四大神

@PrimoFiume

四大神

 ポロロン

 メール着信の音とともに、パソコンのモニターはそれが咲紀からのものであるということを知らせる。

 月日が経つのは実に早いものである。いつまでも子どもだと思っていた咲紀も気がつけば大学二年。娘をもつ男親の気苦労は他所も同じだとは思うが、うちの場合は咲紀たっての希望でハワイへの語学留学に送り出しているもんだから、輪をかけて心配だ。

 ホームシックになっているのではないか? ドラッグに手を出したりしていないか? 悪い男に引っかかるんじゃないか? 考えれば考えるほど不安は高まる。いつか現地のボーイフレンドとかいって写真でも送ってくるのではないかと思うとメールを開くのもヒヤヒヤする。

 そもそも日本人だらけのハワイに行って英語が身につくものか。それに語学留学なんてものは長期旅行の延長だという話もある。要は駅前留学の学校がハワイにあるようなものだと。ネイティブに囲まれて学ぶのではなく、英語を非母国語とする人たちが集まって一緒に学ぶのだから、その効果は期待できない。だから私は咲紀の留学に反対し続けたが、最後は押し切られる形になった。大人の身勝手な都合で幼少期から母親のいない環境にその身を置かせてしまった罪滅ぼしという気持ちが私の中にあったのかもしれない。その代わり私は咲紀に条件を出した。毎日英語で日記を書いて送れと。

 私は咲紀からのメールを開いた。相変わらず酷いものだ。特に最初の一文。


“I had a moderate branch.”


 適度な朝昼兼用食ブランチを食べたと書いたつもりなのだろうが、それを言うならbrunchだ。これでは穏やかな枝になってしまう。

 読み進めると他にもあれこれミスがある。三単現、時制、冠詞、数え上げればキリがない。だが救いといえば文脈は取れることだ。一応それを留学の成果であると前向きに捉えることとしよう。


「まったく」


 私は「お父さん助けて!」と締めくくられる咲紀のメールを読み終えて深いため息を漏らした。

 洗濯機が乾燥を終えたことをアラームで知らせる。私はパジャマを脱ぎ、直接洗濯機から取り出した着替えに身を包むと咲紀への返信メールを打ち込むため再びパソコンの前に座った。



 咲紀は憧れのハワイアンライフに上機嫌である。ハワイの物価は高く、仕送りも限られているから贅沢はできない。それに目的は英語の習得であり、遊びにきているわけではない。それでもハワイの地で英語を学べるという、ただそれだけで満足だった。

 ハワイは虹の州と言われるほど虹と関わりが深い。No rain, No rainbowという諺もある。困難の後には幸運が訪れるという意味で咲紀のスローガンになっていた。

 それでも息抜きは必要だ。咲紀は休みの日に友達とキラウェア火山を訪れた。山一つとっても日本のものとは異なる。

 ハワイの自然に魅了された咲紀は思わず足元の溶岩石を拾いあげた。

「あたし記念に持って帰ろ!」

 そんな咲紀を見て友人の一人が心配そうに声をかける。

「やめた方がいいよ。咲紀は知らない? 溶岩石を持ち帰るとキラウェア火山の女神ペレの怒りを買って不運に襲われるんだって」

「何それ、そんなの信じてるの? 絶対都市伝説じゃん」友人の忠告を無視して咲紀はポケットに溶岩石を入れた。


 咲紀は帰宅後、机に向かって勉強しているキムに、キラウェア火山に行ってきたことを話した。

「いーなー、私も予定なかったら行きたかったな」

「あ、じゃあいいものあげる」咲紀は溶岩石をキムに手渡した。

「ありがとう! 大切にする!」キムはうれしそうに笑顔をみせた。


 その夜キムがうなされているのに気付き咲紀は目を覚ました。

「キム、キム! どうしたの? 大丈夫?」咲紀はキムの肩に手をかけて揺り動かす。

「咲紀!」キムは目を覚ますなり咲紀に抱きついた。

「ペレが、ペレが」

「落ち着いてどうしたの?」

 話を聞くと、夢の中に女神ペレが現れて一週間後に死ぬと宣告されたという。

「ただの夢だって、大丈夫」キムをなだめて、落ち着かせたあと咲紀は眠りについた。


「何これ!」朝起きるとキムは自分の右手を見て叫んだ。

 駆け寄った咲紀はキムの右腕がどす黒く変色しているのを見てしばし言葉を失う。

「まさか、本当にペレの呪い?」

「どういうこと?」咲紀の言葉にキムは声をあげた。

 咲紀は友達から聞いたキラウェア火山にまつわる言い伝えをそのままキムに伝えた。

「酷い! 絶対咲紀のせいだ! 何で私が呪われなきゃいけないのよ。私どうしたらいいの?」

「どうしたの?」キムの絶叫にホストマザーが駆けつけて問いかける。

 ホストマザーは事情を聞いて表情を曇らせた。

「私、石を返してきます」

「無駄よ、そんなことではペレの呪いは解けない」

「そんな、一体どうしたらキムを助けることができるんですか?」

「四大神なら何とかできるかも知れない」

「四大神?」

「そう、ハワイに古来より伝わる神々、クー、ロノ、カネ、カナロア。彼らなら何か助かる方法を知っているかも知れない」

「私やってみます! どこへ行けばいいですか?」

「ハワイ島に軍神クーを祀るプウコホラ・ヘイアウ(祭壇)があるの。私がそこまであなたたちを連れていくわ」

 一行は支度を済ませた後、クーの祭壇に向かった。


「この先に祭壇があるわ。ごめんなさい、私が案内できるのはここまでよ。もしかしたら神の怒りに触れるかもしれない。この祭壇はかつて人身御供に使われていたと聞いたことがあって私も怖いの」ホストマザーは申し訳なさそうに言う。

 咲紀とキムは黙って頷き祭壇へと進んだ、

「軍神クー様、私のせいで友達のキムが呪われてしまったんです。どうか助けてください」

 神の存在など信じていなかった咲紀だが、呪いを目の当たりにして、一縷の望みをかけた。

「申してみよ」

 突如目の前に現れた四頭身くらいの体をもつそれは、歯並びの悪い口からそう発した。

 クーは、治すことも呪いをとくこともできないが、その変色した腕と引き換えに、代わりの右腕を与えることができるという。

 二人は迷ったが他に方法はない。クーに従うしかなかった。

「お願いします」

 二人の返事を聞いてクーは残りの神々を呼び寄せた。小さいことを抜きに考えても、一目で人間でないことが分かった。

 カネと呼ばれる神が泥から右腕を作り、カナロアに形を整えるよう指示をだす。残った一人はロノだろう。ロノはその右腕に生気を吹き込むと、それはキムの腕と見分けがつかなくなった。

 泥から作り出したものではあるが、かつての腕とまったく同じだとクーは言う。四大神が何やら分からない呪文のようなものを唱えると、キムの右腕が置き換わった。

「良かった!」咲紀は涙ながらにキムに抱きつく。

 二人は四大神に丁寧にお礼を言って踵を返した。


 しかし、呪いは終わらない。翌朝今度は左腕が変色していた。二人は再び四大神を訪れ、同様に交換してもらった。

 クーは、この後も呪いは続く、その都度訪れるよう二人に告げた。


 三日目には右足が変色した。

 四日目には左足が変色した。

 五日目には胴体が変色した。


 二人はクーに言われた通り、その都度四大神を訪れて入れ替えた。

 そして、六日目。やはり最後に頭が変色した。予想していたこととはいえ、キムは真っ黒になった顔を鏡で見てショックのあまり泣き叫んだ。

 いつものように、二人はクーの祭壇を訪れた。泥から作り出されたキムの頭はやはりキムそのものである。その瞳、鼻、唇、どれひとつとっても瓜二つだ。お決まりの儀式の後、その頭はキムのそれと入れ替わった。

 キムは再び元の顔に戻ったことに歓喜の声をあげる。

 クーは、これですっかり全身が入れ替わった。もう呪い殺される心配はないから安心して良いと言い残して霧のように消えた。

 キムはすっかり元に戻ったが、咲紀の中にはいいようのない違和感が存在していた。どこからどうみてもキム本人だし、それはその後の暮らしの言動からも疑いようはない。何かおかしなところだって一切ない。それでも納得のいかない咲紀はその違和感の正体を突き止めるべく、ネットであちこち調べた。

「これだ」咲紀はモヤモヤの理由が分かった。


 テセウスの船


 船の朽ちたパーツを同じものに置きかえて、全てのパーツを交換し終えた時、その船は果たして元の船と全く同じと言えるのだろうかというパラドックスである。

 例えば焼失したお城を再建したらそれを同じものとは見ないだろう。だが、伊勢神宮や出雲大社は式年遷宮しきねんせんぐうにより丸ごと入れ替えられるが、今も昔も同じものとして見られている。ただし、世界遺産の認定基準の観点から見れば同一視されていない。車の場合は車台番号を表すプレートが同一性を持っている。極端な話、それだけ同じなら他は全て交換しても同じだが、それを取り除いただけで同一性を失うのだ。

 キムは全身を入れ替えた。果たして今同じ部屋で暮らすキムは、かつてのキムと同じといえるのだろうかと咲紀は答えを出すことができなかった。



 まったく、咲紀にも呆れたものだ。自分を主人公にしてハワイを舞台にしたエッセイを書くという課題に音を上げて都合よく、お父さん助けてときたもんだ。

 だけど、私もなんだかんだ言って娘には甘いな。そう呟いて、書き上げたエッセイを咲紀に送った。


 ポロロン

 すぐさま咲紀から返信がきた。


「お父さんありがとう! でも全部日本語じゃん! これ全部英語にするなんて骨が折れるようなことできないよ。お願い! 今回だけだから、英語で書いて」


 咲紀の返信に私は再びキーボードを叩く。


 Break a leg!


 直訳では脚を折れだが、頑張れという意味だ。


「いつまでも甘やかしてはいられないからな」


 私はそう言って送信ボタンをクリックした。

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