これが欲しかった

 蔡邕の話を聞いた曹昂はその話に乗り直ぐに準備を済ませた。


 数日後。



 朝議が終わり董卓が、相国府に戻り部屋で寛いでいた。


「ふう、暇じゃな。誰かに酒でも持って来させて酌でもさせるか」


 まだ曹昂が持って来た酒はあったなと思いながら手を叩こうとしたら。部屋付きの侍女がやって来た。


「申し上げます。曹昂様がお会いしたいとの事です」


「なに? 曹昂が?」


 董卓は何の用であろうかと、思いつつ部屋に通す様に命じた。


 程なくして曹昂が部屋にやって来た。


「急に訪ねて来た事をお詫びいたします」


「何を言う。君は儂の孫の婿になるのだから気にする事ではない。それで、何の用で来たのだ?」


 董卓は何の用で来たのか、気になっていたのか訊ねた。


 孫娘の婿になるという事で、更に寵愛する様になり、男子たる者、武術の心得が必要だと思い、呂布に命じて武芸の訓練を行わせていた。


 指導している呂布からは、筋も悪くない、鍛えれば一端の武将になれると言っていた。


 その為、呂布は指導に熱を入れていたが、厳しくて付いて行けないのでは?と思っていた。


 曹昂は少し言い淀みながらも口を開いた。


「父が祖父と母達を連れて譙県を発ったと先程、文が届きました」


「そうか。では、曹操達が着いたら吉日を選んで婚礼の儀を挙げようぞ」


「はい。ですので、途中まで迎えに行きたいと思います」


「お主がか?」


「はい。他の方々はお忙しいそうでしょうし、私は官職を持っていませんので、仕事らしい仕事をしませんので」


「ふ~む」


 董卓は少し考えた。


 曹操を出迎えに行くのは変では無いが、流石に婚礼の儀を挙げる者が出迎えるのはどうかと思った。


 他の者に行かせても良いのではと思った。


「その様な事は他の者にやらせよ。お主は我が一門に加わるのだからな」


 董卓がそう言うと、曹昂は困った顔をしてから口を開いた。


「実を言いますと、祖父の曹嵩と母の丁薔が今回の婚礼の儀に反対している様なのです」


「反対だと?」


 相国の位に就いている自分に反対するなど、有り得ないだろうと思いがあるからか固い口調であった。


「前々から公路様がご自分のご息女と婚礼を挙げないかという話が出ていまして」


「袁術の?」


「はい。袁術様の家は名門袁家ですから。祖父も母もそちらに乗り気だったそうです」


「ふんっ。其方の祖父と母は名門とは名ばかりの存在という事を知らぬようだな」


 話を聞いた董卓は、二人の事を暗にその目は節穴だなと馬鹿にした。


 曹昂はそれについては何も言わず話を続けた。


「申し訳ありません。それで父も困っている様なのです。ですので、私が途中で出迎えて説得したいと思います」


「う~む。しかしだな」


 董卓は出迎える理由を聞いても渋い顔をしていた。


 そんな董卓の顔を見て曹昂は提案した。


「私一人で行かせるのが心配でしたら蔡邕様か王允様のどちらかを同道して貰うのは如何ですか?」


「なに?」


「御二人は相国の信頼が厚い方々です。その御二人のどちらかを連れて行けば祖父も母も今回の婚礼を承諾してくれると思います」


「…………ふむ。悪くないな」


 蔡邕も王允も董卓が召し抱えた者達なので信頼している。


 なので、何かあっても大丈夫だろうと思った。


「では、どちらを行かせるべきか」


「王允様は尚書令、蔡邕様は侍中ですから。此処は位が高い蔡邕様の方が良いと思います」


「そうか。では、早速手配しよう。お主も直ぐに準備を整えよ」


「はい」


 返事をした曹昂は頭を下げる。


 下げた事で顔が見られないからか思わずニンマリと笑った。


(計画通りだ。後はあれ・・を貰って洛陽を出れば良いだけだ)




 翌日。




 董卓の命令で蔡邕は、曹昂と共に曹操達を出迎える準備に掛かった。


「さぁさぁ、急ぐが良い。準備を済ませるのだ」


「はい。ご主人様」


 蔡邕は使用人達に、何故か荷造りをさせていた。


 蔡琰は不思議に思い父の蔡邕に訊ねた。


「お父様。どうして荷造りなどをするのですか? 曹昂君と一緒に出迎えに行くのでは?」


 蔡琰がそう訊ねると、蔡邕は周りに誰も居ない事を確認してから蔡琰の耳元に顔を近づける。


「実はな。その出迎えに行くのは嘘で。本当は洛陽から抜け出すのだ」


「えええっ⁉」


 父の口から出た言葉に衝撃を受ける蔡琰。


 だが、直ぐに手で口を塞いだ。そして、小声で話し掛けた。


「どうしてそんな事を? 相国様は御父様を重用していますのに」


「ふっ。重用か。私の忠告に碌に耳も貸さない上に暴虐の限りを尽くす者にこのまま仕えれば我が身がどうなるか分からん。だから、洛陽を抜け出すのだ」


「そうですか。これも父上の策ですか?」


「その通りだ。まぁ、此処まで上手くいくとは思わなかったがな」


「事情は分かりました。では、私も準備に掛かります」


「うむ。私の蔵書を全て持っていくが構わないな?」


「はい」


 蔡琰は出立の準備に掛かった。


 数刻後。


 蔵書があまり多かったので、馬車は数台になったが、屋敷にある荷物を全て積み込み終えた。



 それから数日後。



 曹昂は洛陽宮の内宮へと入った。


 未だに官位を持っていない曹昂は本来は入れないのだが、董卓の寵臣という事と王允の願いと言う事で特別に通された。


 曹昂は通された部屋でジッと待っていた。


(……何時まで待たせるのだろうか?)


 実際は部屋に案内されてから左程時間は経っていないが、気が急いている曹昂からしたら長時間待たされている気分であった。


 少しすると、部屋と部屋の仕切りになっている玉飾りを手で退ける宦官が入って来た。


「陛下の御成りです」


 宦官が静かにそう言うと、曹昂は直ぐに拝礼をした。


 額を床に付けて待っていると足音が聞こえて来た。


「面を挙げよ」


 幼い声で顔を上げて良いと言われて曹昂はゆっくりと顔を上げた。


 其処には献帝が居た。


「陛下。臣曹昂が拝謁いたします」


 そう言って曹昂は頭を下げた。


「曹昂よ。今日は何用で参った」


「はい。本日より私用にて朝廷に出仕が叶わなくなりましたので、その事を告げに参りました」


「その様な事を告げに参ったのか?」


「はい。臣が主のお許しも無く離れるのは不忠にございますので」


「其処もとの主は朕か? それとも相国か?」


「臣は漢室の禄で此処まで生きて参りました。故に臣は漢室の臣です。ですので、我が主は陛下にございます」


「……そちの忠義、嬉しく思う。朕はその忠義に応えよう」


 献帝は傍に居る宦官に合図を送った。


 宦官は頷くと別の者に指示を出した。すると、別の宦官が盆を持ってやって来た。


 その盆には帯が入っていた。


 煌びやかな飾りと金銀をふんだんにあしらわれていた。


「朕からの恩情である。受け取るが良い」


「はっ。臣曹昂。ありがたくお受けいたしますっ」


 宦官から帯を受け取り曹昂は献帝に向かって一礼した。


「……我らの大願を果たすが良い」


 それだけ言って献帝は宦官を連れて部屋から出て行った。


 曹昂は献帝が部屋を出て行く時も、それからも少しの間拝礼していた。




 帯を貰った曹昂は腰に巻いて内宮から出て行った。


 途中、誰にも会わないで屋敷へと辿り着いた。


(ふぅ~、これで良し)


 屋敷にある自室に入るなり扉を閉めて一息ついた。


 曹昂は其処でようやく帯を解いた。


 その帯の裏面には縫目があった。其処を卓に置いていた小刀で切り込みを入れた。


 その切れ込みを曹昂は丁寧に広げていった。すると、帯の中から一枚の紙が出て来た。


 曹昂は何の不審に思う事なく紙を手に取り広げた。


「……良し」


 その紙には字が書かれていた。




『賊臣董卓は朝廷を奪い、無辜なる臣民を殺し国を奪い山野を枯らした。朕は毎夜先祖に賊臣をのさばらせる己が無力を詫びている。忠勇なる烈士よ。憂国の忠臣達よ。この都へと攻め上がり、奸賊を討ち漢王朝を再興せよ。


                                                                  中平六年冬十一月勅』




「密詔は全部、血で書くと言う訳ではないんだな」


 曹昂は密詔を見ながら呟いた。文字が赤くなく黒いからそう思ったようだ。


 蔡邕に頼んだのは、この献帝の密詔であった。


 董卓にバレては流石に不味いと思い曹昂が密かに蔡邕にお願いした。その蔡邕が王允に頼んで王允が献帝に願い出た。


 そして、献帝が王允に代筆をさせて作られたのが、この密詔であった。


 直接渡せないので帯の中に入れたのだ。ちなみに、帯の中に入れると言う案は曹昂が出したものだ。


 曹昂が何故、密詔が欲しかったのかと言うと曹操達が挙兵するのなら偽の勅書よりも本物の勅書の方が良いと思ったからだ。


 蔡邕に曹操が近い内に挙兵するので、勅書を書いて欲しいと頼んだ。


 最初、蔡邕は信じていなかったが曹昂が説得した事で聞き入れて王允に頼む事にした。


 今の朝廷を動かしているのは董卓であったが、実務は王允が担っていた。その為、王允に頼んだのだ。


 蔡邕から話を聞いた王允は少し考えたが、友人の蔡邕に説得されて王允は献帝に諸侯に都に攻め上がる勅書を書くように進言した。


 献帝は王允の話を聞いて、この状況を何とかしたいという思いでその進言を受け入れた。


 王允に代筆させて、帯の中に入れて曹昂に渡された。


「洛陽を脱出する方法も見つかったし、後は父上と合流するだけだな」


 曹昂は密詔を仕舞い父の下に向かう準備を整えた。


 その準備の過程で、洛陽で知り合った主に董卓の家臣達に挨拶をした。


 皆、董白の婚儀を楽しみにしていると言われた。


 そう言われ心が痛んだが、何とか堪えた。


 董卓の屋敷を訪ね、董白にも一言言うべきだと思い来たのだが、運悪く董卓に呼び出されて宮廷に行っており会う事が出来なかった。


 


 二日後。




 曹家の屋敷の門前にて。


 馬車が二台の周りに使用人達が屯っていた。


 曹昂は自分が乗る馬車に乗る前に卞蓮と話をした。


「荷物は全部載せましたか?」


「ええ、ところで、昂」


「何か?」


「今日は私達全員連れて何処に行くのかしら?」


「父上の下にです。父上は今陳留方面に居ると聞きましたので久しぶりに会ったら良いと思いまして」


「あら、そうなの」


「はい。荷物を全部載せたのは、相国様から僕の婚礼の儀に合せて家財道具一式を用意してくれるそうなので、この機に家具を入れ替えようと思いまして」


「この家財は何処に運ぶの?」


「故郷の譙県にです」


「そう。なら良いわ。じゃあ、早く行きましょう。久しぶりに旦那様に会って驚かせたいし」


「は、はぁ、驚くですか?」


 別に驚く物など無いぞと不審に思う曹昂。


「良いから。早く行きましょう」


 卞蓮が早く出発する様に促してきたので曹昂は釈然としない思いを抱きながら自分の馬車に乗り進ませた。


 この時、曹昂は失敗した事があった。


 一つは曹操が董卓の暗殺に失敗して逃げ出している事を教えなかった事。


 なので、卞蓮は曹操が挙兵の準備をしている事を知らなかった。


 もう一つは卞蓮が何か企んでいる事を聞かなかった事だ。


 その企みに必要なのか、卞蓮が乗った馬車に人一人入れそうな位に大きな箱が運び込まれていた。


 そして、その箱は時折動いていた。


 更にはその箱には穴が二つあり、其処からキラリと光る眼が輝いていた。

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