最早、醜態としか言えない

 光和七年西暦184年五月某日夜。


 豫州沛国譙県から数十里離れた所に、黄巾党が陣を張っていた。


 一ヶ月前、汝南郡を出発した時は三万六千もあった兵達も、譙県城攻めで兵は三割を失っていた。


 残っている兵達も、負傷していない者が居なかった。


 何度攻めても、落ちない城が相手では数だけでは勝てないと分かり、兵達の士気は下がる一方であった。


 それが分かっていない大方達ではないのだが、軍議が行われている天幕の中では、


「此処は汝南に撤退し大勢を立て直すべきだ‼」


「何を言うかっ。此処で退けば、今まで出した犠牲が全て無駄になるだろうがっ」


「そうだ。此処は最後の一兵になるまで攻めるのだ。数では我等の方がまだ多いのだ。敵も人間だ。その内、敵も疲労する筈だ。そこを突くのだっ」


「今までの攻撃で兵は傷つき士気も落ちているのだぞ。そんな状態で攻めろと言うのかっ?」


 大方達の意見は二つに分かれていた。


 撤退か。徹底交戦か。


 方を率いている大方は四人。なので、綺麗に別れている。


 その為、四人の話し合いは平行線になっていた。


「それに攻めろと言うが、我らの現状であの城を攻めて落とせると言うのか?」


 大方の一人が、卓を叩きながら自分の意見を言う。


 それを訊いて残った大方達は口を閉ざした。


 あの城とは勿論、譙県の事だ。


 城壁に取り付く事もさせない兵器に、城壁から槍が突き出ると言う摩訶不思議な城に兵達は恐怖していた。


 その兵器が無い所から攻めようとしたが、驚いた事にその兵器は動くのだ。


 これは、設置をする時に城壁の上に溝を作り、その溝に滑車を嵌め込んだ夜叉檑と狼牙拍を設置する事で動かす事が出来たのだ。


 なので、何処から登ろうと攻撃される。


 その上全ての城壁に設置されているので登る事は不可能であった。


 なので、城門に攻撃する事にした。


 近くの森や山から木を伐り出して先を尖らせた即席破城槌を作り城門を攻撃した。


 城壁に取り付けられている兵器も城門まで行く事は出来ず、このまま攻めれば落とせるかと思われた。


 だが、城門を攻撃していると城壁の上にある楼閣に取り付けられている枡の形した下方に開口した物から鉄球が落ちて来た。


 それも一つではなく幾つもだ。


 落下する複数の鉄球の前には、どれだけ太い丸太であっても簡単に折れてしまった。


 これは石落としといわれる防御用開口部だ。


 日本でもヨーロッパにも城の防衛装置として設置されていた。


 形状は幾つかあるが、曹昂は県城の造りに一番合う袴腰型の石落としを設置した。


 それにより、丸太が城門を塞ぐように壊れてしまい城門を攻撃することが出来なくなったのだ。


 丸太を取り除こうにも、近付けば矢が飛んでくる。仮に取り除いてもまた落下する鉄球によって壊されるのが目に見えているので、城門の攻撃は出来なくなった。


 こうなっては仕方が無いので、もう城壁を攻撃する事にした。


 この時代の城壁は土を版築させて積み上げて造る。


 なので、雨が降ると崩れるのが普通であった。


 大方達もその常識に従い城壁に直接攻撃を始める。


 剣で、槍で、木の棒で、または素手で城壁を攻撃する黄巾党の兵達。


 だが、幾度城壁を攻撃しても崩れるどころか傷一つ付かなかった。


 それでも攻撃する兵達。


 城壁の上に居る守備兵達はその一心不乱に城壁を攻撃する様を見て怯えつつも矢を放つ。


 どんな下手な者でも放てば当たるので、途中から恐怖よりも的当てするかのような感覚で矢を放つ守備兵達。


 黄巾党の兵達は最初は城壁を一心不乱に攻撃していた。どれだけ被害が出ようとも。


 だが、途中からどれだけ攻撃しても城壁に傷がつかない上に壊れるのは自分達が持っている物だけだと気付いた。


 素手で攻撃している者など爪は剥がれて、手を真っ赤にさせていた。


 ようやく、自分達の攻撃が無意味だと理解した黄巾党の兵達。


 どうして脆い筈の城壁が攻撃しても壊れないのかは理由があった。


 それは城壁にはローマン・コンクリートを塗り固めているからだ。


 古代ローマに製造された事からその名が付いたコンクリートで、その強度は現代のコンクリートにも負けない程の硬さを持っている。


 それを壁に何層も重ねて塗った事で、そこいらにある物では壊す事は不可能と言える強度を持つ壁となった。


 だが、そんな事を知らない黄巾党の兵達は自分達が攻めている城は得体の知れない力で守られている城だと分かり戦慄した。


 其処に矢が飛んできて倒れていく。


 矢が飛んでくる事と自分達が攻撃している物の得体の知れなさに、兵達は錯乱状態となった。


 それを見た大方達が後退を指示したが、最早収拾がつかない状態となっていた。


 多大な犠牲を出したが後退が出来た。だが、生き残った者達の士気は低下した。


 中には逃げだす者も現れだした。それで低い士気が更に下がった。


「腰抜けが。此処で退けば、敵は待ってましたと言わんばかりに我らの背を攻撃してくるであろうがっ。此処は徹底交戦だ‼」


 そう唱える一人の大方。


 だが、その考えは間違っていた。


 防衛には成功している曹昂達ではあったが、それも何とか防衛できているだけで敵が撤退しても追撃する余裕など無かった。


 更に言えばこの県城にも、弱点はあった。


 それは地下からの攻撃だ。


 曹昂は城壁と城門の防衛をすれば良いと思い、地下に対する備えなどはしていなかった。


 なので、もし敵の中に少しでも兵法に通じる者が居れば地下から攻撃しようと言っただろう。


 だが、此処に居る大方達は兵法など知らない。


 地下から攻めるという考えすら思いつかなかった。


「馬鹿め。あの城は妖術により不落なのだぞ。落とせる訳が無かろうがっ」


「此処で敗退すれば、各地で戦っている同志達に何と言うつもりだ⁉」


 あくまで交戦を唱える大方達。


 それは此処で後退すれば、自分達が敗戦の責を取らされるのが嫌だったからだ。


「ええい。この分からず屋め。そんなに戦いたいのであれば、お前達だけ戦え。私は汝南に退く」


「私も」


 撤退を唱える大方達は汝南に退くと言って、天幕から出て行こうとしたが。


「待て‼」


「何だ? まだ、何かあるのか?」


「貴様ら、どうしてそこまで後退したいのだ?」


「こんな戦況で何を言っている?」


「さては、貴様ら、敵と内通しているな‼」


「何を馬鹿な事を」


「ええい、五月蠅い。敵に内通した裏切り者め。此処で斬って捨ててくれる‼」


 交戦を唱える大方の一人が剣を抜いて出て行こうとする大方達に斬り掛かる。


「ぎゃあああっ」


 撤退を唱えた大方の一人が斬られた。


「なんとっ」


 同僚が倒れるのを見て、もう一人の大方は驚きの声を上げる。


 交戦を唱えたもう一人の大方は突然のことで言葉を失う。


「お前も逝けっ」


 血で濡れた剣を振りかざす大方。


 それを見て撤退を唱えた大方は慌てて天幕から出る。


「乱心者だ‼ 斬って捨てろ‼」


「其奴は裏切り者だ。其奴を殺せ‼」


 大方達は声を大にして叫んだ。


 その声を聞いた兵達は戸惑った。


 どちらの言葉に従うべきかどうか。


 そんな訳が分からない状態で交戦を唱えた大方が傍に居る兵を斬る。


「ぎゃあっ」


「我が命に従わなければ裏切り者だ。裏切り者は殺せ‼」


「見よ。味方を斬るあの者こそ乱心者だ。あやつを殺せ‼」


 兵が斬られるのを見て、撤退を唱えた大方が剣を抜いて今、兵を斬った大方に切っ先を向ける。


 仲間が殺されるのを見て、兵達はようやく動き出した。


 先程まで行動を共にした仲間を敵にするという愚かな行動を。



 黄巾党が内輪揉めをした翌日の朝。



 時刻は辰三つ刻約午前8時半の譙県城の城壁。


 櫓に居る守備兵が周辺を警戒していた。


 もし見逃す様な事をすれば、自分達の生命に係わる故に少しも気が抜けなかった。


「どうだ? 異常は無いか?」


 其処に夏候惇が籠を持ってやって来た。


「あっ、はい。今のところ、何もありません。元譲様」


「そうか」


 夏候惇はそう言って籠に手を入れて中にある物を取り出す。


 それは何かの棒状の物で出来立てなのか、ほのかに湯気が出ていた。


 夏候惇はその棒状の物を口の中に入れると、噛み砕く。


 その棒状の物はパキュっという音を立てて噛まれた所から脂を含んだ透明な液体を噴出する。


 口の中に入れた物を夏候惇は咀嚼する。


 噛む度にその物から美味しい汁を出していく。


 夏候惇が持っている棒状の物から美味しい匂いが辺りに漂わせる。


 その匂いを嗅いだ兵達は思わず生唾を飲み込んだ。


「差し入れだ。食べて良いぞ」


「あ、ありがとうございますっ」


 夏候惇が籠を突き出すと兵士の一人がその籠を受け取り、他の者達に渡す。


 渡された者達はその棒状の物が何なのか聞かずに口の中に入れる。


「「「・・・・・・うめえっ」」」


 夏候惇が食べたので毒は入っていないので安心して食べたが、そして実際に食べてみると思っていたよりも美味しいので驚く兵士達。


「うめええ、噛む度に美味しい汁が出てくるし噛み応えが良いっ」


「だなっ。それに肉なんだけど、何か全然臭くねえ。肉を食うと、何か獣臭い感じがする筈なのに、全然しねえっ」


「うめえ、うめえ・・・・・・」


 初めて食べる物で美味しいので驚く兵達。


「元譲様。これは何ですか?」


「ああ、確か昂は香腸とか言っていたな」


 夏候惇は何と言う名前の食べ物であったか思い出しながら口に出す。


 この香腸というのは現代で言うソーセージの事だ。


 曹昂が干し肉だけでは飽きるだろうと言う事で、城の豚舎にある豚を何頭か屠殺してバラ肉の部位を叩いて挽き肉にして塩と様々な香辛料を使って動物の腸に詰め込んで燻製にして、その後茹でたものだ。


 使われた香辛料は丁香クローブ肉桂シナモン、花椒、生姜、陳皮(柑橘類の皮を乾燥させた物)だ。


 この時代でも香辛料は存在する。中でも丁香は官吏が皇帝に奏上する際に口臭消しとして使われていた。


 とは言え、殆どの香辛料は香を焚く時に使う香料か化粧品に使われていた。


 それを知った曹昂は、この時代で手に入る香辛料を手に入れて料理に試した。


 そうして様々な料理が出来た。この香腸もその一つだ。


「うめええ、こんなに美味い食べ物初めて食べたぜっ」


「曹家の若君に感謝だな」


「全くだ」


「そう言えば、今回の防衛に使われた兵器は全部その若君が設計したって話だぜ」


「すげえな。まだ九つだろう?」


「ああいうの、神童って言うんだろうな」


 兵士達は香腸を食べながら曹昂について話をしていた。


 そうして、話をしていると食べ終わった兵の一人が集団が向かって来るのを見た。


「何だ? ありゃ?」


「どうした?」


 兵の一人が何かを見つけたが困惑していた。夏候惇がその兵の様子が気になり見ている所を見る。


「? 何だ。あれは?」


 夏候惇も兵と同じ物を見て同じ反応をした。


 夏候惇達が見ている先には、集団がいた。


 皆、黄色い布を頭に巻いているので黄巾党の者達なのは分かる。


 だが、それなら戦闘態勢を取っている。


 しかし、向かって来る黄巾党の兵達は皆傷つきとても戦闘が出来る状態ではなかった。


 それなのにこの城に向かって来るので意味が分からなかった。


「どういう事だ?」


「さぁ、あっしにはさっぱりです」


「・・・・・・兎も角、銅鑼を鳴らせ。寝ている者達を叩き起こせっ」


 夏候惇がそう指示すると、兵達は直ぐに銅鑼を鳴らしに行くか、防戦する為に弩に弦を張りだした。


 銅鑼の音を聞いて食事をしていた者達は手を止めるか口の中に無理矢理入れて戦闘準備に掛かった。



 銅鑼の音が聞こえてきて、兵達は戦闘準備を慌てて整えた。


 そのお蔭で黄巾党の兵達が城門近くに来るまでに、何とか兵は配置に付き兵器を動かす準備が出来た。


「他の門の状況は?」


 今日は南門を守備している夏候惇が他の門がどんな状態なのか聞きに行かせて帰って来た者に訊ねた。


「それが、他の門には。黄巾党の兵達の姿は無いそうです」


「なに?」


 夏候惇は訝しんだ。


 昨日まで全門を包囲して、この城を落さんとばかりに攻めた黄巾党が南門にしか姿を見せていない。


 これは何かの罠かと夏候惇は思った。


 そんな中で黄巾党の集団から一人出て来た。


 兵達は弩を構えるが、夏候惇が手で制した。


 何故なら、その兵は白旗を持って手に何かの布を持っていたからだ。


 その黄巾党の兵が城門から十歩ほど離れた所で止まり膝をつく。


「どうか、我等に慈悲を‼」


 黄巾党の兵はそう言って旗を持ったまま布を掲げる。


「・・・・・・誰か取りに行けっ」


 夏候惇がそう言って、布を取りに行かせた。


 固く閉じられた城門が少しだけ開き、其処から兵士が出て来てその布を受け取る。


 布を受け取った兵が城壁まで来て夏候惇に布を見せる。


 ボロボロな上に墨が無かったのか、血で字が書かれていた。


「・・・・・・」


 夏候惇はその布をジッと見る。


「元譲様。布には何と書かれているのですか?」


「・・・・・奴等、投降を求めてきおった」


 布を見た夏候惇はポツリと言った。


 すると、兵達はどよめきだした。

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