第5話 舞台1
阿呆ぼんペドロ殿下の声に、大広間の空気が凍りついた。楽器を手にした楽団員も彫像のように動きを止めている。お給仕をせんとならんはずの使用人も、途中で止まって人形みたいや。人の息する音だけが、聞こえてくる。
そうやろなぁ。うちでも大失言ってわかるもん。先の王妃フロレンティナ陛下は、今の皇国皇帝の妹君で、その黒髪の美しさから皇国の黒真珠の君と称えられるほどの方やった。王国と皇国の和平のために王国に嫁いでこられた皇国の姫君は、聡明と名高かった第一王子シルベストレ殿下と第二王子ライムンド殿下の御生母様となられた。二人の幼い王子を遺して儚くなりはった皇国の黒真珠の君の物語は、あの事件が起こる前は、うちの一座お得意で人気の悲劇の演目やった。皇国でも王国でも、お美しかった黒真珠の君は亡くなられた今も人気の御方や。
あの事件のあと、一座は黒真珠の君の物語を王国では一度も上演していない。座長の判断や。座長の判断は正しいわ。阿呆ぼんペドロ殿下が、公の場で失言するってことは、普段からあぁ言うこと言うてはるということやろ。王国の王子が、皇国に縁のある方々全員を、身分に関係なく敵に回す言葉を口にして、無事で済むと思っとるんか。どうかしとるにしても、程があるわ。
国王プリニオ陛下と、今の王妃パメラ陛下との結婚からして、ありえへんねん。先の王妃フロレンティナ陛下の喪中、というより亡くなって早々の結婚や。誰が聞いてもおかしいわ。そのあと半年も経たんうちに、元気にお生まれになったのがペドロ殿下や。慶事のはずやけど、ねぇ。どう考えてもおかしいやん。結婚早々腹が大きくなるかいな。
皇国の皇帝ビクトリアノ陛下は、先の王妃フロレンティナ陛下の
先の国王陛下と先代辺境伯様が苦労して勧めた融和政策を維持するため、当時は御存命だった先代辺境伯様がご尽力されたんやと、座長は言っとったけど。座長も腹に据えかねとったんか、誰か一人二人くらい、呪い殺しそうやったな。呪いは大地母神様がお許しにならへんことやけど。
それにしても阿呆ぼんが阿呆ぼんやと言う噂が本当やとは驚いたわ。
本当に強い人は酒場で騒いだり乱暴したりはせぇへんというのが、クレト爺ちゃんの口癖や。頭が弱いお貴族様は夜会で騒ぐって、クレト爺ちゃんに教えたろ。あ、お貴族様ちゃうわ。王子様や。
黒真珠の君フロレンティナ陛下は殺されたんちゃうかという懸念は当時からあったらしいけど。数年前のあの事件以来、黒真珠の君フロレンティナ陛下は殺されたに違いないってことになっとる。第一王子シルベストレ殿下の御遺体は見つからず、今も生死不明と王国は宣言しとる。そやのに阿呆ぼんペドロ殿下が調子のっとるところを見ると、やっぱあの事件も仕組まれとって、シルベストレ殿下はもうって、こととちゃうか。
先王様の妹君、先代辺境伯夫人であるフィデリア様の周りにいはるのは、皇国との融和政策に賛成の方々や。皇国にしかない布を使った衣装を着てはるからすぐわかる。髪色が黒や濃い茶色で真っ直ぐな髪の毛の方が多いけど、王国の淡い髪色に巻き毛の方も結構多い。
衣擦れの音だけが聞こえる大広間で、二つに分かれた人の群れは、明らかにフィデリア様の近くに立つ人のほうが人数も何もかもが格上や。衣装と宝石も桁が違うってくらいうちでもわかる。財力も勝っとるな。
このままいったら、王国は近々真っ二つやね。既に割れとるかもしれんけど。
「髪も心も黒く醜いお前など、この私の婚約者にふさわしくない」
いくら阿呆ぼんペドロ殿下でも、二回続けて失言するとは、うちも予想外やったわ。それにうちは最初からあんたとは関係ないし。うちは別人やし。ふさわしくないのは、言うたらあかんことを二回も平気で言って、うちとエスメラルダ様の見分けもつかへん、阿呆ぼんペドロ殿下、貴方様でいらっしゃいますよ。
国王プリニオ陛下も、手元におるのが治らへんご病気の第三王子ペドロ殿下だけってのは、お可哀想やねぇ。
「わかりました」
突然、フィデリア様がおっしゃった。フィデリア様は流石の威厳や。静かな声やのに、大広間にいた人達全員の目がフィデリア様に集まった。
「ペドロ殿下からのお申し出です。婚約は解消いたしましょう。王家からのお申し出です。このこと、ゆめゆめお忘れなきように」
阿呆ぼんペドロ殿下は無言やった。あれ? 喜んだらえぇのに。
「殿下のご要望どおりにいたします」
フィデリア様の威厳に気圧されたのか、阿呆ぼんペドロ殿下は突っ立ってはる。
隣の
「第三王子ペドロ殿下の、辺境伯爵家御令嬢エスメラルダ様との婚約を解消されたいとのご発言を、先代辺境伯夫人フィデリア様が了承なさいましたこと、私共もしかと耳にいたしました。大地母神様の御許にも届いたことでしょう」
突然、よくとおる声が響いた。
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