血は争えない
紀霊が安堵していると、曹昂は呂布に話し掛けた。
「では、呂布殿。和睦がなったという事で、約束した通り贈り物の半分を返して頂きますね」
「あっ…………」
曹昂に言われて、戟に矢が当たった時の条件を思い出した呂布。
「むぅ、分かった。後日、そちらへ送るとしよう」
「いえ。届くまで、この地で待ちますので」
呂布は送るとだけ言って、この場は帰ってもらい、後はのらりくらりと言い逃れをして贈り物を返す事を有耶無耶にしようと思ったが、曹昂はそれも許さないとばかりに告げる。
「な、何故だ? 後日、袁術殿の下に送るぞ」
「いえ。先程思ったのですが、何時頃までに送ると約束していなかった事を思い出したのです。それでは何時送るか分かりません。ですので、此処は贈り物を貰うまで待つのが良いと思ったのです」
「貴様っ、私を信じられないと言うのかっ」
本当は送るつもりが無かった呂布は本心を言われた気がして、声に力が無かった。
曹昂は、とんでもないと言わんばかりに首を振る。
「滅相も無い。まさか、天下に名高い呂布殿が自分から和睦を仲介して、その時の約条で贈り物の半分を返すと約束していながら、適当な言い逃れをして渡すつもりは無いという事はないでしょう」
呂布は心を読まれた気分になり、頬に冷や汗が流れた。
「しかし、義父上が居る寿春まで送り届けるのも手間でしょう。ですので、此処まで届けてくれれば、後は我々が持って帰りますので」
曹昂は此処まで届けてくれるだけで良いと言うと、陳宮が口を挟んだ。
「しかし、曹昂殿。この地に留まるという事は、それだけ兵糧を消費するという事になりますぞ。戦をしないのであれば、その様な勿体ない事をするよりも、寿春に戻り贈り物が届くのを待つべきでは?」
陳宮の切り返しに、呂布は内心で喝采した。
人は生きるだけで食べ物を消費する。馬も同じだ。
まして、紀霊は十万の兵馬を率いていた。加えて援軍の曹昂軍も入っている。
留まるだけでも、かなりの兵糧を消費する事は想像できた。
「贈り物とは言え、戻ってすぐに送れる量ではありません。待っている間に兵馬を飢えさせるよりは寿春に帰るべきでしょう」
陳宮は暗に寿春に帰れと言うと、曹昂は唸りだした。
「確かに、そうですよね。贈り物を貰う為に、兵馬を飢えさせるなど、本末転倒と言っても良いでしょうね」
曹昂は陳宮の言葉を認める事を言うので、呂布達はこれは帰ると言うのではと期待した。
だが、曹昂はその期待を裏切るかのように劉備を見る。
「ですので、劉備殿。食糧を分けて頂けますか?」
「はっ?」
蚊帳の外であった劉備は突然話を振られて、目を点にしていた。
「この野郎、何で兄者がお前等に食糧を提供しないといけないんだよっ!」
張飛は曹昂に噛みつくと、曹昂は落ち着く様に手を広げる。
「張飛殿、落ち着かれよ。今話しますので。この地に留まるので、食糧を分けて欲しいと思い申したのです。和睦がなったので、そちらは一兵も損じる事は無いのですから、その分、兵糧は消費しなくなったという事でしょう。その分を我らに分けて欲しいのです」
「ふざけ」
「勿論。ただでとは申しません。提供してくれる兵糧に応じて、相応の金を払います」
張飛の言葉に被せる様に、曹昂は代金は払うと言った。
金を出すと言われては、張飛は何も言えなかった。
「それは、つまり買い上げるという事か。しかし、兵糧と言うのは、何かに使う事があるので金を出されても、与える訳には」
劉備は理由を付けて断ろうとしたが、曹昂は笑みを浮かべた。
「では、近隣の村々の食料を買っても良いでしょうか?」
「なにっ」
村の食料を買い上げるという事は、つまりは劉備が手に入る食料も減るという事になる。
この時代の税は食糧で賄っていたので、税収が減るという事になる。
劉備は言葉の意味が分かり顔を青くした。
「ああ、劉備殿が治める東成県は下邳郡の県でしたね。でしたら、太守の曹豹殿に言わないといけませんね。曹豹殿はこちらにいますか?」
曹昂が訊ねると、呂布の配下の中から一人前に出た。
「私だが」
「ああ、貴方でしたか」
曹豹が出て来たのを見て、曹昂は近付いて話し掛けた。
「劉備殿の代わりに、貴方から食料を提供して貰ってもいいですよ」
「何故、私が。劉備が治めている県が攻められたのだ。此処は劉備が払うのが道理だろう」
自分は払うつもりが無いと言う曹豹。
曹昂はその答えを待っていたとばかりに笑った。
「横領している兵糧などを渡せば良いと思いますが」
曹昂がそう告げるのを聞いて、いち早く反応したのは張飛であった。
「てめえ、俺達に送る兵糧や武具に古い物を送っていたのは、そういう訳かっ」
送られてくる物が古い事が分かり激昂する張飛。
「曹豹、貴様、そんな事をしていたのかっ」
呂布も初耳であったのか、鬱憤をぶつける様に怒鳴った。
「ひいいい、呂布殿。これには訳がっ」
「黙れっ。そのような事をする者など信用できるかっ。この場で斬り捨ててくれるっ」
呂布は腰に佩いている剣を抜き、振りかぶった。
このまま振り下ろせば、曹豹の命は露と消える筈であった。
「殿。お待ちをっ」
其処で陳宮が呂布を止めた。
「止めるなっ。陳宮」
「殿。落ち着いて、私の話を聞いて下されっ」
陳宮は呂布を宥めつつ、何事か話し掛けた。
それを聞いていく内に呂布は怒りが収まっていった。
「…………そうだな。それでいくか」
呂布は剣を納めると、曹豹を睨んだ。
「曹豹。貴様の罪は許し難き事ではある。だが、私の側室であるお前の娘の事を思い、一度だけ許す。その代わりに、紀霊の軍に兵糧を提供しろ。お前が着服した食料と武具を使ってなっ」
「は、はっ」
曹豹は頭を下げた。
「では、これで贈り物が来るまで、この地に留まっても宜しいですね?」
曹昂が訊ねると、呂布は苦々しい顔をしていた。
「……約束した物は急いでこちらに持ってくる。それまでは、曹豹がお主らの世話をしてくれる」
「ご丁寧な対応に感謝します」
曹昂は晴れやかな顔で頭を下げた。
逆に呂布達は掌で転がされた様な気分に陥って悔しそうな顔をしていた。
(((…………これが奸雄の息子か)))
背を向けて離れる曹昂の背を見ながら皆心の中でそう思った。
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