎と言ってな。血縁という意味では、こちらの方が濃いな。何せ、劉吉の弟だから、お前の叔父だぞ」


「ぶふううううううっっっ⁉」


 曹操がそう告げるのを聞いて、曹昂は噴いてしまった。


(劉馥って、確か揚州刺史になった人じゃないか。そんな人が叔父⁈)


 初耳な事ばかりを立て続けに聞いて、頭が痛くなりそうな気分であった曹昂。


「げほ、げほ、げほ・・・・・・・そ、そんな話は初めて聞きました・・・・・・」


 咳きこみながら曹昂は訊ねた。


「本人に会えた時に話そうと思っていたからな。ちなみに、劉馥は劉岱の遠縁だ。ちなみに、劉吉の事を知ったのは、劉岱が私に教えたから知ったのだ」


 曹操は別に大した理由は無いとばかりに言うが、曹昂からしたら十分に話すべき事と言えた。


「あの、聞いても良いですか?」


「何だ?」


「どうして、私の生みの母である劉吉の事を教えてくれないのですか?」


「・・・・・・まぁ、あれだ。お前を産んだのは劉吉だが、お前を育てたのは薔だ。だから、お前の母は薔と思って欲しくて話さなかったのだ」


 曹操はそれが子供の出来なかった丁薔に対して出来る優しさだと思い述べた。


「・・・・・・そこまで思っていて、何で色々な女性に手を出すのですか?」


「はははは、其処は私の性分というものだ」


 そう言う曹操に曹昂は溜め息を吐いた。


 そして、曹昂は曹操の屋敷に居る母の機嫌を直す為に向かう事にした。


 数刻後。曹昂は丁薔の機嫌を直す事に成功した。


 やって来た娘は、正式に曹操の娘として引き取られ、丁薔が養育する事となった。


 娘の名前は曹安。字を陽姫と言い、御年十七歳であった。




 暫くして、曹昂は屋敷の様子がどうなのか気になり訊ねた。


 曹操は仕事で不在であったが、弟達は居た。


 丁度、曹丕と曹彰が木剣で素振りをしているところであった。


「「五十一、五十二、五十三、五十四、五十五」」


 弟達が素振りをしているのを見て、曹昂はやっているなと思いつつ見ていた。


「丕、もっと脇を締めなさいっ。それだと、剣に威力が乗らないわよっ。彰は腰を伸ばしなさい。そんなへっぴり腰だと、虫も殺せないわよっ」


「「はい、姉上」」


 二人の監督をしているのは曹昂の妹の曹清であった。


 指導に熱が入っているなと思いつつ、曹植の姿が無い事に気付いた。


 流石の曹清もまだ四つの曹植には素振りはさせないかと思いつつ見ていると、視線で気付いたのか曹丕が曹昂を見た。


「あっ、兄上」


 曹丕が素振りの手を止めると、曹彰もその手を止めた。


「兄上。どうなさったのです?」


「母上達の御機嫌伺いに来ただけだよ。三人共、元気そうだね」


 曹昂は曹丕と曹彰の頭を撫でつつ、三人の元気ぶりを見て笑っていた。


「まぁ、そうですね。やっぱり、身体を動かさないと調子が出ませんしね」


 曹清がそう言うと、曹彰だけうんうんと頷いた。


 曹丕は苦笑いするだけで、何も言わなかった。


 無理矢理、やれと言われたなと思いつつ、曹丕の頭を撫でる曹昂。


「それで、新しく家族になった曹安はどうしているのかな?」


 曹昂が訊ねると、曹清が答えた。


「ああ、安だったら、今植に本の読み聞かせをしていますよ」


「読み聞かせ。ふ~ん。少しは文学に通じているのかな?」


「詳しくは聞いていませんけど、何でも実家が学者だったとかで、文学に精通しているって言っていましたよ」


「へぇ~、そうなんだ」


 曹清の話を来た曹昂は初めて聞く話なので関心を持ちながら聞いていた。


(あれ? もしかして、これが影響したのかな?)


 曹清の影響で武芸に通じる様になった曹彰。


 学者の家の出で文学にも通じている曹安の影響で文学者として有名になる曹植。


 もしや、この二人の影響でこんなにも両極端になったのではと、曹昂は何となくそう思うのであった。




 本作では曹昂を生んだ劉吉こと劉夫人は劉馥の姉という設定にします。

 また、劉馥の生年は158年とします。

 ちなみに、話に出た劉岱は兗州刺史の劉岱ではありません。

 この時代でも珍しい同姓同名で字も同じの為、間違われるようです。



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