第5話 ユーレイなんか怖くない・前編

 昼休みのことだ。

「メイ! いた~、良かった~!」

 購買でパンを買おうと、お財布片手に列に並んでいたメイは、驚いてふり返った。

「野々宮さん! 今日はお仕事でお休みかと……」


 言いかけて、二度びっくりする。

 楓が私服だったからだ。

 なんてことないデニムパンツにざっくりした編み目のセーター。それだけなのに、なんでこんなにおしゃれに着こなすことができるのだろう。

 さすがはプロのモデルさん! とメイは見とれてしまう。


 当然ながら列に並んでいる他の生徒もざわつき、学校に私服でやってきた楓になんとなく視線が集まる。しかし楓は屈託くったくのない笑顔でさも当然のように「どーもどーも、ちょっと急用でしてー」とか言いながら、メイを列からひっぱり出した。


「えっと、あの、わたし、パンを……」

 今日こそは人気のやきそばパンを買いたくて、早めに並んだのだけれど……と訴える間もなく、みんなに声が届かない物陰まで連れて行かれてしまう。しかし、


「このあいだ言い忘れたけど」

 真剣に身を乗り出してきた楓が、きれいにお化粧しているのに気づいて、メイはハッとした。楓はやはり、仕事で撮影していたのだ! なのにお昼休憩の間に抜け出して、学校まで来てくれた……ということは、よほど重大な話に決まっている。


 やきそばパンのことは忘れ、まじめに耳を傾けるメイに、楓はあわてて説明する。

「あ、ごめん、いきなり言われてもなんの話かわかんないよね、このあいだ、体育の授業中にした、オバケとそうじゃないものを見分ける話についてなんだけど」

「あ、うん」

「注意しときたいことがあるの」


 すぐ撮影現場に戻らなくてはならないのだろう。小声だがいつもより早口だ。

 メイもせいいっぱい急いで、うんうん、とうなずく。

「だいじょうぶ、ちゃんとおぼえるてるよ。だまされないぞ、正体見破ってやるぜ! ってキモチで練習すればいいんだよね?」

「そう! そうなんだけど、そこで注意!」

「うん?」


「小石とか樹とか、ポストに化けてるやつを見分ける練習はしていいけど、人に見えるけど怪しい、みたいなのには近づかないように! じろじろ見るのも禁止!」

「えー、見ないよ? だって、本物の人間だったら失礼だし」

「もちろんそれもある。でもね」


 楓が言葉を切ったのは、購買で買い物をすませた生徒数人が、それこそ『じろじろ見ながら』そばを通りすぎたから。にっこり笑顔でやりすごし──急いで続ける。

「第一に! 人間そっくりに化けられるオバケや、霊感ない人にまでふつーに見えちゃうオバケにはあぶないのが多いから、近づいちゃダメ!」


 言われてみれば最古の夜叉神だというロキもそうだったし、吸血鬼ヴァンパイアの盟主だというアナスタシアもそういう「オバケ」だ──と納得するメイ。

 しかし、話はそこで終わりではなかった。楓は怖いほど真剣に続けて、

「第二に! 人型のオバケにはいわゆるユーレイ、中にはけっこうタチのわるい悪霊とか怨霊とか、混じってることがあるから、避けて通るよーに!」

「えっ」


 その可能性は考えたこともなかったメイは息をのむ。楓はため息をついた。

「ま、近くにあんたの神さまがいるかぎり、並みのユーレイはかき消されて成仏しちゃう気がするし、まともな判断力があるやつなら、近づいてくる気にもならないだろうとは思うけど……」

 ちらっとメイの背後で窓の外をながめている小さな戦神の存在を確認、念を押す。

「でも、気をつけてね」


 妖怪は最近、あまり怖いと感じなくなってきたメイだが、幽霊話は大の苦手だ。

 四谷怪談もダメだし、現代ものならもっとダメ。亡霊なんてものがほんとうにそのへんをさまよっていると聞いただけで怖くてたまらなくなり、楓にすがりつく。


「き、気をつけるって……なにをどういうふうに気をつければいいの?」

「見ない。気にしない。同情しない。無視!」

「む、むずかしいよ」

 わーん、聞かなければ良かった~! という心地で涙目になるメイを見て、楓も「あ、言わない方が良かったかな?」と思ったらしい。


 一瞬、困ったような顔をしたものの、気を取り直して断言する。

「関わらないのが一番だけど、ひとつだけ、安心して。ユーレイと人間くらべたら、基本的に生きてる人間の方が一万倍強いから!」

「そ……そーなの?」


「そう。生きてる方が断然強い! だからユーレイのストーカーがくっついてきた時とか、ちょーっとこれ、オバケになりかかってるんじゃない? みたいなヤバそうなやつがどわーっと来た時、あんたの神さまが近くにいない場合は」

 ごくり、と固唾かたずをのんで続きを待つメイに、楓は教えた。


「声に出してはっきりきっぱり『それはそれ、これはこれ!』って宣言しなさい。霊力なんてなくても、ほぼそれだけで追っ払えるから」

「追っ払う……って……でも、同情しちゃったりとかして、言いにくかったら?」


「それでもまず最初に気合いをこめて『それはそれ、これはこれ!』って言うこと! そのあとでお祓いしてあげても祈ってあげてもいいけど、あくまで、あとで!」

「うーん……」

「覚えといてね! じゃ、あたし、スタジオに戻らなきゃだから、また明日!」


 ありがとう、と言う間もなく、あわただしく走り去る楓を見送って、メイはぼうぜんと立ちつくす。

「この世にホントに、ほんものの幽霊がいるなんて……」

 思わずつぶやいたとたん、頭上から小さな破壊神のあきれたような声が降ってきた。

「どアホウ。おまえだって生き霊になった経験があるだろうが」

「そ、それはそうですけど……」


「あの娘のやり方は合ってるぞ。死霊なんぞ残りカスだ。蹴っとばせば消える」

「ええー」

 それはちょっとひどい、と思ってしまうメイに、破壊神は平然と続ける。


「おまえに亡者もうじゃを追い払う気合いがあるかどうかは、疑わしいがな」

「ええっ、そ、それ、今言います? 怖いのに! すっごく怖いのに!」

「苦いっ! 今ここにいもしねえもんを怖がるんじゃねえ、バカ!」

 などとやっていたせいで……

 メイは今日も、やきそばパンを買いそこねた。


        ◆


 その日の放課後は、忙しかった。

 零課から指示された退去勧告を十件あまり。空き店舗、ものすごくせまい路地、飲食店の二階、工事現場などなど、雑多な現場をスマホのナビをたよりにまわっていく。バスや電車を乗り継いで知らない街から街へ──なるべくムダのないルートを選んだつもりだが、終わったころにはとっぷり日が暮れていた。もう、足が棒だ。


 ホームで、帰りの電車を待つ列に並んだところでちょうど母が、

『お仕事、終わった? ごはんできてるよ』

 最近使い始めたスマホアプリで連絡してきたので、

『今終わったとこー。一時間ぐらいで帰ります。おなかぺこぺこー』

 と、ちまちま文字を打って返信。


 マナーモードにしてポケットにしまう。うん! スマホも少し使い慣れてきた。

 前後の客がひとりはイヤホンをしていて、もうひとりは手にしたスマホに見入っているのを確認し、メイは、頭の横に浮かぶ小さいスサノオに小声で話しかけた。


「今日は疲れましたけど……ちょっとだけ自信がついた気がします」

「ふうん?」

「退去勧告の読み上げ、この一ヶ月だけでもホントにたくさんやったから、さすがに少し、慣れてきたのかも。前ほど緊張しなくなったし」

「どこに行っても、おまえの口上こうじょう聞くやつが一匹も残ってないからだろ」

「あう」 


 妖怪たちは今や、メイとスサノオを本気で敬遠しているらしかった。ふたりが近づく気配を察知するやいなや、文字通り、荷物をまとめて退散してしまうのだ。

「おかげでなんとか暗くなる前にすんで、良かったぁ」

 つぶやいた、これはひとりごとだったのだが、スサノオが聞きとがめてつっこむ。


「? 暗くなる前だとなにがいいんだ」

「明るいうちなら、廃墟っぽいところでもまだ怖くないっていうか、妖怪さんはともかく、ユーレイ、出なさそうじゃないですか」

 朝からずっと、楓に聞いた「人型のオバケはユーレイかも」という話が心のすみにひっかかったままのメイは大真面目だが、スサノオはあきれるを通り越して怒りの気配を放った。


「おまえというやつはまだ、そんなことぬかしてやがるのか」

「だ、だって怖いものは怖い……」

 そこへ、電車到着を知らせるメロディとアナウンスがにぎやかに鳴り響いた。

 メイの最寄り駅方面に向かう快速列車が、ヘッドライトを煌々と光らせ、騒々しくホームに入ってくる。乗車待ちの列は降車スペースを空けて両脇にどくが、


「うそ、満員!」

 メイは、人いきれで曇った窓ごしに見える、ぎゅう詰めの車内に青くなった。

「の、乗れるかな」

「乗れ。おまえはチビだし、ねじこめばすき間に入れるだろ」

「そ……そんな」


 快速列車が停まり、ドアが開いた。

 乗客が数人、降りるやいなや、空いたわずかなスペースを奪い合うように、待っていた人々がどっとドアに殺到する。

(うそ! ムリ! 降りた人の倍は並んでるのに! 全員乗れるわけない……!)


 無言の気合いに満ちた通勤客にあおられ右往左往、人の背中でなにも見えず、ドアに近づいているどうかさえわからなくなったところで、発車のベルが鳴った。

 まさに満員。ぎゅう詰めだ。


 メイだけでなく、数人が乗るのをあきらめホームにとどまる。

 ドアが閉まった。誰かのコートのすそがはさまれ、ちょっぴりはみ出している。

 そのまま発車。


「す……すごい。こんなに混んでる電車、初めて見たかも……」

 メイはあぜんとつぶやき、それからふと、スサノオの気配がないのに気づいた。

「?」

 ふり向き、ホームの屋根を見あげ、それからあわててしゃがんで、そのへんに「落ちて」ないかと確かめる。いない。


 周囲の通勤客に、あの子はなにをやってるんだろう? という目で見られたので、無理やり笑顔をつくり、平気なふりで立ちあがる。

(スサノオ、まさか……)

 まさかではない。

 小さな破壊神はひとりで、さっきの快速電車に乗ってしまったのだった。



【後編に続く】

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