第7話 僕の音楽遍歴②~僕を夢中にさせたバンドたち~
1990年、前年から続くバンドブームの影響で、テレビやラジオからは新進気鋭のバンド達の楽曲が毎日のように流れていました。このブームは当時TBSの深夜番組「平成名物TV いかすバンド天国」に端を発したもので、僕もこの番組を時には生で、時にはビデオで録画しながら観ていました。
この番組の出身バンドは「フライングキッズ」や「BEGIN」「ブランキージェットシティ」などがいましたが、僕はその中でも「たま」のファンでした。激しめのハードロックや化粧コテコテのビジュアル系のバンドが多数を占める中、彼らはオルガンやピアニカ、アコーディオン、風呂桶を使ったパーカッションなどで奏でられる楽曲はどこか懐かしさを感じました。一方、歌詞はこの世のものではない世界を描いており、その風貌も相まって、どことなく近寄りがたい雰囲気に満ちていました。
彼らのデビュー曲「さよなら人類」を、僕は怖いもの見たさで聴いてみたのですが、聴けば聴くほど、何かに取り憑かれたかのように彼らの作り出す世界にどんどん嵌っていきました。
彼らは四人編成ですが、全員が作詞作曲をこなし、四人それぞれ音楽性が違う所が凄く面白かったです。
バンドは2003年に解散しましたが、メンバーだった柳原陽一郎さんはソロになった後もファンで、時々ライブにも行っております。
ライブの後、柳原さんと直接話し、CDにサインをしてもらい握手もして頂いた時は、思わず涙腺が崩壊してしまいました。本人は博識でトークも面白く、すごく気さくな方でした。
空前絶後のバンドブームが陰りを見せ始めた頃、僕の音楽遍歴に大きな影響を与えたもう一つの出来事がありました。
それは、ビートルズとの出会いです。
きっかけは、前回登場した従兄がくれたカセットテープです。そこには、ビートルズ中期の名盤「HELP!」と「Revolver」が収録されていました。(二枚の間にリリースされたはずの「Rubber Soul」がなぜか抜け落ちていたのかは不明ですが(笑))
初めてこのカセットを聴いた時、歌詞が英語で演奏もいまいち古臭く、その良さを十分に感じ取れていなかったのですが、繰り返して聴くうちに耳に馴染んでいき、気が付くと邦楽よりも聴きこむ時間が長くなっていました。
収録されていたいずれの曲も長さは三分程度で、歌詞も至ってシンプルですし、「HELP!」には「yesterday」、「Revolver」には「Yellow Submarine」など名曲が収録されていたので、取っ掛かりとしてよかったのかな?と思います。
このカセットテープがきっかけになり、僕はビートルズの他のアルバムもCDを借りて聴くようになりました。
初期のアルバムは彼らの音楽的ルーツであるロックンロールのカバーが多く、あまり心に残りませんでしたが、「A Hard Days Night」辺りからは徐々に聞きごたえのある曲が増え、「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」と「Magical Mystery Tour」ではRevolverを上回るサイケデリックな演出の数々に耳とメンタルがやられそうになりました。そして「The Beatles」(ホワイトアルバム)や「Abbey Road」では高度な音楽性と、より多様化したサウンドに心を奪われました。
こうして僕は、当時流行したトレンディドラマの主題歌や音楽業界を席巻したビーイング系の楽曲よりも、ビートルズの楽曲を毎日聴きこんでいました。当時の学校の友達は、音楽の話になるとCHAGE&ASKAやB’zの話をしていましたが、僕はそこになかなか入り込めませんでした。その様相は、クラスの仲間がアイドルの話をする中、ニューミュージックを聴きこんでいた自分がその輪に入り込めなかった小学生時代と同じでした。
また、ビートルズ好きが高じるうちに、CDを聴くだけでなく、図書館で楽曲解説の本を読みふけったり、元メンバーのソロライブを観に行くようになりました。
1991年、ギターのジョージ・ハリスンが、盟友であるギタリストのエリック・クラプトンとともに来日するという話を聞き、ビートルズにどっぷり嵌っていた僕は早速チケットを取って東京ドームでライブを見てきました。
思えばこれが、生まれて初めて行った洋楽アーティストのライブでした。
チケット代は当時としては割と高額でしたが、ジョージに会えるし、ひょっとしたらビートルズ時代の楽曲もやってくれるかも? と淡い期待を持ってライブに臨みました。
ジョージは終始ご機嫌で、演奏を終えるたびに日本語で「ありがとう!」と連発していました。当日はクラプトンの曲とジョージの曲が半分ずつ、ジョージの曲の内訳は、ソロとビートルズ時代の楽曲が半々位でした。
クラプトンとの共演という形でのライブなので若干物足りなさは感じましたが、ビートルズ後期のアルバム「Abbey Road」に収録されているバラード「Something」のリフを演奏し始めた時、僕は嬉しさのあまり絶叫してしまいました。また、クラプトンがバックでギターを奏でる中で歌っていた「While My Guitar Gently Weeps」は、今思い返すと、もう二度とみられない夢のようなコラボだったと思います(ジョージは2001年に逝去しています)。
ジョージの二年後(1993年)にはベースのポール・マッカートニーが来日し、こちらもライブに行ってきました。ポールはサービス精神旺盛で、ビートルズ時代、ウイングス時代の楽曲を惜しみなく演奏していました。ライブの盛り上げ方も上手で、積極的に日本語を駆使しながらお客さんとコミュニケーションを図ろうとする姿勢が終始見て取れました。終演後、お客さんが口々に「楽しかったね」と言いながら満足して帰っていくのが印象的でした。僕自身もそれまでCDでしか聴いたことのなかった「Yesterday」と「Let it be」「Hey Jude」を生で聴き、興奮が収まりませんでした。
さすがは一流のロック・エンターティナーと呼ばれ、エリザベス女王から勲章を受けただけのことはあります。
ちなみにポールはこの後2002年と13年、さらには2015年、17年、18年に来日しており、僕はいずれの年もライブを見に行っております。ポールのボーカルは高音とシャウトが特徴的ですが、高齢となった今は高音部の発声はさすがにキツイようです。個人的には、高音部が多いビートルズ時代の曲はもう無理してやらなくてもいいのかな……と思います。しかし、ライブの盛り上げ方と、所要時間(2時間半、途中はほぼ休みなし)は、最初に参加した三十年前とほとんど変わっていないのが凄いと思います。御年八十二歳の現在もワールドツアー中とのことですが、また懲りずに来日して頂きたいです。ただ、本人の年齢を考えると、次回はさすがに最後だと思って臨んだ方がいいのかな……(汗)。
ドラムのリンゴ・スターは、1995年に日本武道館で行われたライブで拝見しました。この時はリンゴだけではなく様々なミュージシャンが「His all starr band」という名称で帯同しており、リンゴの息子も本人と同じドラマーとして参加していたのが印象的でした。
次回は、社会人になってからの音楽遍歴について触れてみます。
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