第7話 舞台3

「殿下」

うちの声に、大広間の人、全員の視線が集まったのがわかった。うわ、凄い。これは、これが舞台の上で視線を浴びるということなんや。うちは感動した。今この瞬間は、この大広間の主役はうちや。ここで必要なのは、即興や。座長の台本は無い。何も無いけれど、これが芝居の醍醐味や。今までの稽古がこの場で生きる。


「私は、殿下が心に思う方と結ばれお幸せに過ごされることを、心の底から願っております」

台本を覚えておくとええな。思ってもないことでも言葉が口からなめらかに出てくる。稽古は大事やわぁ。


 全員の視線を感じながら、うちは少し右斜め前に首を傾けた。左の顎から項にかけてが、あらわになる。肩を下げ、ドレスから鎖骨がほんの少しだけ見えるようにする。右利きの女性が一番美しく見えるのがこの姿勢や。広げた扇で口元を隠したら、表情が隠れ、人の想像をかきたてる。伏し目になることも忘れない。今や。今ここで、泣きの演技や。大地母神様、どうかうちに、泣きのトニアを超える最高の泣きの演技をさせてください。


 うちは今回の旅の序盤であった、悲しい出来事を思い浮かべた。長くお会いしたかった私の騎士様、命の恩人、みさおを捧げると決めたあの騎士様に再会した、私の人生最高で最低の日。思い出すだけで、今も胸の奥が痛くなる。


 一筋の涙が、うちの頬を伝わった。


 完璧や。誰かが息を呑んだのが聞こえた。大広間を包む雰囲気が変わった。勝った。うちはこの場にいる貴族の心を掴んだ。勝った。


「さぁ、おいで、可愛い子。私と一緒に帰りましょう」

フィデリア様が、そっとハンカチを差し出してくれはった。刺繍もしてある高級品や。驚いたけれど、ここで怖気づいたらあかん。うちはできるだけ柄もなにもないところに、そっと目尻の涙を吸い取らせた。ゆっくりと上品に、貴族は決して急がへん。


 フィデリア様をお招きくださった伯爵ご夫婦が、ご挨拶にいらっしゃった。せっかくお招きくださった素敵な会が、阿呆ぼんペドロ殿下の騒ぎで滅茶苦茶にされて大変やろうに。フィデリア様の御威光もあるけど、本物の貴族は礼儀というのを大切になさる。阿呆ぼんペドロ殿下とは大違いや。

「このようなことになろうとは」

「あなたがお気になさることではありません」

伯爵様の言葉に、フィデリア様がゆっくりと首を振った。

「お母様」

悲しげな伯爵夫人をフィデリア様は抱き締めた。

「今日あったすべてのことを、貴方達が証言してくれたら十分です。不快な出来事は、貴方達のとがではありませんもの」

フィデリア様の言葉に、伯爵ご夫婦は、深く頭を下げられた。


「君にも不快な思いをさせてしまって申し訳ないね」

「いいえ」

伯爵様の言葉に、うちはゆっくりと首を振った。それ以上、何と言ったらよいかわからんかった。だって伯爵様のせいやない。よく考えたら、最初の時にもっと上手くできたら、騒ぎにはならなかったかもしれへん。うちも未熟やった。


「素晴らしい演技だった。未来の名優の演技を間近で見せてもらった。光栄だったよ」

うちの耳元で囁かれた伯爵様の優しい言葉に、うちの目からまた涙がこぼれた。こんどは本物の涙や。だって迷惑をかけられたのは、伯爵様やのに、こんな優しいことを言うてくれはるなんて、えぇ人や。ほんまにえぇ人や。お芝居の貴族は悪い人が多いけど、えぇ人もおるんや。


「お心遣いをいただきありがとうございます」

うちは、伯爵様御夫妻に心の底から感謝して、今日一番のお辞儀を披露した。


 うちはこの日、確かに観客の心を掴んだ。帰りの馬車でいたわってくれはるフィデリア様の言葉に感謝しながら、うちは今日のきっかけとなった今回の巡業の始まりを思い出しとった。

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