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葉月 陸公
第1話
母が死んだ。何の前触れもなく、突然。その事実を示す音が、病室に響き渡る。
紙には『進路希望調査』と書かれていた。
心を無くしたまま、葬儀に出る。物心ついた時には既に片親だった武命は、未来を絶たれたような気持ちになった。
線香の煙たい匂いが鼻をつく。ノイズの如くぼんやりと聞こえる周囲の音。しかし、それに
それを見た妹は、無情にも、「薄情者だ」と繰り返した。
山の中で行われた葬儀だった。帰り道、紅葉が舞い散る様を、「まるで血のようだ」と思いながら山を下ろうとする。赤く染まった山は、武命の心と共鳴していた。
親を失い、妹のために働く選択をする武命は周りから見れば、さぞかし美談になるだろう。しかし、武命にとっては、その決断がどれだけ苦しいものだったか。切り裂かれた理想の未来は、木から落ちた紅葉の如く、二度と生き返ることはない。
今にも転げ落ちてしまうのではないかと思う足取りで、武命は歩く。完全に目的を見失った彼の歩みは、操り人形そのものだった。
そんな不確かな歩みで無事に家に辿り着けるはずもなく、武命はずるりと足を踏み外した。
鈍い痛みが体を駆け巡る。悲観的になる心を押し殺して、顔を上げると。そこにあったのは大きな門だった。
(こんなもの、あったか?)
ここに来る道中の記憶がない。山奥に大きな門があることに疑問は抱いたものの、何分、門は風景に馴染んでいたものだから、疲弊した脳で考えられることはなかった。
三メートルほどの古い木の門。もの珍しさに興味を惹かれる。武命は、門の放つ引力に抗うことができなかった。
門をそっと押してみる。
すると、門は簡単に開いてしまった。
強い光が武命を包み込む。光の導くままに、武命は門の中へと進んでいった。
目の前に現れたのは、まさに、地獄。廃れた世界に行き交う音は、爆発音や銃声、それから悲鳴。血と硝煙の臭いが鼻をつく。足元には、ここで生活していたことを思わせる、人がいた痕跡が散らばっていた。見たことのない悲惨な風景が広がっている。例えここが阿鼻地獄だと紹介されても、十分に納得できた。
ふと武命は数分前のことを思い出す。山で足を踏み外した。人の死後は、誰にもわからない。故に、「もしかすると、あの門は地獄の入り口だったのではないか」と本気で思った。生きる苦しみから解放された安堵と、置いて来た妹に対する不安が入り混じる。
どうしたものかと考えていると、後ろから、よく聞き慣れた声が聞こえた。
「貴方、こんなところにいては死にますよ」
振り返れば自分がもう一人いる。彼は日本刀を帯刀し、銃を持ってそこに立っていた。驚いて肩を跳ねれば、向こうも目を丸くする。しかし相手はすぐに正気に戻り、
「ここは激戦区です。事情は後程。今は、安全なところに避難を。ついて来てください」
彼は異様に冷静だった。武命の手を引いて走り出す。近づいてくる銃声や、すぐ横で起きている爆発に
彼に案内されたのは、小さな隠れ家だった。狭いが、日常品は揃っている。そして、写真が一枚。写っていたのは、やはり母と妹と武命によく似た人間。
「強引に連れて来てしまい、申し訳ありませんでした。私はタケル。軍人です」
彼は軽く自己紹介すると、「貴方は?」と武命にも自己紹介を
「武命。ただの高校生」
武命は警戒して答えるが、タケルは構わず話を続ける。
「不思議なこともあるものですね。同姓同名で同じ見た目の人間が、まさか何もない場所から現れるとは」
「何もない場所? 俺は、門を潜ったらここに着いたんだが」
「門、ですか? そんなものは、周りにありませんでしたけど……壊されたのでしょうか? 戦いは激化していますから」
「元の世界に帰れないってことか?」
武命の言葉に、タケルは黙り込む。否定はできなかった。
「……俺は別にここで死んでもいいが、
武命が小さな不安を溢すと、タケルは驚き
「妹、ですか?」
何かを考えながら、そう質問した。武命は短く「あぁ」と答える。その答えに、タケルは何か確信したように立ち上がり
「ここで死んではいけません。絶対に、生きて帰りなさい」
武命の手を掴んで言った。
「恐らく貴方にとって、ここは並行世界。何の因果か、貴方は突如、パラレルワールドに飛ばされてしまったのです。私が、並行世界の貴方。その証拠に、顔と名前が一致しています。貴方が生きている限り、向こうでは行方不明扱いです。私が生きている限り、まだ帰る希望はあるはず。ただ、この世界で貴方が死ねば、貴方の世界の貴方は存在しないものとして扱われます。それは私も同じ。存在そのものが消えてしまうのです。そうしたら、何もかも終わりです。世界は歯車のようなもの。
長い説明の後、タケルは一呼吸置き
「わかりますか? 貴方の死で、二つの世界が崩壊するかもしれないのです。そうなれば貴方の妹も、私たちも終わりですよ」
強い口調で、武命に言い放った。鋭い視線が、武命を刺す。
しかし、夢も希望も失っていた武命に生きる力は残されていなかった。
「だから何だよ」
弱々しく呟かれた武命の一言に、タケルの表情がゆっくりと歪み始める。嘲笑によく似た武命の笑顔が示すものを、彼は嫌というほど知っていた。死んでいく仲間が見せた顔と同じ。それは
「俺に、『世界のために生きろ』って? 冗談キツイぜ。神様とやらは、俺に死ぬチャンスをくれたらしい。もう楽にさせてくれよ。なぁ」
__絶望。
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