オビツキ村⑦ 境内


 本殿の表で礼をした彼女は裏へと回り、裏にも賽銭箱が設けられているのを確認し表と同様に礼と柏手を打った。

 お祭り日には御開帳されると期待された本殿は未だ閉まっていたため、裏参りと称して裏側の探索を試みるつもりなのだろう。


「お邪魔しまーす……」


 一段高くなった踏石に乗り、律儀にどこぞへ声を掛けた多嬉ちゃんは裏側をじっくりと観察した。表は頑丈そうな木のかんぬきが掛けられており、裏に至っては扉らしきものすら見当たらない。

 しかしある時から不自然に一点ばかりを凝視し始めた彼女の視線を追うと、壁に使われている板の木目が一点だけ目の形に黒ずみ、そこから若干ひび割れを起こしているのが分かった。経年劣化によって木の節目の部分から腐食しているのだろう。

 目を凝らせども見えるものは闇ばかりで、より強い光なしには目の順応だけでは間に合わない。すかさずリュックからタクティカルライトを取り出し壁の穴へと押し当てる。


 ご神体の背中を覗こうなどと、不敬なこととは知りながらもついつい覗けるものは覗きたくなるのが探索者の性というもの。仮にその内にあるものが衝撃的なものであったとしても、僕らはいかなるときもそれを受け入れる準備をしておくべきだ。

「……あれ?」

 昨夜見た多面多臂の化け物に加えて、神隠しと称した口減らしや謎の因習が横行している村のこと。その元締めとも言える神社の本殿にはさぞかしおぞましいものが安置されているに違いない、と僕らは思ったはずだ。

 が、意に反してそこにあったのは単なる暗闇、正真正銘の伽藍堂だった。


 ライトを消した多嬉ちゃんはリュックを背負い直し、徐に本殿から離れ元来た急な階段の方へと歩き出した。

 指先で軽くメガネを持ち上げた彼女が思案顔になるのも無理はない。ただでさえお祭りを前日に控えた本殿にご神体が不在であることなどあるのだろうか。

 他に可能性があるとすればお神輿で担がれる、もしくは神楽舞台につながった本殿を何らかの目的に使用するためにご神体を別の場所に安置したか。

 しかしそれにしても台座やその他の神具まで取り払う必要があったのだろうか。


 ゴトッ、ガラガラガラ……


「ふぅ! きっついなこれ!」

 『祭』の法被を着た強面の男性を先頭にして五名の男たちが続々と階段を登り切る。

 男たちは各々抱えて持ってきた物を台車に載せ、境内をぐるりと囲った屋台へとそれらを運び入れた。


「あのー、すみません」

「――おわっ!」


 法被男の指示で他がテキパキと皆が動き回る中、一人『電気飴』の屋台裏で煙草をふかす金髪パンチのお兄さんに彼女は躊躇いなく声を掛ける。

 どうしてバレないと思ったのか、慌てて煙草を踏み消した彼は目を細め珍しいものを見るようにじっと上下に彼女を見つめた。


「お姉さん、マブいね。どっから来たの?」

「ええと、たぶん東に一〇〇キロくらい離れたところから。お兄さんたちはこの村の人ですか」

「みんなヨソモン。この時期にゃ色んなとこ回ってるテキ屋ってやつ。そんな遠いところから来たんじゃ疲れてるっしょ? 肩揉もうか?」


 男が一歩距離を縮めるのを見計らい、屋台に掛けられた看板を力いっぱい下に落とす。


 ガンッ! メキッ


「おい! なに油売ってやがるんだ!」

「ひぃ! すんません!」

 物音に振り向いた法被男が瞬時に部下の失態に気付き怒鳴りつけた。

 お陰で少々危険な金髪パンチを遠ざけることに成功したが、代わりに多嬉ちゃんに気付いた法被男が近付いてくる。


「申し訳ありません。うちのモンがご迷惑をお掛けしまして」

 一も二もなく彼女に頭を下げた法被男をよく見れば、浅黒い肌には遠目で見るよりずっと小皺が多く、印象も四十代から六十代の落ち着いたものへと様変わりした。

 どうやらテキ屋のまとめ役らしい彼は多嬉ちゃんから事情を聞き、金髪パンチが無実であることが判明したところでようやく安堵の笑顔を見せたのだった。


「この村にはよくいらっしゃるんですか?」

「ええ、かれこれ十年くらいの付き合いになりますかね。下の方の連中も大体がうちのモンで。本当にありがたいことです」

「ちょっと気になったんですけど、お祭りのときはいつもご本殿の扉は開いていますよね?」


 不意に彼女が指差した方を顧みた法被男は少し思案した後口を開いた。


「なんとも言えませんがね、ここ数年はずっと閉まっている気がします。初めてここに来たときは開いていたような、いなかったような……」

「中のご神体はどんな感じでしたか?」

「うーん、ご神体ね……確か何もなかったと思いますよ。何となく鏡が真ん中に飾られているのを見ましたね」


 男の発言に今度は多嬉ちゃんが首を捻った。

 これまで二件の民家共にいかにもな円柱状の置物を見てきただけに、てっきりそれに類似する何かが安置されているとばかり思っていたのだ。神鏡や八足台ならば一般的な神社でもよく見られるが、ここにはそれすらも無い。

 さすがの僕も大きく肩透かしを食らったような気分だ。


「……どうして何も無いんですかね」

「え、なにも……? それじゃ、ここらで少々お暇します! 俺たちのような弱小は数で稼がにゃならんので」


 彼女の口から突いて出た言葉を聞かなかったことにしたらしい法被男は、威勢よく元の仕事に戻って行った。

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