第2話小学校1年生
入学
私は昭和53年4月に、大阪府T市立K小学校に入学した。小学校は周辺の幼稚園や保育園に通っていた子供たちが入学してくるので、幼稚園とは比べ物にならないくらい児童数が多く、1年生だけで5組あって、1クラス40人もの児童がいたので、単純に考えると200人もの児童が入学したことになる。私が入学したK小学校はT市の中でも一番のマンモス校で、全校児童を合わせると1000人を超えていた。
入学式では一人一人の名前が呼ばれ、私は4組になった。担任は山岡先生。まだ小さな赤ちゃんがいる若い先生であった。
山岡先生は最初に自分の自己紹介をして、それが終わると出席番号順に子供たちの名前を呼んでいく。私の名前が呼ばれて
「ハイッ」
と大きな声で返事をして着席。一通り名前を呼び終えると、真新しい教科書が配られ、勉強に必要なお道具箱なども受け取って、家に帰ってから名前を書いていく。いろんな教科書や勉強道具に、母に名前を書いてもらい、上機嫌であった。学校に行くのが楽しみであった。隣近所のお姉さんやお兄さんと一緒に連れられて、姉と一緒に学校に行くのは楽しかった。姉は2年生になり、ちょっとお姉さんぽくなっていたような気がする。
まず学校で最初に習ったのがひらがな。1~10までの数字などであった。私は祖父や姉から、幼稚園に入る前から教えてもらっていたので、すらすらと覚えることができた。
それから社会では学校周辺のこと、理科では身近な自然についての勉強が始まった。私は疑問に思ったことはよく先生に質問していたのであるが、山岡先生は嫌な顔一つせずに、私にわかりやすく丁寧に説明してくれた。特に私は社会と理科に興味があったので、この教科についてはよく質問していた。そのおかげで社会と理科が得意科目になった。
ただ、1年生になると、私の通った小学校は、複数の幼稚園は保育園出身者が集まっていて、だんだん同じ幼稚園・保育園出身者で集まるようになり、特に男子はちょっとした小競り合いが起きるようになっていた。誰かが小突いたとか、誰かが遊具を譲てくれないとか、いわば兄弟げんかのようなことが発生するようになっていた。そんなクラスの皆に山岡先生は、皆が仲良くすることの大切さ、自分がされて嫌なことは人にはしないことなどをわかりやすく話してくれて、小さな諍いは目に見えて減っていった。休憩時間になると、皆で校庭に出てドッジボールを遊具を譲り合って使ったり、仲間としての意識が少しずつ芽生えてきたのである。
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