王佐の才
荀彧が曹操に会いに来たと聞いた曹昂は自己紹介をして、父曹操に会わせる事にした。
曹昂は荀彧達を連れて、曹操に会いたい人が居ると伝えた。
直ぐに来るだろうと思った曹昂達は謁見の間で待つ事にした。
曹昂達は曹操が来るまでの間、暫し雑談に興じた。
「成程。程丹の父上が荀彧殿の友人で、その関係で知り合ったと」
「ええ、父は文若殿の才知を素晴らしいと絶賛しているの」
曹昂は程丹と荀彧とはどういう経緯で知り合ったのか訊ねると、程丹ははぐらかす事無く教えてくれた。同時に曹昂は程丹の父親が誰なのか何となくだが予想がついた。
(名前を聞いた時に思い至らないとか、僕もまだまだだな・・・・・・)
曹昂は心の中で自嘲していた。
「いやいや、それは大袈裟に言い過ぎですよ。徳姫様。仲徳殿が私を買いかぶっているだけですよ」
荀彧が苦笑いしながら、程丹の称賛を謙遜した。
董白は控えめな態度を取るなと思いながら見ていた。
荀彧が言った「仲徳」の字を聞いた曹昂は自分の考えに確信を持った。
程丹の父親は後の程昱こと程立だと。
(しかし、分からないな。自分の娘に調べさせて、どうして自分じゃなくて荀彧をこちらに寄越したのだろう?)
何の考えがあって荀彧を寄越したのか曹昂は分からなかった。
なので、少し探りを入れる事にした。
「文若殿はどうして父上に仕えようと思ったのですか?」
「それはですね。元々私は同郷の韓馥殿に仕えるつもりだったのです。ところが、韓馥殿が州牧をしていた冀州を袁紹が巧妙な手で奪い取ったので、仕える事が出来なくなったのです。折角来たので、袁紹はどのような人物なのか見て仕えるに値するかどうかを決めようと思いました。それで同郷の者の縁で袁紹に謁見したのですが、一目見て話をして仕えるに値しないと分かり、適当な理由をつけて辞去しました」
「はぁ、そうなのですか」
「それで、ここから東に数十里ほど行った県にある濮陽で程丹殿の父君に会いましてね。袁紹の事で話し合ったのです。その話を聞いた仲徳殿が故郷に帰る前に孟徳殿と会って行ったらどうだと勧めて来たので、会ってみる事にしたのです。もし、袁紹と同じような人物であれば、故郷に帰るだけですからね」
「そうでしたか……」
荀彧と話をしていて、曹昂はますます分からなくなった。
(う~ん。まずは荀彧を仕えさせて、使いこなせるかどうか見るのか? それで問題なく使える事が出来れば自分が仕えるとか? それとも、荀彧の仕事先を斡旋しただけとか? 駄目だ。情報が少なすぎて、何を考えているのか分からない……)
曹昂はこれが権謀術数を得意とする策謀家の謀か?と思いながら悶々とする。
そう思い悩んでいると、謁見の間に繋がっている別室の扉が開いた。
その開かれた扉から、まず姿を見せたのは典韋であった。
優れた武勇を持っている事から曹操は自分の親衛隊の隊長に任じたのだ。典韋はその命に従い忠実に職務を全うしていた。
典韋が身体をどけると、曹操が謁見の間に入って来たので曹昂達は頭を下げた。
曹操が上座に座ると、曹昂が顔を上げた。
「父上。急な呼び出しをして申し訳在りません」
「全くだ。部屋を出て行く時の薔の顔を見せたかったぞ。昔、女を口説いている時にあいつと偶々出くわした時と、同じ位に恐ろしいと思える顔をしていたぞ」
曹昂が謝罪すると、曹操は冗談なのかおどけたように昔遭った事を話しだした。
その話を聞いた皆は何とも言えない顔をした。
曹昂は頭が痛いと言いたげにこめかみを抑える。
「それで、私に会いたいという者は、その男か?」
「……ええ、そうです」
場が白けた空気になったが、気にせず曹操は曹昂に訊ねた。
曹昂も気持ちの切り替えとばかりに紹介する事にした。
「こちらの方が父上とお会いしたいとの事で連れてきました」
曹昂が手で示すと荀彧が前に出て一礼する。
「お初にお目に掛かります。私は荀彧。字を文若と申します」
「荀彧? ……おおっ、其方が何顒殿が『王佐の才』と称揚した者か」
「はい。過分ながら。伯求殿にお会いした時にそう称賛されました」
伯求とは何顒の字だ。
「そうか。何顒殿は袁紹とも親しくしていてな、その縁で私とも親しくしてくれたのだ」
曹操は何顒と会っていた時の事を思い出したのか、遠い目をする。
「そうでしたか。そう言えば何顒殿は孟徳殿の事を『天下を安んじるのは必ずやこの者だ』と語ったと聞きましたが」
「私もそれを後で聞いたが、率直に言って、それを聞いた時は、そんな馬鹿なと思ったものだ」
曹操はそう言って大笑した。
一頻り笑い終えると、真顔で荀彧を見た。
「しかし、何顒殿の目は正しかった。この乱世の中で私は己の名を天下に轟かせる事が出来ている。正に運が良いと言えるな。ふははは」
曹操は笑みを浮かべているが、目が笑っていなかった。
その目は荀彧がどんな反応を取るか見ている様であった。
曹昂は荀彧はどう思っているのだろうと思い目を向けた。
当の荀彧は曹操の顔を見て笑いもしないで真顔であった。
「ご謙遜を。御身の才能があればこそ、此処までの勢力を築く事が出来たのです」
「そう言ってくれるとありがたい。其処で貴殿に訊ねる」
「何でしょうか?」
「私は私なりのやり方で、この乱世を治め世を正したい。それには優秀な人材が必要不可欠だ。其処で御願いする」
曹操は立ち上がり荀彧の元に歩き出した。
そして、荀彧の手を取った。
「どうか。私にお主の知恵を貸して頂けないだろうか」
そう言って曹操は荀彧に頭を下げた。
曹操が頭を下げて仕えてくれと頼む姿を見て曹昂達は絶句した。
特に息子の曹昂は父が懇願する姿を見て、夢を見ているのかと思うぐらいに驚いていた。
荀彧も奸雄と言われる者が此処まで真摯に願う姿を見て衝撃を受けていた。
「あ、頭を上げて下さい、孟徳殿」
「今の私はお主が仕えるに当たって、報いる恩賞を与える事は出来ん。だから、これぐらいしか出来ん。孔子が言ったではないか『君、臣を使うに礼を以てす』と。今の私では礼儀を持って君を迎える事しか出来んのだ」
曹操は真摯な思いを込める。
その言葉には嘘も一片の偽りもなかった。
荀彧はその言葉を聞いて感動した。
袁紹に会った時は自分の名を知っていたので、上賓の礼で迎えてくれたが、袁紹と話して上っ面は良いが本心では猜疑心が強く見栄っ張りで大した大事を成せる者ではないと見抜いた。
曹操は真摯に本音をぶつけて来た。
ただ、見栄も嘘も無い言葉をぶつけるだけであったが、荀彧の心はそれだけで十分に動いた。
荀彧はその場で跪いた。
「孟徳殿。いえ、我が君。今この時を持って、この荀彧文若は貴方にお仕えいたします」
「おお、真かっ」
「はい。この身に誓って」
「そうか。そう言ってくれて助かるっ」
曹操は荀彧を立たせて肩を抱いた。
「今日はめでたい日だ。我が元に素晴らしい知者がやって来たぞ。曹昂。宴だ、宴の準備をせよっ」
「は、はいっ」
喜んでいる曹操にそう命じられ曹昂は慌てて厨房へと向かった。
その後董白と何故か程丹も続いた。
それから暫し、宴が始まるまでの間、曹操は荀彧と膝を突き合わせて語りあった。
「その智謀。正に素晴らしい。お主は我が子房だ」
と曹操は荀彧の事をそう褒め称えた。
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