七星剣の切れ味

 日が経つ度に、董卓の暴挙は増していく。


 古くから、漢王朝に仕える者達は董卓のやり方を苦々しく思っていた。


 そんなある日。王允が五十二歳の誕生日を迎えたので、日頃から親しくしている者達を呼んで宴を催す事にした。


 その中に、董卓と近しい者達は入っていなかった。


 曹操は自分の屋敷にある自室で『三毒』から得たその宴に関する事を聞いていた。


「ほぅ、王允殿は自分の誕生日だというのに、宴に呼ぶ者を選別していると?」


「はい。日頃から親しくしている蔡邕様はその中に入っておりません」


 董卓は基本的に臣下の諫言に耳も貸さない。虫の居所が悪ければ官職を剥いで叩きだしたり時には処刑する事もある。


 そんな専横を極めている中、娘婿の李儒と蔡邕の言葉には耳を貸している。その為、蔡邕の気持ちに関係なく周りからは董卓の腹心だと思われていた。


「徹底しているな。という事は、王允の宴に参加している者達は言わば純粋に漢王朝の将来を憂いている者達という事になるな」


「その通りです」


「報告ご苦労」


 曹操は『三毒』から得た情報を聞いて思案した。


「さて、どうしたものかな?」


 曹操は手土産を持って参加するか、もしくは参加を見送るか考えた。


「父上。宴に参加した方が良いと思います」


 曹操と一緒に報告を聞いていた曹昂は曹操に宴に行くように促した。


「何故だ。息子よ?」


「簡単な事です。王允殿とはそれなりに親しくしているのに招待されていないからと言っては友誼に反します。酒の一杯でも飲んで帰ったら義理は立ちます。もし、宴に参加させてくれないと言うのであれば、今日の宴に参加している者達の顔を見て、誰なのか知っておくのも悪くないと思います」


「ふむ。そうだな。『九醞春酒法』で作った諸白を樽で幾つか持って行けばいいか」


「それが良いと思います」


 曹昂に促された曹操は諸白が入った酒樽を幾つか荷車に乗せて王允の屋敷へと向かった。




 その頃、王允の屋敷の客間では。


 膳に美味しそうな料理が盛られ、酒がなみなみと入った大甕が幾つもあった。


 これだけ酒があれば、無くなる事はないだろうと思われた。


 だが、宴に参加している者達は少しも楽しそうな顔をしていなかった。


 黙々と酒を飲み、料理を食べていた。


 その所為か、宴は暗い雰囲気が漂っていた。とても、誕生日祝いでは無かった。どちらかと言えば、葬式に近い雰囲気であった。


 祝われる筈の王允も暗い顔で酒を飲んでいた。


「この頃の董卓のやり方は目に余る」


「うむ。この前など通りかかった村が、仕事をしていないという理由だけで村に住んでいる者達を皆殺しにしおった」


「ああ、毎夜、女官を辱めるだけではなく、霊帝陛下の皇女様にも手を出すとは……」


「皇女殿下の婚約者から無理矢理奪ったそうだぞ」


「それを言うのであれば、先帝陛下の妻である唐姫にも手を出したそうだ」


「万民の嘆きが天下に響いているというのに……」


「この目で、漢王朝の終わりを見る事になるとは。悪い時代に生まれたものだ」


 宴に参加している者達は、暗い話だけしていた。


 誰か明るい話をしよう、と言う者も居なかった。それで余計に場が暗くなった。


 そんな所に、使用人がやって来た。


「申し上げます。驍騎校尉の曹操殿が宴に参加する為に参ったと門前で叫んでいます」


 使用人の口から出た言葉を聞いて宴に参加している者達がざわつきだした。


「曹操か」


「董卓の手下が。何用だ?」


「何時の間にか董卓に取り入った奸賊め」


「今日の宴に相応しくない奴がきおった。王允殿。追い返すべきです」


 宴に参加している者の一人が追い返せと言うと、それに同調する様に他の者達も追い返せと言い出した。


「……まぁ、待つのだ。曹操とはそれなりに知った仲だ。そんな者を追い返せば、礼を失していると言えるだろう。それでは、この王允の名が廃るというものだ」


 王允の言葉を聞いて、ざわついていた者達は静かになった。


「これ、新しく一席を設けて膳と酒を用意せよ。用意が終わったら曹操を通すが良い」


「はい。畏まりました」


 王允の命令に従い使用人達が席を用意した。


 用意が終わると、使用人が曹操を連れて来た。


 使用人に案内された曹操は王允の前まで来て一礼する。


「子師殿。お誕生日おめでとうございます」


「ありがとう。孟徳殿」


「手ぶらでは悪いと思い、ささやかながら私も知人が作った酒を持ってきました。どうぞ、ご賞味ください」


 曹操は使用人に頼んで持って来た樽を運ばせた。


「わざわざありがとう。あちらに席を用意したので一緒に祝って欲しい」


「ありがとうございます」


 曹操は一礼して用意された席に座った。


「では、ご一同。孟徳殿が持って来た酒で乾杯をしようではないか」


 王允がそう言って曹操が持って来た樽に入っている酒を皆の盃に注がせる。


 最初、盃に注がれた時は普段飲んでいる酒に比べると透明であったので、皆、何だこれは?という顔をしていた。


 だが、匂いを嗅ぐと酒の匂いがしたので酒だと分かり、皆盃を傾けて酒を喉へと流し込んだ。


「何だ。これは⁉」


「この様な芳醇な味わいの酒は初めて飲むぞっ」


 皆、曹操が持って来た酒に驚く。


 そして、お代わりを求める。


 最初は陰鬱な雰囲気の中で行われていた宴であったが、酒のお蔭で少しだけ明るくなった。


 それで口が緩くなったのか、王允が思っている事を口に出した。


「私の誕生日にこの様な酒を飲む事が出来るとはな。葬式の時にもこの様な美味い酒を飲みたいのぅ」


「何をおっしゃいます。王允殿は漢王朝の柱石です。長生きして貰わねば」


「いや、この時代、長生きしても碌な事はない。それは皆も知っていよう?」


 王允がそう訊ねると、皆口を閉ざした。


「董卓が朝廷を牛耳り気分次第で天子を辱め臣下に恥辱を与え、女官にかたっぱしから手を付ける。正に獣の所業だ。その行いで漢王室は今や、風前の灯火だ…………」


 王允は涙ぐみながら話していると、宴に参加している者達は嗚咽を漏らした。一名以外は。


「……ふふ、ふはははははっ、はっははははは」


 皆、涙を流している中で曹操だけ大笑いしだした。


 その笑い声を聞いて、皆涙を流すのを止めて曹操を見る。


「孟徳殿、何故笑い出すのだ?」


「子師殿。今日は貴方の誕生日祝いだと言うのに何ですか。この雰囲気は、まるで葬式ではありませんか。これを笑わずして何を笑うと言うのです」


「曹操、貴様っ」


「董卓の手下が何を言うかっ」


 曹操の言葉を聞いた者達がいきり立った。


 周りの者達が自分を怒りに満ちた目で見ていると言うのに、曹操は平然と酒を飲んでいた。


「皆様方は酒を飲んで愚痴っているだけではないですか。それで世が変わるとお思いで?」


 曹操がそう訊ねるといきり立った者達は何も言えなかった。


「今の自分の立場を嘆くのであれば変えるように動くべきでしょう。それが分かっているのに動かないのは意気地がないという証拠です」


「何をっ」


「貴様がその様な事を言えると思えるのか?」


 一度は黙りはしたものの曹操の言い方に腹が立ち声を荒げる。


「・・・・・・まぁ、待て。皆の衆。孟徳殿。その様な大言を吐けるのだ。何か有るのか?」


 王允は曹操の言い分に何か有ると思い訊ねた。


 訊ねられた曹操はニヤリと笑った。


「私であれば、一本の宝剣があれば董卓の首を斬り宮殿の門に掲げる事も出来ます!」


 曹操の発言に場の空気が凍り付いた。


 董卓の手下と思われた曹操が董卓を殺すというので、皆衝撃を受けている様だ。


「・・・・・・誰かっ、そこに居る大ぼら吹きをこの場から追い出すのだ⁉」


 王允がそう命じると使用人達が曹操の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせた。


「子師殿。話を聞く気はありませんか?」


「その様な実現不可能なホラなど聞く価値も無い。摘まみ出せっ」


 王允の命令に従い、使用人達が曹操を扉へと連れて行った。


 曹操が見えなくなると、宴に参加している者達が摘まみ出された曹操に対して悪態をつきだした。


 王允は何も言わないで、傍に居る使用人を呼んで何事かを話す。




 宴が終わり、王允の屋敷にある書斎。


 其処には曹操が居た。


 宴の席から摘まみ出された後、仕方が無いので帰ろうとしたら、王允の使用人が声を掛けて来て書斎に案内された。


 書斎には曹操用の膳が用意されていた。


 よく見るとその膳は先程、宴の席に置かれていた自分の膳であると分かった。


 それを見た曹操は王允が書斎に来るまで、膳で時間を潰してくれと言っているのだと察した。


 曹操は座り膳に手を付けた。


 それから数刻後。


「いやぁ、お待たせしました。孟徳殿」


 書斎に王允が姿を見せた。


 王允の姿を見るなり曹操は立ち上がり一礼する。


「先程は無礼なことを申しました。どうか、寛大な心でご容赦を」


「いや、貴殿とは共に戦場を駆けた仲。あの様な事で無礼とは思いもせんよ」


「そう言って貰えると助かります」


 王允が座るように促したので、曹操が座ると王允も上座に座る。


「孟徳殿。其方とはそれなりに知った仲である。其方はあの様な董卓の耳に入れば自分の身が危機に陥るような軽率な事は言わん」


「私の様な者をそう評価して頂き感謝します」


「故に聞きたい。其方、何を考えてあのような事を言い出したのだ?」


「ふふふ、子師殿は大法螺とは思わないのですかな?」


「いや、其方の目が嘘を言っている様には見えなかった。何か考えがあるから、ああ言ったのだろう?」


「・・・・・・流石は子師殿。素晴らしい洞察力をお持ちだ」


「はぐらかさないでくれ。孟徳殿。で、どうなのだ?」


「無論、あります」


 曹操は断言した。


「そうか。で、どのような手段で董卓を殺すのだ? 知っているであろう。董卓には飛将と謳われる呂布が身辺を守っているのだ。それに、董卓は用心深く衣の下に鎧を着ているのだぞ」


「私は董卓に媚び諂う事で董卓の信頼を得ました。お蔭で腰に剣を佩いていても誰に咎められる事無く、董卓の傍に行く事が出来ます。董卓の衣の下に着ている鎧を貫く事が出来る宝剣さえあれば董卓を殺す事が出来ます」


「しかし、呂布はどうなさるのだ?」


「呂布に関しては遠ざける方法を思いついています。それを行い、遠ざけるだけです」


「・・・・・・孟徳殿。呂布を遠ざける方法については聞く気はない。だが、董卓を殺すのを成功しても失敗しても貴殿は死ぬかもしれんのだぞ? それでも行うのか?」


「たとえ死しても歴史に我が名は残りましょう。始皇帝の暗殺を失敗した荊軻の様に。それに、もし失敗しても我が息子が必ずや仇を取ってくれるでしょう」


「うむ。そうか、孟徳殿。その様な考えであれば、私はもう何も申さぬ。その代わりに私に出来る事であれば何でもしようぞ」


「では、一つお願いがございます。近頃、董卓は七星剣が欲しいと言っている様です。その剣は王允殿の家で代々伝わる宝剣とか」


「左様。強欲な董卓め、我が家に代々伝わる宝剣を欲しがるか。よし、今持って来るとしよう」


 王允はそう言って立ち上がり、鹿の角で出来た刀掛けに置かれている剣を手に取った。


 その剣の鞘には丸く形作られた金、銀、瑠璃、玻璃水晶硨磲白いサンゴ珊瑚赤いさんご瑪瑙ヒスイがちりばめられていた。


「おお、これが七星剣ですか?」


「そうだ。孟徳殿。どうぞ」


 王允の手から七星剣を貰うと曹操は鞘から剣を抜いた。


 鞘から抜かれた七星剣の刀身の樋の部分に北斗七星をあしらった意匠が施されていた。


「漢王室の未来を其方に授けるっ」


「はっ。吉報をお待ちあれ」


「だが、剣を渡すだけで後は知らん顔をするのは私も気分が悪い。もし、成功しても失敗しても王宮から出る様な事になったら中牟県の県令に陳宮。字を公台という者がおる。その者と私は友人だ。その者の力を借りるが良い」


「かたじけない」


 曹操は感謝を込めて頭を下げた。


 そして、曹操は王允から陳宮への手紙を貰い王允の屋敷を後にした。




 王允の屋敷を後にした曹操は自分の屋敷に戻るなり、曹昂を呼び出した。


 まだ戌二つ時約午後七時〜七時半頃であったので、曹昂は起きていた。


「どうしたのです。父上」


「昂。お前が董卓に渡した鎧を持ってこい」


「……はい。分かりました」


 突然、曹操から鎧を持ってこいと言われても曹昂は何も訊かないで鎧を持って来るように護衛に指示を出した。


 程なくして、董卓に渡した鎧が曹操達の前に出て来た。


「どうぞ。董卓が着ている鎧と同じ材質で作った物です」


「うむ」


 曹昂の話を聞いて曹操は腰に佩いている剣を抜いた。


「せあっ」


 気合の声と共に縦一閃する。


 剣の振り下ろしで鎧は真っ二つに斬れた。


「おおお、凄いですね」


 曹昂は曹操が手に持っている剣の切れ味に拍手を送った。


 護衛達は信じられない物を見るかのような目で曹操が持っている剣を見た。


「素晴らしい。流石は七星剣だ」


 曹操は剣を掲げて刀身を見る。


「父上。新しい剣を手に入れたのですか?」


「いや、この剣は董卓に渡す物だ」


「・・・・・・そうですか」


 曹操が七星剣の名前と董卓に渡すと聞いて、これから何を起こるのか、曹昂は察した。


「父上が居ない間は僕にお任せ下さいっ」


「うむ。任せたぞ」


 曹操は曹昂の目を見て頼んだ。




 翌日。




 曹操は七星剣を持って董卓の軍事と行政の拠点である将軍府へと向かう。


 屋敷を出る直前、曹昂に「後の事は任せた」とだけ告げて。


 朝早くに出たのだが、何故か馬から降りて延々と洛陽中を歩いていた。


 董卓が居る将軍府に着いたのは日中約正午になって少し時間が経った頃であった。


 将軍府の門の見張りの兵が曹操を見るなり一礼する。


 曹操はその兵に馬の手綱を預けた。


「これは孟徳様」


「驍騎校尉の曹操が董将軍に拝謁する為に参った」


「では、剣を預かります」


 見張りの兵が曹操に剣を渡す様に命じたが、曹操は首を横に振る。


「この剣は董将軍に献上する為に持って来たのだ。これを取り上げられたら、今日来るのが遅れた事についての詫びが出来なくなる」


「そうでしたか。では、どうぞ」


 兵が中に入るように促すと曹操は含み笑いをする。


「私が剣を持って入っても良いのか?」


「何をおっしゃいます。孟徳様は将軍の身内も同然です。将軍に献上する物を取り上げては、私が将軍に罰せられます」


 兵ですら曹操が裏切る事は無いと信頼していた。


 これも今まで親しくしていたお蔭だと思うと胸がすく思いの曹操であった。


「では、入らせてもらう」


 曹操は将軍府に入った。




 董卓の下に向かっている最中でも見張りの兵が曹操を見て一礼しても剣を持っている事を咎めなかった。


 これなら暗殺は成功すると思う曹操。


 そうして、ようやく董卓が居る部屋へと向かう。


 部屋に入ると見目麗しい美女が董卓の傍におり、その周りには世話をする宦官なども多数いた。


 董卓は何もする事が無いのか、壺の中に矢を投げ入れて遊んでいた。


 その董卓の傍には呂布が控えていた。


(……良し。李儒の姿はない。ならば、後は考えた通りにすればいい)


 もし、この場に李儒が居たら曹操は計画を断念する所であった。


 そういう些細な事で自分が立てた計画は失敗するというところまで緻密に考え込まれていた。


 曹操は部屋に入るなり深く息を吸う。そして、大きな声を上げて自分が来た事を告げる。


「曹操。出仕が遅くなりました事をお許し下さい‼」


 部屋の入り口で大声を出したので、董卓は矢を投げるのを止めて曹操の方に身体を向ける。


「おお、孟徳。来たか」


「はっ」


 曹操は膝をついて頭を下げた。


「立つが良い。そして、近くに来い」


 董卓に命じられるままに曹操は立ち上がり傍に行く。


 後数歩踏み込めば、董卓が斬れるという所まで進むと其処で足を止める。


 これで後数歩踏み出せば董卓が斬れるかと思われたが、曹操と董卓の丁度、間に呂布が居るので不可能であった。


「孟徳よ。もう日は登ったぞ。何故、こんなに出仕が遅れたのだ? 儂はてっきり病気にでもなったのかと思ったぞ」


 本当に心配そうな声を出す董卓。


 そこまで信頼されている事に曹操は良しと思いつつ、事前に考えていた言い訳を言い出す。


「私の馬はかなりの年寄りでして、今日も向かっている最中に疲れて途中から歩く事となりました。それで遅れました」


「なに? お主は驍騎校尉であろう。家族を養っているとは言え馬を買うぐらいの金も無いのか?」


「お忘れですか? 今年の春に旱魃が起きて人と馬には十分な食料が回っていない事を。その所為で最近は良馬も高くなり、私の禄では、とてもとても買えない額なのです」


「ああ、そう言えばそんな話があったのう。まぁ、自然の災害の前には人が出来る事など限られているからのう。仕方が無かろう。それよりも、馬の所為で出仕が遅れるのは駄目じゃな。奉先よ。儂の厩舎からお前の見立てで良いから、良い馬を曹操に与えるが良い」


「承知しました」


「お願いいたします」


 曹操はそう言って呂布に一礼する。呂布も返礼して部屋から出て行った。


 それを見送ると曹操は内心でこれで計画を実行できると思いつつ平伏する。


「董将軍。感謝いたします」


「ははは、これぐらい安いものだ」


 董卓は笑いながら上座に座ると曹操に座るように促した。


 曹操は一礼して座った。


「孟徳よ。お主に訊ねたい事がある」


「何なりと」


「お主は王允と親しかったな?」


「はい。かつて、黄巾の乱の折、共に戦場を駆けて以来親しく付き合っております」


「そうか。では、聞こう。昨日、王允が宴を開いたそうだ。名目は確か自分の誕生日だったか。おかしな事にその席には儂も儂と親しい者達も参加していないのだ。おかしかろう?」


「はい。今や日が昇る勢いを持ってる董将軍を自分の誕生日に呼ばないとはおかしい事ですね。私が王允の立場であれば是が非でも参加して貰うように懇願する筈です」


「であろう。それなのに呼ばないとは。これはどういう事だと思う?」


「……思いますに。王允達は董将軍を表向きは立てつつも内心では好いてはいないのではないですか?」


「お主もそう思うかっ。儂もそうなのではと思っていた。全く、儂が引き立ててやっているというのに。儂に反目するとはなっ」


 董卓は鼻息を荒くする。


「御心配には及びません。董将軍の御心のままに振る舞えば良いのです。そうすれば、王允達もいずれは董将軍の威厳を知り、おのずと膝を曲げるでしょう」


「そうかそうか。はははは、孟徳。お前は褒めるのが上手いな。ははは……ふわぁ~」


 上機嫌で笑う董卓であったが、不意に欠伸をかきだした。


「日頃の政務でお疲れの様子。少し休まれては?」


「そうだな。儂は奥の部屋で少し休むとしよう」


 董卓はそう言って立ち上がり自分の寝室へと向かった。


「では、そこまでお供を」


「うむ。助かる」


 曹操が付いて来るのは当たり前だと言わんばかりに董卓は曹操の手を取り寝室へと向かった。


 寝台に入ると、董卓は直ぐに眠りつき、いびきをかいた。


 まるで、雷の様ないびきであった。


 そのいびきを聞いて曹操は董卓が起きても良い様に控えている侍女達に声を掛ける。


「将軍はお休みになった。眠りの妨げになってはいかん。下がるが良い」


 と命じると侍女達は何も言う事なく下がって行った。


 侍女達の姿が見えなくなると、曹操は振り返り董卓を見る。


 間抜けな寝顔を晒しながらいびきをかいている。


 これが一代の梟雄と言われても誰も信じないだろうと思われた。


(今ならやれるっ)


 曹操はそう思い出来るだけ音を立てないで近付きつつ、佩いている七星剣を抜く。


 一撃で董卓の命を奪わなければ犬死にになると解っている曹操は冷静に且つ大胆に行動する。


 董卓の寝台に近付き、もう十分に刺す事が出来る距離まで来た。


 曹操は呼吸を整えて剣を突き刺そうと振り上げると。


 ガシャーン‼


 金属製の桶が床に落ちて派手な音を立てた。


 曹操は何事だと思いつつ振り返ると、其処には董卓に無理矢理妾にされた唐姫が居た。


 唐姫は董卓に凌辱を受けた後は侍女として仕えさせられていた。


 董卓が外に出る事になったら履物を用意する。帰宅したら足を清める。食事の際は毒見をする。


 董卓の寝所の支度をするなど、先帝の妻を雑用係扱いしていた。


 その命令の一つで董卓が眠ったら、何時起きても良い様に桶と布を持って待っている事と命じられていた。


 唐姫はその命令に逆らえば、どんな目に遭うか分からないから、従順に従った。


 今も水が入った桶と布を持って寝室に入ろうとしたら、寝ている董卓に剣を振り下ろそうとしている曹操が見えて、驚いて桶を落としてしまった。


 その音で眠っていた董卓は目を覚ました。


「う~ん。何事だ……っ⁈」


 目を擦りながら曹操が手に剣を持っているのを見て驚愕する。


「そ、そうそう。なんのつもりだっ⁉」


 董卓は唾を撒き散らしながら、驚きの声をあげる。


 曹操はしくじったと思いながら、顔に出しては不味いと思い多少、顔を引きつらせても笑う事にした。


「これは失礼しました。以前、董将軍が欲しいと言っていた七星剣が手に入ったので、起きましたら献上しようと思いつつ、剣を袖で拭っていたのです」


 曹操は笑顔を浮かべつつ膝をついた。


 それを見て董卓は最初はあっけにとられたが、直ぐに気を取り戻して曹操を見る。


「ほぅ、これが七星剣か。どれ、見せて見ろ」


「はい。どうぞ」


 曹操は剣を掲げると董卓は柄を握り刀身を見る。


「おお、これが七星剣か。確かに、刀身に北斗七星が刻まれているわ」


 董卓は七星剣の素晴らしさに惚れ惚れしていた。


「将軍。孟徳殿の馬を用意しました。むっ?」


 呂布が寝室に入るなり妙な空気になっている事に訝しんだ。


「おお、奉先か。見よ。この剣を」


「刀身に七つの星をあしらった意匠が施されていますな。これは、もしや」


「そうだ。七星剣だ。孟徳が献上してくれたのだ」


「そうでしたか。ですが、この剣に鞘は無いのですか?」


「ああ、失礼しました。鞘は此処に」


 曹操は腰に差している鞘を抜いて董卓に渡す。


 鞘を渡された董卓は鞘をじっくりと見る。


「成程。剣の名前にちなんで宝玉を七つ付けているのか。これは素晴らしい宝剣だ」


「お喜び頂き嬉しく思います」


 董卓が喜んでいるので曹操は頭を下げる。


「見事な献上品だ。奉先。孟徳に渡す馬はこの剣に優るとも劣らない名馬であろうな?」


「はっ。名馬の中の名馬を選びました」


「そうか。孟徳よ。馬を見に行くが良い」


「はっ。ありがとうございます」


「では、ご案内する」


「お願い致す」


 呂布が厩舎まで案内するというので曹操は一礼して案内してもらった。


 呂布の後に付いて行って少しすると、背後から怒声が聞こえて来た。。


「このグズがっ。この様な簡単な仕事も出来ないというのか。お前はっ⁉」


「ひっ、お許しを」


「黙れっ。儂が其処の所をじっくりと教えてやる!」


 その後で、悲鳴と何かを引き裂くような音と共に董卓の笑い声が聞こえて来た。


 曹操はそれを訊いても、何の憐憫もわかなかった。


(桶さえ落とさねば。仕留める事ができたものを……)


 腸が煮えくり返りそうな位に怒りがこみあげていたが、顔には一切そんな思いを出す事はなかった。




 呂布の案内で厩舎に案内されると、其処には兵と一頭の馬が居た。


「どうだ。この馬は? 私の赤兎とまでいかなくても一日で数百里は駆ける事は出来るだろう」


「ははは、奉先殿の愛馬に比べたら如何なる馬であろうと霞むでしょうな」


 呂布をおだてながら曹操は兵から手綱を貰い跨った。


「では、近くまで乗って乗り心地を確かめようと思います。董将軍にその事をお伝えを」


「承知した」


 曹操は呂布に伝えると、馬を進ませた。


 ある程度、将軍府から離れると全速力で駆け出した。


(仕損じたっ。こうなれば、洛陽を逃げ出すしかないっ)


 董卓は自分が暗殺をしようとしたとは考えていないかも知れないが、その内気付くかもしれない。


 それに剣を渡された王允に対して、仕損じた事を報告する事は曹操の自尊心が許さなかった。


(こうなったら、故郷で兵を挙げて董卓を討つ!)


 その為の算段を考えながら、曹操は王允に教えられた中牟県の県令をしている陳宮の下へと向かった。




 青い空を翔けながら地上を見下ろす重明。


 何かを探しているのか、青空を旋回している。


 旋回していると洛陽を出て行く曹操を見つけた。


 それを見た重明は旋回を止めて、翼をはためかせて何処かに向かう。


 向かった先は曹昂が居る曹家の屋敷であった。


 重明が戻って来るのを見た曹昂は腕を前に出し、その腕に止まる。


「お帰り。で、父上はどうだった?」


 曹昂が重明に訊ねつつ懐から巻物を出した。


 そして、巻物を広げて地面に置いた。


 その巻物は平仮名が書かれていた。


 前々から重明の知能が高いので、平仮名を覚えるかなと思いつつやらせてみた。


 試しで行ったのだが、直ぐに覚えた。


 それで、こうして言葉のやり取りをする様になった。


 重明は地面に降りると、巻物を貫かない力加減を込めて嘴で突っつく。


 そ、う、そ、う、も、ん、で、る。


「曹操門を出るか。腰に剣を佩いていた?」


 再び曹昂が訊ねるとまた巻物を突っつく重明。


 は、い、て、い、な、い。


「佩いていない。じゃあ、暗殺は失敗か」


 曹昂は安堵していた。


 これで、もし成功していたら曹操だけではなく、自分達も危害に遭っていただろうと思ったからだ。


「さて、じゃあ、準備をするか」


 曹昂は使用人達に馬車に用意した荷を積むように命じた。


「若様。何処に行くのですか?」


「今の朝廷を仕切っている董将軍の下にさ」


 訊ねてきた使用人に曹昂は馬車に積まれている荷を見ながら教えた。


(その為に用意した物を持って来たんだからね)


 使用人が準備を終えると曹昂は卞蓮と貂蝉に。


「ちょっと出かけて来るね」


 と言って数人の護衛と共に屋敷を出た。

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