董卓から見た曹昂の評価

 曹操が馬の乗り心地を確かめると言ってから、既に未の刻約十三時から十五時になっていた。


「……遅い」


 曹操が何時になっても戻ってこない事に不審に思う董卓。


「ですな。遠乗りとは言え、あまりに時間を掛け過ぎです」


 側に控えている呂布も腑に落ちない顔をしていた。


 政務と言える政務は王允達に任せているので、董卓は王允達から上がって来る書類に目を通し印を押すぐらいだ。


 朝議の時は顔を出しているが、殆ど聞き流している。


 武将である董卓からしたら政事はあまり得意ではない。なので、そこら辺は信用している者達に任せていた。


 なので、仕事と言える仕事は無いので董卓は遠乗りから戻って来た曹操と一献傾けようと思っていた。


「……将軍。実は先程、孟徳殿の剣を献上するのを見て腑に落ちない事があったのです」


「何がだ?」


「どうして、将軍が寝室に居る時にその様な事をしたのでしょう? 別に剣を献上するぐらいであれば私が居る時でも出来ると思いますが」


「ふむぅ、言われてみればそうだな。あやつ。剣を渡す時の態度がおかしかったな」


 これは何かあると思い李儒に命じて兵に探らせるかと思っていた。その時。


「将軍。お客様です」


 丁度、李儒を呼ぼうと思っていたところに李儒がやって来た。


「おお、李儒か。それで客とは?」


「曹操の息子の曹昂です」


「なに? 曹昂だと?」


「はい。将軍にお話ししたい事があると申しております。今、客間に通しております」


 曹昂が来たと聞いて董卓は顎を撫でた。


「李儒よ。先程、この様な事があったのだ」


 董卓は李儒に先程の曹操の行動を話した。


 それを訊いて李儒は笑い出す。


「将軍。それは考え過ぎでしょう。あの曹操がその様な大それた事をする様な者ではありません。ましてや、その様な事をした曹操の息子が将軍に会いに来るものですか?」


「むぅ、そうだのう。先程の事と馬に遠乗りに出たと聞いて、儂を暗殺して失敗して洛陽から逃げ出そうとしたのかと思ったが。まさか、あの自慢の息子を置いて逃げるとは考えられんからな」


「私もそう思います」


 董卓の言葉に李儒も賛同した。


 だが、呂布からしたら、何の事かさっぱり分からないので話についていけなかった。


「将軍。その曹操の息子が何かあるのですか?」


 呂布がそう訊ねて来たので、董卓達はあっという顔をした。


「そう言えば、お主はまだ会った事がなかったな。曹昂と言ってな。曹操の自慢の息子だ」


「ええ、私も何度かあったのですが、その智謀は古の大軍師孫武にも優ると言っても良い程の神童です」


 李儒がそこまで言うのを聞いて、呂布はどんな人物なのか興味が湧いた。


「歳は幾つなのです?」


「確か、今年で十四歳であったな」


「はい。その通りです」


 呂布は年齢を聞いて、意味不明な顔をした。


「弱冠十四歳の子供が、孫武に匹敵するとは。李儒殿。大袈裟ではないか?」


「いや、あながち大袈裟とは言い切れん」


 董卓は真面目な顔で言う。その顔を見た呂布は驚いた。


「何せ、聞けば誰でも耳を疑うような活躍をしましたからね」


「どの様な活躍をしたのだ?」


「黄巾の乱の時に、故郷の城を攻めて来た黄巾党の兵数十万を三千の兵で撃退したとか。竜と虎の神獣を従わせたとか色々とありますな」


「はぁ?」


 李儒の口から出た話に耳を疑う呂布。


「ちょっと待て。黄巾の乱は五年前の事だぞ。もし、その話が本当であればその曹昂は九歳という事になるぞ」


 そんな馬鹿な事があるかという顔をする呂布。


「事実だ。なにせ、霊帝が黄巾党を撃退した功績を称えて、褒美を渡したぐらいだからな」


 董卓が気持ちは分かるという思いで頷く。


「では、竜と虎を従えるとはどういう事だ? 虎はまだ分かるが竜など見た事はないぞっ」


「それはある戦で活躍した兵器を指揮していた事が、尾ひれが付いて広まったのであろうよ」


「兵器ですか? それはどのような兵器なのですか?」


 呂布がそう訊ねると董卓と李儒は口を閉ざした。


「……あれは、衝撃的であったな」


「はい。私も目を疑いました」


 二人は今思い出しても驚嘆すべき事であった。なので、それしか言えなかった。


 だが、呂布からしたら何を話しているのか分からず訳が分からなかった。


「呂布よ。お主は馬も曳かないで人も押さないで火を吹く物を見たらどう思う?」


「何を突然おっしゃるのです? その様な物がこの世に存在する訳が無いでしょう。はっはっは……」


 董卓があまりに荒唐無稽な事を言うので冗談かと思い笑い飛ばす呂布。


 だが、途中で呂布は董卓が全く笑っていないので本当にそんな物があるのだと察した。


「……本当にあるのですか?」


「うむ。儂もこの目で見なければ、お主と同じように笑い飛ばしたのだがな」


「私も同感です」


「……そんな物がもし有るとすれば、神が遣わした何かですか⁉」


「儂もそう思ったのだが、実際は人力であったのだ」


「じ、じんりき?」


「台車にぺだる?とかいう物を付けて、それを踏んで進むそうです。朝廷に献上されて学者達に研究させたのですが。どうして、その様に動くのか分からなかったのですが、曹昂は理解していました」


「むぅ、それは凄いな」


 呂布は学者に分からない事を分かるという事で凄いと思えた。


「それだけでは無く、虎と竜を模した鉄を張り付けた張りぼてを台車に載せた。その張りぼてに火を吹く装置を取り付けたのだ」


 董卓に説明されて呂布は火を吹いて動く虎と竜の張りぼてが作られた物と聞かなければ化物か神の使いかと思うだろうと思った。


「その作り物を指揮して、黄巾党の張梁を討つのに一役買ったのだ」


「九歳でそんな事をしたのですか?」


「更に言えば、その張梁を討つ作戦を立てたのも儂は曹昂だと思っている」


「その時はどんな作戦だったのですか?」


「あれはこういう作戦であった」


 董卓は呂布にその時の戦の策を教えた。


「まず総指揮を取っていた皇甫嵩が攻撃を仕掛けて適当な所で退いて囮になり、逃げる敵兵を追い駆ける黄巾党を森まで誘い込む。その森には曹操率いる部隊がおり黄巾党の部隊を横撃して、黄巾党の部隊を分断させて各個撃破。その間に黄巾党が籠もっていた城を将軍率いる別動隊が奪取し、城まで逃げて来た黄巾党の残存部隊をその虎と竜の兵器を操る部隊で攻撃させて士気を落として、其処を城を奪った将軍の部隊で強襲して張梁を討ち取って勝った、ですか」


 その策を聞いても見事としか言えない程に優れた策だと思う呂布。


「そうだ。その時の軍議の席にはその曹昂も参加していた。表向きは曹操が立てた作戦となっているが、曹操がその策を献策する前に曹昂が曹操に話しかけているのを見た。恐らく、策を献じていたのだろう」


「その話が本当であれば九歳でそんな事が出来るとは、正に神童ですな」


「うむ。儂もそう思う」


「ですので、私は曹操が将軍の暗殺などしていないと思います」


「ふむ。とりあえず、曹昂に会ってみるとしようか」


 とりあえず、董卓は会ってみる事にした。




 董卓が高く評価している曹昂はと言うと。


「…………」


 客間に通されて居心地悪そうな顔をしていた。


 客人を迎える部屋と言う事で見目麗しい美女がそこらに居た。


 その侍女達が曹昂の一挙手一投足を見ている。


 何を言われても直ぐに用意できる様に見ているだけなのだが、曹昂からしたら知らない人の視線を全身に浴びるので居心地悪い事この上なかった。


 内心で早く来ないかなと思っていた。


「少し待たせてしまったか?」


 誰かが野太い声で訊ねる様に言って来た。


 その声の主を知っている曹昂は直ぐに跪いて頭を垂れた。


 そうしている間に声の主は大きな足音を立てて、椅子に座った。


「いえ、事前に来る事をお知らせしていなかったので待つ事は承知しておりましたゆえ、お気になさらずに」


 曹昂は頭を下げながら答える。


「そうか。まぁ、それでは話がしづらい。面を上げよ」


 声の主にそう言われて曹昂は顔を上げた。


 顔を上げた先には声の主である董卓が頬杖をつきながら曹昂を見下ろしていた。


 その左には何度か顔を合わせた事がある李儒が居た。


 右に居る人は見た事は無かったが、雰囲気的に武人の様な感じがするので恐らく呂布だろうと見当を付けた曹昂。


(ここでの話でこの後の僕達の運命が決まる)


 処刑か。生き残るか。


 自分の舌先三寸で運命が決まると思うと、思わず生唾を飲み込む曹昂。


 気を静める為に目を瞑り深く息を吸って吐いてから。目を開けて口を開いた。


「この度はお時間を頂きありがとうございます」


「そう、気にする事ではない。そちの父君は身内も同然だ。であるからにして、そちは儂の身内も同然という事だ。何の気兼ねが有ろう」


「そう言って頂き感謝します」


 曹昂はそう言って頭を下げて本題に入る事にした。


 本来はまだ挨拶をするべきなのだが配下の『三毒』から得た情報によると董卓は率直な話し方を好むと報告されているのでそうする事にした。


「本日伺ったのは父の事に関してです」


 曹昂の口から曹操に関しての情報を聞けると思い、董卓達は一言も聞き逃さないとばかりに傾聴する。


「先程、父は将軍から貰い受けた馬を遠乗りして帰る最中に、我が屋敷に来て馬を見せびらかしに来たのです」


「ほぅ、そうか。では、曹操は屋敷に居るのか?」


「いえ。実はその後に文が届きまして、わたしの祖父と親しくしている成皋県に住んでいる呂伯奢という方が重い病に罹り、明日をも知れぬ命だから顔を見せてほしいと書いてあったので、急遽行く事になったのです」


 と言うが、実はこれは曹昂が考えた嘘であった。


 勿論、曹操から祖父の友人に呂伯奢という者が居て、成皋県に住んでいるのは本当だ。


「成皋県? 洛陽から数十里ほど離れた所にある県であったな。確か、其処には呂何某という富豪が居たと聞いています」


 李儒がそう言いだしたので、曹昂は好機と思いながら話を続けた。


「突然の事でしたので、将軍に報告するのも惜しいとばかりに父が出て行く事になりました。その際、わたしに『暫く出仕が出来ない事を私の代わりに報告して行ってくれ』と頼まれたのです」


「それでこうして参ったと?」


「はい。お詫びの品も幾つか持ってきましたので、それでどうか暫く出仕できない事をお許し下さい」


 そこまで言って曹昂は頭を下げた。


(大丈夫だ。まだ父上が暗殺をしたと思っていない筈だ。其処で僕がお詫びの品と父上が居なくなった理由を話せば信じて貰える筈だと思う。多分……)


 前世の中にある記憶と現在の状況を鑑みて推察した嘘をつく。


 恐らく信じて貰えるだろうと思いながら、曹操に対する人質という意味で捕まるかも知れないという思いも同時にあった。


 董卓が曹昂の話を聞いてどんな顔をしているのか分からなかったが、心臓は激しく脈動し、汗が出て背中が濡れていた。


 内心で、早く何か言ってくれと思った。


「……そうか。そういう理由があるのであれば仕方がないか」


 董卓がそう言うのを聞いて、曹昂は顔を上げた。


「お許し頂けるのですか?」


「他の者なら許しはしないが、他ならぬ孟徳だからな。許してやろう。儂は寛大だからな」


「ありがとうございます」


 曹昂は深く頭を下げた。


 内心で助かったと思った。


「それで何を持って来たのだ?」


「ああ、はい。外にある馬車に積んでおりますので、それを見て確認してください。後、奉先様はどちらにおられますか?」


「私だが?」


 董卓の右に居る者が口を開いた。


「父から聞いたのですが。将軍から貰い受けた馬は奉先様が選んだと聞きましたが?」


 馬に関しては話を読んだだけなので本当にそうなのか、曹昂は分からなかったので一応訊ねた。


「その通りだ。孟徳殿は喜んでいたか?」


 呂布は胸を張りながら答える。


「はい。父は大変喜んでいました」


「そうかそうかっ」


 呂布は曹昂がそう言うのを聞いて喜んだ。


 呂布が喜んでいたが、その話を聞いた董卓は曹昂の話が本当なのだろうと信じた。


 何せ、馬を選んだのが呂布である事を知っているのは董卓と呂布と李儒と馬を貰った曹操だけだからだ。


「それで奉先様には別にお礼の物を用意する様に言われましたので、ご用意しました」


「ほぅ。それは何処にあるのだ?」


「聞く所によりますと奉先様には赤兎という名馬を持っているとの事ですから、此処は武人としてお使いになる武器にしました。武器ですので、外で見張りをしている兵士に預けています」


「そうか。誰か、その武器を持って来させよ」


 呂布がそう命じるとその声を聞いて「はっ」と答えて見張りの兵達が持って来た。


 兵達は数人掛かりで長方形の箱を持って来た。


 董卓達の前に箱を置くと兵達は一礼して下がって行った。


「この箱の中にあるのか?」


「はい」


 曹昂がそう言うのを聞いて呂布はどんな物が入っているのか興味を湧きながら箱の蓋を取った。


「これはっ⁉」


 蓋を開けて中を見て驚きつつ手を箱の中に入れて中身を手に取る。


 箱から出て来た物は、それは戈かでも無く槍でも無く矛でも無く戟にしては変わった形をしている物であった。


 戟は本来、戈と言う穂先を柄の先端に垂直に取り付けた武器と矛と言う幅広で両刃の剣状の穂先をもつ武器の両方の機能を備えた武器だ。


 だが、呂布の手の中にあるのは矛の様な刃の片側に三日月状の刃が付いており反対側には突起があった。


「何だ。これは⁉」


 呂布は手に持っている初めて見る武器を、曹昂に見せつけながら訊ねた。


 曹昂は何か気に入らないのかな?と思いつつ説明する。


「はい。西域の武器でハルバードというこれと似た武器が有りまして、それを我が国の戟を似せて作りました物です」


覇留刃恕はるばぁど? ふむ。この武器はそういう名前か」


 呂布は手に持っている武器をジッと見る。


「いえ、似せて作っただけですので、厳密に言えば我が国の戟です。なので、別の呼び方の方が良いと思います」


「そうかっ。……良し。刃が片方だけある戟だから単戟としよう」


「それが良いと思います」


 曹昂が自分が付けた戟の名前に賛成してくれたので、呂布は単戟を持ってまたジッと見る。


 そして、今にも使ってみたいという顔をしていた。


 ウズウズしているのが丸わかりであったので、まるで子供みたいだなと思いながら笑いを堪えていた。


「ははは、奉先。そんなに使いたいのであれば別に良いぞ」


「っ⁉ しかし、私は将軍の護衛です」


 董卓が何処かに行って戟を使ってみろと言うと、呂布は一瞬喜んだが直ぐに顔を引き締めて断った。


「構わん。今日はもう客は来ないからな。庭で振るうぐらいであれば問題なかろう」


「はっ。将軍がそう言うのであれば」


 呂布は単戟を持って嬉しそうに外に出て行った。


「では、僕はそろそろ」


「うむ。孟徳が帰って来たら『お前の忠心は天晴である』と言っておこう」


「では」


「ちょっと待ってもらいたい」


 曹昂が帰ろうとしたら、李儒が呼び止めた。


「何でしょうか? 文優様」


「曹昂君。あの戟の出来栄えを見るに、昨日今日を作った物ではなかろう。それなのに、今日、どうして曹操が呂布に馬を選んだ礼として持って来れたのだ? あまりに都合が良すぎるのだが」


 李儒の指摘に曹昂は心臓が飛び跳ねた。


 流石に都合が良すぎるかと思いながら何か良い言い訳がないかと考えていると、曹操が七星剣で鎧を斬った事を思い出した。


「……ああ、おほん。実を申しますと、本当はあの戟は将軍に渡す用の物でもあったのです」


「儂にか?」


「はい。父は将軍が七星剣が欲しいと言っていたのを聞いて手に入るように方々を探したのです。それと同時にもし見つからない場合は、あの戟を将軍に献上する事にしていたのです」


「成程。それで七星剣が見つかったので曹昂君の屋敷の蔵に入っていたが、呂布の馬を選んだ礼として持って来たと」


「はい。その通りです」


「はははは、孟徳も味な事をしおる」


「ですな。気になったので訊ねましたが、理由を聞けば至極納得できる事でしたな」


 董卓は戟を持って来た理由が分かり大笑いし、李儒も理由を聞いて何でもない事だと分かり苦笑いした。


「うむ。そちの父は真に忠臣よ」


「ありがとうございます。他のお詫びの品は馬車に入っていますので、馬車ごと進呈します」


「うむ。有り難くいただく」


 曹昂は一礼して客間から出て行った。




 客間を出た曹昂は外で待機していた護衛と合流して屋敷へと帰った。


 屋敷に入ると、曹昂は色々な事があった反動で座り込んでしまった。


 いきなり、座り込んだ曹昂を見て、貂蝉達は慌てて駆け寄り声を掛けるが、曹昂の耳には届かなかった。


 それだけ、気が緩んでたという証拠であった。


(助かった~。後は流れに身を任せて、折を見て洛陽から出よう……)


 その内、洛陽から抜け出す準備もしないとなと思いながら曹昂は息を吐いた。


 翌日。


 朝廷から使者が来て曹昂が召喚されたという事を告げた。

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