closer

惣山沙樹

01 兄弟

 ジメジメとした湿気がまとわりつく六月。俺と兄は穴を掘っていた。

 こんなんじゃダメだ。もっと広く。もっと深く。

 しかし、スコップを持つ手は震え、力が上手く入らない。兄の声が飛ぶ。


「カナ。休まないで」

「ごめん、ケイちゃん……」


 早く早く早く終わらせてしまいたい。どうあがいてもこの現実は変わらないのだから。

 父は死んだ。兄が殺した。




 俺の母は、俺が三歳の時に癌で死んで、記憶もあやふやだ。七つ上の兄の慧人けいとが俺の面倒をよく見てくれていて、彼は兄というよりは父のようだった。

 本当の父は忙しい人だった。警察官だ。決まった曜日や時間に出勤するわけでもなく、夜勤もあった。家で顔を合わせれば、勉強しろとうるさかったので、俺はとにかく大学進学を目指し、そこそこのところに合格し、自宅から通っていた。

 住んでいるのは閑静な住宅地にある二階建ての戸建て。一階に、今は父だけの部屋となっている広い寝室があり、二階に俺と兄の子供部屋があった。兄は就職していたが、この家を出るつもりはないのだという。

 その日は一限目から必修科目があったため、早起きして一階に降りた。兄はスーツ姿で、食卓に米と卵焼きとソーセージを並べている途中で、目が合ったので挨拶した。


「おはよう、ケイちゃん」

「ん。おはよう、カナ」


 俺の名前は奏人かなとという。カナ、と呼ぶのはこの世で兄だけだ。幼児時代の延長であり、俺も十八歳になったのだから、とは思うのだけど、今さら改めることもお互いにできないのだろう。いつも通りの朝食をとっていると、兄が時計をつけはじめた。


「じゃあ、僕先に行くから。夕飯は何がいい? 今日父さん夜勤だよ」

「うーん、魚がいいな」

「了解。帰りに買ってくる」


 食べ終えて、食器をシンクに置いた俺は、Tシャツとジャージから着替えた。大学に行っても……どうせ話す人などいないから。服装なんて季節に合っていればいい。半袖の黒いシャツにデニム、スニーカーにした。

 大学までは電車で十五分の距離。ワイヤレスイヤホンをつけ、ギリギリ外の音がわかる程度の音量で洋楽をかけ、ドア側によりかかってやり過ごすのが日課だ。俺は身長が百八十センチまで伸びたから、満員電車でも呼吸がしやすいのがちょっとした利点。兄は百六十五センチ程度しかなく、いつの間に追い越したのかわからない。兄弟でも違うものだな、と思う。

 一限目は洋書を一冊、前期を通して訳していく英語の授業で、今回は当てられていたのでしっかり準備していた。自分の番が終わればあとは聞き流すだけ。二限目は一般教養の化学の科目で、毎年同じ内容がテストに出る簡単な単位稼ぎのものだから、うつらうつらとしながらモニターを眺めていた。

 昼食はいつも学食だ。大学はいい。一人用の席がずらりとあるから。唐揚丼を注文し、黙々とかきこんだ。そこからの時間の過ごし方にはいつも迷う。結局三限目の講義がある教室に早めに行って、スマホでパズルゲームをしていた。

 ――今日は父さんが夜勤、か。

 つまりはそういうこと。ずいぶんと久しぶりだった。

 三限目の哲学入門と、四限目の社会学の講義を終え、俺は真っ直ぐ帰宅した。バイトはしていない。十分すぎるほどの小遣いを渡されていた。

 俺は自分の部屋のベッドに寝転がり、スマホでホラーゲームの実況を見て時間を潰した。玄関が開く音はここまで聞こえる。それがしたので一階のリビングへ降りた。


「おかえり、ケイちゃん」

「ただいま、カナ」


 兄は買い物袋から食料品を取り出して冷蔵庫に入れていた。俺の好きな炭酸飲料のペットボトルもあった。兄は言った。


「金目鯛にした。煮付け、好きでしょ?」

「うん!」

「ちょっと待ってて」


 母が死んでから、家事は全て兄がしていた。俺は兄の味でここまで育った。小さい頃は野菜が苦手だった気がするが、今では好き嫌いというものがほとんどない。兄のお陰だろう。

 魚を煮込んでいる間、兄は味噌汁を作り始めた。今日はダイコンとワカメか。相変わらず手際がいい。その様子をぼんやり突っ立って眺めていると、兄は視線をまな板に落としたまま言った。


「もう、そんなにお腹すいてるの?」

「ケイちゃんが料理してるとこ見たいだけ」

「そんなに楽しいものでもないよ」

「俺にとっては楽しいの」


 兄弟二人だけの静かな食卓。テレビはつけない。父が厳しい人で、食事中は見せてもらえなくて、それが定着してしまったので、見る習慣というものがないのだ。

 煮付けは甘辛くて米が進んだ。兄はどんな料理も作れるけれど、和食が一番上手だと思う。


「ケイちゃん、今日も美味しい」

「ありがとう。カナ、食べ終わったら……」

「わかってる。お湯入れとく」


 兄が洗い物をしている間、風呂の用意をしてトイレに行った。その後、ソファに座ってスマホでゲームをしていると、作業を終えた兄が隣に座ってきた。


「カナ」

「んっ……」


 アゴを掴まれ、唇に触れるだけの軽いキスをされた。この先は後のお楽しみということだろう。俺はまだ物欲しそうな顔をしていたのか、兄が笑って言った。


「今朝から期待してたでしょ」

「まあね……」


 いつからこんな関係になったのかは覚えていない。ただ、兄弟で「こんなこと」をするのはおかしいことだと気付いたのは中学生の時だ。それまでは兄とのことは当たり前のこととして受け止めていたから、俺は戸惑ったけれど、誰にも言えなかったし、何より兄を愛していたからここまでズルズルときてしまっていた。

 バスタブにお湯がたまったメロディ音が鳴った。


「行こうか、ケイちゃん」

「うん」


 何も恥じらうことなく全裸になる兄。肌の色は俺よりもずいぶん白く、身体つきは華奢だ。体毛も薄くて、少し羨ましい。

 まずはボディーソープを塗り合って身体を洗っていった。兄はわざと俺の敏感な場所に指先をひっかけるのだが、ここでいちいち反応しているようでは最後まで持たないだろう。

 綺麗に泡を流し、俺が兄を後ろから抱きしめるような形で湯につかった。


「……ケイちゃん、髪伸びたね」

「ああ、そろそろ切らないと会社で怒られそう」

「俺、ケイちゃんは長めの方がカッコいいと思うけどな」

「社会人はそうもいかないの。カナこそ、学生のうちに色々髪型で遊べば?」

「俺は短いのが合うよ。染めても変だろうし」


 そんな風な他愛もない会話をしながら、俺は湯の中で兄の身体をまさぐっていた。肋骨のところに指を這わせ、段差を楽しんだ。


「ふぅ……そろそろあがろうか、カナ」

「そうだね」


 身体をさっと拭いて、裸のまま兄の部屋に行った。子供の頃の勉強机が未だに置いてあるが、ベッドシーツはシックな紺色で、余計な物がないのでシャープな印象の部屋だ。父が夜勤の時は……そこで秘密の時間を過ごす。


「おいで、カナ」


 ベッドの上で固く兄を抱き締めた。今からするのはいけないこと。それはとっくにわかっていた。けれど、俺の身体はもう兄無しではいられなくなっていた。


「もう、カナ……がっつきすぎ」

「だって……」


 男の身体はどこをどうすれば気持ちよくなれるのか、全て兄が教えてくれた。どんな果実を噛んだ時より甘美な時間。少しでも、長く、激しく。


「ケイちゃん……もうできそう?」

「うん。いいよ」


 繋がった俺たちはギシギシとベッドを揺らした。俺は声を我慢しなかった。その方がいいと兄に言われていたから。兄も可愛らしい悲鳴をあげて、ますます高ぶってきた、その時だった。


「慧人……奏人……何してるんだ……」

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