袁兄弟の確執を知る

 翌日。


 曹家の屋敷にある曹昂の部屋。


 曹昂はローマ字で書かれていた本を製作している所であった。


「・・・・・・これで良し」


 昨日、父である曹操が製作所で見た蜂蜜と水飴の他にも、戦に使う陣形、武器等を書いた本を作った。


 これで何時曹操がその本を読みたいと言っても大丈夫だと思いながら一息ついた。


「さて、これからどうしようか」


 今日の分の勉強を終えているので、何もする事が無い。


 なので、屋敷を出て外で遊ぼうかと思ったが。


『昂よ。居るか?』


 戸を叩くと同時に声を掛けられた。


「その声は父上ですか?」


『うむ。準備は終わったか?』


「準備?」


 何の事を言っているんだろうと首を傾げる曹昂。


『今日はお前が作った私兵を見に行くと言ったであろうが。忘れたか?』


 言われてみれば帰り際にそんな事を言っていたと思い出す曹昂。


「はい。分かりました。少しお待ちを」


 そう答えて、作っていた本を本棚に仕舞い着ている服を正して戸を開けた。


「遅いぞ」


「申し訳ありません」


 部屋を出るなり、文句を言う曹操。


 今日、行くとは言っていたが時刻まで言ってなかったと言える。


 しかし、言っても改める事はしない父であるから無駄だと思い何も言わない事にした曹昂。


「まぁ良い。行くぞ」


 曹操は曹昂を連れて厩舎へと向かう。




 使用人に命じて厩舎から馬を出して、屋敷の前で停めさせた。


 馬が来るとその背に乗る曹操。


(この時代、移動手段は馬だからか。様になっているな)


 曹操が馬に乗る姿を見て格好良いと思いながら見ていた。


「ほれ、昂。お前も乗るが良い」


 そう言って、曹操は手を伸ばして曹昂の手を取り使用人の手を貸りて自分の前に乗せる。


 屋敷を出ようとしたら、其処に丁薔がやって来た。


「旦那様。昂を連れてどちらに?」


「うむ。偶には遠乗りでもしようと思ってな。此処の所、息子の相手をしていなかったからな」


「まぁ、珍しい」


 丁薔は目をパチクリさせながら言う。


 その態度は、まるで、もう息子と自分の事はどうでも良いと思っているのだろうと言っている様であった。


「自分の妻と子を蔑ろにする訳なかろう。では、少し出る」


 曹操はそう言って、供は誰も連れずに馬を歩かせた。


 丁薔はその背を見えなくなるまでその場で留まり、見えなくなると安堵しながら屋敷へと戻った。




 屋敷を出て、少し歩かせていると。


「ふぅ、しかし、息子と一緒に馬に乗るというのも悪くないのぅ」


「そうですね」


 振動に揺られながら、父に背を預ける曹昂。


 曹操は小柄の方なのだが、曹昂がまだ幼いからか曹操が大きく感じた。


 温もりを感じつつ訊ねた。


「父上」


「何だ?」


「その内、卞夫人にも子供が出来るでしょうか?」


「分からん。出来る時は出来る。出来ない時は出来ないからな。だが、昂よ」


「はい」


「妹でも弟でもどちらが出来たとしても、喧嘩するでないぞ」


「はい。父上」


 前世では弟も妹も居なかった。なので、どちらも欲しかった。


 曹鑠は死んでしまったので、次に生まれて来る弟はもっと面倒を見ようと思う曹昂。


(曹操の息子だから、次に出来るのは曹丕か)


 色々と問題はあるが仲良くしようと決める。


「私も息子同士が喧嘩するところを見るのは心が痛むからな。本初と公路の喧嘩を見ていると、つくづく実感するぞ」


 その名前を聞いて顔を動かす曹昂。


「誰ですか? その人達は?」


 本当は知っているが、聞いて知った方が良いと思い訊ねた。


「ああ、二人共、友人だ。本初は名を袁紹と言い、公路は名を袁術と言うのだ」


「袁と言うと汝南袁氏の方達ですか?」


「そうだ。よく勉強しているな」


「四代に渡って三公を輩出した名門と教わりました」


 三公とは司徒、太尉、司空の官職の事を言う。


 司徒は行政を。太尉は軍事を。司空は政策立案を司っている役職だ。


「うむ。そうだ。本初達は今、洛陽にてそれぞれの役職で働いている。お前が洛陽に行く事があったら紹介しよう」


「はい。で、その御二人は仲が悪いのですか?」


「そうだ。何せ、生まれも関係しているからな」


 困ったものだと言わんばかりに、溜め息を付く曹操。


「本初は私よりも五つ年上であったが、孟卓の紹介で親しくなったのだ。ああ、孟卓は名を張邈と言うのだ。私の親友だ」


 それは、知っているという意味で頷く曹昂。


「で、公路とは本初から紹介されて知り合ったのだ」


「そうなんですか。本初様と公路様は仲が悪いのですか?」


「うむ。顔を合わせると嫌味の言い合いから始まり、誰かが止めないと取っ組み合いの喧嘩になるぐらい仲が悪い」


「どうして、そんなに仲が悪いんですか?」


「本初の出自だな。あ奴の父で名を袁逢。字を周陽という人なのだが、正室とは別に側室が居てな。この側室と言うのが元は婢女であったので、それほど身分は高くなくてな。しかも、その母親も本初を生んだ後に直ぐに亡くなったそうだ。それで正室が本初を養育したのだが。一年後に公路が生まれたのだ」


 曹操の説明を聞きながら、曹昂はふむふむと頷いた。


(袁紹の母親に関しては記述は色々とあったけど、婢女だったんだ。で、袁術は腹違いの弟なんだ)


 前世で読んだ本だと、袁成という人物が袁紹の父親だとか。母親は奴婢だったとか。袁術は従弟だったとか色々な説があった。 


 こうして昔の事を知る事が出来るのは悪くないと思う曹昂。


「二人は成長して青年になる頃には、もう仲が悪かったそうだ。袁逢殿が誰を自分の後継者にしようか悩んだのもあるだろうがな」


 片や婢女が産んだ庶長子の袁紹。


 片や正室が産んだ嫡子の袁術。


 悩むのは、仕方がないと思えた。


「そんな時に袁逢殿の弟である袁隗。字を次陽と言ってな。その方の子供が病死してな。急遽跡継ぎが必要になったのだ。其処で選ばれたのが本初だ」


「はぁ、庶長子だからですか?」


「であろうな。本初はそれに従い次陽殿の養子となったのだ」


「それで解決したのですか?」


「其処からが大変でな。本初が次陽殿の養子になって直ぐに袁逢殿が亡くなってな。その葬儀の席で公路と揉めたのだ」


「揉めたのですか?」


「ああ、本初は『父の葬儀なのだから、長子である自分が葬儀を取り仕切る』と言い、公路は『養子になった者が父の葬儀を取り仕切るなどあってはならない』と言って喧嘩になったのだ」


 この時代この国では、儒教が浸透していた。


 なので、子が親の葬儀の喪主を務めるのは、孝として正しい行いとされていた。


 仲が悪い異母兄弟が喪主で揉めるのは無理もないと言えたが、それで揉めている時点でこれは修復不可能だなと思う曹昂。


「結局、葬儀は袁逢殿の夫人が取り仕切ったのだが、そのすぐ後にその夫人も亡くなって、その葬儀でも揉めたそうだ」


「でしょうね」


 父親の葬儀を取り仕切って揉めたのだ。母親の葬儀も揉めたのだろうと容易に想像できた曹昂。


 修復不可能を通り越して、犬猿の仲になったなと思った。


 馬を歩かせていると、道の途中で馬に乗った卞蓮が居た。


「待たせたか?」


「それほど待ってないから問題無いわ。旦那様」


 卞蓮が笑顔を浮かべる。


 曹昂は卞蓮を見て、どうして誰もお供に付けなかったのか分かった。


 勿論、これから向かう場所を誰にも知られない為でもあるだろう。しかし、そんな事は途中まで連れて行き、適当な理由を言って離れさせれば良いだけだ。


 それをしなかったのは、曹操が卞蓮と合流する所を見られたくなかったからだろう。


 もし連れて来たら、その使用人の口から丁薔に伝わると思ったからだろう。


「母上も悪い人ではないのですけどね」


「そうだな。少々、気位が高いのが玉に瑕だな」


 曹昂が溜め息を吐きながらそう言うのを聞いて、曹操も同意とばかりに溜め息を吐きながら答えた。


 それを訊いた卞蓮は、愉快そうに笑う。


「二人共、やっぱり親子ね。溜め息を吐く顔がそっくりだわ」


 卞蓮にそう言われて、曹昂と曹操は顔を見合わせる。


 お互い、そんなに似ているのか?と言いたげな顔をしていた。


「私はあの人の事は嫌いじゃないわよ。正室が側室を嫌うのは普通だし、それに」


「「それに?」」


「あの人。私達が洛陽に居る時に偶に服の生地を送って来たのよ。一緒に添えられた手紙には『旦那様の服を作るのに使いなさい。余れば売るなり何かを作るなり、お好きに』って書いてあったんだけど、その生地は明らかに二人分あったのよ」


 服を作る生地が二人分ある。


 それを訊いた曹操達は直ぐにどういう意味か分かった。


「それはつまりあれか? 私の分だけではなくお前の分の服も作って良いという事か?」


「そうでしょうね。一度、確認の為に『余った生地で私の分の服を作りました。宜しかったでしょうか?』っていう内容の手紙を送ったら、返信の手紙で『余ったのであればお好きに』っていう内容の手紙が送られて来たわ」


 卞蓮の話を聞いて曹昂は。


(素直じゃないな。母上)


 意外に意地っ張りな性格なのかもしれないと思った。


「彼奴らしいな」


 困った奴みたいな顔をする曹操。


 ほぼ別居している様なものだが、二人の仲は悪くないんだなと思う曹昂。


「さて、そろそろ向かうか」


「ええ」


 曹操がそう言って馬を歩かせた。卞夫人もその後に続いた。




 三人は昨日通った三叉路に来た。


 昨日は右の道を通ったので、今日は左の道を通る三人。


 その道すがら、隣で並走する卞蓮が曹昂に話しかけて来た。


「ねぇ、昂」


「何ですか?」


「昨日話した化粧品はまだ出来ないの?」


「ああ、すいません。まだこれに関しては手探りでして」


 蜜蝋で化粧品が出来るので試行錯誤の結果、凝乳状の化粧品を作る事は出来た。


 だが、これが意外に難しい。


 蜜蝋に入れる油を探すのに手間がかかっている。


 精油の方ではなく、その精油を希釈させる方の油だ。


 精油だけで作ると成分が強いからか肌が荒れる。それを薄める為に試行錯誤して、見つけたのが葡萄の種から取った油だ。


 現代ではグレープシードオイルとも言われる物だ。


 葡萄は紀元前二世紀にはこの国に入ってきているので、作れない事はないがその葡萄の栽培が大変であった。


 曹昂が居る所では栽培できる土地が確保できなかったので、馬車の時に世話をした衛大人の土地で栽培して貰っている。


 栽培には手間がかかっている様で、未だに大量に生産出来ていない。


「今暫く、お待ち下さい」


「まぁ良いわ。その代わり分けて頂戴ね。・・・・・・じゃないと」


 目を光らせる卞蓮。


「も、勿論です」


 曹昂は頭を上下に激しく動かした。


 あげないと、どんな目に遭うか分からないので曹昂は完成したらあげると約束する。


 それを訊いて安堵したのか笑顔を浮かべる卞蓮。


 そう話していると、木で出来た柵が見えた。


 その柵の前には見張りが二人程立っていた。


 曹操達が近付くと、見張り達は警戒したが近付くに連れて来ている者達の中に曹昂の姿が見えたので警戒を解いた。


「「若君。お疲れ様です」」


 見張りの二人は馬上の曹昂に一礼をする。


 曹昂も返礼を込めて一礼する。


「若君。そちらの方々は?」


「父とその側室の卞夫人だよ」


 曹昂が紹介すると、見張り達は一礼する。


「楽にせよ。今日は視察に来ただけだ。なぁ、息子よ」


「ええ、まぁ。そうですね」


 本来は連れて来る予定ではなかっだけどと思う曹昂。


「そうでしたか。中で公劉殿が指導しております。其処までご案内します」


「じゃあ、お願いします」


「うむ」


 曹昂は礼儀正しく、曹操は鷹揚に答えて見張りの一人に案内されながら曹操達は柵の中に入って行った。


 


 柵の中に入ると、私兵の指導を見る曹操。


(・・・・・これは、驚いた)


 曹操は顔にこそ出さなかったが、内心は驚きで満ちていた。


 昨日言った製造所は色々な物を作ってはいたが、大秦の技術書を曹昂が解読してそれでこちらの国でも出来る様に応用したものだと分かった。


 今日来たこの私兵の駐屯地ではその製造所で出来た金で募っただけの者達で集められているだけだと思っていた。


 なので、教練などは形だけで槍を構えて突き出す訓練や馬に乗って乗りこなす程度の訓練しかしないと思っていた。


 だが、目の前に広がる訓練光景を見て衝撃を受けた。


「一番隊。騎乗斉射!」


 騎乗してる者達の弓がこちらの国で使っている弓よりも幾分か短い。


 的は横一列に並べられており、騎乗している者達はその的に向かって矢を放っていた。


 狙い違わず、放たれた矢は的に当たっていた。


「「「おおおおおおおっっっ‼‼‼」」」


 別の所では馬と騎乗している者達に鎧を着用させて手には戟を持ち、一列になって鎧を付けた藁人形に向かって喊声をあげながら突撃していた。戟が鎧ごと藁人形を貫いてもそのまま駆けさせていた。


 少し離れた所では弩の的当てをしていた。


 よく見ると、その弩は普通の弩と少し違っていた。引き金の機構である機の他にも取っ手の様な物が付けられていた。


「放てええぇ」


 指導する者がそう号すると弩を持った者達が引き金を引いて矢を放つ。


 その後で、弩を持った者達は矢を弩の台に装填し、取っ手を掴むとそれぞれ別々な行動を取った。


 ある者は取っ手を回す事で弦を引いていく。


 ある者は取っ手を引っ張る事で容易に弦を引っ張った。


 曹操の中では弩は矢を台に装填すると弦は手で引っ張る物と思っていた。


 だが、今目の前にある弩を見ると弦を様々な形の取っ手で引っ張っていた。


 それでいて、威力は問題無かった。


(これは弩も機構も工夫されているな。それにしても、弓よりも弩の方が多いようだな)


 そう思い騎兵を見た。


 そして、気付いた。戟を持っている騎兵にも短い弓で騎射をしていた騎兵にも鞍の両脇に下げられている物があった。


 それを見て、曹操が注視していると。


「父上? どうかしましたか?」


 ふと曹昂に声を掛けられて我に返る曹操。


「いや、何でもない」


 内心では幾つも聞きたい事はあったが、とりあえず公劉という者が来てから話を聞こうと思う曹操。


 曹操達が馬から降りて人に預けると、丁度良い時に男性がやって来た。


 年齢は四十代で怖い頬髯を蓄えた男性がやって来た。


 身長は曹操よりも高く八尺約一八〇センチはあった。


 服の上からでも分かる胸板の厚さと肩幅が広い。


 端正な顔立ちだが、目が鷹の様に鋭かった。


「若君。曹孟徳様。それとお連れの御方もよくぞお越しに」


 その男性は曹昂達に一礼した。


 曹昂達も返礼を込めて一礼した。


「昂。この者は?」


 曹操はこの男性が誰なのか曹昂に訊ねる。


「この人はこの私兵の長をしてもらっている。名を史渙。字を公劉という人です」


 曹昂がその男性の事を紹介すると、その名を聞いて曹操達はギョッとした。


 豫州沛郡でこの男性の名を知らぬ者は居ない。


 史渙。字を公劉。


 豫州沛郡内で著名な侠客であった。

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