オビツキ村⑧ 夜道


 辺りの木々にぽつぽつと提灯が灯り始め、次第に周囲の風景も昼間見たものから表情を変えていく。来た時よりも足元の不明瞭な階段を慎重に下り切る頃には村の外灯も点き、昨夜の出来事を鮮明に想起させた。

 御櫃邸の方を通って元来た道を行くには少し遠回りになってしまう。いずれにしても民家が集まった区画に戻るには結構な時間を要しそうだ。

 故に更に暗くなるのを恐れた彼女は、駐在所前の道につながるであろう通りが見える頃にはかなりのスピードで走り出していた。


 タッタッタッタッタッタッ、ガッ!


 駐在所の赤い門灯が視界に入った途端、更に速度を上げた彼女の脚に何かが当たり弾け飛んだ。

 恐る恐るライトを取り出し照らしてみれば何てことはない、ただのトラバーと赤いコーンだった。思い返してみれば、ここに来たときに安戸さんが交番前の道は神事に使われるため封鎖されるようなことを言っていた。


 ガサガサガサガサッ


「だれっ!?」

 道をライトで照らしながら注意深く赤コーンを確認したところで、明らかに意思を持った何者かが彼女の声に反応し素早く遠ざかって行った。

 偶然にも光を当てるまで、僕らが気付かぬうちにそれが近付いていたかと思うとぞっとする。草むらの方に見えたそれの一部は確かに「人」の脚部だった。恐らくそれは未だに民家が集まる側の雑木林に潜んでいる。


 いつの間にか踏み締める足音が砂利へと変わり、辺りには一層虫の音が響き渡る。鬱蒼とした森に囲われているせいか夜の七時にしては暗く、疎らな外灯を頼りに深い沼底のような道を点々と歩くより他はない。

 何とか舗装された道に軌道修正した多嬉ちゃんは交番に辿り着くなりドッと門灯下の壁にもたれ掛かった。


 ふと左を見遣れば村と外界を唯一つなぐトンネルが先の方にある。

 只々、黒々とした暗がりをぽっかりと開いてみせるそこには絶えず風が流れ込み、時折ゴウゴウと鳴っては闇のとぐろを巻いている。

 入ってしまえば最後、何だかそんな考えがしっくりとくる光景だった。


「……オ……オイ……」

 どこからともなく誰かが呟く声が聞こえる。多嬉ちゃんは咄嗟に建物の陰に隠れ、息を潜めつつ周囲の様子を窺った。

 道端に立った僕の位置からはすでに大きなバスの車庫がある方から覚束ない足取りで歩く男の姿が確認できる。


「……オイ……アオイ、なのか……?」


 フラフラと歩を進める男はついに縁石につまずき、その拍子に制帽を落としてしまった。

「勝呂さん、こんばんは! 帽子落とされましたよ」

 すかさず躍り出た彼女は帽子を拾い上げトボトボとトンネルへと進む勝呂さんに声を掛ける。しかし声が届いていないのか彼は振り向きもせず、つまずいた際に挫いた足を引きずりながら一心に暗闇を目指した。


「勝呂さ――!?」


 トンネルに差し掛かった勝呂さんの後を追おうと、慌てて踏み出す彼女の動きが不意に止まる。もしものときのために勝呂さんの近くで待機していた僕は彼女の方を顧みた瞬間、そうしたことを酷く後悔した。


 灰色パーカーの男が彼女の腕を引いている。

 彼女の抵抗も虚しく、男の尋常ならざる腕力にびくともしない。

 不覚にも接近を許してしまった僕は全速力で走り寄り、寸でのところで拳を固めた。

「――彼はもうダメだ。諦めてくれ」

 途端に僕の拳は止まる。意外にも口を開いた男はあっさりと彼女の腕を離し、じっとフードの下を窺う彼女にゆっくりと頷いて見せた。


 男の背丈は彼女や僕と同じくらいだが、肩回りを中心にパッと見て分かるくらい筋肉が盛り上がっている。通りで彼女が抵抗しても動かないわけである。


 視線に気付いた男はそっとフードを取り、トンネルの方を指差した。


「君もあのトンネルには近付かない方がいい。入らずとも数日は気分が悪くなるはずだ」

「……勝呂さんは、どうなるんですか?」


 見掛けに寄らず丁寧な言葉を繰る青年のような男に対し恐る恐る彼女が尋ねる。男はしばらく片手で顔を覆い、徐に頷いてから口を開いた。


「間違いなく精神に異常を来すだろう。更に進めば恐らく体の方も普通ではいられなくなる。最悪の場合……」


 男は少しの間彼女の前に手の平を突き出し震える体を落ち着かせた。それから顔を反らしたまま深く息を吐いた。

 先から気になってはいたが、男はこうして不随意的に体を震わせるのが癖のようで、話をする前後に一呼吸置くのは震えを抑えるためでもあったようだ。


「それで、勝呂さんを助けるにはどうしたらいいのでしょうか?」

「助ける方法は、ない。今から言うことは気の触れた男の世迷言だと思ってくれて構わない」


 勝呂さんの姿はすでにトンネルに消えていた。

 距離があるとはいえ暗闇に飲まれるにはまだ猶予があったはずだ。しかし謎の青年に気を取られた一瞬のうちに彼はトンネルに踏み込んだ途端に見えなくなった。

 心身に異常を来す云々はともかく、あの禍々しい暗闇が普通でないことだけは確かなようだ。

 訝しみながらも状況に納得するしかない多嬉ちゃんは軽く頷き、青年の話を促した。

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