とりあえず、赴任準備

 式を見届けた劉勲が、河内郡を発ってから数十日後。


 また、袁術の使者が来た。 


 来たのは劉勲ではなく、別の者であった。


 その者曰く、孟徳殿の東郡太守の就任を祝い贈り物を届けに来たとの事だ。


 曹操は、使者の言葉を聞いても腑に落ちない顔をしていたが、目録と共に渡された手紙に目を通して、この様な事をした理由に合点がいったような顔をした。


 そして、贈り物を貰い使者を歓待した。


 歓待は蔡邕に任せて、曹操は臣下の何人かを書院に呼んだ。


 曹昂が部屋に入ると部屋に居たのは、夏候惇、曹洪、夏侯淵の三人であった。


「皆集まったな。まずは、これを見よ」


 曹操がそう言って、四人に見せたのは袁術の使者が持って来た手紙であった。


 ざっと書いている内容を見てみたが、季節の挨拶と東郡の太守になった事のお祝いの言葉が書かれていた。


 皆、普通のお祝いの手紙ではと思い目を通していた。


「どうだ? この手紙を読んで袁術が何を考えて、私に贈り物をしてきたか分かるか?」


 曹操にそう言われても、四人は首を横に振った。


 それを見て、曹操は嘆息を漏らした。


「全く、夏候惇達ならまだしも、息子よ。お前も見抜けぬとは、まだ駆け引きというのが分かっていない様だな」


 父である曹操にそう言われ、曹昂はもう一度手紙に目を通した。


(特に祝いの言葉しか書かれてないと思うんだけどな? …………あっ)


 目を皿の様にして手紙を読んでいると、ある一文が目に入った。


『お主が赴任する兗州には袁紹と親しくしている州牧の劉岱。陳留太守の張邈が居る。袁紹と親しくしている者達だ。袁紹と組んで何をするか分からない。くれぐれも注意されたし』


 その一文を読んで、曹昂は今の状況と袁紹と袁術の関係。更に未来の知識を照らし合わせて袁術がどうして贈り物をしてきたのか分かった。


「成程。そういう訳か」


 曹昂が呟くと、曹操は鼻を鳴らした。


「ふぅ、ようやくか。まだまだ駆け引きが分かっていないな」


 曹操は不満そうに首を振っていた。


 答えを見つけるのに時間が掛かったのは確かなので、曹昂は何も言えなかった。


 夏候惇達は二人のやり取りを見ても、何の話をしているのか全く分からなかった。


「孟徳よ。何の話をしているのだ。教えろ」


 夏候惇が訊ねて来た。


(こんなやり取り前にもあった気がするな。まぁ、いいか)


 曹昂が手紙を曹操に返すと、曹操は手紙を読んで指で一文を示した。


「此処を読め」


「「「…………むっ」」」


 曹操の指で示された一文を読んで夏候惇達は少し考えた。


「……ふむ。これは暗に袁紹と距離を取れと言っている様だな」


「その通りだ」


 夏候惇が答えると、曹操が正解とばかりに頷いた。


「袁術は袁紹が、自分よりも先に冀州州牧になった事が気に食わない様だな」


 曹操は手紙を見ながら皮肉そうに笑う。


「だから、東郡に赴任しても袁紹とは距離を取れと。如何にも袁術らしい文だな」


「あの兄弟は昔から仲は悪かったが、このご時世で余計に悪くなったんじゃあないのか?」


「言えてるな。質が悪いのは、二人共、名門の袁家の者という事だな」


「だな。名門という事で、多くの人達が二人の対立の影響を受けるのだからな」


 その影響を一番受けている曹操軍であった。


 皆それが分かっているのか、乾いた笑いを浮かべて思わず溜息を吐く曹操達。


「まぁ、我等の状況を愚痴っても仕方ないだろう」


「そうだな。で、曹昂」


「はい。父上」


「五斗米道との連絡は如何だ?」


「既に『三毒』の者達に文を渡して送りました。後数日したら文の返事が来ると思います」


「そうか。後は、向こうの出方次第か」


「はい。そうなります」


「まぁ良い。話はこれで終わりだ。下がれ」


 曹操が下がれと命じるので、曹昂達は部屋を出て行った。


 部屋を出た曹昂は夏候惇達と別れて、自室へと向かった。


 部屋に入ると、袁玉が出迎えてくれた。


「お疲れ様です。旦那様」


「ああ、うん」


 笑顔で応対する袁玉。


 婚姻を結んだばかりの袁玉に言われるのは慣れないので、曹昂はぎこちない反応を取る。


 そんな曹昂に構わず、袁玉は茶の準備をしてくれた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 茶器を置かれたので曹昂は袁玉に感謝の言葉を述べて茶を啜った。


「父から贈り物が届いたと聞いたのですが、本当ですか?」


「ああ、うん。父上の東郡太守の就任を祝ってだそうだよ」


 袁術の使者が来た事を聞いた様で訊ねる袁玉。裏の事情を話す事ではないが、表向きな理由だけ曹昂は教えた。


「そうでしたか。父上も義父上様の昇進を祝ってくれたようですね」


「まぁ、そうだね」


 裏の事情を知らないからか、袁玉は喜んでいた。


 その裏表が無い素直な反応に、曹昂はホッとする事が出来た。




 赴任の準備は済み、後は後任の張楊が来るのを待つばかりであった。


 そんな時に、張楊から使者がやって来た。


「なに、此処に赴任するのが遅れると?」


 謁見の間で上座に座る曹操が使者の口上を聞いて訝しんだ。


「はっ。現在并州では大規模な反乱が起こっておりまして、その鎮圧に時間が掛かっているとの事。申し訳ありませんが、今暫くこの地に居て頂きたいとの事です」


「ふむ。それならば仕方がない。稚叔殿が来るのを待つ事とする」


「ありがたきお言葉。我が主にその旨を伝えて参ります」


 使者はそう言って一礼して早々に出て行った。


 使者が部屋から出て行くと、曹操は謁見の間に居る者達を見回す。


「という訳で、暫くの間はこの地に逗留する。公山殿には悪いが。今暫く耐えて貰うとしよう。後任の者が来ない内に、河内郡ここを空けたら、董卓がこれ幸いと占領するかも知れんからな」


「英断です」


 蔡邕も曹操の考えに同意した。


「皆下がって良いぞ」


 曹操が下がる様に命じるので、皆下がった。


 曹昂も同じ様に下がり、自分の執務を行う部屋へと向かった。


 室内に入ると、客人が居た。


「これは初大殿」


 室内には『三毒』の総括をしている麻山が一人だけで居た。


 諜報部隊の総括を任せているので、色々と忙しいようで曹昂がこうして会うのは約一年ぶりであった。


「お久しぶりですな。若君」


 麻山が一礼すると曹昂も一礼した。


「ええ、今日はどの様な件で?」


「前々から、頼まれていた件の返事を持って参りました」


 麻山はそう言って懐から巻物を出した。


 曹昂はその巻物を受け取り中身を広げて目を通した。


「……おっ、頼んでいた物は見つけたか」


 其処には漢中に居た時に頼んだ物が見つかったので、時期を見て送ると書かれていた。


 曹昂はこれで火薬は出来るなと思う。


 木炭は何時でも作る事が出来る。硝石も手配すれば簡単に手に入れる事が出来た。


 硝石は天然でも人工でも出来る鉱物の一つで、この時代では漢方薬の一つとして扱われている。


 余談だが、秦の始皇帝が不老不死の研究させた過程で、人工的に作る方法が確立されたと言われている。


「う~ん。流石にもう少し、したらこの地を出て行く事になるから、父上が兗州の東郡に着任した頃にくれた方が良いな」


「では、その通りにする様にしましょう」


「助かります。それで、他には?」


「頼まれていた青州の黄巾党の件ですが」


 麻山の口から出た話を聞いて、曹昂は身を正した。


「それで天師道の方はどんな返事をしてきたのですか?」


「はっ。書状を貰ったその日に、直ぐに天師道は、その旨の事を書いた書状を届けました。程なく返事が来ましたので、見ましたところ、使者は既に派遣しており、荊州、兗州を通り黄巾党の指導者達と交渉に当たるそうです。交渉する時期については不明との事」


「まぁ、それは仕方がない」


 漢中郡から荊州を通るという事は殆ど船旅になるという事だ。


 風向きや天候によって到着する日数など変わる。其処から更に陸路で歩くのだ。


 どれだけ時間が掛かるか分からない。なので、交渉する時期を決める事など不可能と言えた。


 それが分かっている曹昂は、特に気にした様子も無かった。


「まぁ、こちらの頼みを聞いてくれただけでも、十分と言えるから問題なしっと、他に何かありますか?」


 曹昂はついでとばかりに、何か報告する事があるのか訊ねた。


「はっ。益州、交州はこれと言って特に何の動きはありません。揚州については各郡の太守が朝廷の威光が届かない事を良い事に好き勝手にまつりごとを行っています」


 その報告を聞いて、曹昂は然もありなんと頷く。


 揚州は他の州に比べても黄巾党の被害が少なく、それでいて今の朝廷がある長安からは遠く支配が行き届かない所であった。


 乱世であるので、盗賊や河で活動する水賊などは居たが、それを理由に朝廷の税を払わず、自分の懐に入れる者が居てもおかしくなかった。


「まぁ、朝廷から遠いから好き勝手に振舞う太守がいてもおかしくないな。他には?」


「豫洲、徐州に至っては平穏です。兗州では青洲で発生した黄巾党が攻め込んで来ているのですが、州牧の劉岱が短期決戦を主張しているそうです」


「それは、また無謀な」


「他の者達もそれが分かっているのか、懸命に説得している最中だそうです」


 当然だよなと思いながら曹昂は話を促した。


「冀州については新しく州牧になった袁紹が地盤を固めつつ、軍備を増強し并州へ侵攻するつもりの様です」


「ふむ。まずは并州を狙ったのか。青州については、どんな対策を取っているのかな?」


「現地に送った者の報告では青州の一番近い郡に兵を送り込んで水際で防衛して、それ以上進ませない様にしているとの事です」


「成程。幽州は?」


「そちらは州牧の劉虞が袁紹の動きを警戒して軍備を増強したそうです。最近では涿郡に新しい太守を就任させたそうです」


「その太守の名は?」


「劉備。字を玄徳という者だそうです。何でも死んだ公孫瓚と親しい人物であったとか」


 その報告を聞いた曹昂は腑に落ちない顔をした。


(あれ? 劉備って涿郡の太守になった事があったっけ?)


 前世の記憶を思い出しても、そんな事が何処にもなかった。


 どういう事だと思案していると、直ぐにまだ死なない筈の公孫瓚が死んだ事が影響したのではないかと曹昂は予想する。


 そう考えると、劉備が涿郡の太守になった事が理解できた。


 そうと分かれば、問題ないと判断した。


「現地に居る者達には河北はこれからどうなるか分からないので、何かあったら直ぐ報告する様に厳命して下さい」


「御意」


「涼州について、何か報告する事はありますか?」


「涼州に関しては涼州の有力者である馬騰、韓遂といった者達が董卓に帰順するか、抗戦するか話し合っているそうです。それにつけこんで董卓が懐柔を図っているそうです」


「相変わらず抜け目ないな」


 曹昂は董卓の手の速さに舌を巻いた。


「報告は以上になります」


「ありがとう。下がって良いよ」


 麻山は一礼して部屋から出て行った。


 部屋には誰も居なくなると、曹昂は息をついた。


 そして、頭の中で情報を集め出した。

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