第4話 お茶会
放課後。ルーファスと合流したジェレミーは、一年生の教室に顔を出す。
クリスは教科書を鞄につめているところだ。
他の生徒たちとは違って、クリスには誰も話しかけるそぶりもなく、避けられているようにも見えてしまう。
(……そういえばクリスはクラスで孤立してるんだよな)
原因はラインハルトだ。
ラインハルトが、クリスが同級生から出自のせいでいじめられている現場に出くわし、脅しつけて、やめさせたのだ。
そのせいでいじめとは直接関わり合いのない生徒にまで遠巻きにされてしまった。
ラインハルトの存在はクリスを救うと同時に、孤立させてしまっていた。
クリスがジェレミーたちに気付く。
他の生徒たちもルーファスの姿に、こそこそと囁きあう。
どうやら悪役王子の噂はすでに今年の新入生の間にも広がっているらしい。
「先輩方、どうされたんですか?」
ルーファスが咳払いをした。
「クリス、今日はこれから予定があるか?」
昼休みのアドバイス通り、ルーファスは柔らかな笑顔と友に、丁寧な物腰で尋ねる。
「家に帰るだけですけど」
「それなら、私とお茶でもどうだ。王宮へ招待しよう」
「本当ですか!?」
クリスは無邪気に目を輝かせた。
うーん、純粋だ。何も知らない人が見ればあざとく見えなくもないが、クリスにとってこれは素である。
「――おい、またクリスに何か仕掛けようとしてんのかッ」
「!」
背後から聞こえる獰猛な獣の唸り声に、全身の鳥肌が立つ。振り返らなくても分かる。
ラインハルトだ。
それだけでジェレミーは生きた心地がしない。
一方、ルーファスは落ち着いたもの。
「人聞きの悪いことを言うな。私は純粋に、クリスをお茶に招待したまでだ」
「どうせ茶に睡眠薬でもしこんで手籠めにでもしようと思ってるんだろうが」
「まさか。そんなこと考えたことない」
原作では、しようとしました。そしてルーファスは、ラインハルトに思いっきりぶん殴られた。
「それともわざと熱い茶を自分にこぼし、罪悪感を抱かせ、無理矢理、自分に縛り付けようとでも考えてるのかっ?」
「あまりに下卑た想像力だ。これだから、こうしゃ……コホン……とにかく、私はあくまで、クリスとお茶を楽しみたいだけだ。もし心配ならお前も一緒に来ればいい」
「……なにを考えてる」
ラインハルトはさすがに警戒心を露わにしている。
これまで散々ろくでもないことをし、無理矢理クリスを自分のものにしようとしていたルーファスが、あまりにらしくない行動に出たのだ。戸惑い、疑って当然だ。
「何も。ただお茶をして世間話をしたいと思ってるだけだ」
「ルーファス先輩、ラインも一緒にいいですか?」
「……構わない」
最初の打ち合わせ通り、ルーファスはあっさりと受け入れる。
「良かった。ありがとうございます。ね、一緒に行ってもいいって言ってるんだよ。これで悪いことを考えてるはずないよ」
クリスは朗らかだ。愛するクリスにこう言われ、ラインハルトが抗えるはずもない。
「分かった。だけど、何かがあったらすぐに帰るぞ」
こうしてジュレミーたちは、ルーファスと一緒に王宮へ向かうことになった。
王宮に到着すると、ルーファスは自分付きの侍従にすぐにお茶の支度を命じる。
「せっかく天気がいいのだから、庭で飲もう」
ルーファスは庭でお茶を飲むとメイドに伝える。
その時もあくまで柔らかな物腰。
普段そんな風に頼まれたことがないせいか、メイドは戸惑っているようだった。
(やればできるじゃん!)
見直した。
王宮の見事な庭園を眺められる場所にテーブルセットと日除けのパラソル、お茶の支度が調えられた。
「お茶の前に一言いいたいことがある」
ルーファスは立ち上がると、ラインハルトが手の中に小さな炎を生み出し、身構えた。
(何を言おうとしてるんですかっ?)
ジュレミーは予想外の行動にドキドキである。
「クリス。君にした無礼の数々を謝りたい。申し訳ない。許して欲しい」
ルーファスはぺこりと頭をさげた。
(あ、あのプライドの塊が頭を下げて謝った……!?)
ただただ唖然。それはラインハルトも同じ。
クリスはと言うと、ニコニコしている。
「いいんです。先輩にも色々と事情がおありだったんだろうと思います。でもこれからはこうして仲良くしてくださるんですよね?」
「そう思ってくれて構わない」
ルーファスは口元がむずむずしているのか、頻りに舐めている。必死に喜びを冷製の仮面で押さつけているのだ。
ルーファスは座ると、世間話をはじめる。
「クリス、学校にはもう馴れたか?」
「まだ完全には……。でもそのうち、馴れると思います」
「まだ入学して二ヶ月だからな。親しい友人はできたか?」
「……それはまだ。でもラインもいてくれますし、寂しくありません」
ラインハルトは名前を出され、目尻を緩め、頬を赤らめた。
(大柄な狂犬ヒーローが照れるとか、ごちそうさまです……!)
「――珍しいこともあるものだな」
その声に、クリスの話を嬉しそうに聞いていたルーファスの笑顔が強張る。
取り巻きたちと一緒に現れたのは、ルーファスより短い髪のブロンドに、琥珀色の瞳を持つ男。
ルーファスに目元が似ているが、男ぶりはかなり劣る。
この国の王太子、レイヴン・ウラヌス・サドキエル。ルーファスの異母兄だ。
作中では最終的に、ルーファスの断罪を喜び、国を救ったクリスを賞賛。
王国全体がクリスの力を認めるきっかけを作った、立派な王太子として描かれている。
しかし今こうしてルーファスに向ける眼差しには、明らかな嘲笑が浮かび、立派な人物にはとても見えない。
ルーファスは立ち上がる。ラインハルトも空気を察してかクリスを促して立ち上がる。
一拍遅れて、ジェレミーもそれに続いて頭を下げた。
「兄上」
「兄? 誰のことだ。おい、分かるか? こんな卑しい男と血を分けた人間が、この中にいるのか?」
レイヴンは取り巻きたちに話を振り、彼らは「さあ、分かりません」とあざ笑いながら、肩をすくめる。
「王太子殿下」
ルーファスは言い直した。
レイヴンは不愉快そうに花にシワを寄せ、ジェレミーを見る。
「まだその下らない男爵家の次男と付き合っているのか。ま、王家の面汚しのお前にはぴったりな取り巻きだな」
レイヴンの取り巻きたちが一緒になって笑う。
「僭越ながら王太子殿下。第二王子殿下はこれから変わっていきます」
面汚しだなんてあまりにひどい言葉だ。ジェレミーは反発してしまう。
無論、悪役王子としての行動は問題があるが、仮にも血の繋がったルーファスにそんなひどい言葉を平然とかけられるなんて信じられない。
そもそもそういう周囲の目が、ルーファスの性格を歪めた一因だというのに。
「……おい、誰が口をきいていいと言った?」
「無礼者!」
「男爵家風情がっ!」
取り巻きたちが口々に声を上げ、そのうちの一人が近づいて来る。
目尻に泣きぼくろのついた女性にモテそうな甘い顔立ちの、青い髪の男。
指に金色の指輪をはめている。
年齢は二十代前半ほどだろうか。
そんなものを身につけているなんて成金趣味というか、下品な奴だ。
そう思ったのも束の間、「頭が高いんだよ!」男はジェレミーは乱暴な口調とともに思いっきり突き飛ばしてくる。
ジェレミーの体がぶつかった拍子にテーブルがひっくり返り、紅茶が服を濡らす。
「ぐぁ……」
熱さに顔を歪めてしまう。
「アハハハハ! ようやく、らしい格好になったんじゃないか! そっちのほうがお似合いだよ!」
レイヴンと取り巻きたちが声をあげて笑う。
ルーファスは、ジェレミーに寄り添い、頭を下げた。
「申し訳ありません。王太子殿下。全て私の日頃からの教育不足です。どうか、ここは私に免じて……」
「免じて? ゴミがゴミをかばうとは。ま、許してやる。今日は機嫌がいいからな。じゃ、お茶会、楽しめよ。お茶は淹れなおさなきゃならないがな!」
レイヴンたちは笑いながら立ち去った。
(なんなんだよ、あいつら! 原作と違い過ぎないか、王太子は!)
どこが立派なんだ。
「……すまない、二人とも。せっかく来てくれたのに申し訳ないが……」
「行こう、クリス」
「でも」
「俺たちがいては邪魔になる」
「わ、分かりました。ジェレミー先輩」
「僕は平気だから」
「……はい」
ラインハルトは、クリスの肩に手を置いて促す。
ルーファスはメイドに二人を送るよう命じると、「立てるか?」と聞いてくる。
「はい」
ルーファスはジェレミーに手を引かれ、部屋に戻る。
その途中、メイドに侍医を呼ぶよう命じた。
「……すみません。僕が余計なことを言ったばっかりに」
「どうでもいい。服を脱げ。熱湯を浴びたんだ」
昂奮が冷めていくと、たしかに制服が吸った熱の存在感が大きくなる。
上半身裸になると、肌が真っ赤になり、水ぶくれができて痛々しい。
「ひどいな」
「見た目ほどでは。ヒリヒリはしますけど」
メイドが持って来たタオルで、ルーファスが体を拭ってくれる。
「じ、自分でできます」
「お前は……ただの取り巻きではない。私は友だと思ってる。だから黙って従え。私がこんなことをしてやるなんて滅多にないんだから」
ルーファスはうっすらと頬を赤らめ、恥ずかしそうに呟く。
「ありがとうございます」
「私を庇ったせいで怪我をしたも同然なんだ。何かしたいと思うのは当然だろう。本来なら、私が守るべきだったのに……動けなかった」
どこか切なさを含んだ表情に、鼓動が高鳴り、耳が火照る。
「……分かりました」
「腕をあげろ」
脇を拭われると、くすぐったい。
「……ありがとうございます」
「それにしても、どうしてあんな余計なことを言ったんだ。ただ目を伏せて、嵐が過ぎ去るのを待てば良かったのに」
「余計じゃありません。面汚しだなんて、いくらなんでも言い過ぎです。王太子だからって言っていいことと悪いことがあるでしょう。もちろん、これまでのクリスへの接し方に問題があったことは確かですけど……」
そこへ侍医がやってきて、火傷した場所に回復魔法をほどこしてくれた。
回復魔法を使える魔導士は貴重で、伯爵以上の高位貴族でなければ、身近にはおけない。
(すごい……本当に魔法の世界なんだ)
傷がみるみる治っていくのを、他人事みたいに眺める。
さらに濡れた制服をメイドが魔法で乾かしてくれる。
「助かりました。それじゃ、僕はそろそろ。今日は残念でしたけど、懲りずにまたクリスを誘いましょう!」
「そうだな。家まで送る」
ルーファスは先に立って歩き出す。
「そんな。子どもじゃないんだから一人で帰れますよ」
「黙って従え」
「……う、はい」
馬車で自宅まで送ってもらう。
「わざわざありがとうございます」
ジェレミーは馬車から降りると、頭を下げた。
「おい! こんな時間まで何してたっ!」
バルセットが門扉の向こうから現れた。
(うるさいな……。こんな時間ってまだ六時をちょっと回ったくらいじゃないか)
令嬢ならいざ知らず、令息相手に怒りすぎだ。
(ただ怒鳴りたいだけだろうけど)
バルセットが馬車の中にいたルーファスに気付く。
その傲慢な顔がかすかに引き攣る。
「……で、殿下」
「久しぶりだな、バルセット。ジェレミーの帰宅が遅くなったのは私の責任だ。だから、そんなに声を荒げるな。馬鹿だと思われるぞ」
「……も、申し訳ありません」
(怯えてる……?)
バルセットの反応に困惑しているうちに、兄はさっさと屋敷に戻ってしまう。
「ジェレミー、また明日」
ジェレミーは手を振り(これが王族相手にしていいのかは微妙だろうけど)、馬車を見送った。
屋敷に入り、自分の部屋に荷物を置く。
メイドが現れ、「旦那様がお呼びでございます」と言うので、書斎へ向かう。
「どういうことか説明しろ」
「……何をですか?」
父は眉間の皺を深くした。
「あの駄目王子と縁を切るという話はどうなった?」
バルセットだな。あのチクリ屋め。貴族のくせにやることがセコい。
「……絶縁しようと思ったのは本当です。でもやめました。殿下は変わろうとしています。それを応援したいんです」
父は呆れたと言わんばかりに鼻で笑った。
「変われるはずがないだろう。踊り子との間にできた下賤の血の入った男だぞ。王族とは名ばかり」
「父上、それはいくらなんでも不敬にすぎませんか?」
父はだからどうしたと言わんばかりに鼻で笑う。
「不敬でなく、事実だ。まったく。あの英邁な陛下が色恋に惑わされるとは。ともすれば第二王子を、王太子殿下よりも可愛がっている節さえある……。駄目な息子ほど可愛いとは言うが、王家がそれでは先が思い遣られる」
ルーファスの母は、産後の肥立ちが悪く、出産後まもなく亡くなっている。
ルーファスは有力な後ろ盾もなく、宮廷で孤立していた。
もしかしたらルーファスがクリスに惹かれ、最終的にその身を滅ぼすほどの強い執着を抱いた理由の一つが、同じ孤独を抱く者としての同じにおいを感じ取った、ということもあるかもしれない。
元孤児のクリスと、貴族が眉をひそめる出自の母を持つルーファス。
二人は貴族の世界という狭い社会の中で悪目立ちしている。
「とにかく殿下は変わりますから見ていてください」
「どうせなら、王太子殿下に気に入られれば良かったものを……」
父はぶつくさ文句を言う。
(その王太子殿下はくっっっっっそ嫌な奴だし、うちの家のこともとことん馬鹿にしてるけど)
「お話が以上なら、失礼します」
「今度問題を起こせば、お前への勘当も考える。心しておけ」
「分かりました」
絶対に、ルーファスを悪役王子から卒業させ、真っ当な第二王子に更正してみせると意気込むのだった。
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