第8話 国王
数日後の放課後、ルーファスがいつものようにジェレミーを教室まで迎えにくる。
今となっては見馴れた光景だが、保護者に迎えにこられたみたいで恥ずかしい。嫌ではないのだけど。
「殿下、ですからいちいち、いらっしゃらなくても、僕のほうから行きますから……」
注目が集まるのは正直、困る。
最近ではルーファス目当て(お近づきになりたいという純粋な想いを持った人はもちろん、王族と関係を持ちたいという計算高い奴まで含める)の生徒がやたらと、ジェレミーと接触をもちたがって困っているのだ。もちろん断っているが。
「こっちのほうが決まって授業が早く終わるから迎えにきている。それだけだ。それより」
ルーファスが右手を握ってくると、まるでそこに口づけを落とすのではないかという勢いで顔を寄せてくる。
「ちょ……!?」
教室に残っていた女子生徒が「キャー!」と黄色い声を上げるのを背中ごしに聞く。
「今日もつけてきているようだな」
「……はい。それはもう。お叱りは受けましたので」
誕生日の翌日、同じように匂いをかがれ、「どうしてあの香水をつけていないんだ」と叱責されたのだ。ジェレミーとしてはルーファスからのプレゼントなので大切な日につけると答えたが、「毎日つけて、習慣づけるんだ」と言われ、それ以来、香水をつけるようにしている。
「お叱りじゃない。あれはアドバイスだ」
「そうでした」
ルーファスと一緒に教室を離れる。
「今日、予定は?」
「特には。今日もクリスとのお茶会ですか?」
「突然で悪いが王宮に来てもらいたい」
「お、王宮……」
王太子との一件があるから、王宮にはあまり近づきたくない。
「……お茶会ですか?」
「今日は別件だ」
ルーファスは珍しく、歯切れが悪い。
「別件で、王宮? なんだか怖いですね」
「別に取って食われたりはしないから安心しろ。それで、来られるか? もし用事があるなら、別日でも構わない。急な話だから」
「大丈夫です。行きます」
別件という響きが少し不安にさせられるが、今のルーファスがジェレミーに害のあるようなことをするはずもない。
ジェレミーはルーファスと一緒に馬車に乗り込むと、王宮へ向かう。
※
(今日は王太子と鉢合わせませんように)
心の中で祈りつつ、馬車を降りる。ジェレミーはメイドに何かを伝えると、王宮の奥深くに向かう。
ときおり擦れ違う廷臣たちが、ルーファスに頭を下げ、その後ろで身を縮こまらせるジェレミーを物珍しげに眺める。
ジェレミーは緊張し、延伸たちと擦れ違うたびに頭を下げる。と、ルーファスは呆れたように息を吐き、
「そんなことをする必要ない。堂々としていろ」
と注意された。
「でも殿下と同じ立場ではないんですよ」
廷臣たちの中には、上級貴族出身者もいるのだ。
「お前は私の友だ。それに、兄上の取り巻きたちも廷臣たちのことは歯牙にもかけない」
「……あの人たちは傲慢すぎるんです。もしくは、虎の威を借る狐」
「ぷっ」
不意打ちを受けたようにルーファスが吹き出す。
「確かに。あいつらみたいになったら、お終いだな。でも不必要に卑屈になる必要もないだろ。最低限の礼儀さえあればそれでいい。それに、お前は今日、客人として来ていることを忘れるな」
そんな会話をしながら、豪壮な装飾のついた扉の前に立つ。
立派な鎧に身を包んだ二人の近衛騎士が警備についている。
ルーファスの姿に兵士の一人が部屋に入って行く。しばらくして初老の男が出て来た。
「ただいま陛下は宰相閣下とお話の最中ですので、しばらくお待ち下さい」
部屋に入ってすぐの小部屋に通されるが、ジェレミーは生きた心地がしない。
「殿下、今あの人、陛下って言ってませんでしたか……!」
「そうだ。これからお会いするのは父上だからな」
「そ、そんな話、さすがに聞いてませんよ……っ」
ジェレミーは泡を食ったように慌て、動揺せずにはいられない。
「陛下とお会いするならするでそうはっきり言ってくださいよぉ!」
「保安上の理由で父上の名前を大っぴらには出せないんだから、仕方ないだろう。それに、父上の名前を出しても会うことを快諾したか?」
「そ、それは……」
きっと無理だと断っていただろう。
「だから名前を出さなかった」
「ひええええ……」
ジェレミーは頭を抱えてしまう。
一体どんな用事で呼ばれたのだろう。
クリスのことだろうか。今はもう悪役王子は更正したとはいえ、過去やったことは消えない。
「安心しろ。叱責や処罰をするつもりならわざわざ父上が会おうとはしない」
「……た、確かにそうですよね」
前世はド庶民、現世は男爵家の次男坊という立場では、畏れ多すぎてもうどうしたらいいのか分からない。
「何か聞かれたら答え、それ以外にはにこにこしながら相づちを打っていればそれでいい」
「それが難しいんですよぉ……」
「情けない顔をみせるな。なにかあれば私が話をする」
そう言ってくれたお陰で、最初よりは落ち着くことができた。
しばらくして先程の初老の男性が現れ、「お二人とも、どうぞ」と奥の部屋へ案内してくれる。
部屋に入ってすぐルーファスは立ち止まり、左胸に右手を添え、深く腰を沈ませ最敬礼を取る。ジェレミーもそれに倣った。
「陛下におかれましてはご機嫌麗しく……」
「堅苦しい挨拶はなしだ。二人とも、立ちなさい」
国王アズレーミ三世は優しげに微笑む。
「今日は堅苦しい話をするつもりではないのだから」
国王はたしか四十代。ルーファスの父親だけあって、顔の彫りの深い渋めのイケメンだ。
(瓜二つの容姿……陛下が、殿下を可愛がる理由も分かる)
国王に促され、ジェレミーたちはソファーに腰かけた。すぐに侍従が紅茶と、お茶請けを持って来てくれる。しかしガチガチのジェレミーは紅茶にも手をつける心の余裕などなかった。
「どうしたんだ。ジェレミー。紅茶は嫌いか?」
国王が緊張をほぐそうと気安く声をかけてくれるが、逆効果だ。
「い、いいえ! そういうわけでは……」
ジェレミーは紅茶を飲む。しかし緊張のせいで味が全く分からない。
ルーファスが身を乗り出す。
「陛下、そろそろ本題を」
「そうだった。ジェレミー」
「は、はいっ」
背筋を伸ばすと、国王は微笑む。
「ルーファスの評判が良くなったこと、君の助言があればこそだと本人から聞いてね。礼を言いたかったのだ」
「いいえ、お礼なんて滅相もありません……」
自分の破滅を防ぎたかっただけだから、お礼なんて言われると気まずい。
「これまで君には息子のわがままにさんざん突き合わせ、色々苦労や面倒をかけたということも、つい最近知ったのだ。政務にかまけ、子どもの成長に気を配らなかった私の不徳だ」
「陛下はこの国の柱であらせられるのですから……目が届かなくても仕方ないですよ……」
「だからこそ、息子のそばに君のような者がいてくれることは幸運だ。ありがとう」
「もったいない御言葉でございます……!」
ジェレミーは頭をぺこぺこと下げる。
「何か欲しいものがあれば言うがいい」
「! いいえ、何もいりません。そもそも、助言と言っても、どうでもいいことばかりで。実際にご自分を顧みられて、態度を改められたのは、殿下なのですからっ!」
ジェレミーが恐縮すると、国王は微笑む。
「ルーファスの言う通りだ。ジェレミーは慎み深く、無欲のようだ」
「陛下。ジェレミーがどんな人間か、これでご理解いただけたかと思います、是非、同行を許可して頂ければと」
「うむ、そうだな。余も、ジェレミーは気に入ったぞ。いいだろう。許可しよう」
「ありがとうございます」
(同行の許可? 何の?)
話についていけなくなり、ジェレミーは戸惑う。
「あのぉ、何のお話をされているのでしょうか……?」
「私が陛下の名代として、王家直轄領の視察を命じられた。その話だ」
ルーファスは事も無げに言った。
「初耳ですが」
「今、話したからな。許可もおりていないのに話はできないだろう」
(昔の強引さが少し戻ってきてないか!?)
「そんな突然」
「悪かった。でも、これはお前にとっても悪い話ではない。将来、私の右腕として働いてもらう時のための予行演習とでも思って……」
「殿下、話が進みすぎです! 将来右腕として働くって言うのも初耳ですけど!?」
「嫌なのか?」
ルーファスは真剣な顔でじっと見つめてくる。
怒っているのではないけれど、不満が露わになっていた。
目力の強さに、目を反らしてしまう。
「……嫌ということではなくって。将来なんて考えたこともなかったので」
「だがお前は男爵家を継ぐことはできないだろう。我が国は分割相続が許されない。学校を卒業すれば、自活するか、それとも兄の家臣になるか、二つに一つだ」
そんな選択肢を提示されたら迷うことなく自活を選ぶ。あんな男に仕えるなんて、前世のブラック企業勤務と大差ない生活が待っているだけだ。
「ジェレミー、私は」
「ルーファス、落ち着きなさい。ジェレミー、身構える必要はない。視察と言っても領地を見て回るだけ。田舎で空気も美味しい。旅行気分で行ってくればいい。報告書もルーファスが書く。君がするのは細々とした補佐だけ」
「考えてみます。いつまでに答えれば?」
「出発は十日後。三日前までに答えを出してくれればいい。では、余はこれで失礼しよう。今日は細々とした用事が立て込んでいてな」
国王が立ち上がるのに合わせ、ジェレミーたちは立ち上がり、頭を下げて見送った。
二人きりになると、ルーファスが頭を下げてくる。
「さっきはすまなかった。焦りすぎた。許せ」
「いいえ。殿下が僕の将来を考えて仰ってくださったのも理解できますので」
そうか、とルーファスは安堵したように息を吐く。
「それから、視察の件ですが、僕でよければ同行します」
「もっと考えてもいいんだぞ。まだ日にちはある。私を気にしているのであればその心配は……」
「安心してください。そういうことで了承したわけじゃないんです。殿下から頼られるのは嬉しいですから」
それは素直な気持ちだ。
「……そうか。承諾してくれて嬉しい」
ルーファスは無邪気に笑う。
「!」
トクン、と小さく鼓動が弾んだ。
(視察の話は、作中では一切出てこなかった。これは殿下が変わったことで発生した新しいイベントってことでいいんだよな。今後もこういうイベントは起こるかもしれないから、馴れておいたほうがいいよな)
「馬車で送る」
部屋を出て回廊を歩いていると、第一王子ご一行と鉢合わせた。
「げ」
ジェレミーが小さく声を漏らす。その時、ルーファスが優しく手を握ってくれる。
「っ!?」
まるで心配するなというように。
手を握られたのは一瞬ですぐ離れたが、彼の手の大きさ、温かさが左手に残り、どぎまぎしてしまう。
ルーファスは前に一歩進み出て、頭を下げた。
「王太子殿下、ご機嫌麗しく」
「フン。また下らない茶会か?」
レイヴンの発言に合わせ、取り巻き達が嘲笑する。
しかしルーファスは口元に穏やかな笑みを浮かべたまま、動じない。
その余裕満々の表情が気に入らないのか、小馬鹿にしていたレイヴンの眉間に皺が寄る。
「なんだその顔はっ」
「陛下と拝謁しておりました」
「陛下と? なぜ陛下がお前なんかと……」
「視察の件です。私の視察に、ジェレミーも同行することになりまして。それを陛下にも認めて頂けたのです」
小馬鹿にするようにレイヴンが、口の端を歪めた。
「最近、猫をかぶるのがうまくなったみたいだな。おまけに視察の話が出るなり、まっさきに名乗りをあげる。まさか功績をあげて、王太子の座でも狙っているのか? アハハハ、諦めろ。下賤の血が混ざったお前ではどんな功績を挙げようと、無駄だぞ!」
(本当にこいつは! 嫌味を言わなきゃまともにしゃべれないのか!?)
ジェレミーが拳を握ると、ルーファスが横目で一瞥して、制してくる。
「……そのようなことは露ほども考えてはいません。王族の一人として務めを果たしたかっただけでございます。大切な王領ですから」
「そうだな。いずれは私の物になる領地だ。せいぜいこれ以上、王家の恥にならないよう頑張れ」
「殿下。これ以上、汚れるところがないくらい、あいつの面は汚れてますよ」
取り巻きがこれみよがしに言った。
「違いないな!」
「王太子殿下にご心配いただき光栄でございます。しっかり視察の任を務めあげてまいります」
「行くぞ」
レイヴンは取り巻きたちに告げると、去って行った。
「……相変わらずな人たちですね」
ジェレミーは吐き捨てるように言った。
あんな男が将来の国王なんて、この国の将来は暗い。
「構うだけ時間の無駄だ」
ルーファスは冷ややかに呟くと、歩き出した。
その冷めた表情は、王太子のことを心底どうでもいいと思っているようだった。
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