??の暗躍

 下邳国が陥落し、曹豹が戦死したという報は、直ぐに彭城に居る呂布の下に届けられた。 


 同時に呂布の側室である、曹豹の娘の耳にも届いた。


 その報を聞くなり娘は卒倒し、寝込む事となった。


「むぅ、下邳が陥落したか」


 呂布は曹豹が戦死した事よりも、下邳が陥落した事の方が衝撃であった。


 徐州領内にある城の中でも難攻不落と言っても良い堅城なので、援軍を送るまで持ち堪えるだろうと思っていたが、当てが外れたと思っていた。


「敵軍は二十万。その上、袁術も出陣するという報が流れており、士気は高いとの事です」


「士気が高く大軍となれば、この城で守れるかどうか分かりません」


 家臣達は不安そうに話していた。


「ええいっ、そんな気が滅入る事を言うよりも、何か策は無いのか? 然もなければ、我等の首が城門に掛けられるのだぞっ」


 怯える家臣達を叱る呂布。


 策が無いかと訊ねても、皆この状況で打開する方法が思いつかない様であった。


 そんな中で、陳宮が前に出た。


「殿。此処は陳珪、陳登親子に任せると言うのは如何ですか?」


「ふむ。それで、その二人はどうした?」


 呂布は家臣達を見回したが、話に出た陳登達の姿が無かった。


 陳珪は城内に、陳登は少し前に曹操の下から帰って来ているので、徐州に居る事は分かっていた。


 なので、二人の姿が無い事を不審に思っていた。


「あの二人であれば、館に籠もって出仕もしておりません。一体、何をしているのやら」


 陳宮が意味深な事を言う。


 ここのところ、自分の職分を陳親子に侵されているので、気に食わない様であった。


「ぬぅ、劉備の部下であったが、徐州でも名家という事で使っていると言うのに、恩を忘れるつもりか」


 呂布は出仕しない事に怒り、兵達に陳親子を連れ来いと命じた。抵抗する場合は殺しても良いとも付け加えた。


 暫くすると、兵達は陳親子だけではなく一人の男性も連れて来た。


 面紗を被っているので顔は分からないが、その姿から男性だという事が分かった。


 右手には数珠を、左手には巻物を持っていた。


「参上いたしました」


 陳珪がそう言って一礼し、膝をついた。


 陳登も後ろで同じように一礼した。


「陳珪、陳登。其奴は何者だ?」


「はっ。この者は陳登の友人でして、呂将軍に会いたいというので共に参りました」


「ふぅむ。貴様、名は何と言う?」


 呂布は見るからに胡乱な者を見る様な目で、面紗を被っている男に訊ねた。


「……拙僧は戯志才という者です。世に浮屠の教えを広める為に諸国を回っている者にございます」


「浮屠? ああ、洛陽にそんな宗教があると聞いた事があったな」


 以前、呂布は洛陽に居た時、名前だけは聞いた事があった。


 だがそれよりも、自ら戯志才と名乗った者の声を聞いた呂布と陳宮は、何処かで聞き覚えがある声だと思った。


 だが、そんな思いなど今の状況から考えても些末な事だと思い、頭の隅に追いやった。


「私に会いに来ただと? 何用で参った?」


「友人の陳登殿の下に居たところ、此度の乱を知りまして、陳登殿の頼みで策を練っておりました」


 戯志才がそう言うが、呂布は本当か?としか思えなかった。


「ふんっ、それで、何か策が思い付いたのか? 返答次第では、その首を陳親子と共に差し出す事になるぞ」


 呂布としては袁術がそんな事で攻め込むのを止める事は無いだろうと思っていたが、こうして脅せば何か言うだろうと思い言葉を放った。


「ございます」


 呂布の問い掛けに、戯志才は自信満々に答えた。


「ほぅ、どんな方法なのだ?」


「まずは、こちらをご覧下さい」


 戯志才がそう言って持っている巻物を広げた。


 其処には徐州近辺の勢力図が描かれていた。


「現在の徐州は呂将軍がほぼ治めておりますが、東海郡の郯県には劉備が、琅邪国は臧覇が支配しております。そして、徐州近くの豫州と兗州は曹操が治め、揚州は袁術がほぼ勢力下においております」


「そんな事は分かっておるっ、それよりも私が聞きたいのは、今の現状を何とかする方法を聞きたいのだっ」


 戯志才が回りくどい話し方をするので、呂布は焦れて怒り出した。


 怒鳴り声を聞いても戯志才は冷静であった。


「短気は損を致しますよ。話は最後までお聞きを。そして、袁術が治めている揚州には各地の有力者がおります。その者達の中で特に袁術に恨みを持っている者がおります。名を孫策と申します。その者を使いましょう」


 地図に描かれている揚州の所に、多くの名前が書かれている中で孫策の名が書かれている所を指差す戯志才。


「どうやって使うのだ? 進軍中の袁術を攻撃しろと命じるつもりか?」


「いえ、孫策の名前を使うのです」


 呂布がどのように使うのか訊ねると、名を使うと言う戯志才。


 その言葉の意味が分からず、殆どの者達は首を傾げた。


「…………成程。近々、袁術は徐州に攻め込んで来るという話があります。もしそうなれば、袁術が本拠地にしている寿春は空同然。其処に孫策が攻め込むという噂を流して、敵の士気を落とすと言うのだな」


 陳宮は地図と孫策の名が書かれている場所が袁術の本拠地である寿春とそれほど離れていない事に気付き、それで噂を流すのだと分かった。


「ふ~む、成程。もしそんな噂が流れれば、袁術も軽々しく出陣はせぬな。となれば、敵の士気も落ちるであろう」


 策としては悪くないなと思うが、それでもまだ足りないと思う呂布。


「そして今、領内に居る袁術軍の将をこちらに寝返らせます。更に郯県に居る劉備に兵を出すように命じるのです。然る後に頃合いを見計らい、将軍とこちらに寝返った者達と劉備とで攻めれば、袁術軍を破る事が出来るでしょう」


「……敵を切り崩すのは良い。私が奇襲を掛けるのも良い。だが、劉備に援軍を求めるか……」 


 戯志才の献策に呂布も陳宮も悪くないなと思ったが、一つだけ懸念する事があった。


 それは劉備である。


 呂布が州牧になる際、劉備と一悶着を起こした。加えて、州牧になった後も問題が起こった。


 その為、劉備と呂布はかなり険悪な関係であり、そんな状況で援軍を求めても、兵を送るかどうか分からなかった。


「劉備は私の申し出に応えるであろうか?」


「劉備殿は義に厚きお方とお聞きします。苦境を見捨てる様な人物ではございません。加えて今、呂布殿を助けねば次は自分だと分かっている筈なので、援軍には応えるでしょう」


 戯志才の説明を聞いた呂布は、然もありなんと頷いた。


「劉備の件は分かったが、敵将の誰をこちらに寝返らせるのだ?」


「最近、袁術の配下となった楊奉と韓暹の二人が宜しいかと。彼等は袁術に仕えて日が浅く、忠誠心など持っていないでしょう。説得役は陳珪が良いかと」


「成程な。良し、陳珪。敵に反乱を起こさせよ」


「畏まりました」


 呂布の命令を行う為、陳珪は一礼した。


 その後、呂布は策が整うまで無駄な戦を避けるために籠城する事となった。


 籠城の準備の為に、将兵が走り回った。



 その夜。


 雲で月が隠れる夜道の中、陳登、陳珪、戯志才の三人は城内にある陳登達の屋敷への帰路に付いていた。


「いや、危ないところでしたな」


「お蔭で首の皮一枚繋がったわ」


 陳登と陳珪が話していると、戯志才が話し掛けてきた。


「後はそちらに任せても宜しいか?」


「ええ、お任せ下さい」


「後は儂等にお任せを。貴方様は屋敷にて策が成るのをお待ち下され」


 陳登と陳珪の二人が恭しい態度で戯志才に述べた。


 戯志才も特に何とも思う事無く、二人の言葉を聞いていた。


 やがて、三人は屋敷に入ると戯志才だけが離れへ向かう。


 明かり一つ無い離れの部屋に入ると、中には数人の男達が居た。


 その者達は戯志才を見るなり、一礼した。


 戯志才は目礼した後、部屋にある椅子に腰を下ろす。


 そして被っていた面紗を取り、傍にある卓に置いた。


「ふぅ、蒸れるな。面紗というのは」


 戯志才は被っていた面紗を取るなり呟いた。


 未だ月は雲に隠れているので、その者の顔は分からない。


 だが、その場に居る者達は正体が分かっているのか、気にした様子を見せなかった。


「それは仕方がない事と思います」


「まぁ、そうなんだけどね。それで、報告を聞こうか?」


 戯志才はその場に居る者達に訊ねた。


「はっ。寿春では兵の編成をしているとの事です。どうやら、袁術が軍を率いて徐州を制圧するという噂は本当の様です」


「動員する兵数は?」


「三万との事です」


「……それだけの兵を連れて行くとなると、寿春の守りは手薄になるのか?」


「はっ。寿春は数千の兵が守るだけとなります」


「五千は切るかな?」


「其処までは分かりません」


「……寿春には密偵が居る筈だったな」


「はっ。数名おります」


 報告を聞いた戯志才は暫し考えた。


「…………その者達に袁術の出陣を確認した後、揚州に居る孫策の下へ、寿春の守りが手薄になっている事を伝えて欲しい」


「承知しました。では、直ぐに」


 戯志才の命に従い、男達は一礼しその場を後にした。


 部屋には戯志才が一人だけとなった。


「…………さてと、此処までしたんだ。後は仕上げがどうなるのか見届けるだけだな」


 戯志才はそう言って窓から外を見上げた。


 丁度月に掛かっていた雲が途切れ、月明りが部屋を照らす。


 その明りにより、戯志才の顔が分かった。


 現れたのは曹操の息子、曹昂の顔であった。


(偽名を名乗って、此処まで来て策を話したんだ。後は陳親子次第か)


 戯志才こと曹昂はそう思った。


 何故、曹昂が徐州に居るのかと言うと、呂布を袁術に勝たせて、袁術の勢力を低下させる為だ。


(もう、袁術が帝位に就いた事を広布した。功績を立てておかないと、袁玉がどうなるか分からないからな。頑張ろう)


 妻に迎えた以上、助けねばならないと思う曹昂。


 とは言え、既に策略は始まった。後は策略通りに行われる事を願うばかりであった。

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