密約
数日後。
曹昂が『三毒』から齎される情報に目を通していると、来客が二人やって来た。
それが誰なのか訊ねると、客の一人が身分を明かした。
それを聞いた曹昂は直ぐに曹操に謁見を申し出た。荀彧も呼ぶ様にと付け加えて。
程なく、謁見の間に曹操、荀彧、曹昂と連れて来た客の二人の姿があった。
客の二人は外套を深く羽織り、顔を見せない様にしていたが、体型からして男性だと分かった。
典韋は謁見の間の扉の前で、一人で警備していた。
「我が君。何かの話があると聞いて参りましたが……」
荀彧はちらりと曹昂と連れて来た客を見た後、何の話で呼ばれたのか分からず訊ねた。
上座に座る曹操は鷹揚に頷いた。
「此度の件には、お主の知恵も必要と息子が言うのでな。だから、同席してもらった」
「若君が?」
荀彧は曹昂を見ると、その通りとばかりに頷く。
曹昂の噂は荀彧の耳にも入っている。
一番驚くのは、友人の娘がどうやら彼を気に入っている様だという事だ。
(あまりに気が強く女性にしては強いので、嫁にいけないのではと思っていたがな)
荀彧は見目が良いので余計に残念だと思っていた。
「どうかしたのか?」
「いえ、何でもありません」
物思いに耽っていた荀彧が気になり曹操が訊ねたが、声を掛けられた荀彧は考えていた事を頭の隅に追いやり返事をした。
「それで、若君。お連れした方々は何者ですかな?」
荀彧が訊ねると、曹昂が答える前に客の一人が外套を脱いで顔を見せ、曹操達に一礼して答えた。
「私は五斗米道の張という者です。予てより言われていた黄巾党との交渉を担当しております」
客の一人が、自分の身分と名を名乗ると荀彧は目を見開かせた。
「米賊⁉ 我が君。これは」
「ちょっとした縁でな。五斗米道と誼を持ったのだ。その縁で黄巾党と交渉を要請したのだ」
「何と……」
自分の主君が益州で一勢力である五斗米道と繋がっていると知り、衝撃を受けている荀彧。
そんな事に構わず張は話を続ける。
「ご依頼された黄巾党の交渉は概ね上手くいきました。後は向こうの条件を叶えると言うのであれば、曹操殿に従うと申しております」
「ふむ。成程。して、その条件とは?」
曹操が訊ねると、今度は張の傍にいる者が外套を脱いで顔を見せた。
その男性の頭の髷を結ぶ福巾が黄色い布であった。
「ふむ。お主、黄巾党の使者か?」
「如何にも」
男性は、その通りとばかりに胸を叩いた。
交渉が決裂したら死ぬかもしれないのに、堂々とした態度を取るので中々胆が据わっているなと思う曹昂。
男性が懐に手を入れるのを見て、思わず曹操達は身構えた。
だが、それは杞憂であった。男性が懐から出したのは巻物であった。
男性が巻物を広げると朗々と読み上げた。
「我ら黄巾党の指導者達が合議に合議を重ねた結果、今から言う条件を承諾するのであれば、我らは貴殿に帰順する事を約束する」
「そうか。では、その条件を訊こう」
曹操は悠然としながら、話を聞く体勢をとった。
荀彧はどんな条件を言うのか気になり生唾を飲み、曹昂はどんな条件なのだろうと気になっていた。
「一つ。教義の自由。
二つ。衣食住の保証。
三つ。我らの兵を他の兵と一緒にしない。
四つ。仕えるのは曹操一代のみ。
以上の条件を承諾するのであれば、曹操殿に帰順し兵として仕える事を約束する。との事です」
男性は巻物を読み上げ終えると、巻物を仕舞い曹操を見上げる。
「返答は如何に⁉」
曹操は直ぐに返答しないで、髭を撫でた。
あまりに呑気な事をするので曹昂は内心、冷や冷やしていた。
荀彧も同じ思いなのか、冷や汗をかいていた。
男性の方も、実は背中にびっしょり汗をかいていた。
条件を出しつつも、本当の所、指導者達から曹操が断ってきたら条件を緩めろと言われていた。
何せ、七年前の戦いで曹操は黄巾党相手に何度も勝利した男だ。
更に言えば、曹操軍には『龍皇』と『帝虎』という秘密兵器がある。
男性も指導者達の殆どは、嘗て張梁軍に属していたので、その兵器を知っていた。
人が押しもせずに馬も曳かないで動き、火を噴くという兵器。この目で見ても信じられなかった。
命からがら逃げ出してきた男性。七年経ってもあの時の恐怖を忘れる事が出来なかった。
それに加えて、今青州に居る黄巾党は百万と号しているが、殆どが戦えない者たちばかりであった。
邪教を信仰しているという事で、人々から迫害されて住む場所を失い食うに困り兵を挙げた。
だが、兵を挙げた今も食うに困っている事に変わりなかった。
飢えた兵と恐ろしい兵器を持ち、何度も黄巾党に勝利した男が率いる兵。
どう考えても勝てると思わなかった。
なので、黄巾党の指導者達は合議を重ねて、条件付きで帰順する事に決めた。
最低でも最初の一つの条件だけ認めさせろ。他は無しでも良いと言われているが、最初の条件を駄目と言われたらどうしたら良いだろうと悩む男性。
そんな男性の気持ちを知らぬのか、曹操は中々返答しなかった。
(((早く何か言って欲しいっ)))
この場に居る曹操以外の者達は心の中で同じ事を思った。
「……使者殿」
「は、はい」
「その条件を受け入れれば、本当に私の元に帰順するのか?」
「我が教義に掛けて、と指導者達が申しておりますっ」
「そうか…………」
また黙る曹操。
あまりに焦らすので、皆焦れて来た。
「……ふぅ。宜しい。全て承認する」
「……えっ?」
曹操の口から出た言葉を聞いて男性は耳を疑った。
「今、何と⁈」
「だから、その条件を全て承認すると言ったのだ。お主、耳が悪いのか?」
曹操の口からまた「承認する」と聞いて、男性は心の中で歓喜した。
「承知しました。では、この事を早速、指導者達に報告しに参ります」
「ああ、ちょっと待て」
男性が謁見の間を出て行こうとするのを見て曹操が呼び留めた。
「まだ、何か?」
もしかして、条件の見直しと言うのかと身構える男性。
そんな男性に気を止めないで、曹操は曹昂を見る。
「息子よ。条件を認めるだけであれば、荀彧がこの場に居る必要は無いだろう。何故、呼んだ」
曹操がそう訊ねるのを待っていたとばかりに、曹昂は笑みを浮かべる。
「前々から父上から相談を受けていた事を、この機に行うのが良いと思います」
「ほぅ、それは良いな」
「その為には、僕の知恵では限界があると思いまして、其処で文若様をお呼びしました」
「ふん。成程な。お前も少しは頭が回る様になったな」
息子の成長が喜ばしいのか大笑する曹操。
「いえいえ、父上に比べたらまだまだですよ」
曹昂も釣られる様に笑い出す。
話に付いて行けない荀彧達は呆気に取られていた。
「さて、荀彧も居る事だし。少し話をしようではないか。黄巾党の者が居るのであれば、上手くいくだろう」
一頻り笑った曹操は、真面目な顔をする。
その顔を見た荀彧は、何をするのか気になり訊ねた。
「我が君、何をするおつもりで?」
「決まっているだろう」
曹操は其処で言葉を区切り、手を掲げて何か掴む様に握る。
「この兗州を我が物とするのだ」
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