西華の戦い
二日後。
長社を出発する官軍総勢五万五千。
向かうは黄巾党八千が籠もる廃砦。
整然と並びながら歩く兵達。
皆の顔は戦う前から勝利に喜んでいる顔をしていた。
兵数。士気。装備。
どれを取っても負ける要素も無いので、兵達は皆、負ける事は無いと頭から思っていた。
兵もそうであれば、率いる将達の殆どが兵と同じ顔をしていた。
曹操は内心で不安になった。
(数はこちらが有利とは言え、敵も必死の抵抗をするだろう。追い詰められた鼠は猫をも噛むと言うからな)
自分だけは気を引き締めようと思う曹操。
「孟徳殿。よろしいか?」
副官の史渙が話しかけて来た。
「どうした。公劉殿」
「此度の戦は攻城戦をするのだろうか?」
「そうよな。黄巾党が籠もっている廃棄された砦であるから、攻城戦と言っても良いかもな」
どのくらい壊されているのか分からないが、一応砦を攻めるので攻城戦をすると考えて良いだろうと思い口にする曹操。
「承知した。御曹司から『攻城戦になったら使って、使い心地を教えてほしい』と言われて、新しく開発した兵器を渡されましてな」
「あいつめ。何時の間に」
自分に会った時はそんな物を作ったなど一言も言わなかったのに、史渙にだけ言うとは、どうにも腑に落ちなかった曹操。
「攻城戦と言うが、どんな物だ?」
「それは向こうに着いたらお見せしよう」
そう言われては余計に気になったが、戦が始まれば見る事が出来るだろうと思い曹操は隊列の動きに合わせて馬を進ませる事にした。
数刻後。
朱儁、皇甫嵩両将軍が率いる官軍が黄巾党の残党が籠もっている廃砦に着いた。
その砦は堀も無く、防壁は黒く焦げており何処かしら破損していた。
更に全て城門も急拵えな処置で直した跡があった。
その上、防壁の上に居る黄巾党の兵達の武器の刃の部分はボロボロで、着ている服も泥が付着して綺麗とは言えない上に裾などが擦り切れていた。
最早、敗残兵と言っても良い服装であった。
「皇甫将軍。このまま攻撃しますか?」
朱儁が皇甫嵩に訊ねた。
「まぁ、待て。敵も追い詰められているのだ。此処は寛大な心を持つべきだ。誰か、城門の所まで行って、降伏を勧告して来い」
「はっ」
皇甫嵩の言葉に従い、傍に居た者が馬に乗り城門まで駆けて行った。
その兵が砦から少し離れた所で馬を止める。
「黄巾の賊共‼ 我ら官軍の将、皇甫将軍の言葉を伝える。今すぐに武器を捨てて降伏するのであれば、命は取らず寛大な処置を施す。だが、あくまでも抵抗するあれば、一人残らず皆殺しとなるであろう。返答は如何に‼」
兵が大音声で砦に呼び掛ける。
返答を待っていると、防壁から黄巾党の兵達が矢を放った。
「ぐうああっ⁉」
放たれた矢は降伏を勧告しに来た兵に当たり、兵と乗っていた馬は針鼠の様に矢が突き刺さり地面に倒れた。
兵が倒れるのを見た皇甫嵩は蔑んだ表情を浮かべる。
「ふんっ。使者を殺すとは、戦の礼儀を知らぬ賊共が。全軍、砦を包囲し攻撃せよ‼」
皇甫嵩が攻撃命令を出すと、直ぐに角笛が鳴り響いた。
笛の音を聞いた諸将達は直ぐに砦の包囲に掛かった。
事前に決めた通り、西は朱儁と孫堅率いる軍。東は王允率いる軍。北は皇甫嵩と曹操率いる軍に別れた。
一番先に攻撃準備が整ったのは、北門を攻める皇甫嵩と曹操率いる軍であった。
先鋒は曹操が買って出た。
「さて、息子がどんな物を作ったのか見せてもらおうか」
曹操は史渙に砦の攻撃を指示した。
史渙は一礼をして兵を率いて前線へと向かった。
砦からは矢を放つだけでは無く、石、瓦礫の欠片など投げられる物は何でも投げて砦に近付かせない様にしていた。
矢よりも投げる物が多いのは、矢がそれ程無いからだろう。
曹操軍は応戦しつつも、橋を掛けようとも城門を攻撃しようともしなかった。
「公劉様。準備整いました」
「では、始めろ」
「はっ」
史渙の命に従い、部下が手で合図をした。
すると、弩を持った部隊が砦の方に構える。
その弩を見ると、台座に置かれているのは矢では無く何かの物体の様であった。
「放てっっっ」
部下が斉射を命じると弩を持った部隊は引き金を引いた。
すると、台座に置かれていた物体が発射された。
狙いは適当なのか、その物体は防壁、人などに当たった。
「った。・・・・・・何だ、こりゃ?」
「水か?」
物体は当たると中に入っていた液体を周囲に飛び散らせた。
驚いた事にその液体は直ぐに煙の様に消えた。
痛くも痒くもない液体を浴びて、不思議に思う黄巾党の兵達であったが。
「・・・・・おあ、なんだ、こりゃ・・・・・・?」
その物体が当たった黄巾党の兵達が突如、顔を赤らめてフラフラとなりだした。
足が千鳥足になっている者も居た。それはまるで酔っている様であった。
「・・・・・・これは、もしかして酒か?」
息を吸っていると酒の匂いがしたので先程の煙の様に消えた液体は酒なのかと言う黄巾党の兵。
「おいおい、ばかなことを、いうなよ? せんじょうで、てきにさけを、あたえるやつらが、どこにいるんだ?」
酔っ払って口調が変ではあるが、もう一人の黄巾党の兵がそう指摘する。
この時代の酒はこんなに酒精度が高くないので、余程大量に飲まないと酔っ払うという事にはならない。
それなのに、香りを嗅いだだけで酔うなど有り得ない事であった。
「それにしても、敵はこんな事をして、何がしたいんだ?」
酒の匂いがあまりに強いので黄巾党の兵は手で鼻を覆いながら疑問を口にする。
そして、敵陣を見ると、其処には火矢を構える弓兵が居た。
「放てええええ‼」
その声と共に弓兵は火矢を放った。
放たれた矢は至る所に刺さった。
その瞬間。防壁の至る所から燃え上がった。
「ぎゃああああああっ⁉」
「あついあついあついあついあついっっっ⁉」
「な、なんで、とつぜん、ひが、ぎゃああああっ」
燃え上がる物など無かったのに、突然燃え上がりだしたので恐怖する黄巾党の兵達は火だるまになっていく。
防壁の上には火が着いて、最早攻撃する事も出来なかった。
「弩隊。続けて放てっ」
台座に何かの物体を乗せた弩隊はその物体を発射していく。
物体が火に当たると燃え上がり当たると燃える液体を辺りに撒き散らした。
それにより被害が増えた。
「・・・・・・凄まじい。あの台座に乗っている物には何が入っているのだ?」
「あるこーるという物だそうです」
「あるこーる?」
曹操は何、それ?みたいな顔をする。
曹昂は消毒などに使えるので、酒精度が高い酒即ちアルコールの製造に腐心していた。
とは言え、酒など飲んだ事が無いので作る知識などあまり無い曹昂。
知っている事と言えば、原料と作る工程であった。
其処でこの国で取れる原料になる物で試行錯誤で作った。
蒸留器は別に硝子ではなく鉄などでも出来る。構造も大体わかるので蒸留器を作るのに問題はなかった。
そして、出来たのがアルコールであった。
「凄まじいな。そのあるこーる?があれば火計が容易く出来る様になるな」
「ですな」
燃え上がる防壁を見ながら曹操は、アルコールの威力の凄まじさにそれしか言えなかった。
北門にて火の手が上がっている頃西門では、
「火の手が上がったな」
「ええ、予想通り北門が最初に攻撃を仕掛けましたな」
朱儁と孫堅はようやく攻撃準備が整った所で、攻撃しようとしたら北門から火の手が上がったので予想通りだなと話し合っていた。
「しかし、皇甫将軍はどうやって、あんなに燃える様にしたのだ?」
「さぁ、そこまでは」
朱儁が疑問を呈すが、孫堅は答えに窮した。
だが、孫堅は何となくではあるが火が上がる工作は恐らく、曹操の息子の曹昂が関係しているのだろうなと思った。
(九歳であの知識の豊富さは尋常ではない)
孫堅は曹昂に会った時の事を思い出す。
厩舎で自分の馬の相手をしていた時に付き人達を連れてやって来た。
最初見た時は息子の孫策に比べると、かなり可愛い顔立ちの子だと思った。
手土産と言ってあまり大きくない壺。その蓋を付き人達が開ける。
それは何なのか聞く前に、自分の傍に居た馬が匂いを嗅いで、壺の傍にやって来た。
そして、舌をその壺に躊躇なく伸ばして舐めだした。
孫堅は何を舐めているのだと聞くと、水飴という初めて聞く食べ物であった。
その水飴を舐め終ると、次にもう一つある壺を舐めだした。そちらは蜂蜜が入っていると聞いた。
孫堅はそれを訊いて、思わず生唾を飲み込んだ。
蜂蜜など孫堅でも指で数える程度でしか味わった事が無かった。
その味を思い出して生唾を飲み込んだ様だ。
水飴というものはどんなものか食べた事がなかったので、味が分からなかったが蜂蜜は分かった。
馬に舐められて悔しいと思っていたが、
『ああ、後で使用人に持って来させますね』
その一言を聞いて、雷を撃たれたかの様な衝撃を受ける孫堅。
甘味は高級品であるのに、それをまた持ってくると言った事に驚いていた。
その事に内心驚いたが、孫堅はそんな思いを顔には出さないで曹昂と話をした。
話して思ったのが、歳の割にしっかりした考えを持ち、出来た子だと思った。
曹昂が帰ると使用人が水飴と蜂蜜が入った壺を届けてくれた。
孫堅はさり気なく、蜂蜜と水飴はどのように手に入れたのだと訊ねると。
『詳しくは知りませんが、定期的に仕入れる様にしている様ですよ』
使用人の言葉を聞いて衝撃を受ける孫堅。
そして、どんな方法で蜂蜜と水飴を手に入れているのか気になった。
だが、高級品が手に入るのだから、恐らく何らかの伝手が有るのだろうと思いそれ以上考えない様にしていた。
貰った蜂蜜を舐めてみたら記憶の中にある蜂蜜の味であった。
もう一つの水飴も舐めてみたら、これも甘くて驚いた。
蜂蜜は分かるが、この水飴はどの様に作るのか気になった。
翌日。
厩舎の馬番をしている者から、馬をどうにかして欲しいと言われた。
どうしたのかと聞くと、飼い葉を全く食べようとしないので困っていると聞いた。
孫堅は不思議に思ったが、もしかしてと思い水飴が入った壺を持ってきて飼い葉に掛けた。、べだした。
ちなみに、この時に蜂蜜を持って来なかったのは、高級品だからだ。
孫堅は馬が水飴を掛けた飼い葉を食べるのを見て、これは水飴が無いと食べなくなるのではと思った。
それで曹昂を訪ねて、金は払うので水飴だけでも貰えないだろうかと頼んだ。
『少し作るのに時間は掛かりますが、良いですか?』
そう言われた時は自分の耳を疑った。
まさか、この水飴を製造する事が出来るとは思いもよらなかったからだ。
相場が分からなかったので、銀二千五百枚と言うと快く受けてくれた。
その後で、孫堅は城に設置されている兵器を曹昂と共に見た。
孫子の末裔と謳っているが、兵器に関しては左程詳しくはない。
なので、どんな兵器なのか見たかった。
兵器の説明を聞きながら、孫堅は思った。
この子はいずれ、天下に名を轟かせるだろうと。
「・・・・・・我が子にもあの子の頭の良さの数十分の一でもあればなぁ」
「孫堅。何か言ったか?」
「いえ、何も。朱儁殿。今が攻撃時と思いますが」
「うむ、そうだな。では、任せたぞ。孫堅」
「承知しました。大栄」
「はっ」
孫堅は傍に居る部下である大栄と言われる者を呼んだ。
この者大栄と言われているが、本名は
孫堅が役人になった頃から仕えている部下で、二刀流の使い手だ。
「攻撃を開始せよ」
「御意っ」
孫堅の命に従い、祖茂は攻撃を開始した。
兵達は喊声を上げながら弓兵が矢を放ち、その援護で兵達が防壁に梯子を掛けて行く。
矢に当たり、槍に突かれて兵達は倒れていくが、そんな事も構わないで攻撃を仕掛けていく。
敵の勢いと北門で火の手が上がっている事で、士気が落ちる黄巾党の兵達。
「おい。北門から火の手が上がっているぞっ」
「どうする? 北門の消火に行くか?」
「馬鹿野郎っ。今、敵軍が攻めてきているのに、消火する暇なんかある訳ないだろうっ」
「でも、このままじゃあ、火の手が広がるぜ?」
「どうする?」
西門を守備している兵達はどうするべきか分からず混乱していた。
西門を指揮している大方も混乱していた。
この大方は元は中方であったのだが、残党が集結して再編した時に急遽大方に格上げしたので、まだ部隊の指揮に慣れていなかった。
それ故に消火か防衛か、どちらを取れば良いのか分からずにいた。
そうしている間にも西門を攻撃する部隊が梯子を掛けていき、丸太で城門を攻撃していた。
西門を攻撃している頃、東門では、
「北、西の各門は攻撃を開始したな」
「はい。特に北門は火の手が此処まで見える程の火を放つとは」
「いかなる方法でしょうな?」
東門の攻撃を指揮する王允は幕僚の二人に話し掛ける。
一人は名を荀爽。字を慈明という者で、僅か十二歳で春秋と論語に良く通じている秀才であった。
もう一人は孔融。字を文挙と言い儒学者でもあり儒家の始祖と名高い孔子二十世の孫にあたり、若年期より英明の誉れ高く、学問好きの博識人である。
「まぁ、後で孟徳殿にでも聞けばよい。我らは今は東門の攻撃が大事だ」
「はっ。既に攻撃準備は整っております」
「衝車の準備も完了しました。攻撃開始の合図は何時でも」
「よろしい。では、攻撃開始‼」
王允が命を下すと、兵達は攻撃を開始した。
こちらも喊声を上げながら弓兵が矢を放ち、その援護で兵達が防壁に梯子を掛けて行く。
違うのが、兵達の援護を受けながら城門を衝車で攻撃する所であった。
この東門に配備されている黄巾党の兵達は他の門に比べると、質が悪いようで応戦しつつも士気が低かった。
この門を守備する大方は声を嗄らさんばかりに指揮するが効果は無かった。
そうして、官軍が攻撃していると最初に門が開いたのは意外にも西門であった。
防壁を登った孫堅配下の兵達が黄巾党の兵達を倒していき、階段を下って行き城門を開いた。
「文台様。城門が開きました」
「うむ。大栄。続けっ」
「おおおおっ」
孫堅がそう言うなり、颯爽と馬に跨り腰に差している刀を抜いて駆け出した。
祖茂も百騎ほど率いてその後に続いた。
その百騎は孫堅の私兵の中から選び抜かれた精鋭であった。
孫堅は祖茂と共に百騎が砦の中に突入する。
砦の内部へと駆けて行く途中、目に着く黄巾党の兵達は持っている刀で倒していく。
孫堅が剣を振るう度に悲鳴と共に血風が舞う。
そうして駆けていると、馬に乗った黄巾を被った男が出て来た。
頬に傷があり手には槍を持っていた。
「官軍の将がっ。この彭脱の相手をしろっ」
「面白い。相手をしてやるっ」
孫堅は剣を振るい刀身に着いた血を振り落とした。
彭脱は槍を扱き相手の動きを注視する。
最初に動いたのは孫堅であった。
馬を駆けさせると同時に剣を振り上げる。
振り下ろされた攻撃を彭脱は槍で防ぐ。
彭脱が突くと孫堅は剣で防ぐ。
手に汗握る攻防を一合、二合、三合と重ねていく。
両軍の兵達はその攻防を固唾を飲んで見た。
そうして、剣戟を交えていると彭脱の槍が折れてしまった。
使い続けていたからか棒の部分が脆くなっていたようだ。
孫堅はその隙を見逃さず、彭脱を一刀の下に斬り倒した。
彭脱は声を上げずに馬から落ちていった。
彭脱が地面に落ちると、孫堅は剣を掲げる。
「敵将、彭脱討ち取ったり‼」
孫堅が声を大にして叫んだ。
次の瞬間、官軍の兵達は歓声を挙げた。
逆に黄巾党の兵達は膝をついた。
そのすぐ後に北門と西門の城門が開き曹操と王允の軍が砦内へと突入する。
だが、既に彭脱が討ち取られた事が分かり、曹操達は黄巾党の兵達の掃討に掛かった。
数刻後。
黄巾党の兵達の半数以上が討ち取られた。
降伏して生き残ったのは二千にも満たなかった。
皇甫嵩は勝鬨を挙げた。
そして、官軍は投降した黄巾党の兵達を連れて長社の城へと戻った。
戻るなり豫洲に跋扈していた黄巾党を壊滅させる事が出来たので宴を開いた。
其処に朝廷からの使者がやって来た。
なので、一同は宴を中断して使者に面会する。
使者は詔書を広げて書かれている事を言う。
「豫洲平定の任、大義である。豫洲刺史王允は豫洲の慰撫に当たれ。皇甫嵩、朱儁の両将軍には新しき任務を言い渡す」
「「はっ」」
「皇甫嵩将軍は兗州東郡へ向かい、其処に蔓延っている黄巾党の殲滅を。朱儁将軍は荊州南陽郡に蔓延る黄巾党の殲滅を命ずる」
「「ははぁっ」」
皇甫嵩、朱儁は拝礼してその命令を受けた。
祖茂の名前は複数ありますが、本作ではそもとします。
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