第27話 千葉朝陽の挑戦①

 千葉朝陽は、時間どおりにやってきた。


(やっぱり千葉さんって……おっきい!)


 駅前で待っていたメイは目をみはってしまう。

 改札を出てくる乗客の列の、最後尾に並んでいるのに肩から上が見えるのだ。

 周囲に気をつかってうつむきがちに小さくなっているのに、である。

 そのうえ戦国武将のようにいかつい異相。

 目立つ。


 改札を出てようやく頭をあげた千葉朝陽は、メイを見つけてほっとした顔をした。

 打ち合わせどおり、ふたりはローカル線の小さな駅前から人影がなくなるのを少し待つ。


 メイの方から駆け寄った。

「こんにちは」

 くったくなく挨拶するメイに、千葉朝陽は照れた。

「ど……どうも」


「すごい荷物ですね! それ全部、お供えなんですか?」

「はい。お供えと……その、台とか」


 最初に会って以来、メイと千葉朝陽はずっとテキストメッセージだけの「文通友だち」だった。メイは楓に「ひと月に一度ぐらいは直接会いなさい!」とせっつかれてはいたが、過労で寝こんだり、大仕事があったりで十月はあっという間に終わってしまった。


 そんな折り、千葉朝陽からメッセージが来たのである。


『メイさんの神さまへのご挨拶がまだで、気になっています。

 ご都合の良い日と、場所を教えてください。うかがいます』


 千葉朝陽は妖怪が見えない。にもかかわらず、メイの話をそのまま受け入れたうえ、「自分には見えない神さま」にも敬意を示そうとする。しかも本気だ。


 メイは勇気をふりしぼって零課に半休を申請し、土曜の午後を空けた。

 それから三日で、破壊神がお供えを燃やしてしまっても平気な場所を探し、落ち合う駅と時間を決めた。あわただしかったぶん達成感があって、メイはちょっと浮き浮きしていた。


 一方、

「いいお天気になって……良かったです」

 外見と裏腹に内気な千葉朝陽は、小声でつぶやきながらあたりをうかがう。

「それで、あの……メイさんの……神さまは……今も、ここに?」


 メイは、にっこりした。

「ここにはいません。用意ができたら呼べ、って言われてます」

「えっ……神さまを……呼ぶ?」


「念じて呼びます。最初は加減がわからなくて、すごくうるさい感じに伝わっちゃったり、逆になんにも通じなかったりむずかしかったんですけど、慣れてきたところです」

「な……なるほど」

 千葉朝陽はとりあえずここに破壊神がいないと知って、ちょっと肩の力を抜く。


 ふたりは並んで歩き出した。

 こぢんまりした商店街を抜け、住宅街に入る。

 よく晴れて十一月にしては暖かいが散歩をする人もおらず、内気なふたりにはありがたい。


 千葉朝陽はしばらく黙々と歩いていたが、心配そうにつぶやいた。

「しかし……」

「はい?」

「神さまに場所は……お知らせしてあるのでしょうか。それとも地図を渡して?」


 千葉朝陽のもっともな心配に、メイはうなずいた。

「わたしもゆうべ、スサノオに地図を見せようとしたんですけど、いらないと言われました」

「おお……」

「わたしが呼べば、場所もわかる、って」

「なんと」


「最近、わかるようになったみたいです。これからは電車やバスでとろとろ移動するわたしについて行かなくていい、って、なんか……うれしそーでした」

 ちょっと不満げに口をとがらせるメイを、千葉朝陽は新鮮なものを見る目で見る。


 メイは気づかず、気を取り直して続けた。

「それにしても今日はほんとうにありがとうございます。千葉さん、部活でお忙しいのに」

「あ、いえ、ラグビー部は先月……予選敗退でひと区切りついていますので」


「! 先月の試合って、予選だったんですか」

「はい。ラグビーは花園……あ、花園というのは野球の甲子園みたいなものです……そこをめざすんですが、うちは毎年、地区予選落ちの弱小なんです」


「で、でもっ、来年がんばれば……」

「それが……三年生が十月に引退して、残った部員は六人だけで」


「六人! ええと……確か、ラグビーって十五人、必要でしたよね……」

 つぶやくメイに、千葉朝陽は内気な瞳をちょっと輝かせる。


「調べてくださったんですか」

「はい。いつか試合見たいな、と。でもルールもなにも知らないから……ちょっとだけ……」

 調べてから、なんてのんびり構えていた自分がうらめしい。


(千葉さんの高校最後の試合、先月だったなんて! 無理してでも行けば良かったな……)

 というメイの内心を察したかのように、千葉朝陽は明るい声を出した。


「高校ラグビーの公式戦は十五人制ですけど、七人制の大会もないわけじゃないんですよ」

「で……でも六人……」

「うん、まあ、大会出場は厳しいかもですが……練習はできます」

「…………」


「自分は高校入ってからラグビーを始めたんです。まだまだヘタクソなんですが、せっかくラグビーをやりたいと入部してくれた一年生のために、少しでも役に立てたらいいな、と」

「良い先輩でいらっしゃるんですね」

「いえ自分は……話すのが苦手で、力加減もヘタなので……もしかすると、かえって……」

 言いかけて、黙りこむ。


 メイもかける言葉が見つからず、しばらくふたりとも黙々と歩く。

 五分ほどして、千葉朝陽がぽつりと言った。

「実は、辞めた方がいいかも、とも考えておりまして」

「そんな……」


「先日、タックルの練習で……一年生を吹っ飛ばしてしまいました」

「!」

「自分がでかくて馬鹿力なのは、よくわかっている……つもりだったのですが……」


「その方はケガとか……なさったんですか」

「いえ……運良く、ケガはありませんでした」

「それなら……」

 珍しく、語気を強めて言う。


 それでメイは理解した。

 千葉朝陽は、怖いのだ。


 恵まれた体格のせいで、意図せず誰かを傷つける。

 その可能性が本気で、怖いのだ。

 でも、だからといって持って生まれた資質を生かせないのは、つらいのではないだろうか。


 考えこむメイの気をまぎらわせようとしてか、千葉朝陽はふたたび明るい声を出した。

「ところで、お供えですが」

「はい」

「気持ちさえこもっていればなんでもいい、と言われて正直、驚きました」

「そうですか?」


「お聞きしていなければさかき、水、米、塩……と、定番をそろえるところでした」

「えっ、て、定番とかあるんですか? うち神棚もないので、ぜんぜん知らなくて……」

 メイはあらためて千葉朝陽の、時代劇の方が似合いそうな異相を見あげる。


「あの……失礼ですがもしかして千葉さん……おうちが神社、とかなんですか?」

「いえ、うちは花屋です」

「お花屋さん!」

「はい」


「なんだかすごく、しっくりきました!」

「え、そ、そうですか? そんなこと言われたのは……初めてです」

 千葉朝陽は照れて、ちょっと頬をゆるめた。


「それはともかく、神さまが満足なさってるなら、メイさんのやり方でいいんですよ」

「そうかも……しれません。普通、神棚でお供えが燃えて灰になったり、しませんもんね」

「そうそう」


 住宅街を抜けると、行く手に緑におおわれた、ゆるやかな土手があらわれた。

「あ、川沿いの土手!」

「地図どおりですね」

 千葉朝陽は大荷物を背にゆっくりと、手ぶらのメイは小走りに土手の階段を登る。


「川! 思ってたより広いです」

 明るい川面のきらめきに目を輝かせるメイに追いつき、千葉朝陽は流れの向きを確認した。

「上流は……左ですね」


 このあたりの河川敷にはゲートボール場や駐車場が設置されていた。土手の、紅葉した桜並木の下を散歩するお年寄りや、ランニングする人もちらほら見かける。

 ふたりは口を閉じ、あまり人の来ない上流をめざして土手道をひたすら歩いた。


 半時間ほどで周囲にひとけがなくなった。

 河原もここまで来ると自然のままで、石がごろごろしている。

 ケガレの草や樹木が見当たらないのもありがたい。


「そろそろ、良さそうですね」

メイが言うと、千葉朝陽もうなずいた。

「準備します」


 階段を見つけて河原に降り、千葉朝陽は背中の大荷物を下ろした。

 特大のナップザックのような袋からまず出てきたのは、バーベキュー用の鉄板。

 長方形の鉄板の大きさと、よく磨かれてはいるが使いこまれた様子にメイは目を丸くする。


「うわあ……! これなら火の対策は万全ですね」

「河原で直火は厳禁ですから」

「えっ、そうなんですか? 知りませんでした」

「河原でバーベキューするのが好きな親戚が……いるもので」


 今日は千葉さんについて、知らないことをたくさん聞く日だな、と気づいて、メイは我知らず、ちょっとどきどきする。

 千葉朝陽は石をいくらか動かし、きちんと水平をとって鉄板を置いた。

 周囲の草を手際よくむしり、持参のバケツに川の水をくむ。


 バケツには油性マジックで〈消火用水〉と書かれていた。

 目を丸くして見ているメイに、千葉朝陽はもごもごと説明する。

「そのへんの枯れ草に……火が移ったりしたら大変ですから」

「なにか、お手伝いした方がいいですか?」

「いえ、ここは自分が」


 千葉朝陽は鉄板の真ん中に低い木の台をひとつ、両脇に白木の三方をふたつ並べた。

 どれも高級品にしか見えなくて、メイはだんだん心配になってくる。


(どうしよう! 千葉さん、こんな高そうなものを……全部燃えちゃうって言ったのに……)


 そうする間にも千葉朝陽は左右の三方それぞれに白い陶器の……たぶん正式な……酒器を置き、一升瓶から酒を注いだ。

 青々とした葉がついたなにかの枝も、左右に置く。


 最後に荷物袋から細長い、布袋に入ったものを取り出した。

 袋ごと、真ん中の低い台にそっと横たえる。


 長さは一メートルちょっと。中身はわからないが、あつかう手つきや動きから、はた目にもとても大切なものなのだとわかる。それはなに? ときくのがためらわれるほどだ。


(なのに……スサノオに灰にされて……かまわないの?)


 真剣に配置を終え、千葉朝陽はメイをふり向いた。

 光の加減か、それともそれほど真剣だからか、少し青ざめているように見える。


「できました。どうぞ、神さまを呼んでください」

「はい。では……」

 メイはひとつ息をつき、心の中で呼んだ。


(スサノオ)


「やっとか」


 声が即応。

 したかと思うともう小さな破壊神が、上空から降りてくる。メイはびっくりして、


「えっ、速っ……! まさかずっと、わたしたちの頭の上にいたんですか?」

「そんなわけないだろ。おまえの家の屋根で待ってた」

 答えながら、小さな破壊神は気まぐれなツバメのように千葉朝陽のまわりをめぐる。


「いらしたんですね」

 妖怪が見えない千葉朝陽は、メイの視線を追い、小さな破壊神の気配をつかもうとするかのように目をすがめる。メイはうなずいた。


「来ました。待ちかねてたみたいです。千葉さんのまわりをぐるぐる……飛んでます」

「ぜんぜん……わかりませんが、自分は千葉朝陽と申します」


 千葉朝陽は見当違いの方角にだが、丁寧に一礼する。

「ご挨拶に参りました。お見知りおきいただければ幸いです」

 と言う千葉朝陽の鼻先で一瞬停まった時、小さな破壊神がにやっと笑ったように見えた。


 なにも言わず、千葉朝陽が鉄板の上に並べた「お供え」の方へ飛ぶ。

「あ、お供えの方に行きました」

 メイがあわてて実況する間もなく、


「!」


向かって左の三方が、目を射る白光を放って焼失した。

 上に置いてあった酒器も、葉のついた枝も跡形もない。

ひとつまみほどの灰が午後の風に散り、余熱がふわっとメイと千葉朝陽の顔をたたいた。


 千葉朝陽はあっけにとられて、開いた口がふさがらない。

「も……燃えるって……こんな……」

「ふうん、酒か。久しぶりだな」

 小さな破壊神は、灼いて受け取った物の余韻を楽しむかのように、機嫌良く目を細めた。


 千葉朝陽は気配を感じたらしく、メイにたずねる。

「もしやなにか、言っておられますか」

「お酒は久しぶりだ、と言っています。楽しそうです」


 言い終わらないうちに、右の三方も酒器、枝ごと一瞬の光とともに消え去った。

 なのに灰が散る鉄板に、熱の加わったあとはない。


 小さな破壊神は、ますます機嫌が良くなったようだ。

 晴れた空に、鋭く細い銀の光の軌跡しか残らないような速さで、音もなく飛びまわる。


 唐突に停止すると、真ん中の台に向かって降りてきた。

 しかし、長い包みに触れる前に停まった。


 見おろしたまま、動かない。

 薄く笑みを浮かべているが、なんとなく雰囲気が険しくなった。あるいは……


(あ、なんか意地悪いこと……考えてる?)


 とメイが感じた時、千葉朝陽がもっともな問いを放った。

「ど……どうなっているのでしょうか」

「はい、あの……真ん中の台の上に浮かんで、そこで停まっています」

 伝えたとたん、千葉朝陽がぐっと息を詰めた。表情が沈んだ。


 いつもの繊細な少年らしさが消えてしまい、ぎょっとするほど重い影が異相をおおう。

「あ……あの千葉さん……?」

 メイの声に、千葉朝陽は答えなかった。

 小さい破壊神も動かない。


 沈黙はたぶん三分ほどしか続かなかったが、メイには一時間にも感じられた。

 千葉朝陽がゆっくり、息を吐いた。

 深いため息だった。

 傷ついたような、断罪されたような面もちでゆっくり進み出た。


 みずから設置したお供えの前に両膝をつき、見えない神に向かって頭をたれた。

「申し訳ありません。自分の心得違いでした。これは、取り下げます……」

 受け取ってもらえなかった長い布包みに両手を伸ばし、下からすくいあげようとする。


「……!」


 持ちあがらなかった。

 腕に力が入り、肩の筋肉が盛りあがる。

 それでもびくとも、動かない。


 千葉朝陽は食いしばった歯の間から言った。

「取れません」

「えっ」

 驚いて近づくメイに、千葉朝陽は布包みを持ちあげようとした体勢のまま、きく。


「すみません、教えてください。神さまは……なにをしておられるのですか」

 言われて、大柄な千葉朝陽をよけてわきから回りこんだメイは、ちょっとひるんだ。


 小さな破壊神は布包みの真ん中を、小さな片足で踏んでいた。

ものすごく機嫌がいい。そして、悪い顔をしている。


「ええと……あの……」

 千葉朝陽を怒らせようとしている、と察して言いよどむメイに、小さい破壊神は笑った。

「なにをためらってる。見たままを教えてやれ」

「で、でも……あの……」


 千葉朝陽は、察した。

「ほう、見かけによらずカンがいいじゃねえか」

という小さい破壊神の声が聞こえたかのように、千葉朝陽はうなった。


「手で触れると灰になる、と聞きました。燃やさず押さえるなら足でしょう。しかし」

 戦国武将のような異相が、怒りと力みに赤くなる。

「足をどかしていただけないでしょうか。大切なものなんです」

「受け取ってやってもいいぞ」


 メイが小さく「えっ?」ともらした声に、千葉朝陽は目だけメイの方を見る。

 メイはあわてて伝えた。

「あの、受け取ってもいいそうです」


「ただし」

 と、小さい破壊神は足もとの長い布包みに向かってあごをしゃくった。

「俺にこいつを当てることができたらだ」

 メイはわけがわからないまま、伝える。

「ただし、スサノオにそれを当てることができたら……って」


 その時初めて、メイは気づいた。

(えっ……これ、武器なの?)

 てっきり大きめの掛け軸かなにかだと思いこんでいたメイは、スサノオがご機嫌なわけがわかってくらくらしてくる。


(うそでしょ! 妖怪が見えない千葉さんに、なんでそんな無茶なこと要求するんですか!)

 という心の叫びはちゃんと耳に届いたはずだが、小さい破壊神は動じなかった。


「どうした。やるのか。やらんのか」

 せかす声が聞こえたはずはないが、千葉朝陽は硬い声で答えた。

「そんなことは……しません」

「なら、こいつはへし折るが、いいか」

 こともなげに問う破壊神に、メイは見かねて抗議の声をあげる。


「そっ……それはないでしょう! いくらなんでもひどいです! それ、千葉さんの大事なものだって、スサノオだってわかってますよね? わかってて……」

「折る……気ですね? 自分が断ったら……これを」

 千葉朝陽が言った。


 両手で支えている布包みに加わる力に、変化があったのかもしれない。

 あるいはその「気配」を察したのか。

 今やその、うつむいたままの異相は冷や汗に濡れていた。


 小さい破壊神は布包みに片足を置いたまま、楽しげに言い放つ。

「闘え」

「!」

 メイは、見えない風に打たれた心地がした。


 今、闘えと命じられたのは自分ではない。これが殺し合いでないことも明らかだ。なのに心のどこかに火をつけられたかのように、胸が熱くなる。

 千葉朝陽にも同じ効果があったらしい。ひと呼吸おいて、顔をあげた。


「やります。やるから、どいてください」



 千葉朝陽の挑戦②へ続く

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