切り札はある

 数日後。




 臧覇は二万の軍を率いて曹昂の元にやって来た。


 思っていたよりも大軍だなと思いつつ、曹昂は編成を整えた軍と臧覇の軍を合わせて十万の軍を率いて彭城郡へと進軍した。


 東海郡に入ると、物のついでとばかりに進路上にある襄賁、蘭陵、承、陰平県の城を降伏させて、守備兵を軍に組み込んだ。


 以前、曹操の進軍で落とされた城であったので、食糧などは無いと思い奪う事はしなかった。




 彭城国に入ると武原、傅陽、呂県を降伏させた。


 これらの城の守備兵も軍に組み込むと軍勢は十一万になっていた。


 呂県を降伏させたその日。


 曹昂は軍を動かさず、軍議を開いた。


 大広間に集められた者達と共に、床に広げられた徐州の地図が描かれた巻物を見つつ曹昂は口を開いた。


「このまま西進する前に軍の一部を割いて、下邳国で占領しなかったある県を占領してもらいたい」


「ある県?」


「何処の県ですかな?」


 このまま西に進めば彭城だ。その前に陥落させる県など何処にあるのか分からず皆、唸った。


 曹昂は傍に置いている棒を取り、下邳国のある県を指した


「ここ、下邳県」


 曹昂が指した所を見ると、臧覇は訊ねた。


「曹昂殿。何故、その県を落とすのか教えて貰いたい」


「戦に絶対はない。必勝を願いつつも負ける事もある。彭城の戦は攻城戦ではあるが、陶謙を取り逃がす事も考えられる。その場合逃げるとしたら、下邳国の何処かの県。一番近いのが此処下邳県だ」


 曹昂の説明を聞いて、皆は納得した。


「しかし、殿。攻城戦ですので。取り逃がすという可能性は低いと思いますが」


 劉巴が考え過ぎではと思い、そう言うと曹昂は首を振る。


「百戦して百勝した軍など無い。先の郯県の戦いであっても、劉備軍を壊滅させたものの劉備、関羽、張飛を討ち取る事は出来なかった。だからこそ、陶謙を取り逃がす事もあると、考えて行動すべきだ」


 曹昂からしたら、先の戦は顔にこそ出さなかったが、作戦通りに上手くいくかなと内心で心配であったが、蓋を開けてみると快勝であったが、劉備達を討ち取る事は出来なかった。


 そういった事があったので、そうなる事も考えて行動すべきだと思うのであった。


「其処まで考えているとは知らず、失礼いたしました」


 劉巴は頭を下げると、曹昂は気にするなとばかりに手を振る。


(慎重な軍の動かし方だ。父親の権威で軍の大将をしているだけだと思っていたが、これはかなり切れるな)


 軍議に参加している臧覇は、今までの話を聞いて曹昂に対する評価を一段階上げた。


「それで、誰か下邳県を占領して貰いたいのだけど。誰か行ってくれるかな」


 曹昂が訊ねると、孫策が声を上げた。


「俺に任せろっ。どんな城であろうと落としてやるっ」


 曹昂は孫策に任せる前に周りを見ると、誰も異論も声を上げなかった。


「では、孫策に任せるとしようか。兵は一万あげるから。僕達が彭城に向かう時に兵を率いて下邳県を占領して。それでそのまま駐屯」


「駐屯して良いのか? そっちの攻城に加わらなくても良いのか?」


「大丈夫。それは陶謙が逃げ出した際、下邳県を計略で陥落させる事も考えられるから。決め事を決めよう」


「決め事? と言うか。城から落ち延びて来て、大した戦力がない奴等がどうやって城を落とすんだ」


「そうだね。考えられるのは、偽の使者を送って、城から誘き出して城を空にさせてから占領。または事前に内通者を送り込んで夜襲すると見せかけて、内通者に城門を開かせるとか。例を挙げるとしたら、こんな処かな」


「むぅ、確かに。今あげた例だけでも、大した戦力が無くても落とす事が出来るな」


 孫策も占領しても、そういう事も考えて守らないと駄目だなと思い唸った。


「まぁ、内通者を送り込んで開門させる方法は冷静に対処するしかないとして。偽の使者の場合も考えて、合言葉を決めよう」


「合言葉か。確かに、それが確実だな」


「後で僕と君の二人で決めよう。それで、誰にも話さない。話すとしたら、君に送る使者だけに話す」


「成程な。それで知っているのは、俺とお前と使者だけという事か。良し、それでいこう」


「では、これで軍議は解散とする。各自、持ち場に戻り準備を行うように」


「「「はっ」」」


 曹昂が締め括ると、皆は一礼し大広間から出て行った。




 その後、孫策と合言葉と、それについての諸々を決めた曹昂は護衛の兵を伴い地下牢へと向かった。


 番兵が、曹昂を見るなり一礼した。


「陶謙の息子と張闓達が居る所まで、案内して貰えるかな」


「はっ。どうぞ。こちらです」


 番兵が答えると歩き出したので、曹昂達はその後に付いて行った。


 そして、番兵がある牢屋の前で止まった。


 曹昂はその牢を格子の隙間から覗き込むと、其処には男性が十人程入っていた。


 白い服を着て逃げ出さない様に、足枷と首枷を嵌められていた。


「……誰が陶謙の息子の陶応と張闓かな?」


 自分が思っていたよりも、冷たい声が口から出た事に自分で驚く曹昂。


 その声が聞こえたのか男性が二人。曹昂を見た。


「誰だ。お前は?」


「曹操の息子の曹昂と言えば分かるかな?」


「っ! お前が曹操の懐刀か」


 会う人会う人に言われているなと思いつつ、曹昂は訊ねた。


「この様なことをした経緯については聞きませんが。これだけの事をしたので、首を切られる事は分かって、おいでで?」


 曹昂がそう訊ねると、陶応達は口籠もった。


「其処で取引です。命は助けるので、協力してくれと言われたら、どうします?」


「それは真かっ」


 陶応は曹昂の目を見ながら、訊ねた。


「ええ、その代わり。こちらの言う事に従って貰いますが」


「な、何でもするっ。だから、御願いだ。助けてくれっ」


「お願いしますっ」


「助けて下さいっ」


 命を助けてくれると言うので、陶応達は懇願した。


「では、彭城についたらある事をしてもらいます」


「ある事?」


 陶応が訊ねると、曹昂はそのある事を話しだした。




 翌日。


 曹昂軍は十万は彭城へと進軍した。


 同時に孫策軍一万も下邳県へと進軍した。


「武運を」


「武運を」


 曹昂と孫策の二人は別れる前に、馬上で短く言葉を交わし、城を後にした。


 


 数日後。




 曹昂軍は彭城へと辿り着いた。


「此処が彭城か」


 城を外から見ながら、呟く曹昂。


 跳ね橋は上げられており、城壁には多くの兵が立っていた。


(跳ね橋か。落とすとしたら手間が掛かるな)


 衝車で城門を壊すよりも、跳ね橋を下ろす方が大変だなと思う曹昂。


(普通なら此処で兵糧攻めをするか、兵器を用いて攻めるのが良いな。まぁ、問題無いな)


 その為の切り札があると思うと、曹昂はニヤリと笑った。


「殿。とりあえず、城を包囲しますか」


「ああ、そうだね。西門は空けておいて」


「承知」


 劉巴が訊ねたので、曹昂は西門以外を包囲すると告げると劉巴は頭を下げるとその命を伝えに走った。


 西門だけ包囲しないのは、逃げ道を作る為だ。


 完全に包囲すれば敵が死に物狂いになって、思わぬ反撃を仕掛けてくることがある。そのため包囲した敵には、敢えて逃げ道を開けておくという戦術。これを囲師必闕と言う。


 程なく、軍は城の三方を包囲した。


「包囲完了しました」


「良し。じゃあ、切り札を連れて行くか」


「刑螂を護衛に連れて行くのですよね?」


「流石に、一人では行かないよ」


 劉巴は一応そう訊ねると、曹昂は当然とばかりに頷き、刑螂と陶応達を連れて城へと向かった。


 


 曹昂達が東の城門から、十歩ほど離れた所まで来ると止まった。


 曹昂達の姿が見えた城壁の兵達はざわつきだした。


 兵達からしたら曹昂が誰なのか分からなかったが、張闓を見た事がある者も居れば陶謙の息子の陶応を見た事がある者が居る様で、何故敵陣に居るのか分からずざわついていた。


「あれって、陶謙様の息子の陶応だよな?」


「だな。どうして、敵陣に居るんだ?」


「それにあれは張闓と、その部下じゃないか?」


「ああ、間違いない」


 兵達が、どういう事なのか分からず話していた。


「じゃあ、刑螂。お願い」


「はっ」


 曹昂が声を掛けると、刑螂が一歩前に出た。


「……徐州の州牧陶謙よ。出て来い‼ 軍の大将曹昂様が話がある‼」


 息を吸い、大声をあげる刑螂。


 その声の大きさに、ざわついていた兵達も黙り込んだ。


 内心でこの軍を率いているのは曹操では?という思いがあったが、自分達では判断が出来なかった。


 少しすると、刑螂の声により来たのか、兵達が陶応達が居る事が兵の誰かが報告したのか、鎧を纏った陶謙が姿を見せた。


「儂が陶謙だ。何用だっ」


「来たか。我が主にして、この軍の大将の曹昂様から話があるっ。よく聞くが良い!」


 城壁に居る陶謙に声を掛けると、刑螂は後ろに下がり曹昂に一礼する。


「殿。どうぞ」


「……」


 曹昂は無言で、馬を進ませた。


 そして、姿を見せた曹昂。


 その姿を見て、陶謙は目を剥いた。


(まだ、十代の子供ではないか。この者がこの軍を率いてきたと言うのか?)


 流石の陶謙も、にわかには信じられない気持ちであった。


「・・・・・・僕はこの軍の大将の曹昂だ。貴方が陶謙殿に間違いないか?」


「あ、ああ。その通りだ。貴殿は曹操殿の息子か?」


「如何にも」


 曹昂に訊ねられて、陶謙は応じた。


(いや、待てよ。子供という事であれば。話の持って行き方次第では講和できるのでは?)


 そう思い陶謙は、話をする事にした。


「曹昂殿。貴方の一族と御祖父様を殺したのは、あくまでも其処に居る我が部下の張闓の仕業。わたしにその者をくれると言うのであれば、その首を斬り、曹嵩殿達の墓前で謝罪したいと思います」


「…………」


 陶謙の話に、曹昂は無言であった。


 これはいけるのではと思い、話を続けた。


「然るに、貴殿の父君と私との間に同盟を結びましょう。そして、毎年相応の貢ぎ物をお送りいたします」


 各地の城を攻められた被害は大きいが、此処で講和が出来れば、立て直しは出来ると思い陶謙は声を掛ける。


 此処まですれば講和に応じるだろうという思いがあった陶謙。


 だが、城壁にいる陶謙を見上げる曹昂は、ようやく口を開いた。


「……申し訳ありませんが。その申し出はお断りさせて頂きます」


「はっ、何故ですかな?」


「最初はそうしようと思いましたが。郯県を攻略した時に、この者達を捕まえて話を聞いて考えが変わりました」


 其処まで行って、曹昂は肩越しに刑螂を見る。


 刑螂はそれで分かったのか、持っている斧の石突の部分で陶応を押した。


 すると、陶応と張闓達は曹昂の隣に立った。


「曹昂殿。張闓だけでは無く、何故我が息子の陶応までおられるのだ?」


「それは本人達の口から、語ってもらいましょう」


 曹昂はチラリと陶応達を見る。その視線を受けて陶応達は頷いてから陶謙を見た。


 先に口を開いたのは張闓であった。


「……俺が曹嵩一族を襲い、財宝を奪ったのは全て陶謙の命令だ!」


 張闓は声を張り上げた。


 その話の内容を聞いて、陶謙だけではなく兵達も驚かせた。


「な、なにをいって……」


 突然の事で、陶謙は言葉を詰まらせた。


「俺は黄巾賊の残党だ! 陶謙の恩情で部下となった。その恩情に反する事など出来る訳が無いだろう!」


「貴様っ、出任せを言うな! 儂は曹嵩様達を殺せという命令など、だしてはおらん!」


 兵達の疑惑の視線を感じながら、陶謙は大声を出した。


「嘘ではない。俺達が兗州に入って後は曹操に渡すだけになった時に隣に居る陶応様が陶謙の命令を伝えに参ったのだっ」


 張闓は其処で口を閉ざし、続くように陶応が口を開いた。


「張闓の言う通りだ‼ 私は張闓達が出立した日の夜に父上に命じられたのだ。曹嵩達を山賊に襲わせたように見せて殺し、渡した財宝を奪い返せと」


「な、陶応‼」


 息子が父親を貶める事を言うので、陶謙は息子の名前を叫んだ。


「父上は言っていた。たかが一郡の小さな県の二つを略奪しただけで、徐州を荒らし回った報いを受けさせろと」


「で、でたらめをっ」


 陶謙はそう言うが、声に動揺が混じっていた。


 陶謙も曹操が徐州を撤退した時に『一郡の小さな県の二つを略奪しただけで、徐州を荒らし回られるとは』と零した事があった。


 なので、誇張はされているが似たような事を言われて、動揺していた。


「俺達は命令に従っただけなのに、どうして曹嵩とその一族殺しを押し付けるんだっ」


「卑怯だぞ。陶謙‼」


 張闓と一緒に連れて来られた部下達も、陶謙に対して恨みの声を挙げた。


「父上。その奪った財宝はこの件が終われば、俺と張闓達が分け与えて残りは自分の懐に入れると言っていただろう。俺を役人にさせない代わりに、その奪った財宝で好きに生きろと言ったのを忘れたかっ」


 陶謙は常々陶応は役人にさせないと言っていたのは本当なので、今までの話から陶応達の話は、信憑性が一気に上がった。


「ち、違う。儂はそんな命令は出していないっ」


 陶謙は違うとばかりに手を振るが、周りに居る兵達は疑心に満ちた目を浴びせた。


「この卑劣漢め。貴様は自分が出した命令を部下の所為にして、言い逃れするつもりかっ」


 其処で黙っていた曹昂が声を上げた。


「城を守る兵達に告げるっ。この様な卑劣漢は、自分の命を懸けて守る価値は無い! 暫し猶予を与える。それまでに身の振り方を考えよ。降伏するのであれば、命だけは助ける。だが、飽くまでも陶謙を守ると言うのであれば、皆殺しになると思え‼」


 曹昂はそれだけ言うと馬を翻して、刑螂達を連れて本陣へと下がった。


 本陣に戻った曹昂は、兵に城から十里ほど離れる様に命じた。

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