現地協力者を確保

 臨湘に来てから十数日が経った。


 今日も曹昂達の店には、多くの客が来ていた。


 桓階は、荊州では有名な家の出な上に知識人と知られている人物であった。


 その桓階が良く買って来るという店という事で、曹昂の店は連日客が波の様に押し寄せて来た。


 売り上げは、右肩上がりであった。


 路銀は十分過ぎる程で、暫く店を開かなくても問題ない位に稼いだ。


 後はこのまま店を畳んで、隣の郡である桂陽郡に向かうべきなのだが、曹昂はその事で考えていた。


(あの桓階という男は荊州では名門の家の出で見識もある。このまま地方に埋もれさせるのは惜しいな)


 自分の味方に出来ないかと考える曹昂。


 しかし、そうすれば自分がどんな身分なのか話さなければならなくなる。


 もし、話せば父曹操に対する交渉に使われる可能性があった。


 そう思うと正体を話すのに二の足を踏んでしまった。


 


 その夜。




 店の営業は終わり、明日の仕込みを終えそのまま宿屋で眠るだけという時刻になった頃。


 曹昂が自室で休憩していると、宿屋の主人が戸越しで曹昂に客人が来たと告げた。


 誰だろうと思い、一応警戒として剣を腰に差して部屋を出た。


 皆は、もう眠っている時間だろうと思い、誰にも声は掛けなかった。


 主人の後に付いて行くと、宿屋にある中庭に桓階が居た。


「これは伯序様」


 桓階を見るなり、一礼する曹昂。


「こんな夜遅くに訪ねて申し訳ない。昂殿」


 桓階が返礼しながら、そう答えた。


 それを訊いて曹昂は首を傾げた。


 今迄、曹昂は偽名で昂と名乗っていた。それで桓階はこれまで曹昂の事を昂君と呼んでいたが、今は何故か『殿』を付けていた。


「立ち話も何なので、あちらに座らぬか?」


 桓階が手で示した先には席が設けられていた。


 何か重要な話があると察した曹昂は警戒しながら席に座った。


 そして、対面の席に桓階が座った。


「普通であれば一献と言いたいところだが、貴殿はまだ酒が飲める年齢ではないのでな。水で我慢してもらおう」


 桓階は、そう言って膳に置かれている盃に、水を注いだ。


 そして、自分の膳の盃には、手酌で酒を注いだ。


 それを見て曹昂は、ますます警戒心が高まった。


 普通に考えて、子供である曹昂に、ここまで丁寧な対応をする事など有り得ないからだ。


 曹昂は盃をジッと見る。


 それを見て苦笑する桓階。


「そう警戒しないで貰いたい。別に毒などは入れていないのだから」


「……そうですか」


 そう言われても、曹昂は盃を手に取らなかった。


 その態度を見て、これは話を先にしないと何も出来ないなと思い桓階は肩を竦めた。


「貴殿が警戒するのは分かるが、まずは私の話を聞いて貰おうか」


「何でしょうか?」


「私の家は自慢する程ではないが、それなりの名家でな。だから、各地からの情報を様々な方法で手に入れる事が出来る」


 桓階は其処まで言って、曹昂の顔を見る。自分の言葉を理解できたかどうかを見る為だ。


 曹昂が頷いたので、話を続ける桓階。


「そうやって手に入れた情報で私は一人のある方に目を付けた。その方に仕える事が出来れば、まず御家は安泰。そして、歴史に名を刻む事が出来ると言えるだろう」


「それ程の御方はどなたですか?」


 今の勢力を鑑みて袁術か袁紹の事を言っているのだろうと曹昂は思った。


 だが、予想とは良い意味で裏切られた。


「曹操。字を孟徳という御方だ」


 父の名前が出たので、曹昂は思わず身体を震わせた。


 それを気にしないで、桓階は話を続けた。


「黄巾の乱での活躍。董卓の暗殺に失敗しながらも反董卓連合軍を結成し、董卓を後一歩というところまで追い詰めた手腕。素晴らしいの一言と言える。正に英雄と言えるだろう」


 桓階が曹操を称賛するのを聞いて、流石は父上と思いながら内心で誇りに思った。


 顏がにやけそうになるのを、意識を引き締めて真面目な顔になる様に努める曹昂。


「そんな曹操殿が揚州へ募兵しに行ったそうだ。結果はあまり上手くいかなかった様だが、拠点にしている河内郡に帰る途中で荊州の襄陽におったそうでな。何をしに来たのか。私は密かに密偵を放った。その密偵が昨日帰って来て、私にある話をしてくれた」


「その話とは?」


 曹昂は気になって訊ねた。


「曹操殿が劉表と何かの密約を交わした事、そして、曹操の陣中から十数人の者達が出て行くのを見たと。その中には貴殿と同い年の少年が居たとか」


 それを訊いて曹昂は桓階が何を話したいのかようやく理解した。


 だが、曹昂は知らぬフリをした。


「その少年は何者なのでしょうね?」


「私が放った密偵は優秀でな。その者が言うにはその少年は曹操と親しく話している姿を見かけたと。其処から調べるとその少年は曹操の愛息子と言われる者だとか。名を曹昂と言うそうだ」


「へぇ、そうなのですか」


 そろそろ苦しいかなと思いながらも知らぬフリをする曹昂。


 其処に桓階はとどめとばかりに懐に手を入れた。


 手が懐から出てくると丸まった紙が出て来た。


「ちなみに、その密偵が書いた曹昂の似顔絵だ」


 丸まった紙を広げると、其処には曹昂自身の顔が描かれていた。


(絵が上手いな。その密偵の人。そろそろ、知らぬフリを通すのは無理か)


 そう思い曹昂はすっとぼけるのを止めた。


「バレたら仕方が無いな。それで貴方は僕をどうしたいのですか?」


 曹昂がそう訊ねると桓階は一度立ち上がり、そして曹昂の傍まで行くと跪いた。


「どうか。わたしを貴方様の父上の配下の末席に加える様にしてもらえないでしょうか」


 頭を下げて懇願する桓階。


 それを見て曹昂は内心で喜んだ。味方に引き込もうとした人物が向こうから配下に加わりたいと言って来たので喜ばない筈がない。


「伯序殿。そんなに父の臣下になりたいのですか」


「当然です。どうか、御父上に紹介を」


 必死に頼み込む桓階。


 曹昂はほくそ笑みながら良い考えがあったのでそれを行うようにした。


「まぁ、少しは落ち着いて。まずはお座りを」


 曹昂は椅子に座る様に促した。桓階は素直に椅子に座った。


「父に仕えたいというのであれば、これから僕がある仕事を貴方に与えます。それをしてくれるのであれば、父に紹介します」


「おお、それは一体っ」


「荊州で情報収集をして欲しいのです。そして、いずれ父と劉表が揉める事があるでしょうから、その時に父に内応して貰いたいのです」


「成程。私に埋伏の毒となれと?」


「その通りです。内応に失敗したら私の下に来て下さい。重く用いる様に父に進言しますので」


「おおお、それはありがたい。では、連絡手段などはどうすれば良いのです?」


「こちらから人を送ります。連絡は密に」


「合言葉で話し合うという事でよろしいか?」


「そうしましょう。合言葉は」


 その後、曹昂は桓階と話し合った。


 こうして、曹昂は現地協力者として桓階を味方に付ける事に成功した。

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